05.駄々っ子
早いもので私が菫隠の村でお世話になって三度季節が廻った。
菫隠の村に最初に来たころはちんぷんかんぷんだったこちらの情勢にも随分詳しくなったと思う。
まずこの時代はやっぱり室町時代の後期で間違いなかった。
とは言ってもやっぱりきのこの名前の城が数多くあり、私が知っている大名は数少なかったのだけど。
志島さんがこの時代を戦国時代だと表した通り、外の世界は戦の絶えない世だ。
何度か仕事のため結界―――菫隠の村を守るために蒼珠さんと多聞さんが張っている―――の外へ出ていく多聞さんについていき、戦の爪痕を見たけど……あれはまさに地獄絵図だった。
思わず目を反らしたくなる現実を見る事で改めてここが私が生きていかなければいけない世なのだと感じさせられた。
恐らく多聞さんは私にこの世の現実も見つめさせようと仕事に何度も同行させてくれたんだと思う。
多聞さんは蒼珠さんと違い、私が最初に違和感を感じた通り、私と同じ普通の人間だった。
だけど多聞さんの場合、職業が普通の人ではなかった。多聞さんの職業は陰陽師。しかも陰陽寮に所属していた本物の陰陽師だったらしい。
だった、と言うだけあって蒼珠さんと出会ったことでその地位を捨てて菫隠の村に来たらしく、今はただの入り婿だと自分を笑い飛ばしている。
幼い頃に土御門家に弟子入りし、遅い出世だったとは言うけど、定員6人の狭き門なんだから十分早い方なんじゃないだろうか。
その地位を捨ててまで蒼珠さんを選ぶなんてカッコいい!
地位は捨てたけど、今は民間の陰陽師として昔の伝手を経て届く依頼を熟しているだけで、そう仕事が多いわけではない。
結局三反田家には自給自足と言う言葉が付きまとい、私は畑を耕したり、山へキノコを採りに行ったり、時には川で魚を採った。
蒼珠さんは菫隠の村の長のため、村の中の小さないざこざ―――主に雑鬼たちの悪戯の所為―――を収めるべく村の中を走り回っている。
なので基本的に家の事は椛がするんだけど、これが酷い。
椛はまさに不運の申し子とも言える子で、もしかしたら善法寺伊作に並ぶのではないだろうかと思うほどの不運だった。
三歩進めば雑鬼の悪戯に引っかかるか自ら不運な状況に陥る。そんな不運レベルに最初は思わず引いたものの、それに三年も付き合えば十分慣れると言うものだ。
数馬も私が来るまでは蒼珠さんが目を光らせていたらしいんだけど、今や自ら不運な状況に陥るだけでなく、私が傍に居ない限りは雑鬼の悪戯に引っかかる椛と同レベルの不運になっていた。
さてこの不運の申し子たちと付き合った三年間で私にも変化が現れた。
この二人を不運から守るべく目を光らせ、不運になりそうな状況に先回りしたり、手を貸したりとしていた事と、生活のために家の手伝いをしていたことで気づけば私は暴君並とは言わないものの、現代っ子にはあり得ない体力を得た。
体力だけではなく、多聞さんの仕事について行ったことで力の弱い悪鬼であれば自分でも祓えるようになった。
それでもやっぱり穢れを受けることがあって数馬や椛にその穢れ―――今一理解できていないけど、とりあえず穢れを受けると気分が悪くなる―――を祓ってもらうことがある。
二人―――数馬はハーフだけど―――の菫隠の力の恩恵を受けているうちに私は人ならざる者を誘うと言う甘い花の匂いが薄れたらしく、私は本当に普通の人間に近づいてきた。
それでもやっぱり数馬には未だ甘い匂いがすると言われるから中々この村の他の隠とは馴れ合うことが出来ずにいた。
別に菫隠の皆が悪いわけじゃないんだけど、蒼珠さんや椛みたいに純血でも力が強くない隠は本能に抗えない部分がやはりあるらしくて、うっかりすると涎や噛み付き跡、キスマーク等を与えられるのだ。
実際喰べるまでに至らない味見をされている状態らしいんだけど、常に貞操の危機を感じるのは如何なものだろう。
いっそ誰かに所有印―――マーキングみたいなものらしい―――をしてもらえば手っ取り早いと言われたけど、それは流石に抵抗があった。
実際多聞さんは蒼珠さんに所有印を付けられているらしく、外で他の妖怪に狙われる事がない。むしろ蒼珠さんの所有印に恐れをなして妖怪が逃げる逃げる……あれは面白かったなあ。
たまに数馬や椛が練習も兼ねて私に所有印を付けるけど、それはあくまでその場しのぎの簡易的なものだ。
本当の所有印は……まあ何よ、想いを交わしあってつける?……みたいに誤魔化されたけどあれはヤったらいいって事よね。
今年で20歳な今野華織を舐めないで頂戴!
……なんてのは冗談で、20歳なのは気持ちと言うか心と言うか、まあ精神年齢の話であって実際問題身体は椛と同じ位の10歳……だと思われる。それで初体験は嫌過ぎる!!
と言う理由で私は所有印の話を先延ばしにしてある。
簡易的な措置として多聞さんと札を作ってみたけど、効果は微妙なので当面は椛の世話になろうと思う。
「……と言う訳で数馬、強く生きてね」
「え?いきなり何!?」
びくっと肩を揺らす数馬に、隣に居た椛が呆れ顔を浮かべる。
「数馬、あんたちゃんと話聞いてなかったの?」
「聞いてたよ!椛ちゃんと華織ちゃんはこれから忍術学園に行くんでしょ?強く生きるのは二人の方じゃない」
ぷくっと頬を膨らませた数馬の頬を私はつついて潰した。
「もう、お馬鹿さんね。数馬は」
「……華織ちゃんひどい」
「事実でしょ」
「椛ちゃんはもっとひどい!」
唇を尖らせた数馬にすっぱりきっぱり言い切った椛に数馬が涙目になった。
ああ本当この子はなんでこんなに可愛いかな。余計に苛めたくなるわ……いやいかん。今はそんな暇はない。
「いい?数馬。私と椛が居ないって事は、雑鬼の悪戯に掛かった時に助けてくれる人が居ないって事よ?」
「勝手に転んでも手を差し伸べてくれる人もいないわよ」
「……あ」
私と椛の言葉にようやく言いたいことが理解できたのだろう数馬は、眉根を寄せてしゅんと俯いた。
私とはまた違う理由で数馬は菫隠の皆に馴染めていなかった。
数馬はこの菫隠の村で唯一の混血児であり、同時に蒼珠の息子と言う立場が中々他の菫隠の子どもたちに馴染めない理由となっている。
不運スキルの為か、数馬自身が他の子どもたちの輪に入りたがっていない為かはわからないけど、数馬は基本的に一人でいる事が多い。
私や椛がそれに気づいて手を差し伸べていたけど、それじゃあ数馬の為にならない。
私たちが忍術学園に入学するのをきっかけに数馬が少しでも変わってくれるといいんだけど……ただの甘えん坊さんじゃ菫隠は率いていけない。
混血児で隠の証である角が擬態を取ることでしか現れない普通の隠とは逆の体質だろうと、菫隠としての力は椛に続く高さだと言うんだから、数馬には立派な菫隠の長になってもらわなくちゃ!
まあでも数馬が長を継ぐのが本気で嫌だって言ったら多分椛がなんだかんだ言いながらも代わりに継いであげるんだろうけど。
馴染めないと言えばくらくんは如何しているだろう。
あれ以来志島さんは菫隠の村を訪れることはなく、連絡も何年か前に取り敢えず元気にしている旨手紙が来たくらいでくらくんの行方は分からない。
私を見つけてくれたくらくんには何かお礼をしたいし、あの可愛い毛玉具合をいつかくしゃくしゃさせてもらいたい。
「華織ちゃん……僕やっぱりヤダ!」
「ヤダって言っても華織は連れて行くわよ」
「椛ちゃんの意地悪!やだやだぁ!!」
ぎゅうっと私に涙を浮かべて抱きついてきた数馬の可愛さに私が震えていると、椛が額を押さえて深く溜息を吐いた。
駄々っ子ってリアルに身内に居たら絶対イラっとするって思ってたんだけど、数馬は別。
なんで数馬はこんなに可愛いんだろう。流石私が育てた数馬!!
「数馬、数馬の我儘は物凄く嬉しいんだけど、私はもっとこの世の事を勉強したいの」
「勉強なら父様に見てもらえばいいじゃないか。華織ちゃんがいないの僕やだよぉ」
「そうは言ってもわしが華織に教えられる事にも限度があるからなあ……」
困ったように言う多聞さんに数馬くんがひくりとしゃくりあげる。
ああ、これは本格的に泣き出すぞと思っていると、案の定数馬が私の藍色の小袖に顔を埋めて泣き出した。
「前々からわかっておらぬのではないかとは思っておったが本当に気付いておらんなんだか……」
「まあ数馬だしなあ。華織が散々甘やかした結果と言うか……」
蒼珠さんと多聞さんの呆れた視線を受けながら私は数馬の背をトントンとあやす様に叩いた。
本当申し訳ありませんでした。可愛いからっていくらなんでも可愛がり過ぎました。甘やかしすぎました。全ては自業自得と言う奴です。
「数馬ぁ」
「やだぁ」
「私休みの度にちゃんと帰って来るよ?」
「それでもやだぁ。毎日一緒に居たいよぉ」
なんだこの子!!鼻血出ちゃうでしょ!?
でも華織、粘膜強い子だから鼻血でないんだけどね!
「んー……そんな数馬じゃ忍術学園に入学するのは無理かな?」
「……え?」
「あーあ。私、数馬が後輩になるのちょっと夢見たのになぁ」
残念だと言うように言えば、数馬の涙が引っ込み眉根が段々寄ってくる。
「教室は違うだろうけど一緒に勉強出来るってきっと楽しいだろうなー」
「華織ちゃん、僕が後輩になったらうれしい?」
「もちろん!」
絶対可愛がりに行くね!
ついでに作兵衛とか迷子コンビとかがっつり見るよ!!
「じゃあ僕、三年だけ我慢する」
「よし数馬は偉い子」
くしゃくしゃと数馬の髪を掻き混ぜ、ぎゅうっと抱きしめた。
「最初の休みが分かったら数馬に文を送るわ。約束よ」
「うん、約束だからね?」
ぎゅうっと抱きしめ返してくれた数馬の匂いを確かめ、私は数馬の身体を離した。
「それじゃあ行きましょうか、椛」
「そうね。行ってきます、姉さん、義兄さん」
「気を付けるのじゃぞ」
「しっかりと勉学に励めよ」
「はいはい。数馬も、いってきます」
「……行ってらっしゃい」
複雑そうな表情を俯けながらそう言う数馬に椛は眉根を寄せたけど、すぐにくるりと背を向けた。
本当二人とも素直じゃないなあ。
「いってきます!」
まあ、何はともあれ、忍術学園に向けて出発です!
⇒あとがき
入れるつもりだった話を飛ばした分、前半がモノローグびっちりになってしまいましたが、とりあえず出発です。
まずは同じ年に入学する六年生のお話を少し挟みたいと思います。
早く雷蔵さん出したいけど、くのいち教室の様子をちょっと描きたいので、雷蔵はもうちょっと我慢!
20110422 カズイ
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