44.辿り着いた少女

 下級生の授業を一部午後も座学に変更して私の授業に割り振って三日が過ぎた。
 一日目は一年ろ組の座学と六年生の合同実技だったけど、六年生相手には様子見で、ついでに五年生の影響を見たけどあまり芳しくない様子なのは確かだった。
 二日目は一年い組を午前中に集中的に見て、午後に三年生合同の座学と言う事で能楽堂を利用して授業をした。
 どちらも固定概念の強い子には札の効果は表れなかったものの、大半が正気に返ったお陰で委員会への支障が少なくなったと言えるだろう。
 三日目は一年は組を午前中に、二年生の合同座学を三年生の時と同様に午後に行った。
 二年生に編入することになった元プロ忍者の樋屋さんには初めて会ったけど、彼も先生方と同じく元から正気だったので少しやり易かった。
 早駆けになってしまったけど、下級生はほぼ正気に返っており、天女様が異質なものであることをきちんと理解している。
 天女様が来て四日目の今日、午前中に四年生の中でも特に灰汁の強いい組の座学を行い、午後にろ組とは組の合同授業を行う予定だった。
 だった、と言うだけあってどうしようもない事情が出来てしまったわけだけど……

「……っ」
 小さく呻き声を上げる少女の額に水で濡らした手拭いを当て、そっと滲んだ汗を拭ってやる。
 彼女は池上屋の美紗ちゃん。
 鉢屋くんと仲良くしていたお団子屋さんの娘さんであり、忍術学園の存在は知っているもののその場所は知らなかったはずだった。
 だけど彼女はここまでやってきた。一通の文と共に。
「水神様に何かあったのかな」
 へにゃりと眉根を下げた数馬はさっきからずっと美紗ちゃんの手を握ったままだ。
 その手を通じて美紗ちゃんの身体がずっと淡い菫色の光に包まれているのは美紗ちゃんが酷い瘴気に侵されてしまっていたからだ。
 今は大分収まっていて私の目では確認する事は出来ない程度にまで収まっているのは数馬が隠の力で美紗ちゃんを癒しているからだ。
 菫隠の力は癒しの力が大きい。数馬はその中でも更に大きな力を持っているので数馬がこうしてずっと手を握っているのだ。
「水神様ってなんですかぁ?」
 こてりと首を傾げる鶴町くんに数馬はちらりと私に視線を向ける。
 川西くんと猪名寺くんの二人も気になるのか私に視線を向けてくる。
 まあ、別に隠の事について話をしなければ話しても問題はないとは思うけどね。
 数馬のこの力だって陰陽術の一種だとしか説明してないけど三人ともそれ以上聞いてこない良い子ちゃんなんだから。
「美紗ちゃんが住んでる町の近くにある御社の神様よ。水を司っているから水神様」
「神様に何かあったなんてすっごいスリル〜」
「それってあの天女様の事に関係あるんですか?」
 楽しそうな鶴町くんとは対照的に不安そうな猪名寺くんに私は苦笑を浮かべた。
「詳しい事は文に書いてあるだろうし、話し合いが終わるのを待つしかないわね」
 肩を竦めれば、猪名寺くんは「そうですか」と俯いてしまった。
 一年は組もろ組と同様に全員札作りに成功すると思っていたんだけど、何人か正気に戻れない子が居た。
 例えば字が壊滅的と言うどうしようもない理由で札そのものが作れなかった加藤団蔵くん。
 蛞蝓と鼻水が邪魔して札が駄目になった湿り気コンビ……基、山村喜三太くんと福富しんべヱくん。
 まあ二人は元々天女様にそれほど関心がないので、そこまで酷い状況じゃないけど……問題は加藤くんと笹山兵太夫くんよねえ。
 固定概念と言うか警戒心というか……まあその辺りが強い笹山くんは札は作れても効果は現れなかった。
 い組の子も何人かそれが理由で札の効果が現れなかったんだけど、そう言う子は私が作った札を持たせてもあまり効果はないし、効果がないからと破り捨てられる可能性が高い。
 山村くんと福富くんはそもそもの性格が温厚なので私が作った札で今は皆と一緒に普通に遊んでいるけど、加藤くんと笹山くんの二人は天女様の方に向かっていく事の方が多い。
 天女様と一緒に居る時間が少ないのでそれほど影響は出ていないけど、上級生の様に生気を奪われていくのは見ていてあまり気分のいいものではない。
 一週間以内には片づけを完了させた方がいいかも知れないと言う椛の言い分はもっともだと思うけど、天女様をただ祓ってしまえば終わる事件ではないからそう簡単に手を出せずにいた。
 天女様に手を貸している存在、それが何なのかが分かれば話は早いんだけど。
 数馬が一人で山神様にお伺いを立てたけど山神様は沈黙を貫いて何も教えてはくれなかったらしい。
「そう言えば今野先輩」
「何?川西くん」
「不破先輩のお父上はあの近くに住んでるんですか?」
「ううん。たまたまじゃない?」
「たまたま、ですか?」
「そう。志島さん……くらくんのお父さんは一か所に留まるのが大嫌いで、他人と一緒に居るのも時間に縛られるのも大嫌いって人だから、何か月か毎に場所を変えて旅歩く人なのよ。住んでるところはいっつもどこかの山奥だから見つけるのが至難の業で、実はまだ挨拶に行ってないのよね」
「「あいさつ?」」
 こてりと首を傾げる一年生二人に私はふふふと笑う。
「くらくんをお婿さんにくださいって言うのよ」
「華織ちゃん、それ普通逆だからね」
「だって多聞さんにはくらくん挨拶してくれたもーん」
「まあそうだけどさ……」
「多聞さんって誰ですか?」
「はあ……乱太郎、お前授業で聞いたんじゃないのか?」
「僕は聞きましたよ〜」
「僕も聞いたぞ」
「え?私だけ?」
「いやいや、一年は組でもちゃんと説明したからね。私の師匠が数馬のお父さんの三反田多聞さんだって」
「あはは、そう言えばそんな事言っていたような……」
 笑って誤魔化す猪名寺くんに川西くんが溜息を零した。
「あれ?でもどうして不破先輩は今野先輩のお父さんじゃなくて三反田先輩のお父さんに挨拶したんですか?」
「馬鹿乱太郎!人には聞いちゃいけない事情ってものがあるだろうが」
 ぺしりと川西くんが猪名寺くんの頭を叩いた。
「別に気にしなくていいわよ、お父さん死んではいないから」
「え?」
「ただちょーっと会えない場所にいるから、数馬のお父さんが父親代わりなの」
「そうだったんですか」
 ほっと胸を撫で下ろして笑みを浮かべた猪名寺くんの頭を私はよしよしと撫でた。
「良い子良い子」
「乱太郎ずる〜い。今野先輩、僕も僕も〜」
「はいはい。良い子良い子」
 一年生二人の頭を撫でていると、川西くんが唇を尖らせながらちらりとこちらを見ているのに気付いた。
 流石はツンデレ学年!なにこれ可愛い!!
「……何後輩で遊んでるんですか華織先輩」
「あ、くらくんお帰り」
 医務室の入り口を開けて入ってきたのはくらくんと新野先生だった。
 容体の説明も兼ねてくらくんと一緒に学園長先生の所に行っていた新野先生は、医務室の中に入るとすぐに美紗ちゃんの顔色を確認してにこりと微笑んだ。
「大分顔色が良くなってきましたね」
「瘴気は大分取れました。足の傷は癒えてませんけど、瘴気によってつけられた手の傷は癒えました。しばらくしたら目を覚ますと思います」
 美紗ちゃんと手を繋いだまま答えた数馬に、新野先生は腕についていた掠り傷のあった場所を確認してこくりと頷いた。
「そのようですね」
「話し合いはどうなりましたか?」
「学園がこんな状態ですからね。くのいち教室に動いていただきたいところですが、三反田さんはくのいち教室の結界の要ですからね」
「僕らで動きたいところだけど、それも難しい……天女様をどうにかしない事には僕も三反田くんも動けない」
「だからと言って放っておくことも出来ないでしょ。美紗ちゃんはある意味今回の件の鍵とも言えるんだから」
「え?」
「えって……あ、そうか、くらくんには言ってなかったっけ」
 やばっと口を押え、私はあの時同行していたのが六年生ときり丸だけだったことを思い出す。
「丁度天女様が来る前に美紗ちゃんに会ったの」
「あ、きり丸と一緒に行ったアルバイトですね?」
「そうそう」
「アルバイト?いつの間に……」
「くらくんたちが実習中に善法寺くんの課題の一環で食満くんと立花くんと一緒に池上屋に行ったのよ。で、その時美紗ちゃんが言ってたんだけど、鉢屋くんが実習前来たらしいの」
「実習前に?そう言えばお土産で団子を貰いましたけど……あいつなんで」
「良くわかんないけど、その時に鉢屋くんが零したらしいわ。―――鬼が来るって」
 くらくんと一緒に数馬まで目を見開く。
 そう言えば数馬にも説明してなかった。椛もそう言えば言ってなかったっけ?
「どうしてそう言う大事な事黙ってたの!?」
「いやー忘れてて」
「華織ちゃんっ」
 思わずがくりと項垂れる数馬に私はあははと笑った。
「通りで山神様が手を出さないはずだよ」
「どういう事ですか〜?」
「神様には神様の、妖怪には妖怪の、人には人の領分がある。誰だって他の領分に手を出し過ぎれば身を滅ぼす。力が強かろうと弱かろうと、それは須らく起こり得るって事」
「なんだかちんぷんかんぷんです」
 頭を抱えた猪名寺くんに同意するように鶴町くんがこくりと頷いた。
「簡単に言えば、忍たまがくのたまの敷地内に入ろうものなら問答無用で制裁されるでしょ?それを置き換えてごらんなさい」
「……すっごいスリル〜」
「伏木蔵、その反応は違うからな」
 川西くんが突っ込みを入れ、鶴町くんは楽しそうにふふふと笑った。
「兎に角鉢屋先輩が言ってた鬼が何を指すにしろ、その領分は僕らのものだ」
「……やだ数馬がカッコつけてて可愛い」
「華織ちゃん、お願いだからちゃんと決めさせて」
「否!」
「即答っ」
「ま、確かに私たちの領分と言えば領分よね。で、くらくん。志島さんはなんて?」
「蛟一族の最後の封印が解けて、今は父さんが封じてくれてるけど、そう長くは持たないから早く応援を寄越す様にって」
「志島さんって式神持ってないもんね……多聞さんを呼ぶより忍術学園の方が近いけど、美紗ちゃんがここまで一人で来たことを考えるといつの話?」
「三日前。天女様が忍術学園に現れた日だね」
「時間ないよね……うーん」
 礫隠に天女様、蛟隠に封印されていた鬼……
「今野先輩、みつちってどう言う字を書くんですか〜?」
「ああ、蛟ってわかる?竜の一種で……」
「こうですか〜?」
 すうっと鶴町くんが指で宙をなぞる様に"水地"と綴る。
「いやいや、それじゃあ場所だって」
「それじゃあこうとか?」
 鶴町くんの真似をして猪名寺くんが"水落"と綴る。
「おい乱太郎、それは天女様の名字の"みずおち"だろ」
「そう言えばそんな名字でしたっけ……」
「おいおい……って、今野先輩?どうかされましたか?」
 待てよ?どうして蛟一族の封印が解けた?
 隠の封印は陰陽師が行う五行封印と違って血の封印が主だ。
 この間暴れた悪鬼は石碑の封印だけみたいだったから石碑を壊せば封印が解けてしまうけど、二百年前の封印だったからと言うのも理由の一つだと言えると思う。
 陰陽師の様に倒した怨霊や妖怪を五行に巡らせることの出来ない隠にとって、悪鬼と対抗する際は封印か滅する以外の方法はない。
 菫隠は他の隠よりも力が強いからあまり封印に至ることは少なかったって言うけど、水神様の社は妙に石碑が目立った。
 磔隠が一件に関わっていると椛は言っていたけど、本当に磔隠だけ?
「数馬、蛟一族が滅んだ理由って知ってる?」
「え?えーっと……確か内部分裂だよ」
「内部分裂?」
「長が水神様にお仕えしてたから、それに反対する派閥との対立で内乱みたいなのが起こって、中には死霊になっても暴れて封印せざるおえなかったって」
「ビンゴ!」
「え?」
「ちょっとくのいち教室に戻って準備してくる!明日の授業変更してもらって夜のうちには学園発つよ!」
「華織先輩一人じゃ危ないですよ!」
「誰が一人で行くって言ったの!くらくんも数馬も、ついでに天女様引っ張っていくんだから他も当然巻き込むに決まってるじゃない」
「「「ほええ!?」」」
 声をそろえて驚く下級生三人に私はくすりと笑う。
「案外早く上級生正気に戻せそうだからもうちょっと待っててね。んじゃばい!」
「ちょっ、華織先輩!!……行っちゃった」
「諦めましょう、不破先輩」
「……だよねぇ」
 二人ががくりと肩を落とすのを屋根裏でばっちり見届けてから私はくのいち教室へ向けて走り出した。
 華織ちゃんやっちゃうもんねー!!



⇒あとがき
 美紗ちゃん出したものの、一言も喋っていないって言う……ね!
 伊作くん居ないけど保健委員が贔屓で来て満足です。
 うっかり四年生はすっ飛ばすと言う事態になったけどきーにーしーなーい!!
20110728 カズイ
res

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