42.鬼と鵺
同学年のくのたまを一言で言うなら"鬼"だ。
一つ年上の先輩たちに散々苛められた翌年、姿を現す様になった彼女たちは早速一つ年下の学年を恐怖のどん底に貶めたかと思うと三日と立たずに忍たまの敷地内に現れ学年関係なく罠を仕掛けては上級生だろうとボロボロにしていった。
二つ年下の学年が入学すると少し大人しくなったかと思えば、綾部喜八郎をトラッパーとして目覚めさせた。
まあ綾部の落とし穴の一番の被害者は伊作だけど、私も最初は良く落ちた。そして泥だらけになっては長次に怒られた。長次だって落ちた癖に……
三つ年下の学年が入学すると一層大人しくなり、怒らすと郷の母ちゃんよりも何倍も怖い初江くらいしか忍たまの敷地内に現れなくなった。
何でだろうと疑問には思ったけど、たまに忍び込んでいるらしい事は暫くして分かったので大人しいのが逆に怖くなった。
四つ年下の学年が入学してしばらくして、忍たまから明らかに距離を取っていた今野が突然一つ年下の学年の不破雷蔵と付き合い始めた。
きっかけは良く知らないが、仙蔵と文次郎が実習の下調べついでに外出していた日に付き合い始めたらしい。
仙蔵も文次郎も詳しい事は教えてくれなかったけど、何かあったのだけは確かだ。
あの日は何か嫌な予感がしてたからとりあえず二人が無事に戻ってきたのでちょっとほっとした。
後、委員会の後輩である四郎兵衛もその場に居合わせたようだが、四郎兵衛の説明は要領を得なくて結局未だに何があったのかよくわからないままだった。
とりあえず四郎兵衛曰く、今野は強いらしい。
まあ伊作と三反田の不運を補える能力があるようだからそれなりに出来る奴だとは思っていたが、やっぱり今野は良くわからなかった。
それからしばらくして柳田も忍たま敷地内に姿を現す様になった。
長次と少し仲良くなったのが分かったし、長次も満更でもないみたいだったから二人が付き合うのも時間の問題かと思ったけど、結局何もなかった。
この二人も良くわからん!
そして今年、一年生が入学すると唯一一年の頃から変わらず私たちの前に顔を表していた初江がさり気無く距離を取り始めた。
忍たまとくのたまの色の合同実習が始まったのはその前の年の事で、何故距離を取り始めたのかわからずに最初は戸惑った。
と言うか気付いたのは私が最初で、文次郎はどうやら気付いていなかったらしく、後輩の田村に指摘されてやっと気づいたらしい。
私はてっきり皆気付いている物と思っていたけど、皆初江の事をわかって居なかった。
結局理由は分からなかったけど、しばらくして初江はいつも通りに接してくれて勘違いだったのかもしれないと思うようになった。
でもやっぱり何かが違うとそう思うようになった。
それが何かは分からなかったが、私は今またその時と同じ感情を抱いていた。
「初授業お疲れ様でした」
昨日、空から降ってきた未来から来たのだと言う天女様である茅に対して冷たい口調だった不破は、正面で食事を続けていた今野にニコリと笑みを作った。
初授業?何の話だ?
思わず眉根を寄せ、不破たちの会話に意識を集中させる。
「ろ組っ子は予想を越えて優秀で華織ちゃんび〜っくり。それに比べて午後の六年生との授業が愉快で愉快で仕方ないわぁ」
嫌味の様な言葉に私と同じように疑問を抱いたのだろう皆が今野を睨む。
殺気も籠ったその視線に私の方がびっくりしてしまった。
何でだ皆。今野の側には一年生が居るんだぞ?
一年は組がトラブルを持ち込むからどうしても一年生には怖い思いをさせる事があっても、私たちは殺気を混ぜたそんな視線を向けないようにしてたじゃないか。
一つ違和感を抱いてしまうと連鎖するのは早くて、私はぞくりと全身が粟立つのを感じた。
なんで昼の時間の食堂にくのたまが今野しか居ないんだ?
おばちゃんの手伝いは誰がしていた?
どうして不破は怒った?
不破の隣に居る三反田はいつから厨に居た?
「……嘘だろ」
思わず私は小さく呟いた。
紫色の髪の少年を私は知っているはずだった。
伊作と同じ保健委員で、まだ三之助と同じ三年生で、よく体育委員が掘った塹壕や綾部が掘った蛸壺に気づいたら落ちていて、気付いた時にはもうメソメソと泣いていた印象しかない。
自分で言うのもなんだが私は勘が鋭い方だ。
皆はそれを野生の勘だと言うけど、確かにそうだと思う。
幼い頃から力の強かった私は野を駆けずり回って人よりも強い力と感覚を手に入れていた。
それに自分で気づいたのは忍術学園に入学してからで、先生方は戦忍を目指す上でそれはとても良い能力だと褒めてくださった。
だから私は多少手加減する事を覚えただけで後は自分のこの力を兎に角伸ばし続けた。
だけど五年生の不破雷蔵、三年生の三反田数馬。私はこの二人の気配を時々読めなくなる。
先生方ですら完全に気配を絶たれない限り何となく気配が分かると言うのに、この二人は最初から可笑しかった。
傍に居ても居るのか居ないのかわからない。そんな時があるのだ。
二人とも影が薄いからと答えていたし、同じような事を実技で一度あったくのたまの方の三反田は実力だと鼻で笑っていた。
そんな筈がない。
何で今まで気付かなかったのだろうと私は思わず随分と量の減った定食を見下ろした。
私はそんな存在を一つだけ知っていた。
幼い頃、野を駆けずり回った時に出会った恐ろしい存在―――鵺[ぬえ]。
今まで二人を奇妙だと思いこそすれ、恐ろしいと思ったことがなかったから結ぶ着く事は無かった。
鵺は野を駆けずり回る私を面白がって殺しはしなかったが、その日以来暫くの間、私が夜遅くまで野を駆けずり回る事は無かった。
それから何度か鵺と会ったけど、今でも鵺は郷から離れた深い森の奥で暮らしている事だろう。
忍術学園に来てからは会っていないが、あの鵺が死んでいるとは思えない。
そう思わず確信してしまうほどの存在に感じた思いをどうして今あの二人に抱いたのかはわからない。
したと言うか言ったのは今野だ。あの二人は何もしていない。
「あれ?小平太どうかした?箸が止まってるけど」
「な、なんでもないぞ」
伊作に声を掛けられはっと我に返ると、私は慌てて箸を動かした。
何にも心配が要らないと思ったのか、伊作は「ふうん」と答えると視線を茅の方へと向けた。
何時もなら「本当に?」って聞く癖に、伊作くんも変だ。
眉根を寄せながら口を動かしていると、定食に何かが透けて見えた。
「?」
目を凝らしてよく見ると、ぴょこぴょこと耳が揺れた。
……耳?
すうっとそれは机をすり抜けて宙へと飛び上がる。
「!?」
狩衣姿の青年は驚いて思わず箸を落とした私をけらけらと笑うように身体を震わせていると突然何かに捕まれるかのようにひゅうと飛んでいき、印を結んでいる今野の元へと辿り着いた。
彼は笑顔で迎えた今野にぴょこぴょこと動かしていた頭上の犬耳を力いっぱい抓りあげられて全身を強張らせていた。
その様子を見つめていた不破と三反田が苦笑を浮かべ、周りを囲んでいた一年たちは首を傾げていた。
……見えていないのか?
ぽかんと今野たちの方を見ていると、私の視線に気づいた今野が大きな目をパチパチと瞬かせた後、艶のある笑みでにこりと微笑んだ。
思わずドキッと跳ねた胸を押さえれば、不破が今野に文句を言い、今野は小さく舌を出して不破に謝罪するとまた私を見た。
(ま・ぬ・け)
口がそう動いたのを見て私は思わず立ち上がる。
「小平太!?」
驚く伊作たちに私ははっと口を押えた。
あれは他の人には見えていないのに文句を言って誰が信じると言うのだろう。
「……ごめん、なんでもない」
すとんと席に再び座ると、私は目の前の食事を口の中に押し込む様にして食べきると、皆に断りを入れて食堂を後にした。
授業が始まるまでに戻ってくればいい。
もやもやと訳の分からない感情がどんどん湧いてくるのと、不破が茅に怒鳴るまでふわふわと浮いていた気持ちが急降下していくのを同時に感じた。
それを振り切る様に小松田さんが突付けるように差し出してきた出門表に名前を書いて裏山に向かって走り出す。
郷に居る鵺、私が唯一恐ろしと思う存在よ。
どうか私に教えておくれ―――この学園に住まう"鵺"とは一体何なのかを。
⇒あとがき
閑話休題で小平太視点挟んでみましたー。
小平太まだ完全に正気には戻っていません。違和感を抱いているだけです。
鵺は基本的に妖怪の鵺を指していますが、一番最後の鵺は得体の知れない人物の方を指しています。
小平太にとっての鵺はまだ天女様でないと言うのがこのお話味噌です。小平太はもっと混乱すればいいよ。
20110712 カズイ
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