02.毛玉少年と熊男

 チチチチ。
 チュンチュン。
 普段あまり意識して聞くことない鳥たちの鳴き声に私はゆっくりと目を開いた。
 生憎何の鳥が鳴いてるかなんてのは分からないけれど、少なくとも平和を感じさせる鳴き声は私の頭を覚醒には導いてくれなかった。
 まだ薄らぼんやりする頭でもとりあえず視界に飛び込んできた青の中心が空だと言う事は出来た。
 だけどその青を囲む青葉はまず間違いなく教室の中から見えるものじゃない。
 私はどうしてこんな場所に居るんだろう。
 信じられないくらい怠くて重たい身体でどうにか指先を動かせば、かさりと湿った木の葉の感触を感じた。
 首をゆっくり横に倒すと枯れた木の葉の間から空へ空へと延びる青草が目に入った。
 その奥には木々が視界の奥の奥にまで広がっており、ここが屋外で、更に言えば森の中なのだろうと言う事は理解できた。
 少し遠くで小川でも流れているのかチョロチョロと水の流れる小さな音が聞こえた。
「め、さめ、た……か?」
 ふとたどたどしい声が聞こえて私は首を先ほどと反対方向へと動かした。
 小汚い格好……と言ったら失礼かもしれないけれど、継ぎ接ぎの目立つ膝丈の薄汚れた着物を来た少年が随分と距離を取ってこちらを見ていた。
 実際にその目が私を捕えているのかは生憎わからないと言わざるを得ないほどぼさぼさの髪が彼の視界を見事に遮っていた。
 まるで毛玉なの?と思いたくなるほどにぶわりと広がった髪にぽかんとしていると、少年はガリガリに痩せた細い腕の先の小さな手で自分の前髪をきゅっと掴み、顔を俯けた。
 バチバチと、不自然だけども静電気でも走っているのだろうか。髪の周りで何かがはじけ続ける。
 少年の髪が段々とハリネズミのように逆立っていく様が不思議で、私は思わず目を瞬かせた。
「きみ……な、に?……そのかみ、だ、じょぶ?」
 上手く言葉が紡げず小さく咳き込んでしまったがどうにかそう問えば、少年はびっくりしたのか小さく跳ね、近くの木の陰に隠れてしまった。
 恐る恐ると言った様子でこちらを見る少年の髪が先ほどよりも少しずつ落ち着いていくのを見ながら、私は少年がこっちに戻って来るのを待った。
 上体を起こしたいんだけど、上手く力が入らず、彼の助けなしには私はまず起き上がることが出来なさそうだった。
「こわい、ない……?」
「?……こわくないかってこと?」
 そう問えば少年はこくこくと頷いた。
「……何が?」
 見たところ幼稚園児よりは下の年齢の少年の何を怖がれと言うのだろう。
 ……静電気の酷さ?
 自慢じゃないけど、私は昔っから静電気の被害に遭ったことがあまりない。
 むしろ私に触って静電気来た!と理不尽な怒りを受けたことはあるけど、静電気なんて痛みは一瞬じゃない。
 まあ何度も何度も静電気被害を受けてる帯電体質の人には同情するけど、普通の人が感じる静電気なんて大したことないでしょ。
 大体静電気に怖がる要素はないでしょ。
「?」
 いやいや、首を傾げられてもさ!
 首を傾げたいのはこっちだよ。
「ねえ。ここ、どこ?」
 とりあえず質問を改めようと問えば、少年はきょろきょろと辺りを見回し首を傾げた。
「……も、り?」
「いや、それは見れば分かるから」
 そう言えば、少年は困ったようにまた顔を俯けた。
 毛玉が動いてるようにしか正直見えないけどね!
「しらない」
「知らないでいるの?」
 ふるふると首を横に振った少年に再度問えば、少年はこくりと首を縦に揺らした。
「しじまが……ここでまってろ、って……」
「しじま?」
 人の名前……だろうか?
「にんげん、どうしてここ、いる?しじま、にんげん、はいれない、いった」
「そう言われても……って、人間?」
「にんげん……じゃない?」
「いや、人間だけども……」
 まるで自分は人間じゃないとでも言うような少年の言葉に私は眉根を寄せた。
 少年は悩む様に「んんー」と唸ると、しばらくして寝息を立て始めた。
 ……お前は不破雷蔵か!
 思わず心の中で突っ込みながら、立ったまま眠ってしまった少年の保護者だろうしじまなる人物が現れるまでこのままかと深く深く溜息を吐いた。
 かたことで話す不思議な少年を起こすのは少々忍びない。
 どうにか動かせる首をゆっくりと動かし空を見上げる。
 日差しが木々の間を抜けて注ぎ込んではいるけれど、今が何時なのかはさっぱりわからない。
 取り敢えず昼くらいじゃないだろうか。
 軽くくうと鳴ったお腹に再び溜息が出そうになったけれど、あまり溜息を吐くと余計にお腹が空いてしまいそうな気がして、溜息をぐっと堪えた。
 チチチチ。
 チュンチュン。
 仲良く囀りあう鳥たちの声に瞼がうつらうつらし始めた頃、突然強い風が辺りの木々を大きく揺らした。
「ひゃっ!?」
 少年もその風の強さに目を覚ましたのか、可愛らしい悲鳴をあげる。
 風は一瞬だったようで、風が巻き起こった反応で木々はまだギシギシと揺れているけれども、一瞬強く目を瞑っただけで私に被害はさほどなかった。
 いや、身体の上に木の葉が積もっている気がする。
 顔にも乗っているけど、それを払う力がないので私はゆっくりした動作ではあるけど首を横に振った。
「なんじゃあくらぁ、おめぇ人間捕まえたんかぁ?」
 どうにも滑舌があまり良くない様子の野太い男の声にぎょっとして私は声の方を向いた。
 声の主は少年の後ろに居り、少年同様に余り綺麗には見えない着物姿の男は大きな体躯の持ち主で、熊と言われたら納得してしまいそうな程の無精髭っぷりだった。
 これで髭を剃ったら彩雲国物語の燕青のように美男になるのなら大歓迎だけども、どう見ても燕青よりもガチな熊さんっぷりだ。
 そう幻想水滸伝のビクトールよりも熊さんらしい熊さん……いや、現実逃避もそろそろやめておこう。
 男の額には小さな角が確かに見えた。
 左右均等に二つ、人にはあるまじきその角を称えるこの男は恐らく少年が言って居たしじまさんだろう。
 しじまって確か静寂って意味だったよね?
 でもこの人はとてもしじまって名前が似合うようには見えないなんとも恐ろしい人に見えた。
 いや、角がある時点で人と言って良いのかはよくわからないんだけども……
「くら、しらない。にんげん、ここいたっ。……くら、みずほしい。あっちいく……いた!」
「あー……水が欲しゅうて小川の方に行こうとしたら人間が居った……ってぇかぁ?」
 しじまさんの通訳に少年がこくこくと頷く。
 まるで毛玉が動いているかのような少年の髪の下にもしじまさんと同じように角があるのだろうか。
 だからさっき少年は私を人間、と自分とは違う生き物のように言ったのだろうか。
「さっきまで居らんかっただろぉがよぉ」
「くら、しらない」
「だよなぁ……おぉい人間」
「はあ……」
 人間って呼ばれるのがなんだ微妙で気のない返事をすれば、しじまさんは眉根を寄せた。
「お前ぇ、悪鬼に喰われた……ってぇ訳じゃなさそうだなぁ。死霊じゃぁねぇし……でもアトがちぃと残っとるなぁ」
「しりょー?」
「人間が死んだらなる奴だあ。ほれくらぁ、お前ぇがこの間喰った青白いのだよぉ」
「喰った……あ!くら、ぺっしたやつ?」
「おお。そのぺぇしたやつじゃぁ」
 って、この子幽霊食ったのか!?
 ……おいおい君はどんな勇者だい?まあ勇者は幽霊なんて食べないだろうけれども。
「アトってしょゆーいん?」
「おお、良く覚えとったなぁ、偉ぇぞくらぁ」
 しじまさんはそう言う割には棒読みで少年―――多分くらって言うのは彼の名前なんだろう―――の頭を撫でた。
 くらくんは嬉しそうなオーラを飛ばしながら自分の頭に両手を乗せた。
 何あの可愛い生き物!一家に一人は欲しいわね!!
 思わず涎が出そうになるのを感じたけど、それをぐっと堪えてしじまさんを見上げた。
「あの、ここはどこですか?」
「悪ぃが場所は言えねえ。お前ぇこそどうしてここに居るんだぁ?悪鬼の野郎に追われてここまで来たにしてはその悪鬼の姿が見えねぇしなあ」
「あっきと言うのは鬼の事ですか?」
「隠と言えば隠だがよぉ……あいつらはもう隠じゃぁねぇ。あいつらぁ妖怪にも混じれねぇ哀れ者だぁ」
 ようかいって、溶解……じゃないわよね。
 ボケずに言うなれば妖怪。多分これで間違いないだろう。
 例えばぬらりひょんの孫の牛鬼だとか、夏目友人帳のにゃんこ先生だとか、犬夜叉の奈落だとか、忍たまの妖怪パ……げふんげふん!とにかく妖怪は妖怪だろう!
「しじまさんたちは妖怪ですか?」
「俺たちゃ隠だぁ」
「鬼と妖怪は違うんですか?」
「……まあ人間から見れば一緒かぁ」
「はあ……」
「お前ぇ、俺たちが怖ぇか?」
「しじまさんの顔は怖いですけど、別段。私を殺す気ないなら怖くないです」
「なんだぁそりゃぁ?」
「にんげん……くら、こわい、ない?」
「いや、くらくんは全然怖くないけど?」
 寧ろくらくんは物凄く可愛いと思うよ?
 きっと粘膜が弱かったら思わずその一挙一動に鼻血を吹くのではないだろうかと思うくらいには可愛いと思う。
「しじまっ!」
「へーへー」
 嬉しそうにぴょこぴょこと跳ねるくらくんの頭をしじまさんががしりと押さえた。
「正直悪鬼のアト付けたお前ぇとくらを一緒にさせたくねぇ。こいつぁまだ隠としての力が弱ぇからなあ」
「……しじま?」
 不安そうにくらくんがしじまさんを見上げる。
 多分私の事を心配してくれてるのだろう。なんて優しい子だ!
「おい人間」
「人間ですけど人間って呼ぶの止めてください。私には今野華織って名前がありますので」
「なんだぁ家名持ちかぁ?みょ〜な着物着てるから南蛮人のはあふってぇ奴かと思ったんだがなぁ……」
「南蛮人〜?」
 妙に忍たまっぽい言い方する人だなと思って眉根を寄せた後、私ははたと気づいた。
 森の中に居るの変だなって思ったくせになんで私、くらくんとしじまさんの服装に対して変だなって思わなかったんだろう。
「しじまさん」
「あー?」
「今って、何時代ですか?」
「何時代ぃ?……あー……戦国時代かぁ?人間どもはよー戦しとるなぁ……」
 戦国時代っ!?
 あまり聞きたくなかった単語に思わず眩暈を覚えた。
 何で寄りによって戦国時代っ。
 平成生まれの現代っ子がそんな時代で生きられるわけないじゃない!どうしろって言うのさ畜生!!
「とりあえず華織、だったかぁ?」
「はい」
「お前ぇの事は別の奴に任せる。さっきも言ったがぁよ、お前ぇとくらを一緒にゃぁできねぇからなぁ」
「それは別に良いんですが……私、見ての通り動けません」
「安心せぇ。送るくれぇはしてやらぁ。おいくらぁ」
「ん?」
「お前ぇはもちぃとここで待ってろや」
「くら、いっしょいく!」
「だめだぁ。お前ぇはまだ弱ぇんだから。あの結界くぐれねぇだろ」
「むぅ」
「それにこいつについたアト……」
 じっとしじまさんは私を見つめ、眉根を寄せる。
「まぁええ。面倒なことは多聞の野郎に任せればよかぁ」
 しじまさんはのそのそと私に歩み寄り、その大きな手を伸ばしてきた。
 随分と身体の大きな人だと思っていると、片手でひょいっと小脇に抱えられた。
 その瞬間、ずるりと腰元のスカートがずれ落ちそうになるのを感じて咄嗟に手を伸ばした。
「大きさがあってねぇんじゃねぇかぁ?」
「……みたいですね」
 私はそう答えた後、痛む頭を押さえたくなった。
 暑かったからと腕まくりをしていた所為で気づくのに遅れてしまったけど、私の手、明らかに短くなってる。
 ウエストどころか全体的に小さくなった身体にこの制服は大きすぎるようで、悲しい事に制服の内側でブラジャーがもぞもぞと気持ちが悪い。
 ショーツもずれ落ちるほどではないにしろぶかぶかで気持ちが悪い。
「まあいいや。行くぞ」
「はい」
 小さくなってしまった身体も含め、誰か早くこの状況を説明してくれないかなあ……



⇒あとがき
 鬼と遭遇した後はくらくんと志島さんと遭遇です。
 この二人は成長編になったらまた絡……いや、志島は多分あまり出ない、か?とにかく話の鍵なのでまた出ます!!
 取り敢えず次も隠さんが出ます。早くたまごを一杯出したいよー。
20110418 カズイ
res

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