32.託した希望

 私には、同室である不破雷蔵にも明かしたことのない秘密がある。
 それは私の素顔であり、私に最近起こった異変であったりと、意外と多くある。

「あら、鉢屋くん。いらっしゃい」
 にこりと明るい笑みを浮かべて私を迎え入れてくれる店の女将・美弥子さんに私はぺこりと頭を下げる。
 客足が少し薄れた頃合いを見計らって近づいた池上屋の入り口には地面に着かない足をぷらぷらと揺らしながら人波をじっと見つめる少女が居るのと、店内に三組ほどの男女が居る位だ。
 皆この店に来る度に割とよく見かける顔だ。ただ少女に関してはいつもお使いだけで、こんな風に店で団子を食べていると言う姿を見るのは初めてだ。
 今日は誰かと待ち合わせをしているのだろうか?その割には彼女自身は既に団子を食し終わり、随分と暇そうにしている。
 この池上屋を訪れるようになったのは去年の春先。一年以上も前の話だ。
 くノ一教室の今野華織先輩に告白した雷蔵が今野先輩と逢引をすると言うので後を付けて辿り着いたのがこの池上屋だった。
 勘右衛門がこの町の出身らしく、池上屋に関して色々と要らん事まで説明をしてくれたので、私は店に通う前から池上屋の事に詳しくなってしまった。
 一番最初に来た時は碌に話すことも顔を合わせることもなかったが、勘右衛門が突然委員会のおやつで池上屋の御手洗団子が食べたいと言いだして夏休み前に二人で訪れた。
 それから数度、その御手洗団子が自分好みの味だったこともあって通っていたのだが、そのうちに私は一つの事象に気づいた。
 私はどうやらこの池上屋の菓子職人である美紗に懸想しているのだと。
「今日は食べていくのかしら?」
「あ、はい。御手洗団子二つ」
「はいよ。美紗ー御手洗団子二つー」
「はーい!」
 店の奥から聞こえた美紗の声に何処か安堵しながら、私は少女が座っている方とは対極の長座椅子に座る。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
 そっと置かれた温かいお茶に手を伸ばす。
 ふと、隣の席の前に人が立ち止まるのが見えて視線を向ける。
 顔に包帯をぐるぐると巻いた軽装の男が軽く少女に向けて手を上げる。
 火傷でも負っているのだろうか、短い黒髪にそんな事を呑気に考えながらずずっとお茶を口に含む。
「や、彩月。お待たせ」
「……もう食べ終わったんだけど」
 年の頃は庄左ヱ門や彦四郎と同じくらいだろうに、ぶすっとした顔は子どもらしくない程に嫌味を含んでいた。
「待ち合わせに遅れるなんて最低よ。だからお母さんが怒って出て行ったってそろそろ学習したら?」
「まー怒った理由は多分それだけじゃないと思うけどねー」
 あははーと呑気に笑う男の感情は読みにくい。
 少女の前に現れた時も思ったが、この男は怪しい。
 まず間違いなく人波を流れる一般人と同列に並べない隠者だろう。
 顔の火傷は恐らく上半身にも及んでいるのだろう。胸元にもちらりと見えた包帯の色を思い浮かべ、私は湯呑を一旦横に置いた。
 多分この横の二人の関係は親子……なんだろう。余り似ているとは思えないが。
「まあいいや」
 ぽんと少女は椅子から飛び降り、地面に足を付ける。
「女将さ……ってあれ、美紗お姉ちゃん?」
「あ、うん。どうも」
 ぺこりと美弥子さんと入れ替わりで現れた美紗が男に頭を下げる。
 男も軽く会釈でそれに返す。
「美紗お姉ちゃん、また帰りに寄るから御手洗団子二つ、後でお願いね?」
「うん、ちゃんと彩月ちゃんの分取っておくよ」
 美紗はいつもの笑みを浮かべてお盆を片手に彩月と呼んだ少女の頭を撫でる。
「また後でね」
「はーい。ほら、お父さん行くよ」
「はいはいお姫様」
 ぐいぐいと男の着物の裾を引っ張り、少女は歩き出す。
 男はちらりと私に視線を向け、にやりと笑ってから少女の後ろを着いていく。
 ……やっぱ隠者、しかもプロの忍者なんだろう。
 あの余裕がどうにも腹立つし、ほんの一瞬の視線で品定めされたみたいで気分が良くない。
「なんだ。いいお父さんじゃない」
 美紗は二人の背を見送り、柔らかい笑みを浮かべた。
「あの二人、別に暮らしてるのか?」
「うん。なんかお父さんが忙しい人で良く仕事を理由にお母さんをほったらかしてしまって、怒ったお母さんが彩月ちゃんを連れて家を飛び出しちゃったんですって」
「それはまた……。じゃあいつもはお母さんの分を買いに来てたんだな」
「みたい。今日も帰りに買いに来るって言ってたから後で作っておかなきゃ」
「小さいのに大変だな」
「それは鉢屋くんだってそうでしょ?」
「……私は小さくないぞ?」
 湯呑の隣に御手洗団子が二つ並んだ皿を置き、こてりと首を傾げた美紗に私は答えに困って眉根を寄せた。
「今はそうだけど、昔。忍術学園の入学って10歳でしょ?」
「そっちかっ」
 時々美紗の話は斜め上に向けて飛ぶので私は思考に困る。
 学園の皆が本当にわかりやすい奴らだと思うのはこういう時だ。
「別に大したことないさ。あそこはそう言う所だからな。まあ最初の頃は泣く奴も居たが、私は実家に差して思い入れがなかったからな……」
「そうなの?私だったら絶対泣いちゃうな」
 苦笑を浮かべながら、美紗は私の隣に座る。
 客足が減っている事で手が空いているのだろう。
「今日、どうかしたの?いつも来る日と違うけど」
「まあ……ちょっとな」
「華織さんに喧嘩でも売ったの?」
「なんでいきなりそっちに飛ぶんだよ。別に喧嘩は売ってない」
 美紗との共通の話題と言えば勘右衛門と雷蔵と今野先輩辺りだ。
 雷蔵を取られてしまって寂しいから来ていると言うのは正直言い訳が苦しいかと思ったが、美紗はそれを未だに信じてる。
 まあ実際寂しいのは本当なんだが……そろそろ察してほしい。
 美紗と同じ位鈍いと言われる美弥子さんでさえ察してくれてるのにどういう事だろう。
「なあ美紗」
「ん?」
「……いや。えっと、な……私、しばらく来れないんだ」
「勉強忙しいの?」
「今度長期実習があるんだ」
「実習?長期って事はかなり?」
「いやかなりって程じゃないんだが……まあ、しばらく、だな」
 誰もまだ知らないはずの実習の話だが、私は知っている。
 明日、学園長先生の思い付きで夏休み前に予定されていた長期実習が早まって行われることが決まる。
 そして私たちは大慌てでその準備をし、くのいち教室の柳田先輩や、他学年の先生を幾人か巻き込んで出立する。
 実習そのものは特に何事もなく終わるが、戻った私たちは空から落ちてきた少女を天女様と呼び持て囃すのだ。
 こんな話を誰が信じてくれるだろう。完全な夢語りでしかないが、私がそれが実際に起こりうる未来だともうわかって居た。
 何度も何度も似たような事象が起きて、その度にそれは確信に変わっていった。
 私は何時からか予知夢の力を得ていたのだと。そしてその予知を覆すことは非常に困難だと言う事。
 もし私が見た夢の通りであれば私がここで美紗に伝えておくことで今野先輩が気付いてくれるはずだ。
 雷蔵の事を独占するのは気に喰わないけど、今野先輩が頼りになる先輩なのは、悔しいけど事実だ。
「……鬼が来るんだ」
「鬼?」
「そう、鬼。だからしばらくだ」
「そっか……ちょっと寂しいな」
「……本当に?」
「え?あ、うん……」
 夢で見たのは今野先輩に鬼の件を伝えた美紗の事だった。
 そのおかげで私たちは天女様の醜い願望から救われる……そう、私は知っているから美紗に伝えたんだが、知らなかった美紗の言葉に胸がじわりと温かくなる。
「結構楽しみにしてたみたい。鉢屋くんと話すの」
「ありがとう、美紗」
「え、うん……こちらこそ?」
 首を傾げた美紗の顔にくつくつと笑いながら私は思いの他満たされた胸を押さえた。
 人の皮を被り、本当の私の顔を誰にも見せない。
 父にも母にも、一族の皆にも。お前は誰かを愛する事なんて出来ないのだと言われ続けた自分がこんなにも満たされた感情を知れたのは美紗のお陰だ。
「また来るから。必ず」
 希望を託すように私は美紗の頭に手を置いた。

 それは天女様が私たちの前に現れる五日前の事。



⇒あとがき
 閑話休題。ちょっとだけ時間を遡って三郎さんと美紗ちゃんのお話。
 ちらっと出てきた彩月嬢は夢主たちが池上屋に行った時にも来てましたので二度目の登場です。
 お父さんとして登場させたかったんだ!雑渡さんを!!
 ……こっそり微妙すぎる伏線でしたので気づくはずねえだろ!って感じでごーめーんーなーさーい!!
20110607 カズイ
res

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