01.鬼が来りて

「……ん、うっ……」
 まだ起きたくないと目覚ましの音に覚醒を促されながら布団の中で私はもぞりと動いた。
 正直なかなか寝付けなかったって言うのと、夢見があまりよろしくなかったと言う理由で布団から出たくない。
 それに季節はまだ春先。布団の外はまだ少し寒くて、布団の中から抜け出したくないのだ。
「華織ー!いい加減、早く起きないと遅刻するわよー!」
 階段下から大きな声で呼び声を掛けてくれるお母さんに「んー」と聞こえてはいないだろうけど気のない返事をする。
 取り敢えず腕を伸ばして目覚まし時計のスイッチを止め、長針と短針の位置を確認する。
 時刻は7時20分。後20分……いや、それよりも前には家を出てしまわなければ間に合わない時間だ。
「ぎゃあ!!」
 どうやら私が聞いていた目覚ましの音は最初のアラームではなく、スヌーズ機能が働いた二度目のアラームだったらしい。
 目覚まし時計を片手に布団の中から飛び出す様に跳ね起きると、目覚まし時計のスイッチを切ってベッドの上に放り、スウェットを脱いでその上に乗せた。
 夜の間にカーテンは閉め切っていたし、一人部屋だから気にせず堂々とショーツ一枚の姿でブラジャーのホックを止めて、壁に掛けてある制服に飛びついた。
 私が通う高校の冬服はブレザーで、下のスカートはお馴染みのプリーツスカートだ。
 他の学校と比べるとかなり目立つ薄いピンクと赤のセーラー服はリボンの形とか細部をよく見れば実際とは異なるけど、どう見てもTo Heartのコスプレだと思う。
 白いフレームの姿見でおかしなところがないか確認しながら、とりあえず髪をコームで出来るだけ綺麗に纏めてポニーテールを作った。
 ささやかなおしゃれと黒のシュシュを髪ゴムの上から止めて、スカートの裾の埃を軽く叩く。
「よし」
 昨日のうちに準備していた学校指定の紺のバッグを掴み、私は階段を駆け下りる。
 階段を下りてすぐの玄関にそのまま向かえば、お母さんが呆れ顔で待っていた。
「はいお弁当と御結び。毎朝毎朝懲りないわね……」
「言わないでよ〜」
 お母さんからお弁当と御結びが入った巾着袋を受け取り、真っ白だった土汚れの目立つmizunoのスニーカーを足に引っかけながらそれをバッグの中へと放り込んだ。
 御結びは最近どうしても朝こうして遅刻しそうになる私を見越してお母さんが用意してくれているものだ。
 お握りだけじゃ寂しいだろうと味海苔と沢庵も入れてくれる辺りお母さんって優しい!
「それじゃあいってくるね!」
「はいはい、いってらっしゃい。気を付けて行きなさいよ」
「はーい、いってきまーす」
 呆れ顔のお母さんに見送られながら私が学校へ向けて家を飛び出した。
 家から学校までは徒歩で通える距離だから、走っていけば学校にはどうにか間に合うだろう。
 教科書も入って重たいバッグを肩にかけ、私は小走りに通学路を走る。
「おー、今野ー。走れ走れー」
 途中、自転車通学のクラスメートが私の真横を颯爽と走っていくのを見て私は声を荒げた。
「くそったれー!」
「はははー」
 笑って行ってしまったクラスメートの背に臍を噛みながら私は足を止められずにいた。
 別に私は低血圧だとかそんなのではなく、最近妙に夢見が悪い所為で中々寝付けなかったり、起きるのが億劫になってしまうのだ。
 原因の夢と言うのも朝起きてしまえばどんな夢を見ていたのか忘れてしまうほどの内容であると言うのに何故かその夢を見るのが私は怖かった。
 小さい頃にもたまにこんな風に夢を見るのが嫌で眠るのを頑なに嫌がった時期があったらしい。
 その時は近所に住んでたお祖母ちゃんがあやしてくれたらしいけど、そのお祖母ちゃんも去年亡くなった。
 そう言えば夢を見るようになったのはお祖母ちゃんの一周忌が過ぎてから辺りだったような……
 気のせいだよねと思いながら、私は校門の前に立っている守衛さんに「おはようございます!」と走り抜けざまに声を掛けて玄関を目指した。
 仮にも私立の学校だから生徒数は多くて、ココは普通科と特進科の生徒が使う玄関になっている。
 玄関は他にもう三か所あって、職員用と来客用、それから専門学科―――看護科と生活文化科と商業科用の玄関だ。
 普通科と特進科の生徒用の玄関は、校門を抜けて駐輪場側に向かう方向にあるため専門学科用の玄関より少し遠い位置にある。
 教室の位置的には校門から近いんだけど、玄関が遠いって酷い!
 文句を言っても仕方がないと私は溜息を吐きながら辿り着いた玄関で、下駄箱を開いた。
 今野と言う苗字の書かれた下駄箱を開けば、上履きと外履きの二つが押し込まれているだけで何ら味気のないものだ。
 まあこれが普通なんだけど、と私は上履きと靴を入れ替えて上履きのスリッパに足を通した。
 第二学年を示す青いスリッパを足に引っかけて教室に向かう。
 遅刻しそうな時間ではあるけど、HRが始まるにはまだ少し時間がある。
 そのことに何処かほっとしながら私は教室へと続く廊下を少し急ぎながら、走ったことで暑くなってきた身体を少しでも早く冷やすべく制服の袖を捲った。
「おはよう華織。今日も遅かったじゃない」
「寝坊だよ。昨日も夢が良くなくてさ」
「あー、あるよね。あたりはずれ。ちなみに私は昨日大当たりな五年生中心の夢サイト発見したから!」
「そっちの夢じゃなくて……って言うかそれは後で是非とも教えなさい」
 極々自然に勘違いをして、挙句ボケ倒してくれた同じ腐女子仲間で夢小説に理解のある友人に私はワザとらしく溜息を吐きながらその後ろの席に座った。
「冗談冗談。そんなに夢見が悪いんなら精神科に行くか夢見占いでもしてもらったら?」
「やーよ。そんな面倒くさい事。まあでも鬱になったら行くかもね」
「腐女子が鬱とかないない。鬱になろうと萌えがあれば生きてけるじゃない」
「腐女子だって鬱いるだろうよ。ヤンデレがいる世の中だよ?」
「それもそうね……ってそれも違うでしょ」
「違うか」
「違うわよー」
 二人で顔を見合わせけたけたと笑っていると、始業を告げる鐘がなった。
 すぐに担任の先生が来るだろうと、彼女は前を向き、私は窓の外を見た。
 どんよりとした空は雨が降りそうなほどではないけれど、あまり良い予感はしない。
「……………」
 ふとどこか遠くから声が聞こえた気がして、窓の鍵を開ける。
 カチリ、カラカラ……声は間違いなく聞こえるし、どこか遠くから聞こえる。
「こら今野。先生来てんだからいつまでもぼーっとしてるな」
「あ、はーい」
 何時の間にか教室に現れていた先生にそう返したけれど、私はもう一度窓の外を見る。
 声は男のものだ。若くないおじさんの声が何かを追い払うように……ああ、守衛さんの声か。
 今日は風に乗って良く聞こえる……じゃなくて!声、こんなに大きい声出してるってことはなんかやばくない?
 思わずガタンと椅子を揺らして立ち上がった私は、窓の外を覗き込む。
 子どもの安全のためにと配慮したのか用意されたベランダ側から校門は少し見辛いけど、身を乗り出せば見えないことはない。
「こら今野!」
「せ、先生……あれやばいよ」
「は?」
 校門のところにはいつも見かける、今日も挨拶をした守衛さんが黒いコートの男の前で通せんぼをしていた。
 少しずつ暖かくなってきているこの時期にあんな暑苦しいコートを着込み、黒い帽子で顔を隠してるなんて変質者以外の何者でもないだろう。
 私はそう感じて先生に言ったんだけど、先生が不審に思った瞬間、野太い男の悲鳴が空気を揺るがした。
 偶然にとは言え私は見てしまった。守衛さんの深緑の制服の胸を貫いた赤黒い大きな手。
 あれは何?
 目を見開いてその光景から目を反らせずに居た私を変質者の男が気付いたのかは分からないけれど、顔を上げてこちらを見上げた。
 目が合う筈なんてそうないはずなのに、何故か目が合ったと私はそう感じた。
 続いて遅刻してきたのだろう少女の耳を劈くような悲鳴に先生もベランダ側の窓から身を乗り出しその光景を確認しようとした。
「ちょっ、何だよ」
「皆見ちゃ駄目!!」
 あれは不味い。人なんかじゃない―――化け物だ。
 通り魔的犯行の殺人鬼とかそんな甘いものじゃない。あの赤黒い手を見てしまった私が、窓から離れ、震える身体を抱きしめた。
「……今野?」
「逃げなきゃ……」
「ちょっと、華織?」
 周りは事態を飲み込めず、混乱した教室からきっとざわめきが広がっているのだろう。
 隣の教室から悲鳴が聞こえ、私はぎゅっと目を瞑った。
 赤、朱、紅、緋、赫……

―――おにがくるよ

 頭の奥で誰かがそう言った気がした。
 おに……そう、あれは鬼だと思った瞬間、鬼は目の前に迫っていた。
 ベランダの上に取り付けられた細いパイプの上に立ち、黒いコートの男はにたりと笑う。
「あ……」
 阿鼻叫喚とはこの事を言うのだろうか。
 もう何を言って居るのかわからない騒ぎの中、私は腰を抜かしてぺたりとその場に座り込んでしまった。
 頭の奥で誰かが私に逃げろ逃げろと繰り返す。
 逃げろと言われてもこの恐怖に腰を抜かした私が逃げられるはずもなく、のそりと黒いコートの男が私に近寄るのを視界に入れて喉の奥がひくりと震えるのを感じた。
 殺される!
 そう思った瞬間、脳裏にふわりと柔らかい髪の後姿が浮かび、バチバチと静電気が繰り返し爆ぜるような音が聴覚を奪った。

―――さがして!……の……

 次の瞬間、頭の奥で誰かが必至に叫ぶような声をかき消すような大きな雷鳴が響いた。
 眩い光は強すぎて、世界が真っ白に染まる光景を私は美しいと息を飲んだ。
 そして同時に意識が白じむのを感じ、私はそっと目を閉じた。
 白い閃光は私を助けてくれた誰かの力なのだとそう感じて、安心してしまっていた。



⇒あとがき
 本当なら黒猫を助けてトリップ☆みたいなのを考えていたんですが、黒い雷蔵さんで連載したいなとか思ったらこんなことに……
 思っていても実際に雷蔵さんが黒いのかは自分でもよくわかんないんですが、せめてグレーな雷蔵さんを書きたいなと思っております。
 20話位で終わ……る気が一切しないので、長くなると思いますがお付き合いのほどよろしくお願いします。
20110416 カズイ
res

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