◆幻影

※土日←火←主←木

 ぼんやりと眼下に見えるエントランスを見ていると、ふと視界の端に赤い髪が揺らめき消えるのが見えた。
 それは数日前、その髪の持ち主―――日野香穂子さんが学内コンクールの参加者と選ばれたからこそ意識して追うようになったからだ。
 その揺らめきを見かけるたび、自然と口元が優しく緩んだ。
「よ、飯島。なにしてんだ」
 通りがかったら姿が見えた。だから声を掛けた。
 そんな感じに聞こえた。
「そっちこそ」
 苦笑しながら、クラスメートである男子生徒―――土浦梁太郎を振り返った。
 短いがワックスで固めているらしい髪型が彼を硬派に見せているのか、それとも彼が女子生徒と話さないからなのか、それは私には分からない。
 とりあえず土浦も彼女と同じく学内コンクールに普通科から選ばれた異端児の一人だ。
「俺か?俺は次のセレクションで演奏する曲の構想中ってとこだな」
「楽しみにしてるよ。普通科の期待の星だし?」
「まぁな。そういえば、なんでお前は柚木先輩を応援しないんだ?」
「柚木先輩?なんで?」
「ほら、生徒会の小林……?」
「小早川さんのこと?」
「そう。そいつが柚木先輩のファンだとかあいつが言ってたからさ」
「へぇ、そうだったんだ。でも、柚木先輩を応援してるのは一部のメンバーよ。興味ない人もいるし、私も特に誰かを応援しているわけじゃないしね」
 そう言えば、小早川さんって柚木先輩が生徒会室に来るたび喜んでたかも。
「って言うか、あいつって日野さんのこと?」
 くすっと笑いながらそう言うと、土浦は頬を少し赤らめて「そうだ」と笑った。
 彼のファンなら卒倒モノな貴重な表情だ。
 まぁ、生憎私にとっては彼はただのクラスメートでしかないから関係ないけど。
「悪いか」
「別に。素直な反応で楽しいわ。もしかしなくても構想中って言うのはいい訳でその日野さんを探してるんでしょう?そこは素直じゃないけどおもしろいから許してあげる」
「面白いってな……まぁいいや。見たのか?」
「彼女ならそっちに走って行ったところよ」
 彼はバツが悪そうに後頭を掻きながら「サンキュ」と言ってその場を後にした。

 日野香穂子と言う少女は不思議な少女だと思う。
 存在一つでコンクールを変えてしまった。それだけじゃない、この学校全体の雰囲気も。
 ピリピリとした音楽科と普通科の見えない深い亀裂。それをぴたっと修復して明るく仕上げつつある。
 彼女がまるっきりの素人だったと知っている人は少ないけど、彼女は今、自分の実力で音楽科にくらいついて言っている。
 そんな彼女だから皆惹かれる。彼女はこの学園の太陽だ。
 そして柚木先輩は月。
 美しい輝きに騙されて、それが偽りの光だと気づかない。
 多分、気づいているのは本人と一握りの人間くらいだろう。
 気づいたからと言って彼に惹かれるかと言ったら、そうじゃない。
 現に日野さんの心は柚木先輩から土浦に移っているのだから。
 それでも同じコンクールに参加している人や彼女を知った人は彼女に惹かれていく。
 例えば今私が見ていた火原先輩もその一人だ。
 うん、実に罪作りな子だ。日野さんは。

「何してるの?」
 不意に背後からかかった声に振りかえった。
「今日、用事があるって言ってたのは飯島さんのほうだよね」
 くすっといつものように優しいけど、どこか作った雰囲気のある笑みを浮かべた柚木先輩がそこにいた。
 生徒会のことで少し分からないことがあったから柚木先輩に聞こうと呼びだしたのは私だ。
 前の生徒会長と代替わりしたのは前年の一月。まだ一年生だった私に生意気だと言う声は高かったけれど、前の会長は私を指名した。
 周りは柚木先輩が忙しいからって思ってるけど、違う。
 あの人は知っていたんだ。柚木先輩の心にはどこか空虚なところがあって、この笑みが作りものだって。
 そして柚木先輩が面倒なことが大嫌いで生徒会長なんてやりたくなかったって察していた。
 本当、聡い先輩だった。優秀だったけど、どこか天然で可愛かった。
 おそらく私にとって彼は初恋の人物と呼べる人物だろう。
 でも結局私のそれは散る運命だった。
 あの人の傍にはいつも幼馴染で副会長だった彼女の姿があったのだから。
「すいません。少し考え事を」
 誤魔化すように微笑んで、火原先輩から視線を外し、ようやく生徒会室の方へと歩き出した。
 同じ様に柚木先輩も歩く。気を使って時折後を見てペースを合わせる。
 どこまでが偽りで、どこまでが真実か。
 慈悲と無慈悲の仮面を被ったこの人にはきっと私の考えなんてお見通しだろうな。

「あ、柚木先輩。会長も」
「こんにちは、小早川さん」
「私は先に会長室にいますんで」
 そう言って私は二人を残して奥の会長室へと入った。
 ファンの子や小早川さんにはよくうらやましがられるけど、私にとっては柚木先輩と一緒にいる事はただの苦痛だ。
 私は会長室の自分用の椅子に深く座り込み、溜息をついた。
 ここで愚痴を吐いたところで誰に聞き咎められることはない。
 生徒会は普通科の生徒だけで構成されているわけではないので、わざわざ練習時間を割かなくてはいけない音楽科の役員のために会長室は防音設備がされている。
 ちなみに生徒会室も防音整備がされているが、アップライトのピアノも置いてあるのはこの部屋だけだ。
 小さい頃はピアノを習っていた私は時折遊ぶ程度にそのピアノを弾くことはあるけれど、それ以上は何もしない。
―――コンッコンッ
 会計が出してくれた学期末の予算案を見つめていた私は顔をあげて扉の方を向いた。
 どうやら二人の話は終わったようだ。
「どうぞ」
 扉を開けた柚木先輩の後ろにご機嫌な小早川さんの姿が見えた。
「少し待ってもらえますか?」
「いいよ」
 時間がかかると思っていたけど、案外早く小早川さんが柚木先輩を解放してくれたので、私は慌てて予算案を横によけて、引き出しの中から本題の書類を引っ張り出した。
 応接用のソファは先生との会議の時に使うものだけど、柚木先輩はそこに座る。
 高貴な雰囲気がそれに見合っている。顧問の先生などよりよっぽどだ。
「あの、この書類のことなんですけど」
 私は柚木先輩の前に移動し、書類を机の上に置いた。
「この部分がよくわからなくて」
 指をさして問えば、柚木先輩は書類をざっと見て、優しげな笑みを浮かべた。
「これはね、執行部の……」
 先輩が話してくれる内容をメモを取りながら書類を確認して訂正を加えた。
「今日はこれだけかな?」
「はい。すいません、貴重なお時間をいただいて」
「気にしないで、いつでも相談してって言ったのは僕のほうだから」
 偉いのはあなた。
 権力派閥があったとしたら、私は絶対に先輩に負けるだろう。
 柚木先輩が立ち上がるのに合わせて私もその後を追ってドアへと近づく。
 その途中、思わず出たため息に柚木先輩が立ち止まった。
「大丈夫?」
 身体を折り、私の顔を下から覗きこむ。
「大丈夫です。すこし考え事を」
「さっきも考え事してたよね」
「あ、はい。……多分コンクール中だから気持ちが浮いてる所為もあると思いますが」
 言い訳と言うより自分に言い聞かせるようにそう言った。
「本当に?」
「はい」
 そう言うと柚木先輩は顔近づけてきた。
 突然のことに身体は反応できず、それを受け止めた。
 それこと唇が離れていくと、柚木先輩はくすくすと笑っていた。
 どこか自然に見えたその笑みに私は思わず目を瞬かせた。

「日野さんが好きだったんじゃないんですか?」
 思わず口から出た言葉は簡単に取り消せない。
 柚木先輩は意地の悪い笑みを浮かべると、再び顔を近づけてきた。
 今度は逃げようと身体を動かしたのだけれど、腰を掴まれて引き寄せられてしまっては逃げるに逃げられない。
 鍵を掛けていないので、扉一枚隔てた空間でこんなことになっていると思わない生徒会のメンバーがいつ入ってくるかわからない。
 必死に逃げようと身を捩っても、胸元を叩いても、無駄だと言うようにきつく抱きしめられて何度も角度を変えながら深く口付けられる。
 ようやく解放される頃には何かに縋っていなくては立てないほどに身体にうまく力が入らなくなっていた。
「日野は玩具。好きなのは……それくらいわかるだろ?」
 嘲笑うように笑うと、柚木先輩は軽く触れるだけのキスをした。
 私はそこまで鈍い人間じゃないから好きなのは私、と答えることが出来る。
 それはうれしくもあるのだけど、同時に辛くもある。
 うまく答えられないその感情はきっと頭がこの状況についていかない所為だ。
 こう言うとき、無邪気で素直な日野さんが羨ましい。
「ごめん、なさい」
 私はただ、そう口にするのがやっとだった。
 初恋を引きずって、初恋の幻影を追いかけ続ける私は柚木先輩の期待に応えることが出来ない。
 先輩もそれをわかっているんだろう。
 少し名残惜しそうに生理的に浮かんでいた目元の涙を唇で吸い取り私の頭を優しく撫でた。
「ごめんなさい」
 柚木先輩が初めてじゃないけど、私はそう言うしか出来なかった。
 オルゴールのように捩子を巻いては繰り返す、最低な私の言葉。
 柚木先輩で何人目だっただろう。
 それすらも正直思いだせないけれど、柚木先輩に対してだけは少しだけ胸が痛んだ。
「……そんな気がしたから言わなかったんだよ」
 柚木先輩はそれだけ言葉を残して生徒会室を後にした。
 ようやく解放された私はへたりとその場に座り込み、両手のひらで顔を覆った。
 残された私が想ったのは、あの人に似た、日野さんを想ってる火原先輩だった。


20031221 カズイ
20090713 加筆修正
res

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