◆天女の羽衣

「―――以上だ。他に判らないことがあれば……小春」
 呼び声に応えるものは無く、周瑜提督は溜息を一つついた。
「小春!」
 もう一度強く呼ぶと、部屋の隅の机で何か必死に読んでいた少年がぱっと顔を上げた。
 いや、少年だと思っていただけで、どうやら少女のようだ。
 "小春"と呼ばれた少女は開けたままの巻物をそのままに慌てて周瑜提督の傍へと走る。
 ぎこちなく両手を重ね、周瑜提督に傅く。
 これでよかったっけとでも言うように微妙に首をかしげているのが少しおかしかった。
「面(おもて)を上げよ」
「はい」
 年のころはおそらく凌統と同じくらい言ったところだろうか。
 あどけなさの残る少女はちらりと僕と諸葛瑾の方を見る。
 だがすぐに視線を周瑜提督に戻す。
「これは小春。お前たちと同じ新人だが、城内にはそれなりに詳しい」
「よろしくお願いいたします」
 礼を取るのもまたどこかぎこちなくて、僕は彼女に僕と近いものを感じた。
 まぁ、ようは田舎者ってことだけどね。
「小春、今日はもういい。この二人に城内を案内してやれ」
「はい」
 やはりぎこちない彼女は悩みながら僕らを先導し、部屋を出た。

 部屋を出ると、彼女はふぅと息を吐き、僕らを見た。
「では、呂蒙殿、諸葛瑾殿、ご案内いたします」
「そんな肩肘張らなくていいよ。あたしたちと同じ新人なんでしょ?」
 ふふっと笑いながら諸葛瑾が言うと、彼女は目をぱちぱちと瞬かせた後、ぱっと笑った。
「助かります。でもやっぱりお二人とも目上ですから」
 口調はあんまり変えませんと口元に人差し指を当てて笑う。
 まるで少年のような服装だけど、やっぱり女の子だなぁと思った。
 そう言えば、彼女が着ている服は、文官とも武官とも違う。女官……ではなさそうだ。
「あの、君は」
「小春」
「え?」
「名前で呼んでくれませんか?」
 ぐっと下から寄られ、僕は思わず後ろに一歩下がった。
「小春、呂蒙は"へなちょこ"だから無理なんじゃなーい?」
「ぼ、僕はへなちょこなんかじゃない!」
 思わず反論した僕は、慌てて彼女……じゃない、小春を見た。
 じーっとこちらを見ていた彼女は不意にキラキラした目で僕を見る。
「へなちょこ」
「だ、だから……」
「可愛いんですね呂蒙さん!」
 お、男に可愛いって……
 思わず固まっている僕を小春は嬉しそうというか楽しそうと言うか、そんな目で見上げている。
「……あはは、君変わってるねぇ」
 ほんの少しの間があったものの、諸葛瑾も彼女を不思議そうに見ている。
 うん、小春は不思議な子なんだよ。
「そうですか?へなちょこって可愛いじゃないですか」
 しゅんとなった小春だったけど、すぐ顔を上げて笑みを作ると、「案内します!」と宣言したのだった。

「そう言えば呂蒙さん、さっき何か言いかけてましたよね」
「ああ、大したことじゃないんだけどね」
「なんでも聞いてください。二人よりちょこっとだけ先輩ですから」
 えっへんと胸を張った彼女に思わず笑みを誘われながら、僕は聞いてみた。
「どうしてそう言う格好してるの?」
「あー……これは頂いた稽古着のお古なんです」
「文官なのにそんな格好よく許したね」
 諸葛瑾が示すのはおそらく周瑜提督だろう。
 小春がいたのは周瑜提督の部屋だったのだから。
「これ以外まともな服なくって」
 苦笑を浮かべる。
 なにか事情があるのだろう。
 あんまり聞くのも野暮だから、僕は話題を変える。
「さっき読んでたのは?」
「周泰さまからお借りしていた本です。まだ文字の読み書きが不慣れで」
 照れたように笑い、彼女は頬を掻く。
「ふーん……」
 諸葛瑾は腕を組み、何かを考えるように小さく唸る。

「あ、そうだ。二人とも、こっちこっち」
 案内の途中、彼女は不意に道をそれた。
「綺麗でしょ!」
 そう言って案内されたのは花の庭園。
 こまめに手入れされているのか、とても綺麗な庭園だった。
「今は我が君が面倒見てるけど、元々は孫策様が作ったんですよ」
 明るい口調で自慢する小春は花へと向かっていった。

「彼女はやめたほうがいい。深入りする前に手を引くことをお勧めするよ」

 ふと、諸葛瑾が小声で言う。
 僕は思わず諸葛瑾を見た。
 諸葛瑾はただ目を細め、横目で花と戯れる小春を見る。
「例えるなら羽衣をなくした天女。……と言えばいいのかな」
 僕は小春を見た。
 小春も僕を見て手を振ってきた。
 反射的に手を振り返した僕に、諸葛瑾はため息をついた。
「羽衣が見つかったとき、後悔するのはあんただからね」
 諸葛瑾はちょいちょいと小春を手招きした。
 話をしていたことに遠慮してか、離れていた小春が小走りに戻ってくる。
「道案内が寄り道してどうするんだい?」
「うっ……そうでした」
 がくっと肩を落とし、次へと行きましょうと歩き出す。

 諸葛瑾の言うこともわからなくはない。
 けれど僕は子どもじゃないからこの類の想いが塞き止めようにも塞き止められないことを知っているし、彼女の微笑みに心奪われた以上後戻りも出来ない事も知ってる。
 だからこそ諸葛瑾の言葉が怖い。
 彼女を天女に例えると言うことはつまり彼女には帰るべき場所があるということだ。
 手の届かないほどの場所―――

 ねぇ小春。
 君はどこから来て、どこへ帰るの?



⇒あとがき
 異世界。←ちょっ、んなあっさり!
 この夢に特に意味はありません!!!!(どきっぱり)
20070725 カズイ
res

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -