◆恋が生まれた日
「好きです」と言われて彼が返す言葉は大抵決まってる。
「悪い。俺、野球のことしか考えられないから」
どうせ別れるなら始めから断ってしまえばいいという考えからだろうか、それとも……
「おい、盗み聞きかよ」
告白した少女が泣みだぐみながら走り去った後、告白されていたはずの人物が私が背を預けている木に声を掛ける。
「私が先客よ」
私は悪くない。後から来た君らが悪い。
呑気に出て行ってシリアスモードを打ち壊さなかっただけマシと言うものだ。
立ち上がってスカートについた草や砂を払う。
ちなみにこう言う展開は初めてじゃないので私は別段取り乱したりしない。
「またあんたか」
そう言うのは同じクラスの榛名元希くん。
見た目よくって、頭もそれほど悪くなくて、野球が巧い。
サッカー部目当てで武蔵野第一に来た女子の大半が彼に乗り換えたと言う人気っぷりだ。
生憎私はそう言うのに興味がないので、そこいらの男子と同じだ。
在るはずなのに無い、当たり前の気持ち。
どうやら私は本気で人を愛せない体質らしい。というより無感動症かな。
感情の起伏が極端に低くて、顔に出る表情なんてさらに少ない。
「あんたじゃなくて飯島小春。仮にもクラスメートなわけだし、名前くらい知ってるでしょ?」
「へぇ、同じクラスだったんだ」
呆れた。
この調子だとさっきの子が学年一モテる子って言うのも知らないんじゃない?
さすがの私だって噂くらい知ってるわよ。
別に私が自意識過剰だと言わないけど、私も結構有名人だ。
"窓際の君"とか随分誤解されたあだ名までつけられている。
身体が悪いんじゃない。
ただ、心が日常についていけてない。
人はその結果の行動を簡略化して、俗に"サボり"と言う。
* * *
場所を変えて図書館で本を開いてみた。
内容を吸収していけば、その分時間が経っていく。
積み重ねる時間はとても心地よい。
他人からすれば無駄な時間を使っていると思われるだろう。
なにしろこの本を読むのは三回目だから。
「よ、本の虫」
ふっと手元に影が差す。
顔を上げれば榛名の姿。
「"窓際の君"よりはあってるだろ?」
「一応は知ってるんだ」
「いや、さっき秋丸……同じ部活の奴から聞いた」
そんなところだろうと思った。
「ま、顔は悪くないな、確かに」
「褒め言葉としてありがたくもらっておきます」
「棒読みかよ」
榛名は何がおかしいのかくつくつと笑い出した。
私は訳がわからずじっと榛名を観察した。
榛名も確かに顔はいい。興味はないけれど。
「飯島って彼氏つくんねぇの?」
「いらない。興味ない」
榛名ほどじゃないけど勝手な理想を押し付けようとしている人たちがいる。
誰も私を知らないくせに勝手に好きだという。
愛せもしないのに好きだとか愛してるなどと言ってやるつもりはない。
言われるだけ煩わしい。聞いていて気分が悪い。
「だったら共犯にならねぇ?」
「なんの?」
「飯島が俺の彼女になって、俺が飯島の彼氏になる。お互い他人避けにどう?」
「百害会って一利なし」
「男避けになるだろ」
「変わりに妬んだ女子が来る」
榛名は納得がいったらしい。
「俺も醜い男の嫉妬は見たくないな」
想像してしまったのか、心底嫌そうな顔をした。
私は思わずそれに笑っていた。
「あ」
そう呟いた時にはそれは終わっていた。
すぐそばにあった榛名の顔。
重なり合った唇は離れ、ただ同色の瞳から放たれる視線が絡み合う。
私たちはキスをしていた。
いや、ただしくはしてしまっていた、かな。
榛名は自分の行動に戸惑い、思考が止まっているようだ。
でもそれ以上に私は戸惑っていた。
恐らく表情には一切出ていないだろうが。
私は今まで誰も愛せなかった。
クラスの男子も、告白してきた男の子たちも、榛名も。
大人になってもなおらないだろうと思うくらい、重症だと思っていた。
なのに、どうしてこんなに胸が高鳴るのだろう。
どうして体中の血液が沸き立ち騒ぎ出すのだろう。
「……悪い」
ぽつりと榛名の口から謝罪の言葉が漏れる。
榛名は慌てて図書室を飛び出していった。
私は手に持っていた本を机の上に置き、指先を唇に当てた。
まだ感触が残っているようで、目を閉じた。
人はこの気持ちを恋と呼ぶのだろうか。
だとしたら私は今日榛名に恋をした。
たぶん、最初で最後。
今日はそんな恋が生まれた日。
⇒あとがき
なんとなくまた浮かんじゃいました。
たぶん美女と野獣の影響もあると思います。
20050804 カズイ
20070504 加筆修正