◆広く狭い世界で

 海外出張は別に初めてじゃない。
 問題なのは、また陵刀先生の罠に嵌められたって言う事実だ。
 主任だからって言うのも判らないでもないけど、今回の出張は最低二日。全然無理じゃないし。
 ……たく、やってられないわ。
「ありがとう、小春。さすがR.E.D.だ」
「いえ、私なんてまだまだですよ」
 手術後、握手を求められた私はそれを握り返した。
 診察と手術で結局二日使ってしまったし、今晩はそのお礼に食事まで誘われてしまった。
 無下に断ることもできないし、R.E.Dには後で電話しよう。
 ―――帰りは明日だ。

  *  *  *

 夕食の後、私は一人ホテルへと急いでいた。
 送るって言われたけど、身の危険を感じたので丁重にお断りした。
 ま、どのみち身の危険は避けられなかったのだけど……
「ちょっと、離して!」
 つい日本語で話してしまうほど動揺しつつ、下卑た笑いをする男たちから逃げようと抵抗を試みた。
 男女の差だけでも充分だろうに、外国人の身体のでかさは大問題だ。
「へへへ、可愛い抵抗だなぁ」
「いや……誰かっ」
「やめろ!彼女を離せ!!」
 恐怖に怯えた私にとってその声はまさしく救世主のものだった。
 それが喧嘩にまで発展することはなくて、私は完全に助かったのだと気付くのに時間が掛かってしまった。
「大丈夫?」
「あ、はい」
 答えるために顔をあげると、お互い傍から見て滑稽だろうくらい驚いてしまった。
「賀集、先輩?」
「飯島くん?」
 目の前に居たのは、まだ右も左も分からなかった大学入学直後に出会った三つ年上の賀集先輩だった。
 大して付き合いはなかったので名前を覚えていたのはお互い奇跡だったと言っていいだろう。
「どうしてここに?」
 卒業後、しばらくして自分の病院を持つことになったって風の噂に聞いた。
 少なくとも日本の22倍もの広さを持つこのオーストラリアで再会するなんて思ってもみなかった。
「こっちの牧畜協会に呼ばれてね。半年前くらいからずっとこっちだよ。飯島くんこそどうしてここに?」
「私も仕事なんです。ただの海外出張中ですけど」
「海外までくるなんてすごいですね」
「私なんて主任の代理ですから。さすが賀集先輩ですね!」
 賀集先輩は苦笑してそれ以上は何も言わなかった。
 何かまずいことでも言ってしまったのだろうか。
「あの、もしよかったら少し飲みに行きませんか?私、明日帰る予定なんです」
「はい。是非」
 にっこりと笑ってくれた賀集先輩にほっと胸を撫で下ろした。
 あまり地理に明るくない私は賀集先輩の案内でお酒の飲める店へと向かった。

  *  *  *

「あれ……これマジ?」
 私は思わずベッドの上で呟いてしまった。
 他愛のない話をしながら結構……いや、かなり飲みすぎた自覚はある。
 でも流石にこれはないだろうと、同じベッドでまだ眠っている賀集先輩に目を向けた。
 身体がなんだか鉛みたいに重いし、ベッドの周りには脱ぎ散らかしたと思わしき服があって、お互いどう見ても素っ裸だ。
 ベタついていないのは多分賀集先輩が処理をしてくれたからだろうけど……うわ、私賀集先輩と寝たんだ。
 温厚な賀集先輩が無理矢理いたしちゃうわけないだろうし、きっと私が誘ったんだろう。
 どうしようと頭がぐるぐる回るのを感じていると、電話のベルが鳴った。
 フロントを通じての電話は昨日仕事で行った獣医大の野生動物学の教授からだった。
 ちらっと時計を確認すればもうお昼。
 でも賀集先輩、今日はお休みだって言ってたし無理に起こさなくてもいいかな?
「ん……飯島くん?」
 そう思っていると、賀集先輩が目を覚ました。
 だけど電話に気づいて賀集先輩は口を閉じた。
「こんにちは教授。どうかなさいましたか?」
『よかった、まだ帰国してなくて。実はうちの卒業生が働いている動物園の子キリンが骨折して、うちに手術の要請があったんだ。小春が話してくれたR.E.D.での話を思い出して連絡したんだが……』
「義足の事ですか?」
『ああ。お願いしたいんだ。彼が最初から世話してきた子だからと……どうも見てられなくてね』
 そのための処置はすでに行ったと言う教授の言葉に私は考える。
 頼めば義足を用意することは可能だろう。だけど手術で必要なのは義足だけじゃない。
「その職員の方は今そこにいらっしゃいますか?」
『もちろんだ。今変わるよ」
 教授の声に変わって若い男の声が不安そうに電話口に出た。
「手術そのものはとても簡単です。ですが子キリン自身が立とうとし、更に職員の方が諦めないと言う覚悟がなければ手術は失敗します。残念ですが、安楽死を選んでもらうしか道はありません」
『あ、諦めません!!だから……おねがいしますっ』
 切な願いは彼の本音だ。
 私はくすっと笑い頷いた。
「でしたら準備をさせてもらいます。義足の問題もありますので、折り返し連絡します」
『お願いしますっ』
 私はそこで一旦電話を切り、R.E.D.に電話を掛けた。
『はい、R.E.D.総合受付―――……』
「二科(ワイルドライフ)の飯島です。すぐに高宮院長に繋いでください」
『高宮院長ですね。ちょっと待っててください』
「ワイルドライフ?」
「あ、私の所属科名です。主に野生動物を見てて……」
『どうした飯島』
「あ、院長。以前間多動物園の義足手術に使われた義足と同じ物を一つお願いしたいんですけど……」
 補足と言う形になってしまったけど、私はこっちの事情を簡潔に説明した。
 昨日の報告忘れも一応謝罪するのを忘れずに。
『……事情は大体判った。岩城に連絡を頼んでみる。後、出張期間延長でいいな?』
「すいません院長。ありがとうございます」
 すぐに大学に電話を掛け直し、義足が届くのを待つ間に手術をしてしまう旨を伝える。
 どうにかひと段落ついたところで、思わずため息が一つ零れた。
 手術は一回見ていたし、後は実際にやってみるだけだ。
 むしろ問題なのは今この状況だ……覚えてないっ。
「あの、賀集先輩」
「ん?」
「こんなこと言うのもどうかと思うんですけど、私……」
「もしかして覚えてないんですか?」
「……はい」
 頷くと、賀集先輩は寂しそうに笑った。
「あ、後悔はしてないです」
 賀集先輩嫌いじゃないし。
 むしろ賀集先輩はあの当時の憧れの人と言っても過言ではない。
 R.E.D.の忙しさでうっかり忘れかけていた存在であるのもあながち間違いではないけど……
 とにかく接点がなさすぎたのが悪い。
「でも覚えてないってどうかと思ったので……」
 なにか不味いことしちゃったりしてませんか?私。
 それがすごく不安なんですけど。
「はは、飯島くんらしいですね」
 賀集先輩はにっこりと笑い、私は思わず胸が跳ねるのを感じた。
「私、変なこと言ってませんでしたか?」
「変な事は言ってませんよ」
「よかっ……」
「でも可愛かったですよ。おねだりする飯島くんは」
 笑顔のままで言うものだから、私はかぁっと体中が熱くなって顔を隠すように両手で押さえた。
「日本の何倍もの面積があるこの場所で貴方と会えて幸せですなんて可愛いことを言うものですから、僕の方も歯止めがきかなくて……身体、大丈夫ですか?」
「大丈夫、ですっ」
 なんて恥ずかしい台詞を言ってるんだ昨日の私!!
「女の人に言うのもなんですが、僕たちお互いいい年じゃないですか」
「そー……ですね」
 気づけば三十路過ぎてますしね。
「結婚を前提にお付き合いしてくれませんか?」
 その目に偽りはない。
 私はこくりと首を縦に動かした。
「えっと……よろしくお願いします」

  *  *  *

「あ、飯島先生」
「うおー!飯島先生久し振り♪」
 久しぶりに帰ってきたR.E.D.。
 ワイルドライフで最初に会ったのは岩城くんと瀬尾さんだった。
「久しぶり。岩城くんのおかげで無事成功したわ。ありがとう」
「成功してよかったっすね」
「ええ」
 嬉しさに私は素直に微笑む。
「あ、飯島先生。その指輪、どうしたんですか?」
「ああ、コレ?」
 左手の薬指。
 今はまだ予約ですって、帰国前に貰ったものだ。
 診察中は首に掛けたチェーンに移動させている。
「ふふ、向こうで偶然大学時代の先輩と再会してね。プロポーズされちゃったの」
「オーストラリアでですか?!」
「確かあそこって日本の22倍の広さだったよな。すっげー!」
 この感動している岩城くんが、賀集先輩が獣医をやめようかと考えた時に出会った熱血獣医さんだと知るのはもう少し先のことだった。



⇒あとがき
 ひぃ!ぐだぐだだあ!!
 賀集夢書いてますって言ってからどれだけ時間かかってんだゴルゥアァ!!
20060511 カズイ
20090326 加筆修正
res

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