◆惚れた弱み
空より降り注ぐ万本の矢。
どれだけ心の臓が冷えたことか……
さめざめと泣く姿に周瑜は言葉もなかった。
彼女はこの呉の城で住まう全ての者たちを影で支える女官の長にして名門藍家の姫・黎華である。
孫策、孫権の父である孫堅の代からこの城に仕え、孫策を通じて幼い頃から顔を知っている。
いつまでも孫権同様幼いと思っていた少女。
だが今周瑜の目の前に居るのは弱々しく涙する一人の女だ。
「黎華……」
周瑜は黎華へと手を伸ばす。
「……周瑜」
さめざめとしていた顔を上げれば、周瑜をギッと睨み上げる。
「っ!?」
「これ以上孫権さま泣かせたら殺すぞごらぁ!」
おい、さっきまでのしおらしさはどこへ行った。
思わずそう思い、周瑜はため息をついた。
黎華とはこのような女性なのだ。
そう言えば久しぶりに顔を合わせるからすっかり忘れてしまっていた。
孫策が周瑜を友と呼ぶように、孫権は黎華を友とした。
ここで違うのは、黎華は孫権を主と出会った頃から慕い、溺愛し、いつしか孫権を泣かす奴は敵!に変わっていた。
なので、時折孫策相手に容赦ない仕打ちをする。
例えば、孫策に出される料理を一見それとはわからぬようありえないほど激辛にしたことがある。
あの時は毒見係が辛党であったため気づかぬまま孫策に出された。
孫策はどうにか堪えたが、後でそっと周瑜に語ったことがある。
死んだ親父が見えた。と。
……本当に数秒意識が飛んでしまったらしい。
「さ、仕事行きましょうっと」
「おい」
「なんでございましょうか」
にっこりと仕事用の笑みに切り替えた黎華に周瑜は額に手を当てた。
頭が痛い。
「……仕事は他の者たちに任せろ」
「えー!?それじゃあ孫権さまのところにいけないじゃないですかぁ〜」
不満タラタラらしい。
と言うか、孫権のところに行くのは現時点彼女の本来の職務の優先事項ではないはずだ。
黎華が言った通り、つい一刻ほど前に万本の矢が降り注いだばかりなのだから。
死傷者は少なくない。
それでも、深紅の武者こと陸遜の活躍により、本来あったであろう犠牲者よりも少ない数に納まったといえよう。
「しばらく孫権さまの側にいろ」
「やりぃ♪」
声音を弾ませる黎華に周瑜は再びため息をついた。
「周瑜、幸せが逃げるわよ?」
「誰の所為だ誰の」
思わぬ疲労感に周瑜は眉の皺を深くした。
結局のところ、周瑜はいつだってこの少女にだけは勝てないのだ。
それが惚れた弱みと言うやつだと言うことは、死んだって言えやしない。
「絶対に言ってなるものか」
「孫権さまー」と走って行ってしまった黎華の背を、周瑜は愛しげに見つめた。
彼女に言えなくとも、周りにはバレバレである。
⇒あとがき
周瑜は一番弄り倒したい男です!←えー!?
そしてこう言うヒロインは好きだ!!
20070510 カズイ