◆ふたりごと

※アンケート御礼。その他の匿名様のコメントより派生。
半助23歳時の二人の出会いのお話です。敬語半助さんが書きたかっただけとも言う。


 久しぶりに帰った我が家の少し手前で地面に向けて杓子で桶の中の水を撒いている女性が居た。
 彼女の名は確か飯島小春だっただろうか。
 半助は二年ほど前にこの地にやってきてからの数度の出会いを思い起こした。
 彼女は半助よりも二つ年上の良く笑う、良くも悪くも素直な性格をした女性だった。
 別段美人でもなく、かと言って醜女[しこめ]でもない。本当に可もなく不可もなくを地で行く容姿をしている。
 少々行き遅れではあるが、その素直すぎる性格の所為で縁談が破談にでもなり続けているのだろうか。
「あら、半助くん」
 足を止めて小春をじっと見ていると、水を撒いていた小春の方が半助に気づいてにこりと笑みを浮かべた。
「おかえりなさい」
「はあ……」
 おかえりと言われる事に慣れていない半助は曖昧に笑みを作って返し、再び足を進めた。
 やっと戦が一段落したのだ。今日は家に戻ってゆっくり休みたい。
 風呂に行って汗を流した方がゆっくり出来るだろうが、今はとにかくまず寝たい。
 そう思って小春の前を通り過ぎようとした。
「ああ駄目よ半助くん」
「はい?」
 杓子を持ったままの手で袖を握られ思わず身を引き身構える。
 突然なんだと小春を見れば、小春は真面目な顔で半助の顔を見上げる。
「前に出かける時に大家さんにちゃんと断り入れなかったでしょ?」
「あー……そう言えばそんなことも」
「だから大家さんったら他の人に半助くんの部屋貸しちゃったのよ」
「ええ!?に、荷物は!?」
「荷物ならうちで預かってるわ。長屋で独り身なのは私と半助くん位なんだもの。大家さんはいつ帰って来るかわからないのにってブツブツ言ってたけど、ちゃんと私が預かってるわよ」
「それはお手数をお掛けしてすいません……って言うか本当に貸しちゃったんですか!?」
「ええ。だって流石にこればっかりは素直になれないわ」
 にこりと笑む小春は半助の袖を離し、杓子を水の随分減った桶の中へと放り込む。
「取り敢えず上がって頂戴」
 桶を片手に小春は自分の家の玄関を潜り、躊躇う半助に向けて手招きをした。
「大家さんなら今出かけていないから、少し話をする時間位はあるわ」
「は、はあ……」
 混乱する半助に痺れを切らしたのか、小春は桶を庭の端に置き、半助の腕をぐいぐいと引っ張った。
 女性にしては随分と力の強い腕である。
「ちょ、ちょっと……」
「大丈夫よ、取って食う訳じゃあるまいし」
「それも違ってですね!」
 半助の声に耳を貸さず、小春は半助を庭の中へと引きずり込んだ。
 敵の忍でもなく極々普通の女性、ましてやお隣さんである彼女に無体は働けず、半助は半ば諦めながら庭の中へと足を踏み入れた。
 同じ長屋なのだから作りは同じなのだが、庭から見える部屋は整然としていて女性の一人暮らしにしては少々物寂しい印象を覚えた。
 午前中の内に洗濯物でもしていたのだろうか、奥に見える裏口の端にゆらゆらと白い布が揺れているのが見える。
「よっと」
 小春は先に草鞋を脱いで家の中へと上がってしまう。
 小春は端に避けていた円座[わろうだ]を引っ張り出すと、一つに座って炭櫃の火に被せた五徳に薬缶を乗せた。
「半助くん、いつまでもそうしてないで草履脱いで上がったら?」
「いや、でも……」
「荷物ならそっちに置いてあるし、一先ず大家さんが戻って来るのを待った方が良いわ。お隣、今お盛んだから」
「……え?」
「水を撒いたら人が寄らないでしょう?一応気を使ったのよ」
 くすくすと笑う小春に半助は頬を引きつらせた。
「ほら、上がって」
「うう……お邪魔します」
 家の中に上がると、元々温めてあったのだろう薬缶の口から蒸気が上がり始めていた。
 部屋の隅には長方形の籠が一つあり、その上に風呂敷に包まれた荷物があった。
 恐らくこれが小春の言う半助の荷物だろう。随分と少なく収まったものだと思ったが、すぐにはっと半助は我に返った。
 よくよく考えれば自分の部屋には忍務の際に持っていかなかった暗器や女装用の衣装や化粧道具など、独り暮らしの男の家にあるべきものではないものまで混ざっていたはずだ。
「あの、小春さん?」
「あら何かしら」
 きょとんとした顔で小春は半助を見上げている。
 女装趣味のある変な男だと言う顔ではないし、実は女がいたのねと言う顔でもない。
 何とも読めない表情をした小春に半助は眉間に皺を寄せた。
 今までただの隣人だと思っていたが、よくよく考えれば彼女の言葉に僅かに可笑しい点があった。

「ええ。だって流石にこればっかりは素直になれないわ」

 彼女は一体何を考えているのだろうと警戒しながら、半助は小春の前に置かれた円座に座った。
 男女の体格差もあり、彼女を組み敷くことは容易いだろう。
 だが簡単に手の内を明かしてただの偶然から違和感が生まれていたのだったら事だ。
 物事は慎重にと半助は小春が出したお茶が上げる湯気をじっと見下ろした。
「半助くんは猫舌?」
「いえ。いただきます」
 小春がお茶を淹れる際に何かしたようには見えなかったので、半助は小春が居れたお茶に口を付けた。
 だがただ口を付けただけで口に含むことはなかったが。
「あら、おかしなものはなにも入れてないわよ」
 少量飲んだ振りをした直後、小春は不思議そうに首を傾げた。
「半助くんったら顔に出さないようにして、逆に変よ?それじゃあ飲んでないって肯定してるようなものじゃない」
 警戒している半助と違い、小春は手の内を容易に明かそうとしている。
 それも至極落ち着いた様子で、淡々と。
 いつもの素直で明るい笑顔の見えない表情に半助は警戒を隠すことを止めてすっと目を細めた。
 彼女のような性格の者が飲んだ振りを悟るようには思えない。小春は恐らくくノ一なのだろうと確信に似た思いを抱いていると、小春はこくりと喉を鳴らして自分が淹れた茶で喉を潤した。
「……何となくそうじゃないかなとは思ってたんだけど、部屋の荷を纏めている時に確信に変わったのよ」
 寂しそうに目を伏せ、小春は湯呑を弄るように指を動かした。
「"またか"ってね」
「また?」
「ふふ。何となく感じてるだろうけど、私、元くノ一なの。隠世とは五年も前におさらばしたんだけどね……どうにも縁切れなくって嫌になっちゃう」
「そりゃあ簡単に切れないでしょう」
「わかってるわよ」
 唇を尖らせ拗ねた顔を見せる小春は先ほどよりも幼く見えて、半助の肩から力が僅かに抜ける。
 だがこれがくノ一の術なのだと思えばすぐに気は引き締まる。
 幼い頃に師と出会ったことで随分と忍根性が根付いたもんだと苦笑しながらも半助は彼女に警戒した視線を向けるのだけは止めた。
「自分で飯島小春と言う人間を演じているのなら何時まで経っても縁は切れないと言ってるんですよ」
「これはもう癖のようなものなの。仕方ないじゃない」
「まあわからないわけでもないですけどね」
 苦笑を浮かべた半助に、小春はくすくすと笑った。

  *  *  *

「……夢か」
 随分と懐かしい夢を見たものだと、半助は生理的に込み上げる欠伸を噛み殺す様にして小さく息を零した。
 隣で眠っているきり丸は起きる気配がなく、すやすやと呑気な寝息を立てている。
 いくら新聞配達のアルバイトがあるとはいえ、流石のきり丸も起きるにはまだ早い時間だ。
 半助は薄ぼんやりと見える天井を見つめ、夢に見た二年前の出来事を思い起こす。
 結局あの後なし崩しに二人で暮らすことになったのだ。暮らすと言っても半助に忍務のない時のみで、実質過ごしたのはたったの一月にも満たない月日だった様に思う。
 小春との穏やかな時間と、戦での神経を削る時間。その板挟みの中で半助は小春を捨てる事を選んだ。
 一年間、小春の長屋に居候し、忍務の最中で出会った男に誘われるまま教師となった。
 それから小春とは会っていない。
(一年経つか……)
 時間と言うものは、振り返って見れば思っていた以上にあっと言う間に過ぎ去っていたものだ。
 現役のプロ忍者として活躍していた時間は実技担当の山田や日向等と比べればそう長くはないが、それでも半助はプロの戦忍だった。
 闇を、戦場を、人を、命を。駆り、駆けり、刈り、刈り取った。
 一見凡庸に見えても、その裏で殺伐とした日々を送っていたあの頃は小春と出会わなければ変わることはなかっただろう。
 だが半助は間違いなくあの日小春の手を手放した。
 小春は半助を引き留めなかったし、ただ生きているのならいいと笑っていた。
 彼女は元くノ一だ。感情を偽るのも、表情を隠すのも自分等よりもよっぽど長けているだろう。
「……んん」
 隣で眠るきり丸が唸るような声を上げ、はっと隣を見る。
 会いたくないと言ったら嘘になるが、教え子を放ってまで会いに行きたいとは思わない。
 それでもまた、あの笑顔に会いたかった。
 忍の土井半助も、ただの土井半助も、全部ひっくるめて愛してくれた彼女の温もりを覚えている。
 ただ一人の家族。それが土井半助にとっての飯島小春と言う女性だった。
 そして、半助も小春も、喪う怖さを知り過ぎた臆病なただの大きな子どものままだった。



⇒あとがき
 一応連載にと考えた設定での冒頭と間の話くらい?
 忍者してる土井先生ってのがこう上手く考えられなくてとりあえず何年か前のプロ忍者時代設定にすれば忍者してる土井先生になるんじゃね?とか軽い考えだったんですが、結局冒頭と間だけだと忍者してねぇええええ!!!
 うん、まあでも土井先生夢らしいものを初めて書けたのでいい機会を頂けたと思います。
20110609 カズイ
res

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