34.君に倖あれ

 異世界の魂を手にした麻里亜を見て驚いたのは隆明だった。
 時間が掛かると思っていた魂をあっさりと一日で連れて帰ってきたからだろう。
 聡い嘉信と、何故か甲陽はそれを納得した様子で出迎えてくれていた。
 その足で嘉信の道案内の下、麻里亜と黒鋼の二人は甲賀の郷のある山へと向かった。
 何故黒鋼だけがとモコナとファイは不満で一杯だったようだが、麻里亜以外で里に入れるのは同じ水梨の者だけなのだ。
 最初に麻里亜が黒鋼を自分の婚約者だと言っていたため、甲賀はそれを受け入れたらしい。
 元々は凪が誤解したままで面白いからと甲陽が説明をしなかった所為なのだが、嘉信もあえて何も言わず甲賀の長にだけにしか伝えなかったらしい。
 長も甲陽と同じく面白いからの一言で周りには告げる事はしていないようだ。
「すべて甲賀の者じゃ、警戒は必要ないぞ」
 嘉信の言葉に、黒鋼は辺りに巡らせていた気をほんの少し解いた。
 忍としての性か、警戒心を完全に解く事は無かった。
「ようこそいらっしゃいました、嘉信様」
 一人の老女が先頭に立ち、恭しく三人を出迎えた。
 老女は長の妻で、老齢とは言えこの里での実力はくノ一No.1だ。
 顔を上げて麻里亜を見た殆どの者が静かにざわめいた。
 甲陽に似た面立ちの見知らぬはずの少女―――麻里亜が女だと気付き、更にその手の中にあるものを見て動揺しているのだろう。
 だがそれもほんの数秒の事で、すぐに元の雰囲気に戻り、老女は僅かに身を引いた。
「長の元へご案内いたします」
 その後に従い、麻里亜たちは奥屋敷へと向かった。

「中々の美人に育ったじゃないか」
 部屋に入った瞬間、顎を捕まえられ、くいっと顔を上げさせられる。
 そこに居たのは麻里亜も覚えのある美貌の長。ただし、中身は一代前の人物だろう。
―――ピシッ
 その手を叩き落とし、二人の間に滑り込む様に黒鋼が立ちはだかった。
 明らかに殺気の籠った眼差しで見下されながらも長はどこ吹く風と言ったように笑みを浮かべる。
「婚約者殿は嫉妬深くていかんのう」
 何処か人を食ったような笑みで笑いながら、長は顎の下に指をぐっと食い込ませ、美貌の面を剥ぐ。
 黒鋼は一瞬ぎょっとしたが、それまでの容姿を隠すための変装だったのだと気付き、すぐに眉根を寄せた。
「巧く出来ておるじゃろう」
「じじ長、からかい過ぎ」
 からからと笑う長に麻里亜は思わず額を押さえた。
「正確は隆明に似たか。つまらんのう……まあいい。奥で待っておるから行くかのう」
 腰を追った老長は軽い足取りで更に奥の部屋へと進んだ。
「アイツの性格はあの爺に似たのか?」
「いや、わしの弟だ」
 黒鋼の疑問に溜息を零しながら嘉信は答えると、すぐに老長の後を追った。
「アイツって、甲陽叔父さん?」
「それ以外に誰が居るよ」
「まあ、甲陽叔父さんもじじ長も愉快犯だけど……」
 老長に寄って開かれた襖の先、中庭から射す日差しを受けて一人の少女が大人しく座っている姿が見えた。
 年は小さい麻里亜よりも少し幼いだろうかと言った印象を覚える。
 麻里亜たちが部屋に入ったのにも気付いていないかのようにぼうっ座り込んでいる。
「え?……湊?」
 麻里亜は思わず少女の名を呟いた。
 赤茶の影響を受けた淡い色を持つ黒髪が動く事は無く、灰色の瞳も光を宿さず、ただ々一点を見つめ続ける。
「生まれてこの方、産声とぐずり以外で言葉を発したこともなければ喋った事すらない……私の曾孫の湊じゃ」
「麻里亜は知っていたのか?」
「あ、うん」
 戸惑い気味に嘉信の言葉に頷いた。
「湊は私付だったから……。でも、私の知ってる湊は明るくて、強かで……」
 私と同じ腐女子、とまでは流石に口にはしなかった。
「ねえお祖父ちゃん、私もああだったの?」
「いや。麻里亜は晶の腹に居る頃に見つけたからな」
 その言葉にほんの少し震えが止まった。
「さ、早く魂を渡してくれるかな?」
 老長の言葉に麻里亜は頷き、湊の前に座り込んだ。
 光の珠は麻里亜の手のひらの上を離れ、港の胸の中へとすうっと飲み込まれていくように消えて行った。
 光を飲み込むほど湊の身体が撓る様に反り、淡い光に身体全体が包まれる。
 まるでサクラの記憶が元に戻っていくときの様なその様子に麻里亜は目を見張りながらも一瞬たりとも見逃さぬようじっと見つめた。
 光が消えると、湊はそのままぽてりと後ろ向きに倒れ、頭を打ったせいなのかはわからないが突然大きな声で泣き出した。
「おかーさっ……おとーさっ」
 わんわんと今まで碌に声を発しなかった所為かどこか掠れた声で泣きわめく湊に、麻里亜たちが現れた障子戸は別の隣の部屋へと続く障子が開き、一組の若い男女が現れた。
 二人は愛しそうに湊を抱きしめ、とても幸せそうな顔をしていた。
「後は長に任せて良いな?」
「はっ」
 自分よりも年下の当代―――嘉信に頭を下げ、老長は三人に歩み寄った。
「行くぞ」
 嘉信の言葉に、麻里亜は「あっ」と声を上げて背を向けようとした身体を再び戻した。
「あの……麻里亜と主従ではなくて、普通の……普通の友達にしてあげてください」
「?」
 麻里亜は老長に向けて言ったが、その言葉に思わず反応が出来ず老長は首を傾げた。
「掟破りかも知れないけど、それが前の魂の持ち主の願いに繋がるんで」
 老長は一度目を閉じ、恭しく頭を下げた。
「仰せのままに」
 先ほどまであったふざけた調子は一切無い。
 主に跪く侍従。その仕草に黒鋼は改めて麻里亜の家とこの里の関係を目撃した。

  *  *  *

「この世界に羽根はなかったし、次の世界に行かなくちゃいけないね」
 水梨の家に帰り、麻里亜は小狼たちを前にそう言った。
「でも姉さま、対価は?」
「一応大丈夫。一日スパルタだったけどね。うん」
 ふっと思い出し、麻里亜はほんの少し青ざめた。
「後はアレを貰うだけなんだけど……」
「アレ?」
 モコナが首を傾げる。
「だから、今晩にはここを出よう。これ以上ここに関わっちゃいけないし」
「そうですね」
 小狼は麻里亜の言葉にこくりと頷いた。

  *  *  *

「寂しくなるわ」
「でもそれが本来あるべき姿なんだな」
 晶と隆明は麻里亜の姿を目に焼き付けるようにしっかりと見つめた。
「怪我などせぬようにな」
「せめてもの餞別ですよ」
 ヨネが麻里亜に簡易の救急セットを入れたポーチを渡してくれた。
 ありがたくそれを受け取り、麻里亜は祖父母に礼を言った。
「……麻里亜」
 すっと甲陽が刀を麻里亜に差し出した。
 それは水梨家の宝刀―――"紅蓮"。
「対価はこれで全てだよ」
 麻里亜は差し出されたそれに手を伸ばし、手に取った。
 ずっしりと重みのある刀が更に重みを増したように感じる。
 これが水梨家の当主の重みなのだと思うと少し泣いてしまいそうだった。
 それを堪えるように、麻里亜は紅蓮を抱きかかえた。
「いつか必ず返します。……貴方の息子へ」
 隆明と晶は未来の事であるその言葉に目を見開いた。
 その反応はやはり、甲陽の思いを知る者と知らぬ者の差があった。
 泣きそうに表情を歪めたヨネの身体を嘉信が引き寄せた。
 事情を知らない小狼とサクラは首を傾げたが、家族の会話に首を挟めずじっとこちらを見守る。
「……やっぱり知っているんだね。麻里亜は」
「甲陽叔父さんは、もうこの時から受け入れていたんですね」
「うん。だって、君は誰よりも大切な……姪っ子、だからね」
 無理をしている。
 そう感じたが、麻里亜はそれに気づかない振りをして頭を下げた。
「ありがとうございました」
「……おわかれなの?」
 しゅんと眉根を下げた小さな麻里亜は近くに居たファイの服の袖を掴み、くんくんと引っ張る。
「んー、そうだね」
「やだぁ、麻里亜もっとあそびたい」
 泣き出しそうな麻里亜の視線にあわせるようにファイは腰を下ろした。
「じゃあ約束ー」
「ふえ?」
 へらんと笑ったファイはちゅっと軽く麻里亜の頬にキスをした。
 叫びそうになった隆明の口は甲陽の両手によって押さえられていたが、その顔は嫉妬混じりの強い視線を持つ。
 それに気づきながら、ファイは麻里亜に気づかれない位置でにっと笑い、小さい麻里亜に向き直った。
「大きくなったらオレと一緒に旅しようね」
「うん。やくそくー」
 小さい麻里亜は泣き顔を笑顔に変え、ファイの頬にキスを返した。
 当の麻里亜は記憶にないその行動に戸惑い、顔を赤く染め上げた。
 小さな両手で頬を押さえ、小さな麻里亜はえへへと笑った。
 その時、モコナがふわりと羽根を広げる。
「ばいばい、ファイおにいちゃん、くろがねおにいちゃん、しゃおらんおにいちゃん、サクラおねえちゃん、麻里亜おねえちゃん」
 ぶんぶんと力一杯手を振る小さな麻里亜を微笑ましげに見つめ、麻里亜は一度だけ甲陽を見た。
 驚いた顔の甲陽はほんの少し泣きそうで、麻里亜は苦笑した。
「どうか、幸せに……精一杯生きて」
 これが、最後だ。
 麻里亜は精一杯の笑顔を浮かべて、彼らの前から姿を消した。
 甲陽は俯き、必死に涙を堪える。
 同じように涙を堪える家族たちは知らない。甲陽の胸の内のジレンマを、禁断の思いを。


――今は、まだ――




⇒あとがき
 日本[にほん]国編終了☆
 長かったー。って、途中でスランプとか入っちゃった所為なんですけどね。
 ようやく次の国へ行けます。
 試行錯誤、数度に及ぶ加筆修正。
 そのお陰でどこかで矛盾するところが出てきてるはずですが、あえて見なかった振りをしてあげてください。
 では、次の世界へ―――「モコナ=モドキもどっきどき〜☆」
20060325 カズイ
20110823 加筆修正
res

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