32.昔話と初恋

「で?」
「で、って……急かさないでくれないかなあ」
 くすくすと甲陽は口元を押さえて笑う。
 剣舞を見終わって暫くして、甲陽は黒鋼とファイを連れて自室へと戻っていた。
 不満げな態度を隠すことなく見せる黒鋼と、何を考えているのかよく分からない笑みを浮かべるファイ。
 甲陽はどちらか一人と絞れずあえて二人とも部屋に呼ぶ事にした。
 別にどちらであっても甲陽の願いは叶えられるような気がしたからだ。
「どこから話そうかな」
「長くなりますー?」
「多分、ほんの少しね」
 甲陽は苦笑を浮かべると、机の上に用意していた巻物を手に取り、二人の前に広げた。
「文字が読めるか分からないけど、これはね、僕の家の家系図」
「かけいず?」
 ファイの世界には家系図と言うものが存在しないのか、ファイは聞きなれない単語に首を傾げた。
「家系図って言うのは……」
「あ、なんとなくは分かるよー」
 説明しようとした甲陽にファイは手を軽くひらひらと横に振った。
「けど、なんで突然ー?」
 再度首を傾げたファイと違い、黒鋼はその家系図に視線を走らせ眉根を潜める。
 奇妙な家系図の形に黒鋼は気付いたのだろう。
「君たちにお願いしたいからさ」
 甲陽はそう言うとすっと家系図の末端を指差した。
 そこにあるのは甲陽と隆明の二人の名前。
 それぞれの名前の方には数字が記されており、その数字は甲陽の方が一つ若い。
「隆明もこれをまだ知らないんだ。だけど未来から来た麻里亜は多分もう知ってるんだと思う」
 ころころと巻物の端を動かしながら、甲陽はぽつりぽつりとその家系図の秘密を語り始めた。

  *  *  *

「今日はここまでだな」
「っりがとう、ござい、ました!」
 息を切らしながらも、麻里亜は隆明に頭を下げた。
「ゆっくり休めよ」
「はいっ」
 隆明が道場を出ていくと、麻里亜は床にへたりと座り込み、そのまま背中から床へと倒れ込む様に寝転がった。
 甲陽は途中で黒鋼とファイを連れて道場を後にしており、今この道場に居るのは麻里亜一人だった。
 麻里亜は荒い息を整えながら少し離れた場所にある窓枠を見つめた。
 灯りの強いこの道場からは、外が見え辛い。
 麻里亜はのそりと起き上がり、道場の入り口にある電気のスイッチを切り、その窓枠の方へとぺたぺたと歩み寄った。
 窓枠から差し込む淡い光の下、麻里亜は腰を下ろすと差し込む月明かりを見上げた。
 淡い光を向ける、夜の闇にぽっかりと浮かんだまん丸の月。満月と呼ぶには少し欠けたそれは十六夜の月だろうか。
 その月明かりから思い出したのは阪神共和国で優しく背を撫でてくれたファイだった。
 麻里亜は目を細め、思わず声を零して笑った。
「ふふ。私ってああ言うタイプに弱いのかな」
 思い出すのはあの時のファイと同じように優しく背を撫でてくれた甲陽だった。
 父以外で一番大好きな異性。
 禁じられた、淡く切ない想い。それは小さな麻里亜が数年後に抱き、今の麻里亜が行き場を失くした想い。
 いつしか麻里亜を二次元の世界へと引き込むことになった、苦い初恋。

  *  * *

「麻里亜はまっすぐ人を見るね」
「そうかな?」
 道場の隅で晶が用意してくれた麦茶を飲んでいた麻里亜に甲陽はそう声を掛けた。
 中央では隆明がまだ幼い入門者の二人―――甲賀の少年たちだ―――を相手に奮闘している。
「うん。まっすぐで、晶そっくりだ」
 どこか遠くを見つめるような甲陽の視線に、ずきりと麻里亜の胸が軋んだような痛みを訴える。
 麻里亜が生まれるよりも以前、甲陽と隆明が幼かった頃、幼馴染の凪と通う学校でその素直さ故に愛されていた少女が居た。それが晶だった。
 双子と言うのもあってか、二人とも同時に晶を好きになった。
 だが甲陽はそれを一切表に出すことはなく、それを秘すことにした。
 だけど麻里亜は知っている。甲陽が隆明の妻となった晶を今でも好いている事を。
「わっ、待て!」
 隆明が不意に大きな声を発した。
 視線を向ければ、隆明が幼子二人を両脇に抱える姿が飛び込んできた。
「トイレに連れて行ってくる!!」
 大慌てで同情を飛び出していった隆明に、麻里亜は思わず言葉を失った。
 子どもと言うのは突拍子のない事をする面倒な生き物だ。
 自分もそんな子どもの一人ではあったが、麻里亜は思わずそう思わずには居られなかった。
「なんだか懐かしいな。麻里亜にもあんな時期があったんだよ?」
 くすくすと笑いながら言う甲陽に、麻里亜はむすっとした顔で頬を膨らませた。
「覚えてないもん」
「ごめんってば」
 ぷいっと外方を向けば、甲陽は笑みを浮かべた顔のまま麻里亜に謝罪する。
「……ねえ」
 誰も居ない道場。
 今なら聞けるかもしれないと麻里亜は口を開いていた。
「どうして甲陽叔父さんは凪さんと結婚したの?」
「え?」
「母さんが好きなのに……子どもまで作らせたのは、義務?」
 甲陽は麻里亜の言葉に長い睫毛を瞬かせ、言葉を紡げずにいた。
「私、わかんないよ」
 まっすぐ甲陽を見つめれば、甲陽が先に耐え切れなくなったのかすいっと目を逸らした。
「……やっぱり麻里亜は晶に似てるね」
「誤魔化さないでよ!」
 くしゃっと甲陽の手が麻里亜の頭を撫でる。
 引き寄せて、自分の顔を見せないようにする甲陽は狡いと麻里亜は眉根を寄せた。
「好きだよ。でも、晶は隆明のだから」
「それで諦めるの?」
「諦めるんじゃないよ。諦めたんだよ……一番最初からね」
 麻里亜の頭を押さえるように抱きしめる甲陽の手が少し震えているのに麻里亜は気付いた。
「凪は知ってるよ。知ってて僕を受け入れてくれたんだから、僕たちは夫婦って言うより……悪友かな」
 麻里亜は甲陽の腕の中でもがき、甲陽を見上げた。
「まっすぐ見ないで。俺、今すっごい情けない顔してるから」
 視界を甲陽の手のひらに遮られる前に一瞬だけ見えた甲陽の顔は泣きそうに歪んでいた。
 暗くなった視界に動じることなく、麻里亜は言葉を続けた。
「甲陽叔父さんは卑怯だ」
「……うん、卑怯者だよ」
 視界を遮られていても麻里亜にはなんとなく甲陽が苦笑しているように思えた。
 ふと額に柔らかなものが触れた。
 それは背徳の想いが詰まった口付けだった。
(このまま時が止まってしまえば良いのに)
 きっと甲陽は幼い麻里亜にはわからないと思っているのだろう。
 だが麻里亜は遮られた手のひらの中で目を細め、見えぬ甲陽の唇に心が震えるのを感じていた。


  *  *  *

「僕さ、ダメな人間なんだよね。基本的にさ」
 くるくると巻物が開かないように糸を結び、甲陽は笑う。
「好きな人に好きって言えないし、好きって言われたら逃げちゃうし」
 苦笑を浮かべながら甲陽は巻物を机の上に戻した。
「きっと奥さん大事にしないだろうなーって思うよ」
 ようやく甲陽は黒鋼とファイの二人をゆっくりと見据えた。
「でも子どもが必要なんだ。双子で、男の子。これは絶対。……僕は麻里亜を死なせたくないからね」
 その目は強い意志を持っていた。
 いや、決意と言っていいかも知れない。
「逆に言えば自分の子どもを殺さなきゃならないんだけどね」
 くすくすと甲陽は笑う。
 その笑みは優しいが、言葉は間違いなく毒を孕んでいた。
「麻里亜を苦しめたら僕は許さないよ」
「はっ……気が向いたらな」
「僕は甲陽さんの事抜きで麻里亜ちゃんの事大事にするよー」
 黒鋼はその言葉に適当に応え、ファイはへらんといつものように笑った。
「ていうかー、麻里亜ちゃんの心から消してあげるね」
 すっと開いた目が笑っておらず、甲陽は笑みを引き締める。
 だがすぐに目を細めてファイはまたいつものように笑う。
「あ、黒ぴっぴにも負けないよー」
「黒鋼だ!……関係ねぇよ」
 不機嫌なまま部屋を出ていく黒鋼にファイはくすくすと笑う。
「じゃあオレも戻ろーっと」
 ファイも同様に席を立って部屋を出ていく。
 残された甲陽は二人が出てった戸を見つめ、静かに息を吐き出した。
「……ありがとう」
 その笑みはどこか解放された笑みだった。
 小さな麻里亜に晶の面影を追う自分の視線に気づいていた。
 そして麻里亜に会い、自分が将来辿り着いてしまうのだろう想いに気づいた。
 まだ家族の情のうちに消せればいいのだが、思っていた以上にもう手遅れだったようだ。
 思わず苦笑が浮かぶ甲陽にとってファイの言葉は救いの様にも思えた。
「忘れてくれよ、麻里亜」
 禁じられた恋。
 麻里亜が舞った剣舞に思わず女を見てしまったことも全部、今も、この先も、死後の後ですらこの胸に仕舞い続けよう。
 甲陽は静かに目を伏せ、密かに誓ったのだった。



⇒あとがき
 が ん ば っ た !
 一日に二話書きました。今回はシリアスです。
 ちょっとファイ夢っぽくもなってきましたよね!
 黒鋼ばっかり目立ってる気が否めなかったので、ちょっと満足です。
 日本国編、残り二話を予定しております。頑張れ!私。
20060320 カズイ
20110704 加筆修正
res

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