31.美しき剣舞

 風呂上り、晶に用意されたのは浴衣と胴着だった。
 麻里亜はサクラの浴衣の着付けを手伝った後、すぐに自分は胴着へと着替えて道場の方へと向かった。
 約束の時間には少し早いが道場へ辿り着いた麻里亜は扉を前にしてふと足を止めた。
 元々水梨道場は武道を極めるために作られた道場ではなかった。
 山の中腹を中心に暮らしている者たち―――甲賀の忍のためにと水梨の当時の主が作ったものだ。
 遥か昔、甲賀の忍の一人が水梨家の当主に忠誠を誓ったことから始まった両者の関係は数百年の時を超えた現代でも続いている。
 表向き水梨が甲賀を守り、裏では甲賀が水梨を守る。
 それ故にあの山は水梨家の人間以外が立ち入れぬようにされている。
 麻里亜が十歳になる頃、水梨家に漸く男児が生まれた。だから麻里亜はこの家を継がなくて良くなった。
 いや、違う。生まれた時から麻里亜がこの家を継ぐことは決してなかったのだ。
 片死双の水梨。
 小さな麻里亜は決して知ることのない水梨家が抱え続ける永遠の闇。
 訪れて初めて知る真実。
 麻里亜は脳裏に過ったそれらに目を伏せ、小さく笑みを零した。
 だからこそ麻里亜は勉強だなんだと言い訳を述べなくても従兄弟たちのように稽古を休めたのだ。
 麻里亜の記憶よりも綺麗な扉をそっと撫でた。
「入らないのー?」
「ぅえ!?」
 背後から声を掛けられ、麻里亜は思わず振り返った。
 振り返った先。眼前に飛び込んできたのは唇だった。
「ふぁ、ファイさん!?」
「キス」
「え?」
 妙に真剣な顔をしたファイに麻里亜の心臓がドキッと跳ねた。
「しそうだったねー」
 だがそれはへらんといつものような笑みに変わり、麻里亜はほっと胸を撫で下ろしたものの、言われた言葉に赤面してしまった。
「でもまた叩かれたらイヤだから今度ね?……約束だよ、麻里亜ちゃん」
 そっと耳元に囁かれた最後の言葉に、麻里亜は口元を押さえた。
「(鼻血ものだよ!!)」
 口を塞いでいなければその本音は口をついて出てきてしまっていたところだろう。
 麻里亜が一人混乱していると、ファイの身体が突然麻里亜から離れた。
 ファイ自身が離れたのではなく、黒鋼がファイの襟首を掴んで引き離したのだと麻里亜が気付いたのは数拍遅れてからである。
「黒鋼さん。……あ、浴衣だ」
 よく見ればファイも同様に浴衣を着ている。
 黒鋼はわかるが、ファイはよく着こなせたものだと思わず感心してしまった。
「俺のはヨネさんが着せてくれたんだよー」
 へらりと笑いながら麻里亜の心情を察したかのような回答に麻里亜は納得した。
 恐らく小狼は見様見真似で自分で着付け、黒鋼は自分で着つけたのだろう。
 簡単にそれらが頭に浮かび、くすくすと笑った。
「とっとと入れ」
 眉を寄せる黒鋼が笑う麻里亜を睨みながら言った。
「あ、はい」
 その気迫にしゃんと背を伸ばし、麻里亜は道場の中へと足を踏み入れた。
「失礼します」
 深々と頭を下げ、道場へと足を踏み入れた麻里亜が見慣れた道場に一瞬目を奪われながらも神棚へと向かって歩き出した。
 麻里亜の知る道場とこの道場の違いはこの三社造りの神棚の前にある小さな箱の中身くらいかもしれない。
「此の神床に坐す掛けまくも畏き天照大御神産土大神等の大前を拝み奉りて恐み恐みも白さく大神等の広き厚き御恵を辱み奉り高き尊き神教のまにまに直き正しき真心もちて誠の道に違ふことなく負ひ持つ業に励ましめ給ひ家門高く身健に世のため人のために尽さしめ給へと恐み恐みも白す」
「……呪文?」
「神棚拝詞と言って……まあ、本家の人間だけがやればいいんで、ファイさんたちは二礼二拍手一礼で問題ありませんから」
「に、にれ……?」
「えっと、二度神棚に礼、頭を下げて、二回拍手。それからもう一度頭を下げます」
 麻里亜は説明をしながらファイにゆっくりと動作を見せるその横で、黒鋼が見様見真似で神棚に礼をした。
 ファイもそれで合点がいったのか同様に見様見真似の二礼二拍手一礼をしてみせた。
「いやぁ関心関心」
「っ!?」
 いつの間に道場に現れたのか、麻里亜たちの背後でにこにこと笑うのは甲陽だった。
 どうして今日は突然何度も驚かされなくてはいけないのだろうと麻里亜はバクバクと揺れる心臓を押さえた。
「麻里亜を驚かすな」
 ごすっと隆明が甲陽の頭に手刀を落とした。
 反対の手に持つ刀に斬られなかっただけマシだろう。
「ん?……刀?」
 刀→現在地日本→日本の法律→銃刀法違反。
 ぽんぽんと麻里亜の脳内に図式が浮かび、次第に麻里亜の顔が青ざめていった。
「お、お父さん!?」
「なんだ?」
「刀!!ここ日本!!銃砲刀剣類所持等取締法、略して銃刀法!」
「お、良く勉強してるな」
「ちっがう!」
「大丈夫大丈夫。ちゃんと合法だよ」
 のんきな隆明に突っ込んだ麻里亜の肩をぽんと叩き、甲陽は微笑んでそう言った。
 その笑顔が若干信じられず、麻里亜は隆明を見上げた。
「違法なのは全部あっちだ」
 そう言って示すのは、山の方角。
 ……確かに。
 思わずそう思った麻里亜は自分の思考に思わず突っ込みを入れた。
 忍なのだから、違法なものの一つや二つ……いや、数多くあるのだろうことは湊の言い分から麻里亜は理解していたのだった。

  *  *  *

 甲陽と隆明の二人は上座に、黒鋼とファイの二人は邪魔にならないように端の方に座っている。
 麻里亜が身体を慣らして甲陽と隆明の前に座ると、二人と麻里亜の間に先ほどの刀が置かれた。
 ガシャリと重みのある音は確かに真剣の物で、麻里亜は思わずぴんと背筋を伸ばしていた。
「そう緊張しなくていいよ」
「は、はい」
 甲陽が柔らかな笑みを浮かべるも、麻里亜の緊張は完全に解けることはかなった。
「今日は初日だし、ある程度腕は見せてもらうけど……」
 ちらりと甲陽は端の方に居る黒鋼とファイに視線を送った。
「その前にちょっと余興をしようかなーって思うんだ」
「余興、ですか?」
「そ。剣舞を見せてくれるかい?」
 それくらいできるよねと言うかのような爽やかな笑みに麻里亜は頬を引きつらせて目を逸らした。
 幼い頃から、それこそ小さな麻里亜の年の頃から何度も習ってきたのだから出来ないことはないだろう。
 だが自信がない。
 真剣をこうして出してきたと言う事はこれを使えと言う事だろう。
 模擬刀で演じたのももう数か月も前の話であり、模擬刀と真剣の違い等麻里亜自身この旅で黒鋼を傍で見てきたことでそれを感じている。
 剣舞とは言え真剣を扱う覚悟は麻里亜にはまだ足りないのだろう。
「麻里亜?」
 だが今は甲陽の笑みが怖い。
 麻里亜は襲いくる不安に迷いながらも真剣に手を伸ばした。
「演じさせていただきます」
「よろしい。その刀は水梨家の宝刀―――紅蓮だ」
「……紅蓮」
 柄を握り鞘から刀身をすらりと抜いてみれば鈍色の刀身が麻里亜の姿を映し出す。
 ずっしりと重たいと思っていた重さは感じられず、寧ろ羽根の様に軽いとさえ感じる。
 何故だろうと麻里亜は思いながら、ハバキから延びる刃紋をじっと切っ先まで見つめた。
 不思議と先ほどまで感じていた不安は一切なくなっていた。
 麻里亜は刀身を一度鞘に戻すと、甲陽と隆明の二人に頭を下げて道場の中央へと移動した。
 目を一度閉じると息を深呼吸を三度繰り返した。
 心音も緊張した様子はなく、穏やかな心音を奏でている。
 麻里亜は目を開けると、すらりと紅蓮の刀身を抜き、初めの構えを取った。
 そこへ自然と笛の音が届き、横目でちらりと視線を送れば隆明が笛を奏でているのが見えた。
 だがその意識は一瞬で剣舞へと移り、麻里亜はただゆるゆると動き出した。
 操り、操る。それは蝶の如く。
 清廉さの中に時折除く妖艶さ。それは少女の枠を飛び出した、一人の女の舞。
 艶美な動きは、着飾った蝶が舞い踊るように演じられる剣舞に男たちはただただ見惚れるばかりであった。

「―――黒鋼くん、ファイくん」

 そっと掛けられた声に二人ははっと我に返る。
 そこまで麻里亜の舞にのめり込んでいたと言う証拠だろう。
 麻里亜は初めて感じたであろう感覚の余韻に浸っているらしくこちらに気づいていない様子だ。
「後で話がある。今日は隆明に任せるつもりだからついてきてもらってもいいかな?」
「いいですよー」
「……わかった」
 二人はちらりとはっと我に返り隆明と話をしている麻里亜を見る。
 その様子に甲陽はくすりと笑い、同じように麻里亜を見つめた。
 甲陽は麻里亜が知っている側の人間だと言う事を知っている。
 それは凪から片死双の水梨家を知っていたと言う報告から確信はあったが、本当の意味で知っているかどうかは彼女自身を見ればよくわかった。
 麻里亜が生きる未来。
 そう遠くない未来。
 昔から覚悟していた未来。
 水梨甲陽と言う男はその未来に居ないのだと。



⇒あとがき
 前話から五ヶ月。その前からは七ヶ月ですか?
 本編は随分とご無沙汰な『異邦人』最新31話でした。
 スランプ脱出ー!と思いきや、再びスランプに陥ってしまい、大変ご迷惑をおかけしました。
 この後も序盤の頃のようにハイペースで掛ければなぁと思っております。
 オリジナルストーリーは難産続きですが、すでに折り返し地点なので、頑張ります。
 次回もお楽しみに!
20060320 カズイ
20101104 加筆修正
res

×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -