09.月の下の雫

 夕食を終えた麻里亜は、部屋に戻ったはいいがすることがなかった。
 散歩でもするかと、鍵とカード数枚と一緒に下宿屋をそっと出て近くの公園へと向かった。
 怪我をしているためか、遠くへ行く気にはなれなかった。
 ブランコを見つけ、それに腰を下ろしてため息をついた。
「……だめだなぁ……私」
 空に浮かんだ月と街の灯りと公園の照明が公園内を明るく照らし出していた。
 軽くブランコを揺らしながら、滲んだ目で足元の砂をじっと見つめた。
 本の中でしかありえなかった人物が目の前にいて、自分と根源が同じかもしれない人が側にいる。
 思い出すと喉をぎゅうっと摘まれた気分になる。
 だけど涙は出てこなかった。
 ただひたすらに落ち込むしか出来なかった。
 ふと、足元に影が差す。
「ちょっといいかな?」
 顔を上げれば、見知った顔があった。
 それは黒鋼でもファイでもない。
「あ、僕は月城雪兎って言うんだ。よろしくね」
 桃矢と一緒にバイトをしていた、雪兎だった。
「……水梨麻里亜です」
 そう言うと雪兎は目を丸くして驚きを表していた。
 苗字もどうやら一緒のようだ。
 今更言い直すわけにもいかず、麻里亜は口を噤んだ。
「すごい偶然だね。僕の友達にね、水梨麻里亜ちゃんって同姓同名の子がいるんだよ。……年は違うけどね」
 雪兎は麻里亜の隣のブランコに座り、語尾を付け足した。
「どうして月城さんはここに?」
「家に帰る途中で水梨さんを見つけたから、かな。……後、お店で見た時にちょっと気になって」
「でも別人です。……私とその人」
「うん知ってる。桃矢と……あ、もう一人の店員ね?彼と僕が看取ってる前で死んじゃったから」
 苦笑する雪兎に、麻里亜は目を見開いた。
「麻里亜は僕と桃矢の幼馴染でね。小さい頃から一緒に居るのが当たり前だったんだ」
「大切、だったんですね」
「うん」
 幼馴染。随分と近い場所に居れたんだと思うと、少しだけ救われた気がした。
「けど、高二のある日、突然倒れて……、突然の病気で、進行が異様に早くてすぐだったよ」
 思い出したのか、雪兎は目を細め、泣きそうに表情を歪めた。
「麻里亜が好きだった分、僕より桃矢はショックが大きかったんだと思う。だからあの時の麻里亜とそっくりな君に驚いた」
「え?」
 雪兎は今なんと言っただろう。
 好き?
 桃矢が、この世界の麻里亜を?
「幼馴染なんですよね?」
「うん。だから言えなかったんだと思う。……多分、二人とも」
 この世界の麻里亜が麻里亜と同じだと言うのなら、好きだったのかもしれない。
「……って、こんな話つまらないよね。ごめんね?」
「いいえ、楽しいって言うのは変ですね。……興味深い話でした」
「そっか、ならよかった。……あ、時間だ。危ないから麻里亜ちゃんも早く帰るんだよ?じゃあね」
 ひらひらと手を振って、慌てた様子で公園を出て行く雪兎に麻里亜は頭を下げた。
 そのまま顔を上げることが出来ず、そのまま俯いた。
 自分だけど、自分ではない。
 この世界の麻里亜に嫉妬する自分。
 あまりにもそれが滑稽で、笑いと共に涙が込み上げてきた。
「麻里亜ちゃん」
 耳に馴染み始めたファイの柔らかく優しい声。
 心配を掛けないように笑って顔を上げようと、麻里亜は涙を拭って顔を上げた。
「ファイ……さ、ん?」
―――フニ
 頬を引っ張られる感触に、麻里亜は笑うことを忘れてしまった。
「だめだよ?黒りんに言われたでしょー?」
「なひほ(なにを)?」
「無理に笑わないこと」
 手を離すと、ファイは麻里亜の頬を優しく撫でた。
 くすぐったさと、妙な照れに、麻里亜は頬が少し熱くなった気がした。
「小狼くんも心配してるよ?」
「すいません」
「まだ出会って一日しか経ってないけど、遠慮しないでいいんだよ?」
「でも……」
「泣きたかったら泣いていいし、笑いたくなかったら笑わなくていいんだよ」
 見透かされたような言葉に、涙が再び込み上げてきた。
「ふぇ……」
 とめどなく溢れ始める涙を覆い隠すように、暖かな温もりが麻里亜を包み込んだ。
 そっと抱きしめるようにファイの腕が背に回り、麻里亜の背を優しく撫でる。
 麻里亜はその行為を目を細めて受け入れた。
「私、色々怖いです」
「いろいろー?」
 嗚咽交じりの言葉にファイはからかいを含んだ口調で返した。
「乙女には色々あるんです!」
 ぐすっと鼻をすすり、ファイの胸にすがりついた。
 乙女である以前に腐女子だからと自分に言い聞かせてチャンスだとくっついておく。
 暖かいファイの鼓動に、麻里亜は目を細めた。
「巧断の夢も、私だけ見てないですから」
「え!?うそっ」
「本当です」
 ぷぅっと頬を膨らませながら言うと、ファイはあははと笑い、「ごめんね」と軽く謝った。
 ファイらしいが、気を使ってくれているのは背を撫でる手の感触でわかる。
「麻里亜ちゃんの巧断、なんだろうね」
「神威だといいな……空汰さんたちが……」
 喜んでくれる方の。
 ゆっくりと忍び寄ってきていた睡魔に負けて、麻里亜はファイの服に縋りついたまま目を閉じてしまった。

  *  *  *

「麻里亜ちゃん?」
 ファイは麻里亜に声を掛けたが、麻里亜は起きる気配がない。
「疲れちゃったんだね。お休み」
 そっと額に唇を落とし、ふと気づく。
 麻里亜の手がファイの服をぎゅっと掴んでいるのだ。
 無理矢理剥がしたら起きてしまうかもしれない。
 ファイは柔らかく微笑み、両腕に抱えて帰ることにした。
 公園から下宿させてもらっている家まではそう遠くなかった。寧ろ近い。
 ファイは階段を上り、麻里亜に割り当てられている部屋のドアノブに手を伸ばした。
「あ」
 しっかり鍵が掛っている。
 当然と言えば当然なのだろうが、
「困ったなぁ」
 と苦笑しながらファイは呟いた。
 ファイは諦めて隣の部屋の扉を開けた。
「ただいまー黒たん」
「だから変な呼び方するんじゃねぇ」
 怒ってはいるが、怒鳴りはしなかった。
「で、なんでそいつをつれてきたんだよ」
「玄関鍵掛ってたんだもん」
 ポケットの中に手入れたらセクハラでしょー?とファイはけらけら笑う。
 そんなファイに黒鋼はがくっと肩を落とした。
「もういい、俺は寝る」
 布団を被って、本気で居眠りモードに入った黒鋼にファイはぽつりと呟いた。
「つまんなーい」
 つまらなくていい。
 黒鋼はそう思いながら、無視を決め込んだ。
「あ、そーうだ」
 いそいそとファイは布団を黒鋼の布団に寄せ、黒鋼の傍に麻里亜の身体を横たえた。
 そして灯りを消して自分も布団に潜り込む。
 麻里亜がちょうどファイと黒鋼の間に来るように。
「おやすみ」
 うつぶせの状態でくすくす笑うファイに、黒鋼は怒りを必死に抑えて意識をゆっくりと沈めた。



⇒あとがき
 うきゃー。もーだめぇ〜……
 恥ずかしくて死んじゃう〜!!
 大の大人が乙女を挟んで川の字ですよ!?奥さん!(違っ!!)
20050316 カズイ
20070506 加筆修正
res

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