06.デート

「どこに行く?」
 棋院を出てしばらくして、宮内さんは不安そうにそう言った。
 その不安の意味がわからず、僕は首を傾げた。
「私、外食あまりしないからお店とか詳しくないんだけど……」
「僕もです。宮内さんははじめて行くお店は苦手ですか?」
「苦手じゃないけど……本当詳しくないのよ。女子高生らしいことってあんまりしないから」
 照れたように笑う彼女は、細い指で髪を耳に掛けながらそう語った。
「手合いの時はお弁当持参だし、院生の頃も他の人とあまり付き合いがなかったし……塔矢くんは?」
「僕は時々緒方さんたちと」
「そっか。じゃあお店は塔矢くんにお任せしようかな」
「はい」
 そう言われてどこか誇らしいような気持ちになったのはなぜだろう。

 結局向かったのは前に芦原さんと行ったことのある定食屋だった。
 注文を終えると、宮内さんは髪を鞄から取り出した輪ゴムで止めた。
 不思議そうに見ていると、宮内さんは「邪魔だから」と答えた。
「で、塔矢くんは何が聞きたいの?」
「棋譜を……宮内さんと父の一局を」
 聞いてもいいものかどうかわからなかったけれど、ずっと気になっていた僕は素直に聞いてみることにした。
 言われた宮内さんは少し悩んで目を伏せた。
 そしてぽつりぽつりと一手一手を口にし始めた。
 白と黒の攻防戦。それは宮内さんらしくない試合の流れのようにも感じた。
 そして僕が打った右上の攻防、最後の一手を口にし、宮内さんはゆっくりと顔をあげた。
「それが最初で最後の一手」
「最初で最後?」
「お待たせしました」
 給仕の女性が頼んでいた食事を運んできて、置いて行った。
 宮内さんは給仕の女性にありがとうと声を掛け、箸を手に取った。
「元々祖父―――塔矢さんの師でもある宮内新蔵と塔矢さんとの対局だったの」
「え?」
「どうしようか迷っていた祖父の邪魔をして私が打ったのよ」
 だから最初で最後の一手、と宮内さんは続けた。
 父は言っていた。これが彼女の最初の一手だと。
 あの続きを、と。
 父は彼女のその一手に答えを返すことなくその対局は終わったのだろう。
 プロでも悩む一手を選んで出した彼女の最初の一手に―――
「小さい頃のことってそう覚えているものじゃないでしょ?ましてや私、その当時三歳だったのよ?」
 くすくすと思いだすように笑う宮内さん。
「でもね、あの一手だけは鮮明に覚えているの」
 凛と伸びる背。キラキラと輝く勝負師の目。
「私が自分から囲碁を教えてって以外に初めて望んだの。次の一手を、って……だから、覚えてる」
 それは同時に別の感情を孕んでいた。
 僕はまだ知らない、だけど知っている。
 恋や愛。人がそう呼ぶ感情。
 目の前に居るのは自分なのに、彼女もまたその向こうに父の姿を見ている。
 宮内さんは父が好きなのだ。そう思うと僕は胸が苦しくなった。
「もう考えきれないくらいこの先を考え続けていたの。だから今とっても幸せなの」
 溢れだす想い。
「あの人と打てる。それが今は確かな現実になっているのもだの」
 それは僕もなんだろう。だから胸が苦しい。
 僕は彼女を好きになっていた。
 宮内さんが父を好きだとしても、僕は貴女が好きです。
 たぶんきっと、初めて見たあの瞬間から貴女に惹かれていました。
「……父との一局、僕も楽しみにしています」
 だから僕は見届けます。
 貴女と父の一局の結末を―――そして始まりを、僕は願います。



⇒あとがき
 お邪魔虫、ここでは入りませんでした。ちっ。
20070104 カズイ
20080716 加筆修正
res

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