05.鼓動
棋院のロビー。ソファの背もたれに身体を預けて座っている女性がいた。
僕より二つ年上で、父が今度対局の約束を取り付けた宮内里奈三段。
後姿でわかるのは、彼女のあの黒髪がやけに印象的だったからだろうか。
「宮内さん」
背後から声をかけ、ぽんと肩を叩く。
僕は別に驚かせるつもりはなかったのだけど、彼女はびくっと反応して顔をあげた。
「あ、すみません」
咄嗟に出て来た言葉に、彼女は振り返る。
「塔矢、くん?」
「あ、はい」
「やだ私ったら……」
宮内さんは顔をかあっと赤く染めて立ち上がった。
その時少しよろめいて、ソファに手を乗せる。
「えっと……もしかして、寝てました?」
そう言うと彼女は恥ずかしいのか顔をうつむけながらこくりと頷いた。
その表情にとくんと胸が高鳴るのを感じた。
「今日は普通に帰るつもりだったのに、嫌ね」
くすりと笑うと宮内さんは時計を確認する。
今日は対局じゃなくてただ用事で立ち寄っただけだ。対局はない。
何しろ今は女流本因坊戦の真っ最中、棋院はいつも以上に女流棋士たちが集まっている。
「あの」
「?」
「この後お暇なら一緒に食事でも行きませんか?」
その言葉を吐き出す時、喉がカラカラと渇いているのを感じた。
どうして僕はこんなに緊張しているんだろう。
「私と?」
「はい」
彼女はうーんと小さく唸り、また時計を見た。
「時間もあるし、私なんかでよければ」
ふわりと笑う宮内さん。
「じゃあ、行きましょうか」
僕は彼女と共に棋院を後にした。
他愛のない話を出て行った僕らを、宮内さんと同じく女流本因坊戦に参加するため棋院を訪れていた女流棋士が緒方さんに情報を回していたなどと気づかずに。
⇒あとがき
塔矢アキラ、デートに誘うの巻。
アキラってどう見ても恋愛経験値低ですね(笑)
お邪魔虫が本当に出るかは……知りません。←おい
20070104 カズイ
20080716 加筆修正
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