01.彼女の残影
(あれはアキラが一歳の頃だったか)
ふと、私は差し込んだ日の光に、ある少女を思い出した
小さく幼い、椿の花の描かれた着物を着てちょこんと大きな座布団の上に座る日本人形のような少女のことを。
今は亡き宮内先生の隣で、幼い少女はじっと盤上を見詰めていた。
ただじっと。
「……じじ」
不意に彼女は言葉を発した。
思えば初めて聞く声だ。
風鈴を鳴らすような高く澄んだ涼やか声。
耳に心地よい音色のような声だった。
「ここ」
宮内先生の頭を悩ませていた次の一手をあっさりと決めた。
それが彼女から見えた最初の光。
「里奈、お前さんは賢いなぁ。じゃがな、里奈。これはじじと塔矢の勝負じゃ。口を挟んじゃいかんぞ」
皺だらけの手ががしがしと少女の柔らかそうな髪を撫でる。
少女はくすぐったそうに身をよじった。
「彼女はいつも碁を見ているのですか?」
「ああ。……わしに似たのか遊ぶよりも碁盤に向かっておる」
がははと笑う先生を無視して、少女は碁石を握り、それを置いた。
それはさきほど"ここ"と差した場所だった。
「里奈はしょうがないのう……。塔矢。この勝負はまた今度じゃな」
「そうですね」
少女はじっと待つ。
私の一手を―――
* * *
「偶然か……」
そう、偶然だのはずだ。
あの日の彼女の一手。
それを今アキラが置いたこと。
それが本当に偶然なのだろうか。
「父さん?」
「いや……少し、懐かしい一手だと思ってな」
「?……この一手が、ですか?」
アキラは首を傾げる。
そう珍しくはないが、多い手でもない。
記憶が間違い出なければ、アキラはプロとなった彼女と一手も交わしていないはずだ。
宮内先生が亡くなってから彼女とは完全に疎遠になった。
「この一手……前に人が打っていたのを見たんです」
「……宮内里奈三段か?」
「あ、はい。……ご存知だったんですか?」
「……彼女が私にはじめて打った手だ」
懐かしいものだ。
あの幼かった少女を彼女が院生の頃に一度見かけた。
面影は僅かだったが、すぐに分った。
あの一手の後、次を待つあの目。
その目はまったく変わっていなかった。
次の一手を、彼女の目はそう言っているように待っていた。
だが、あの日も昔も私がそれに応える事はなかった。
それ以降に会ったのは彼女がプロになってからの一回、後はお互いがお互いにその存在を知っている程度と言う実に異質な話である。
「彼女と打つのもいいかもしれないな」
ぽつりと思わず零す。
今の彼女がどれほどのものか判らないが、彼女と一戦交えてみたいと思った。
「宮内三段と、ですか?」
「ああ」
あの目は、他の挑戦者たちと違う。
「あの一局……あの続きを」
石を取り、次の手を待つあの目。
里奈。
あの時私が次の一手を打てば、君はどう返すつもりだったのだろう……
胸に過ぎるはどこか温かい想いだった。
恋とは違うだろう。だがひどく類似しているかもしれない。
……とにかく、後で棋院に聞いてみよう。
彼女の連絡先を。彼女と今度こそ一対一の一戦を交えるために。
⇒あとがき
これは過去に携帯の隠しページで連載していた作品です。
まぁ中途半端な話ですが、まさかの行洋優勢な塔矢親子夢です。
……自分でも何してるんだとは思ってますがね。
20070104 カズイ
20080715 加筆修正
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