□忘れる事無き二文字 後編

 その日ルルーシュは待ちに待った藤堂の授業に顔を出していた。
 いつものように淡々としているがよく通る声の講義を一言でも逃さないよう耳に入れながら彼の一挙一動をじっと見つめる。
 まるで恋する乙女のような己の行動を自覚していても表情には一切出さず、ルルーシュは60分の講義の間中ずっと机の上に両手を置いていた。
 だが手元にノートは存在しない。
 藤堂の言葉はすべて耳に入れるようにして、帰ってから聞いた講義をまとめている。
 レポートを書かせたらおそらくこの日本古典文学史を受講している生徒の誰よりも上等なレポートを提出できる自信があるほどだ。
 だがそれは出来ない。
 彼は自分のことすら覚えていない大学部の一教授にすぎないのだから―――

「―――ルルーシュ・ランペルージ」

 突然呼ばれた名が自分のものであると気づくまでに思わぬ時間を要してしまった。
 誰のことだろうと視線をさまよわせる生徒たちの中、ルルーシュは慌てて立ち上がった。
「更級日記の書名にある"更級"は何に由来しているか知っているか?」
「はい。"更級"の由来には諸説がありますが、日記の終わり近くに「月もいでて闇に暮れたる姥捨に何とて今宵たづね来つらむ」とあります。これは古今集巻17にある「わが心慰めかねつ更級や姥捨山に照る月を見て」を踏まえています。そこから作者の夫の任地が信濃の国の更級の近くでもあったことを掛けておそらく後の人がつけたのではないかとされています」
「よろしい」
 迷いなく答えたルルーシュに生徒たちは感嘆のため息とともに賛辞の拍手を送った。
「他には作者自身を"をばすて"と―――」
 続く藤堂の言葉を聞きながらルルーシュはすとんと椅子に座り直した。
 「よろしい」と言った瞬間の僅かな笑みがルルーシュの胸の鼓動を一気に高まらせていた。

  *  *  *

「ルルーシュ・ランペルージ」
 いつものように授業が終わると同時に立ちあがったルルーシュを藤堂は呼びとめた。
 理事長から高等部の学生なのだと聞かされたときに藤堂はようやく自分が彼(彼女だったが)に興味を示したのかが理解できた。
 そして思い出した。出会いと別れと、約束を。
「すまないが残ってもらえないだろうか」
 藤堂の言葉に立ちあがった姿勢のまま硬直していたルルーシュは少しの間を置いてこくりと頷いた。
 興味があるのかルルーシュに視線をよこしながらも教室を去っていく。
 それに比べれば朝比奈は堂々としたもので、参考書やノートを片手にいつものように教壇の方へと階段を下りていく。
「朝比奈、千葉と卜部に研究室の掃除はまた明日だと伝えてくれ」
「ええ!?」
「仙波には伝えてある。頼んだぞ」
「はぁい」
 残念だとでも言うように肩を落としながら朝比奈は藤堂の指示に従うべくこの時間は違う講義に顔を出している千葉と所在不明な卜部を探して歩き出した。
「場所を変えよう。いいかな?」
 戸惑いがちにこくりと頷いたルルーシュを見て、藤堂は荷物を纏めて歩き出した。

 身長が高く少年を装っているとはいえ少女である彼女の歩幅を気にしていつもよりは少しゆっくりと歩き、藤堂が向かったのは自分の研究室である。
 授業が行われている棟と違い、研究室がある棟は人気が少なく人が募り始めるにはまだ時間が早かった。
 もっと別の場所にすればよかっただろうかと研究室の扉に手を掛けながら藤堂は思ったが、所詮人に聞かれては困る話をするつもりなので学食やカフェテラスは最初から論外だったのだからと自身に言い聞かせた。
 扉を開ければ整理するために本棚から出して積み上げられた本が山のように乗せられた机と、半分空になっている本棚。そして普段の定位置に置かれた自分の分を含めた五つの椅子があった。
 それとは別に壁に立てかけていたパイプ椅子を取り出し、ルルーシュのために用意する。
「座ってくれ」
「はい。では、失礼して」
 そう言って座ったルルーシュの動作は確かに少年のそれだ。
 だが藤堂はルルーシュが少年ではなく少女だと言うことを知っている。それ以外のことも。
 どう切り出すべきか考えた藤堂はため息を一つ吐いてからもう一つ出したパイプ椅子に座った。
「まず、久しぶりと言うべきか?」
 悩んだ上でそう切り出すと、ルルーシュは目を丸く見開かせた。
「覚えて……?」
「いや。理事長に君が男子生徒ではなく女子生徒だと言うこととルルーシュと言う名を聞いて思い出した」
「そうですか」
 ルルーシュは無表情だが、寂しそうな声で返答を返した。
 その声音に気づかず、藤堂は言葉を続けた。
「だからこそ問う。何故君はここに居る。ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア」
 まっすぐ向けられた藤堂の眼差しを受け、ルルーシュはすっと皇族の顔へと表情を変えた。
「私がブリタニア人の学校へ通っているのはおかしいですか?他の皇族だって普通に学校に通うものはいます」
「知っている。だが俺の知っているルルーシュ・ヴィ・ブリタニアはブリタニア本国に居るはずだ。―――皇帝の命によって」
 日本と違い、皇族が、皇帝がすべての長に立つブリタニアではたとえルルーシュが皇女であろうと皇帝の命は誰の命よりも優先すべき最高順位のものである。
 本人の意思などそこにあってはいけないのだと言う。
「確かに、私は皇帝の命で本国に戻りました」
「だったら何故また日本に居る」
「……本国に戻った私は、離宮で鳥籠の鳥のような日々を送った。外に出ることを許されず、離宮の中でさえ一人でいられる場所は限られてしまった」
 思い出すように語るルルーシュは窓の外へ視線を向けた。
「美しい庭に出ることさえも許されない……空を飛ぶ鳥を羨むことを通り越し、妬ましく思うようになりましたよ」
「だが少なくとも君の命があの時のように脅かされることはない。―――君は日本(ここ)に来てはいけなかった」
 表情を歪ませたルルーシュを見ないふりをして藤堂は言った。
「私は!……っ」
 突然ルルーシュが声を荒げて立ち上がった。
 だがルルーシュはぐっと言葉を飲み込み、強く握った拳を下ろした。
「……いいです。結局、藤堂さんにとってあの言葉は私を憐れんだ言葉だったんですね」
 空虚な笑みに藤堂は漸く自分の発言の愚かさに気づいた。
 出会いも別れも約束も思い出したと言うのに。
「私は一日だって忘れたことなんて……なかったのに」
 ルルーシュの目から涙が溢れ出し、藤堂はルルーシュの身体を咄嗟に包み込むようにして抱き締めた。
「いやです!離してください!!」
 泣きながらもがくルルーシュに藤堂は抱く腕を強くした。
「―――すまない」
 言葉を重ねてもきっともう届かないだろう。
 だけど、聞いてほしい。
「『あまつかぜ くものかよひぢ ふきとぢよ。……そう願うのは罪でしょうね』」
「それはっ……」
 別れの日、藤堂がルルーシュに告げた言葉だった。
「あの日君に言った言葉に偽りはない。だが、君を見送らねば、俺はあの時の犯人と同じような過ちを犯してしまう。だからわざと下の句を口にしなかった」
「過ちって……あれは単に私が勝手に一人で藤堂さんの所に行ったからいけなかったんです。護衛も付けず一人で」
「宮司から電話があった時に君を迎えに行けばよかった。そうすれば……」
「やめてください!そんなに藤堂さんが思いつめる必要はないんです。私が軽率な行動を取ったから……私の所為です!」
「だがそうさせたのは俺だろう?」
「……それは」
「あの頃の君は子どもで、俺はすでに大人だった。君の恋情など最初から気づいていた。だが、それに気付かない振りをしていたらしい。あの事件がなければ気づくことさえできなかったかもしれない。でもあんな思いをするのはもう嫌だ。君が世界からいなくなるのかと思ったら目の前が真っ暗になった。あんな恐怖は初めてだった」
「藤堂さん……」
「一介の、しかも他国の大学教授にすぎない俺では、本国へ国のトップの命令で戻る君を見送ってしまえば二度と君に会うことはできないと判っていた。それでも俺は想いを封印して最後に一度だけ会おうと思った。それなのに君と来たら……」
 必死の表情で藤堂の服の袖を握り好きだと告げたルルーシュ。
 どれほどあの姿に心揺さぶられたことだろう。
「本心を言えば行かせたくなどなかった。だがそうしては君が困る。君には将来枢機卿の地位が約束されていたことを知っていたからな」
「それは私が皇帝の目に掛かっていたからで……他にも候補者がいましたよ」
「誰とも婚姻関係を結ばない枢機卿の地位ならば君を送り出せる……そう思わなければ君を浚ってどこかへ行ってしまったかもしれない」
「藤堂、さん……」
「もしも叶うなら、君をこのままこの腕に閉じ込めていたいと思う。それがどんなに許されないことであろうと、今の俺ならば言える。―――俺は君が、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが好きだ」
「……私も藤堂鏡志朗が好きです」
 ルルーシュの手が藤堂の背に回り、藤堂はほっと息を吐いた。
「俺は卑怯者だな。君が手の届かない存在に戻るのだと知っていたのにあんな言葉を吐いて、鳥籠に押しとどめて、君を苦しめ続けた」
「そんな事ありません。あの時の貴方の言葉が今日までの私をどれほど支えてくれたかわかりません。どうぞ下の句まで告げて私を貴方の元にとどまらせてください」
「……ありがとう」
 こんな自分勝手に君の未来を決めようとした自分を許してくれて。願いを聞き届けてくれて。
 少し距離を取り、藤堂は口元に笑みを浮かべて言った。
「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア皇女殿下」
「……はい?」
 藤堂の改まった口調にルルーシュは首をちょこんと傾げた。
「どうか愚かな私のために降嫁していただけないでしょうか」
「っ!?……もちろん、よろこんで!」
 涙目を浮かべたルルーシュは驚きに目を開き、そして幸せそうに微笑んだ。


「あまつかぜ くものかよひぢ ふきとぢよ をとめのすがた しばしとどめむ」

 ―――そこに隠された願うような好きの二文字。それは忘れる事無き二文字。



⇒あとがき
 えっらい長くなってしまいましたが、これにて本編分は終了です♪
 ちなみに作中で使用した更級日記はなんとなくわかっていただけたと思いますが、最後の句です。
 どこかで聞き覚えありますよね(笑)
 古今集に収録されている僧正遍昭の句、簡単に言えば百人一首の一つです。
 引き出しの中から小倉百人一首のしおりが出てきたんで丁度いいから使用してみました(笑)

 <通釈>空吹く風よ、雲の中の通路を拭いて閉じかくしてくれよ、天上の乙女の姿をしばしこの地上にとどめておきたいから。

 長らくお待たせしましたが、リクエストありがとうございました!(※)
20080701 カズイ
※本館でのリクエスト
res

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