□雨薫る夜
暗闇から手が伸びる。
それは血に濡れた真っ赤な手。
強烈な死の匂いが、匂いもしないのに感じられた。
背筋を冷たいものが走る。
誰か、誰か。
俺は手を伸ばす。
その手を取ってくれる人はもう居ない。
思わず泣きそうになった時、必ず目が覚めた。
* * *
「……ふぅ」
夜の闇の中、降り始めた雨に俺はため息をつく。
肩に掛けているのはゼロの仮面と服が入ったケース。
そう、ついさっきまで俺は黒の騎士団にいた。
会議が早く終わり、珍しくも授業に備えてクラブハウスに戻って休もう思ったのが間違いだったのか。
雨はそれほど長くは降らないだろう。
この七年の間に覚えた雨の匂いがした。
まだこの国がエリア11と呼ばれるよりも前、スザクが教えてくれた。
この匂いがする時の雨はすぐ止むのだと。
その時何故か不意に赤い手の悪夢を思い出した。
雨に僅かに濡れた所為も相まって背筋に悪寒が走る。
―――パシャパシャッ
水音が走る。
こんな時間に人か?と俺は音の方を見た。
道を明るく照らす光の下。雨に濡れる男が走っていた。
雨宿りをする俺をちらりと見て、急に足を止めた。
(しまった!)
俺は男の顔を知っていた。
ブリタニアの皇族に近い貴族。それも伯爵家の人間だ。
俺は同様を顔に出さず、なんだろうと言う顔をして首を傾げた。
男はゆっくりとこちらへと歩み寄り、隣へ立った。
長く一つに結わえていた長い髪はなく、しっぽを切り落としたような髪は懐かしい青銀。
綺麗な金糸を持つ兄の側に立つその姿を数度俺は見たことがあった。
名は確かロイド。アスプルンド家の長子だったはずだ。
継承権を持っていたと言ってもその地位の低かった俺など、まず人に興味が無いといった風のこの男が覚えているはずがない。
平常心を保てと自分に言い聞かせる。
ちらりと視線を向けると、じっとアイスブルーの瞳が俺を見ていた。
眼鏡越しの真直ぐな視線に、俺は一瞬怯む。
観察するようにじっと見つめられ、俺は耐えられずに目を逸らした。
するりと白い手が、俺の頬に伸ばされた。
水に濡れた手がひやりと冷たかった。
「ねぇ、君は"なに"?」
無理矢理目を合わさせられ、俺は眉を顰めた。
「どういう意味ですか?」
「僕って人間にあんまり興味ないんだよねぇ」
ぽつりと言う。
それが当たり前だったのだというように肩を竦める。
「けど、君と目があった瞬間、君に興味が湧いちゃったぁ。……ねぇ、なぁんで〜?」
子どもが新しい玩具を見つけたような、そんな感じで。
俺はなんと言葉を返すべきだろうと考える。
だが考えて言葉を発するよりも前に、唇が重ねられた。
あまりにも突然の出来事に俺は目を瞬かせた。
何故この男は俺に口付けた。
悪いが女に間違えられたことはこの年になってまでない。
では何故?
「……甘い」
唇が離れると、うっとりとした目と視線が絡む。
再び唇が重なり、口内に舌が侵入する。
嫌悪感はない。
心が落ち着いていくような不思議な感覚。
何故?
絡み合う舌。
俺はこの男を受け入れている。
何故?
「わからない」
荒い息の下、俺は答える。
再び重なる唇。
肩にかけていたケースは足元へと落ちた。
いつの間にか雨は止んでいた。
⇒あとがき
黒の皇子の続きを書くために書いたちょっと別設定な練習作品。
再会ではなく、何故かこれが出会い。
20070517 カズイ