04.夜空を見上げ、

 ただ見ているだけでよかった。
 生き物たちと触れ合って幸せそうに笑っている姿を見るだけで胸がほっこりとしたし、そんな瞬間が愛しくて、一緒に居ることのできる委員会の時間が大好きだった。
 だけどそんな彼女はもう居ない。今頃見も知らぬ男の隣で微笑んでいるのだろうかと思うと胸がきゅうっと締め付けられるように感じた。
「……チヨ」
 思わず紡いだ名前に目を伏せて、首を横に振った。
 想いを告げられなかったのは自分の心の弱さ故だ。
 好きになったのは二年生の時の話だと言うのに、今の今まで告げることの出来なかった想いは、重く踏みしめる雪のように八左ヱ門の胸の積もり積もっていた。
「竹谷」
 ふと呼ばれた名前にはっと顔を上げれば、背後に深い緑の制服に身を包んだ伊作の姿があった。
 この時期になっても就職活動に精を出しているように見えない伊作は、すでに就職先が決まっているのだろうと勘ぐっているのだが、当の本人は誰にもその進路を告げていない。
 思わず身構えた八左ヱ門に向け、伊作は安心させるかのように柔らかな笑みを浮かべた。
「少し話がしたいんだけど大丈夫かな?」
「別に平気ですけど……」
 飼育している動物や虫たちの餌やりは終わり、後は委員会顧問である木下に鍵を返せば今日の作業は終わりのため問題はない。
 しかし八左ヱ門と伊作の接点など、怪我の治療で医務室のお世話になった時以外にはほぼない。
 加えて最近生物委員会にチヨの代わりに加わることとなった美土里の、恐らくくのいちとしての美土里の傍にいつも居る忍たまだと思うと何故か居たたまれない気になってしまう。
 思わず反らしかけた視線だったが、八左ヱ門が反らすよりも先に留三郎の方が視線を反らしていた。
 その視線を追えば、雪を背負った山茶花の花が今日もきれいに咲いていた。
 冬になると飼育小屋の近くが寂しいからと、何代も前の先輩が育て始めて、代々生物委員で世話をしている冬に咲く花である。
「お好きなんですか?」
「まるで僕らのようじゃないかと思ってね」
「?」
 自嘲するかのような笑みを浮かべながらの言葉に八左ヱ門は意味が分からず眉間に皺を寄せたが、いつまでも待たせても悪いだろうと飼育小屋に施錠をした。
「……僕が二年生の時、ここで会ったんだ」
 目を細め、伊作は山茶花の方へと僅かに歩を進めた。
「彼女、山本先生に荒療治だって放りこまれた忍たまの敷地がよっぽど怖かったんだろうね。ここで泣いてたんだ」
「……美土里が、ですか?」
 伊作が態々八左ヱ門に話すくのたまと言えば、美土里くらいのものだから間違いはないだろう。
 しかしあの美土里が泣く?八左ヱ門にはどうにも想像できなかった。
 美土里といえば、留三郎に似た鋭い眼差しを持つ美しいくのたまだ。学級委員長と生物委員を兼任しながらもしっかりと仕事をこなす責任感の強い少女。
 くのたまであることが似合わなかったチヨと違い、くのたまらしいくのたまだという印象が八左ヱ門の中には強くあるのだ。
「今は大分治ったけど、あの頃の美土里は年の近い男の子が大の苦手でね……僕はたまたま女装の授業中で美土里が誤解したのがきっかけなんだけど、まあ仲良くなれたほうかな」
「二年の頃に忍たまいじめに来てましたよ?」
「それは山本先生の荒療治がすさまじかったからね」
 けらけらと伊作は笑った後、愛しげに山茶花に積もった雪を払った。
「美土里が笑うようになったのは留三郎の力が強いと思うよ。留三郎は本当そっくりだから」
「兄弟でも親戚でもないんですよね」
「あ、それは聞いてるんだ。うんそうだよ。留三郎と美土里は兄弟でもなんでもない。美土里の本当の兄は風魔流忍術学校の錫高野与四郎だよ」
「い゛!?」
「与四郎って成績良さそうだろう?実際良いらしくてさ、しかも小っちゃいころから。美土里としては自慢の兄だったみたいだけど、周りにはそう見えないもんでさ……うん」
 伊作はそれ以上言葉を紡がなかったが、なんとなく八左ヱ門にも想像はついた。
 八左ヱ門の級友である三郎は、い組の生徒を差し置き最上級生である六年生よりも優れている忍たまと言われている優秀な生徒だ。
 そんな三郎に嫉妬する生徒も少なからず居るわけで、きっと与四郎にもそんな存在が居たのだろう。
 与四郎は優秀すぎて手を出せない分、力の弱い妹にと対象に定められてしまったのだろう。
 八左ヱ門には想像するしかできないが、遠く離れた忍術学園に編入して荒療治を受けさせられるほどの屈辱は幼い彼女をさぞ苦しめたのだろう。
 思わずぎゅっと拳を握り伊作の足跡が残る雪をじっと見つめた。
「僕と留三郎をきっかけに、美土里は少しずつ歩みだす努力を始めた。でも二年生のある日に急によく笑うようになったんだ。なんでだと思う?」
「なんでって……俺、美土里と話したの最近ですよ?わかるわけないじゃないですか」
「うん、まあそうだろうね。僕も詳しく聞いたわけじゃないけど、その時竹谷は寝てたそうだから」
「?」
「二年生の時やたら深い落とし穴に落ちた後、寝なかった?」
「あー、そんなこともありましたね。なんか色々疲れてて面倒くさい寝ちまえ!ってそのまま寝ちゃったんすよ」
「多分その時だと思うんだけど、美土里はその時のことがきっかけでよく笑うようになったんだ」
「そのことがって……俺何もしてないと思うんですけど。あの時確か目が覚めたら部屋に居たし」
 あの時の二年生になってすぐに一人部屋になった八左ヱ門は何故自室で寝ているのだろうと不思議に首を傾げた。
 後日委員会の先輩に問うても、自分ではないとしか答えてくれず結局誰が運んでくれたかはわからず終いだった。
「運んだのは留三郎だよ。美土里が落とし穴に落ちてるから助けてあげてって言いに来たんだ。奇跡だと思ったね!」
「……奇跡っすか」
「うん。それだけ美土里は傷ついてたんだよ。……だからこれ以上傷つけないであげてくれるかな。竹谷が取り戻してくれた笑顔なんだよ?」
「……別に傷つけてなんて」
「ないって言える?“六年生と仲いいんだな”……だっけ?」
 言い淀んだ八左ヱ門を伊作が鋭い眼差しで睨んだ。
「!?……美土里から聞いたんですか?」
「美土里は自分からそういうこと言わないからね。聞き出したっていうのが正しいよ。美土里は気丈に振舞うのがうまいからわからないだろうけど、本当は泣き虫で臆病な普通の女の子なんだよ」
「っ」
 確かにそんな風に美土里を見たことはないが、それを他人に―――伊作から指摘されることに八左ヱ門は言葉を飲み込んだ。
 ふつふつと湧き上がる煮え切らない癖に熱い何かが腹の奥で燻っているようで表情を歪ませ、強く拳を握った。
「俺はっ……」
「―――中途半端な気持ちのままなら美土里に近づくな。これ以上彼女を傷つけるって言うなら僕たちが……ううん、僕が容赦しないよ。多分、尾浜や鉢屋も黙ってないだろうけど」
「……………」
 何も言えない八左ヱ門に答えはいらないとばかりに伊作は背を向けて歩き出してしまった。
 出ない答えに八左ヱ門は山茶花を見つめた。
 花言葉など八左ヱ門は興味がないが、冬休みに入る前にくノ一教室では花言葉も学ぶのだと知った孫次郎が美土里に問うていた。

“ひたむきな愛”
“理想の恋”
“愛嬌”
“謙虚”

 一つ一つ紡がれる言葉に、孫次郎は「美土里先輩すごい」と珍しく目を輝かせて褒めていた。
 一平は知識が増えることが苦ではないため、他にも知りたいと美土里に強請り、美土里は色々な花の名や言葉を並べていった。
 身近な花から見たこともない花の名前。美土里は花に詳しかった。
 虎若と三治郎が花以外も詳しいのかと、近くの野草について話を振っても軽く答えて見せ、たまに保健委員の手伝いをするからと薬草の話までし出して頭が若干混乱してしまったものの、美土里の知識の広さは理解できた。
 美土里はきっと努力家なのだろうと感じたのは、混乱する虎若と三治郎に大丈夫だと言い聞かせている姿を見てだっただろうか。
 あの一瞬、確かにくのたまらしい笑みではない優しい笑みに思わず目を奪われた。
 あの時は何かの間違いだと思ったが、チヨを想って抱く痛みよりも伊作に指摘されて燻る思いの方が強いの方が強いのは事実だと言えるだろう。
 だがそれを認められずに居た。
「俺は……中途半端だな」
 強く握っていた拳は手のひらの中にあった鍵の所為で傷つき血が滲んでいた。
 空を見上げれば、薄闇に包まれ始めた空に一番星が浮かび始めていた。


  *    *    *


「小松田さんまだ帰ってきてないみたいだね」
「そうみたいですね」
 学園の門が開いておらず、また夜という時間だったため、美土里とくのたま六年生の初江はそれを飛び越えて学園の敷地内に降り立った。
 入門書にサインをしていないと言うのに、マニュアル小僧である事務の小松田が現れないと言うことは、彼はまだ実家にいるのだろう。
 冬休みの終わり、三日前であるのだからそれは仕方ないことだ。
 申し訳ないが宿直の先生の元へ行き入門書のサインをすれば問題はないだろう。
 美土里がそう考えていると、初江がくるりと振り返って美土里に向き直った。
「サインと報告は私がしとくから、先に長屋に戻っていいよ」
「え?」
「初めてで気疲れしたでしょ?お疲れ様」
 くしゃりと僅かに背の低い初江は、美土里の頭を撫でるとにっと笑みを浮かべた。
「あの、でも、これは授業ですし」
「いいのいいの。初めての時は同行した上級生がするって暗黙のルールがあるし、美土里は心配せずに先にゆっくりおやすみ」
「でも……」
「私は委員会で徹夜は慣れてるから平気だよ。それに、報告終わったら委員会の手伝いしに行かなくちゃ」
 肩を竦めて苦笑する初江に美土里はぱちりと瞬きをした。
 初江はくのたまでも珍しい委員会に積極的に参加するうちの一人だ。
 積極的にと言うのが正しい表現かはわからないが、くのたまで唯一忍たまたちの予算会議にまで参加している強者である。
 さして美人ではないが、醜女でもない。成績は中の上と言ったところで、男勝りな性格をしているが、よく気が回り年が近いというのに母親のような存在である。
 美土里の母とは似ても似つかないが、美土里も初江を母親のようだと思うし、そう慕ってきた。
 今回の授業は初江の就職試験にも関わる授業であり、情報の質により初江がどこの城を受けても大丈夫かをくノ一教室の教師である山本が判断するのだ。
 本人は普段の成績が成績なので、いい城には就職できないだろうと言っていたが、それでも少しでもいい城に就職してほしいと精一杯頑張った。
 それを最後まで手助けしたかったのだが、おそらく結論をその場で聞くつもりなのだろう初江は笑って美土里の協力を断った。
 その表情はどこか穏やかで、美土里は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
「……それじゃあ、先に戻らせてもらいます」
「うん。じゃあ、また明日ね」
 初江は普段の明るい笑みを浮かべるとその場から瞬時に姿を消した。
 六年生と言う学年は非常に危ういのだろう。
 後数か月もすればぬくぬくとしたこの箱庭を飛び出して一人の世界になるのだ。
 兄の与四郎は錫高野を継ぐべく、父の下、新たな修行に励むのだろう。
 与四郎によく似た留三郎はこの冬休みが勝負だと言っていたが、無事に内定は決まっただろうか。
 伊作においてはタソガレドキ城の組頭が熱心にスカウトしているが、タソガレドキ以外に就職すると言っていたから大丈夫なのだろう。
 ふと空を見上げれば忍が嫌う月が淡く光り輝いていた。

(夜空を見上げ、未来を想う)



⇒あとがき
 この話は何回書き直したかよくわかりません。
 伊作との話が何度書いてもぐだぐだぐだぐだ……。
 ここだけの話、伊作の出番を留三郎にしてみたらなんだかお留になったんで気持ち悪くて削除しました。すまん留三郎。
20100831 初稿
20220904 修正
res

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