02 黒の皇子と銀の尻尾

 エリア11。
 僅か7年前まで"日本"と呼ばれていたその国はブリタニアの突然の武力行使によりその名へと変わることとなった。
 ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。
 その大地で殺されたその名を持っていた黒の皇子はすでに忘れられた亡き者。
 しかし彼は生きていた。
 ルルーシュ・ランペルージ。
 シンジュク租界にあるアッシュフォード学園にあるブリタニアの学生の一人として。


「……ふぅ」
 夜の闇の中、降り始めた雨に僅かに濡れた髪を掻き揚げルルーシュはため息をついた。
 租界とは言えこのような時間にルルーシュがこの場所にいるのには訳がある。

 ルルーシュの左目には「ギアス」と呼ばれるこの世の理から外れた力がある。
 与えたのは緑色の髪の魔女―――C.C.。
 "わかっていた"を言い訳の呪文にしていたあの頃とは違う。
 ルルーシュはその瞳を閉じ、そっと左目に触れた。

 濡れた肩に掛るのはゼロの仮面と衣装が入ったケース。
 日本を取り戻したいと願う反逆者たちを集めた正義の味方を語る「黒の騎士団」を作り出したテロリスト。 それがゼロであり、ゼロはルルーシュである。
 左目のギアスの力である絶対遵守の力を使い、どうにか私兵を作るまでに至ったのだ。
 妹ナナリーが幸せに生きれる世界。例え自分がどうなろうとそれだけは確保したいのだ。

 目を閉じたことでこの七年の間に覚えた雨の匂いが鼻をくすぐった。
 この大地がエリア11と呼ばれるよりも前、スザクが教えてくれた。
 この匂いがするときの雨はすぐ止むのだと。
 不思議な表現だと思っていたが、木陰で休みながら雨が止むのを目にしたとき、ああこの国はそうやって四つもある季節と暮らしているのだと思った。
 自分は随分狭い世界で生きてきたのだと現実を叩きつけられた。

 あの日からだ。
 "わかっていた"と諦めることをやめようと思ったのは。
 諦めて失ったものは大きくて、青い空を見上げるたび思い出すアイスブルーに時折泣きたくなる日もあった。
 ルルーシュの手の中で守るのはただ一人、妹・ナナリーだけ。
 何度も言い聞かせている言葉をもう一度呪文のように繰り返し、ルルーシュは目を開けた。

―――パシャパシャッ

 誰かが走っているのだろうか、地を濡らしている水が弾ける。
 排水溝の近くでも走っているのだろうか、水音が普通よりも大きい気がした。
 どこの馬鹿だと遠慮がちに灯る明かりを頼りに音の方を見た。
 雨に濡れながら走っていた白衣の男もこちらに気づいたようで、ふと視線を動かした。
 闇の中にあっても僅かな明かりで煌く銀糸。
 男は足を止め、心底驚いた顔でルルーシュを見ていた。

 遠くても分かる。あの懐かしいアイスブルー。
(ロイド!)
 思わず名前を呼んでしまいたくなった。
 だがそれをぐっと堪え、ルルーシュは平静を装った。

 一つに結わえていた長い髪はなく、尻尾を切り落としたような髪は懐かしい銀色。
 絡み合うアイスブルーの瞳がルルーシュを捉えて離さない。
 男は真直ぐにルルーシュに歩み寄る。
 そして信じられないと言うようにルルーシュの顔を見つめる。

「あの……なにか?」
 他人を装い、ルルーシュはそう言った。
 観察するように、眼鏡越しの真直ぐな視線がルルーシュを見つめる。
 無言のままするりと白い手がルルーシュの頬に伸ばされた。
「っ」
 水に濡れた手がひやりと冷たかった。

 表情がくしゃりと歪み、ルルーシュは胸が痛んだ。
 ロイドにこんな顔をさせたのは自分だ。だが言ってはならない。
 ルルーシュはぐっと言葉を堪え、不思議そうな表情を浮かべた。
「すみませんが、手を離していただけませんか?」
「……殿下っ」
 決心が弱ってしまいそうなほど、切なげに吐き出された言葉。
「生きて……」
 堪えていたものが溢れ出したのか、ロイドは涙を流した。
 とても静かに流れる涙に、ルルーシュの思考が思わず止まってしまった。
「生きてたぁ」
 何度も確かめるように触れる冷たい指先。
 ルルーシュはロイドの手に触れ、その手を離した。
「誰かとお間違えではありませんか?」
 何度自分は彼を傷つければいいのだ。
 会いたいと望んだ癖に。
「間違えてなんかないですよぉ」
 ロイドは涙を流しながら笑みを浮かべる。
 なぜそう笑える。
 どうして……
「そんな顔しないでください殿下」
 再び手が頬に伸ばされ、涙に濡れる瞳と視線が交わる。
「僕が殿下を見間違えるわけないじゃないですか〜」
 そっと伸ばされた手が目元をなぞる。
 ようやくルルーシュは自分が泣いていた事を知った。
 嘘など簡単に見破られるはずだ。
「あは。ますますマリアンヌ皇妃に似てきましたね〜」
 優しく撫でる手に目を細める。
 懐かしい彼独特の笑い方、懐かしい声。
 ルルーシュは耐え切れなくなり、ロイドに抱きついた。
 突然のルルーシュの行動にバランスを崩すことなく、ルルーシュを抱きとめた。
「ロイドっ……ロイド!」
 肩に掛けていた鞄が落ちたのも、びしょ濡れのロイドの服が冷たかろうと構わなかった。
 7年……いや、もっとずっと前から緊張を保ちつづけていた心の安寧。
 唯一の安らぎ。
 ルルーシュは溢れ出す涙を堪えることが出来なかった。

 皇族であろうと、友達のように接してくれるロイドが好きだった。
 僅かな時だったかもしれないけれど、ルルーシュはロイドに会えて変わった。
 ロイドもまたルルーシュに会って変わった。
 そんなことも知らない互いの空白は8年。
 短くあるようで、とても長い。苦悩の空白。

 ロイドは肩を振るわせるルルーシュの背にそっと手を伸ばし、優しく包み込む。
「ルルーシュ殿下」
 腕の中にすっぽりと収まる細い身体。
 ロイドの腰元に合った顔が今は胸の少し上まである。
 僅かな時間しか要られなかったからこそ、ロイドは涙に篭ったルルーシュの苦悩に胸が苦しくなった。
「傍にいます」
 ロイドは忘れていない。
 あの日、最後の二人の会話を一語一句。
「貴方の傍に。ルルーシュ殿下」
 ルルーシュの手を取り、口付けを落とした。
 口には出来なかった誓いを今度こそ。
「このロイド・アスプルンドを、何者でもない貴方の騎士に」
「俺にはその資格がない」
「ルルーシュ殿下ぁ、言ったでしょ〜?何者でもない貴方の騎士にって」
 ちゃんと聞いてましたぁ?と拗ねた様子さえ見せるロイドにルルーシュは自然と笑みへと表情を変えた。
「だったらロイドも"ルルーシュ殿下"と言うのをやめてくれ。俺はもう殿下じゃない」
「んー……だったら、我が君?」
「なんでもいいさ。名前を口にしないのなら」
「名前変わっちゃったんですかぁ?」
「変わってないからだ」
「ならよかった。ルルーシュって名前好きですからぁ」
 にっこりと笑うロイドに、ルルーシュの頬が赤く染まる。
「そ、そうか。その……見届け人もいないけれど、本当に俺の騎士になってくれるか?」
「もっちろーん!8年待ちましたから♪」
「そうだな。待たせたな」
 ルルーシュはぎゅっとロイドの手を握った。

「我が君?」
 首を傾げたロイドに、ルルーシュは全部言ってしまいたかった。
 だがロイドはブリタニアの軍に関わっているかもしれない。
 "白兜"と呼んでいる白いKMFに関わっていたら?
 カタカタと震えるルルーシュに気づき、ロイドは慌てて身体を離した。
「寒かったですか!?」
「違っ……」
 どう言えばいい?
 ルルーシュは何通りも考えてみるが、どれがいいのかわからなかった。
 ぐるぐると思考が回り、ロイドに縋っていないと倒れてしまいそうだ。
「傍にいてくれるか?」
「もちろん。さっきからそう言ってるじゃないですか」
「俺が―――」
 駄目だ。
 ぎゅっと目を閉じ、ルルーシュはロイドに抱きついた。
「我が君?」
「なんでもない」
「ロイド、修羅の道を……共に歩く覚悟があるのなら、明日、18時にここに来てくれ」
 首を傾げるロイドを突き放し、ルルーシュは鞄を取って背を向けた。
「……待っている」

 ロイドは何も言わずその背を向けてあるくルルーシュを目で追いかけた。
 その背が追ってくるなと言っているようで、追いかけられなかった。
 闇へと解けていったルルーシュ。
 けれど、生きていると言い聞かせた7年に比べれば短い。
 ロイドはぎゅっと拳を握り、雨の中また走り出した。

 背後に靡く銀の尻尾はありはしない。



⇒あとがき
 再会はしました。
 視点が途中で微妙に変わったりなんてして、読みづらかったらごめんなさい。
20070524 カズイ
res

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