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最近、夜眠ることができずにいる沢村は、夜中こっそり部屋を抜け出してグラウンドにいることが多くなった。原因は考えなくてもわかっていた。
「記憶喪失かー」
その呟きはなぜだか拗ねたように聞こえる。
秋が近づく夜は、風が冷たくて肌寒い。けれどその冷たさは逆に沢村を落ち着かせた。見上げると星が静かに主張していて、自分の心との違いにひどく寂しくなる。
「肩冷やすなって言っただろ」
響いた声に驚きつつも振りかえると、予想どおりの人物が立っていた。
「…大丈夫っすよ」
「大丈夫でも部屋に戻れバカ」
いつも通りの悪態。けれど沢村は噛みつかない。御幸はきっと前と同じように憎たらしい笑みを浮かべているのだろうが、沢村は顔を背けたまま御幸に答えた。
「あんたなんかよりマシだ」
「おいおい、それは」
「あんたはとっとと記憶戻せよっ…!」
「はぁ?なんでんなこと言われなきゃなんねーの?つか、記憶なくてももう困ってねーし」
そういう御幸は最初、名前も知らない人間に囲まれていて、自分が部長だということに戸惑っていた。けれどもそこは天才捕手。2週間もすれば馴染み、前のように悪態をつくまでになった。
練習試合でボールを頭に受けたものの、外傷はこぶとかすり傷で済んだため、長期入院にもならなかった。
「とりあえず部屋戻るぞ」
「一人で戻ればいいだろ」
「なにを拗ねてんだよ。別に不調ってわけでもねーだろ」
「拗ねてねぇよっ!」
御幸の言葉に図星をつかれ、声をあらげる。
御幸が悪くないのはわかっていても、沢村はそこまで大人にはなれない。
「拗ねてねぇならなんでいつも俺のこと見てるくせに、俺と目があったら背けんの?なんか言いたいことがあるんだろ」
「………ねぇよ」
「今の間はなんだよ」
御幸は沢村の右腕をつかんで立たせようとする。
「ほら、」
「……あんた、記憶なくなる前に誰かと付き合ってた?」
沢村の唐突な質問に、御幸はハテナを浮かべた。
子首をかしげる動作はさほど可愛くもない。
「なんでんなこと聞くの?つか覚えてねぇ。俺だれかと付き合ってたの?」
沢村はなにも答えない。ここで付き合っていたのは自分だ、などと言ったらきっと御幸を困らせてしまうと思ったからだ。口ではなんと言いながらも、沢村は御幸を好きでいる。だから早く思い出してほしいのだ。沢村は御幸との関係が記憶のひとつに左右されることが、ひどく情けなくて寂しかった。
「けどさ、こんな野球漬けの毎日で彼女とかできたって大変なだけだよな。相手なんてしてる暇ねぇし」
「……そうだな」
「沢村は…えーと、若菜?だっけ」
悪気のない御幸の言葉が、沢村を背中から刺す。痛みに動けなくなってうつ向くと、雫が垂れた。反応のない沢村を不思議に思い御幸が覗き込む。
「沢村?」
「…俺は、だれもすきじゃない…」
言い聞かせるように沢村が呟いた。
「え、なに」
「おやすみっ!」
御幸の声を待たずに、沢村は腕をはらってその場を足早に立ち去った。
ぼーっと外を眺めていると、不意に声をかけられて御幸が正面を向く。
「お前だろ」
「は?」
「あのバカ泣かしたの」
あぁ、沢村のことかと思い納得する。倉持は眉間にしわを寄せたまま、面白くなさそうにクラスを見渡した。
「泣いてたんだ?知らなかったわ」
「嘘つけ。あいつ朝目腫らしてブサイクになってたの知ってるだろ」
「俺のせいなの?」
「てめー以外に誰がいんだよ」
倉持の失礼な答えに苦笑をもらす。とは言ってもだ、御幸とてどうしたものか悩んでいるのだ。沢村の様子が変なことにだって気づいているし、目を腫らしていたのだって知っている。ただ、沢村はいくら問いただしても答えてはくれない。いつも拗ねたような、気づいて欲しそうな目をしてこちらを見つめるのに、いざ目があえば逸らされ、近づいていけば大抵逃げられる。
「もうとっとと思い出すしかないんじゃね?」
「そんなこといってもなー」
「まぁ、思い出してもまだお前がー…っと、ここからは俺が口挟むことじゃねぇな」
「え、なに。途中でやめるなよ、気になるだろ」
ちろ、壁にもたれ掛かっていた倉持が、呆れたような、バカにしたような目を向けてきて、御幸はなに?と表情で返した。
「まぁ、せいぜいがんばって思い出せ」
たまには悩め、なんて余計な一言を残して倉持は自分の席へと戻っていった。
「…この前からなんなんだよ、沢村も倉持も」
御幸の呟きは、クラスの話し声にかきけされた。
「もういっそのこと言っちゃえば?」
春市の提案に、沢村は首をかしげる。
「だっていつまでもうじうじするんだったら、言えばいいんじゃない?それがショックで思い出すかもしれないし」
「うぅ…春っちがつめたい」
「別に。ただ、それで振られたんなら諦めてさ。それでも好きならまた好きになってもらえるように頑張ればいいじゃん」
「確かに…、でも御幸は困ったりしない?」
「あの人、そんな優しくないじゃん」
「春っち!?」
さすが兄弟とでも言うのか、沢村は鳥肌の立った腕をさすりながら決意した。
「俺、言ってみる!」
「うん、がんばってね。泣きついても相手しないけど」
「春っち!?本当に春っち!?」
end
つづきますねぇ
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