さようならだね

差し出された右手は弱々しく、伏せられた睫毛は揺れていた。夏休みも終わりに近付く8月中旬、夕暮れはもう少し肌寒くなってしまっている。夏はだんだん離れてしまっているようだ。背中が冷える。

「どこか行くのか?」
「どこにも行かないよ」

穏やかに街を眺めるアフロディは目を離すと泡にでもなって消えそうなほど存在が不安定だ。思わず差し出されたままだった手を握る。消えてしまいそうで、ただそれが怖かったのだ。

アフロディは繋がった腕をみて優しく瞼を下ろした。形の良い唇は少し躊躇うように震えている

「どこにも」

やっと紡がれた言葉は細い腕と比例してか細かった。夏と共にアフロディも去ってしまうのではないかと思い、繋ぐ力を強める。そうしないときっと、アフロディはいなくなってしまうと予感したのだ

「アフロディ」
「ごめんね円堂くん」

何に対しての謝罪なのか、頭の良くない俺には分からない。分からないことがこんなに不安だとは知らなかった。下がる眉毛をみたアフロディも困ったように眉毛を下げる

「理由が欲しかっただけなんだ」
「理由?」

困った表情のままのアフロディは、離さないように力を込める俺の手に優しく力を込めた。唖然とする俺をみて今度はゆっくり息を吸った。

「手をね、繋ぎたかったんだ」

恥ずかしそうに俯くアフロディの手は震えている。力んでいた身体から気が抜ける。背中を押す風は冷たく強い。俺はすっかり気の抜けてしまった顔で情けない笑顔を浮かべた。アフロディの耳は真っ赤だったから、口元はもうすっかり緩んでしまっている

「…最近寒いよな」
「?うん」

顔を上げたアフロディは余程恥ずかしかったのかうっすら瞳が揺れている。不安そうな眉毛が愛しくて、俺も優しく腕に力を込める。

「寒いのは苦手なんだ、手を繋いで帰ってもいいか?」

瞳を大きくしたアフロディは嬉しそうに笑顔を浮かべて何度も頷いた。優しい気持ちで繋がれた手を抜ける風は少し冷たく、ゆっくり息を吸えば夏の匂いがした。


 
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