ちび守と軍人ミストレ
土地が枯れ、風が吹き荒ぶ大地で小さな泣き声がした。あちこちで灰色の煙と死臭が漂う中、その声はただ生を伝えていた。遠くでは狼の吠える声、放っておけば喰われるだろう。赤子は必死に生きる為に泣くが、それが死を招く事を知らない。
ザクザクと煉瓦が硝子などの破片を踏みながら声を辿ると、瓦礫の山から声がした。赤子は足音も聞こえないのかただ泣くだけだ。瓦礫を退かそうと伸ばした指を止めた。赤子に生きる術はない。もしここで生かした所で誰かに育てて貰わねばどうせ死ぬ。それに、赤子の面倒をみるなんてまっぴらごめんだ。飼えない犬は拾うな、これが正論だ。
しかしどうだ、少し汚れた白い手袋をした指は瓦礫をどかしていた。生きているものに敏感になっていたのかもしれない。諦めず泣く赤子に、戦場でもがく自分を重ねたのかもしれない。
瓦礫の下で奇跡的に生きていた赤子は土埃や瓦礫の埃で汚れているこそ、ほぼ無傷だった。目からは絶え間なく涙を流している。まだ髪もうっすらとしか生えていない額に手袋を外した指で触れた。暖かさがじわじわと伝わり、赤子も人肌を感じたからか泣き声を少しずつ落とした。
『おまえ、生きたいか?』
ゆっくり、ぎこちなく抱き上げると赤子は泣くのをやめて、俺の指を掴んだ。小さいのにしっかり力強く掴むその指に俺は静かに頷いた。生きたいと言った訳ではないのに、生かさなければならないと感じた。
『…守、か。』
潰れた家の表札にあった名前を確認して、テントがある場所へとゆっくり歩く。親は生きていないだろう、もはや家は家の形を保っておらず、守が生きていたのが奇跡だったからだ。この家だけでなく、この地域全体がもう形を保っていないのだから。
金網で覆われた軍の拠点テントの中に入ると、待っていたようにバダップが立っていた。会議をさぼったのだから仕方ない。バダップは俺の腕にいる守をみると目を大きくした。
『…なんだ、それは』
『知らないの?赤ん坊だよ』
『そういう意味ではない、なぜ赤ん坊を連れている。この地域の人間は殲滅するように言われている。』
『…赤ん坊なんだからいいだろう、俺の勝手さ』
『命令に反するぞ、ミストレ』
どう反論してやろうかと思考していると、バダップの痛い程の殺気に当てられた守が泣き出した。
戦場に不釣り合いな泣き声に殺気をあてたバダップが慌てたような表情をした。何事かと見にきたエスカバも赤ん坊の存在に驚いている。
『バダップが殺気飛ばすから、守が泣いちゃったじゃないか』
『!命令違反だ、処分しろ』
『じゃあバダップが処分してよ、この赤ん坊。俺は情が移っちゃったからさ』
『な!』
バダップに守を渡せば、俺以上にぎこちない腕が守を抱いた。また少しぐずる守にバダップは無意識に腕を揺らしている。いくら冷酷な鬼だと言われても根はこうなのだ。コイツが野良犬に餌をやっているのをみた事がある。こいつだって一応人間なのだ。
エスカバは赤ん坊を不慣れな手付きであやすバダップを冷や冷やした様子でみている。
『処分しないの?隊長サン』
『!…拾ったものは仕方がない、責任を持って育てろ。ミストレーネ・カルス』
バダップは守を俺に渡すとそそくさと部屋に戻って行った。つまり守は認められたという事だ。
『お前、赤ん坊育てた事あんのかよ』
『ない。でも、育てる自信はある』
俺は自分の指を守に握らせた。小さいのに暖かい身体は凍ってしまった部分を溶かしてしまうようで、俺は頬が緩むのを感じていた。バダップだって動揺の中で口角が上がっていた。拾う前までは否定的だったのに今はこんなに重い。これが命の温かみなのだろうか。
『…はあ、とにかく、まずは風呂に…やっぱ不安だから俺も行く』
エスカバは慣れた手付きで守を抱き上げると風呂場へ行った。面白くないが、エスカバはてきぱきと風呂に入れたり、赤ん坊でも食べられる飯を作った。どうやら昔経験したらしい。
『夜泣きするだろうから、ちゃんと起きろよ』
『はいはい、わかったよ』
エスカバは守の頬を撫でるとツカツカと部屋へ帰って行った。エスカバがツンデレとか、面白くもない。けれど今日ばかりはエスカバがいないと守が大変な目に遭っていたに違いないから感謝しよう。今日だけはね。
『…うー、あ!』
守は俺の三つ編みを握ると屈託のない笑みを浮かべた。
『ミストレって呼びな、ミストレ』
『あー!』
『ミ・ス・ト・レ…って、まだ無理か。』
少し固いベッドにありったけのタオルを置いて守を寝かせた。腹を撫でてやれば守は欠伸を一つ瞼を下ろす。そんな守をみて、俺も微睡みに落ちていく。
『おやすみ、守』
潰さないように潰さないように自分に言い聞かせて、守と眠りに落ちた。
(その花の名前)
2011.9/11
幼い守くんと軍人さんにはまってます。