サヨナラの明日
『見送りに行くから』
幼い頃、何校目かの学校でほんの少しだけ付き合いがあったとある子に言われた言葉。そんなことを言われたのはほぼ初めてで、とても嬉しかったことを覚えている。
『……さよなら』
風に乗せた言葉は誰もいないホームに消えていった。見送りに来ると言った子は結局来ないまま、痺れを切らした母に手を引かれその地を去った。
‐サヨナラの明日‐
懐かしさを感じる夢に、懐かしさだけでなくもやもやとしたものを覚えて目を覚ました。その夢の前にも何か別の夢を見た気がしたが思い出せそうにないので、気にしないことにした。ぼー、と辺りを見渡せば見慣れない部屋と窓から覗く見慣れない町並み。
「………」
(あぁ、今日から一年叔父さんの家でお世話になるんだっけ……俺、小さい子って苦手なんだよな)
昨日までの出来事を思い出してから布団を出て、軽く背伸びをし、準備を整えて居間へと降りていく。叔父さん――堂島遼太郎の姿は見えず、居間には叔父さんの一人娘である菜々子がデーブルを拭いていた。
「あ、おはよ。あさごはんできてるよ」
「おはよう……菜々子ちゃん、一人? お父さんは?」
そんなことを聞きながら椅子を引いて座る。目の前に小さな手で差し出される皿に乗ったトーストと目玉焼き。いただきますと言ってからトーストを囓る。
「ジケンだってさっき行っちゃった……いつものことだから。それよりも今日から学校だよね?」
目玉焼きを口に含んで、菜々子の質問に頷く。トーストの最後の一口を口に放って、ごちそうさまでしたの意味を込めて手を合わせる。
「とちゅうまでおんなじ道だからいっしょに行こ」
「うん」
「菜々子、にもつ取ってくるね」
部屋に消えていく菜々子の背中をみて、昔の自分が重なった。親の仕事に振り回される子供が覚えることは、しなくてもいい我慢。
(きっと菜々子も……)
菜々子がランドセルを背負って部屋から出てきたので、思考を中断し鞄を持って立ち上がる。菜々子を先に出して追うように外に出る。外は空が黒く厚い雲で覆われて、そこから落ちる大粒の雨がアスファルトをしとしとと叩いていた。
「菜々子ちゃん、学校は楽しい?」
並んで歩く小さな子供に朝からなんてことを聞くんだとも思った。けども菜々子は大して気にした様子もなく笑顔で答えてくれる。
「楽しいよ」
「そっか」
「学校嫌いなの?」
「あんまり、好きじゃないかな」
そう口にして脳裏に浮かんだのは前の学校のこと。友達と呼べる人間なんて一人もいなかった。
「どうして?」
学校は楽しいところだと思っている菜々子は不思議でしょうがないようだ。傘の向こうの瞳は純粋な興味を示していた。
「菜々子ちゃんは友達いる?」
「うん。いっぱいいるよ」
「俺には友達なんていなかったからさ」
分からないという顔で見上げてくる菜々子の頭を苦笑いを浮かべつつ撫でた。
「まだ菜々子ちゃんは知らなくてもいいんだよ」
「ふーん」
鮫川という川の堤防の上、菜々子は遠くに見える道を指差した。
「学校、あの道まっすぐだから」
そして背を返して逆の方向を指差す。
「わたしはこっち……じゃあね」
「……いってらっしゃい」
「うん」
菜々子が歩き出して進んでいくのを見送ってから学校を目指して歩き出した。学校に着くまでの間、色んな事を考えた。けど、どれにも答えなんか見つからなかったし、どうせなるようにしかならないという結論に達して、見えてきた校門をくぐって、職員室へと足を進めた。
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20120622
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