oneirodynia 3 目一杯足を踏ん張れば、どうにか扉の前で止まることが出来た。何処を通って、誰とすれ違ったかなんてまるで覚えていない。汗だけが思い出したかのようにじわり滲んでは、ぽたりぽたりと床を濡らした。 汗が気化して体温を奪うのと同時に、少しずつ頭も冷えていく。 彼を前にしても、こうも冷静でいられるだろうか。 あの光景がフラッシュバックする。額を滑る雫が、やけに冷たく感じられた。 扉に触れた右手が、震える。 「入れ」 どくりと、本当に心臓が跳ね上がった気さえした。思わず頭を上げたところで、その扉の向こう、声の主の姿は見えないけれど。 十日ぶりに聞く、彼の声。強い意志を持った声が、俺を呼ぶ。 あんたはいつだって、俺を導くんだ。 その声の呼ぶままに、ノブを回した。 「やっぱりお前か、カズ」 その身体は、包帯で覆い尽くされてまるでミイラ男のようではあったけれど。そう言って笑うその顔は、予想していたものよりもずっとずっと元気で。 「あぁ」 乾いた口内に舌が張り付いて、上手く声が出ない。その名を呼ぼうとしたのに、口から出たのは酷く掠れた声だった。 胸に穴は開いていない。真っ赤な血に塗れていない。半身を吹き飛ばしてなどいない。 目の前のスネークは、確かに生きている。 その眼には、確かに俺が映っている。 「カズ」 呼ばれるままに、一歩一歩、彼の元へ。 「…スネー、ク……」 漸く絞り出せた、情けないほどに小さな声。それに呼応するように、目の奥に溜まっていた熱い液体が溢れるのを感じた。それを見られたく無くて、ぎゅっとその傷だらけの背に腕を回し、肩に顔を埋める。 スネークはそれを咎めるでもなく、その優しくて強くて温かい手で、背を、頭をそっと撫でた。 ぴたりとくっついたその胸から、どくり、どくりと心臓の音。あぁ、彼は、スネークは生きている。 「…お前だったのか」 鼓膜を震わせる温かさが酷く心地いい。もっと、というように回した腕に力を込めれば、スネークは笑って。わしわしと頭を撫でるそれは、まるで子供をあやすような手つきだったけれど、彼の温かくて大きな手は、嫌いじゃない。 「…あんたが、死ぬ夢をみたんだ……」 嗚咽混じりの声は、スネークの耳に届いただろうか。 スネークは何も言わない。ただ、和平を抱く腕に、少しばかり力が込もる。 それだけで、今はもう満足だ。 なぁ、スネーク。あんたは強いから、あんたの隣に立つために、俺はもっともっと強くならなきゃいけないのに。 あんたのことを思うほど、どうしてだろう、弱くなっちまう。 俺にはやっぱり、覚悟なんて出来ないけれど。 それでもあんたは、こんなに弱い俺を抱きしめてくれるんだ。 肩に胸に、預けられたままの体が、ずしりと重みを増す。すうすうと微かに聞こえる規則正しい寝息に、思わず苦笑が漏れた。 「絶対安静の人間のうえで、普通寝るか?」 どうせ言っても聞こえてやしないだろうけれど。 眠っている割には固く固く抱きついて離れない腕をどうにか緩めて、圧し掛かったままの身体を僅かに起こさせる。 掛けっ放しのサングラスをとってやると、黒々とした隈。今回も恐らく、相当無理をさせたのだろう。 「…スネーク」 酷く小さな、掠れた声が呼ぶ。意識が無い中で聞こえた声と同じ、まるで怯えた子どもだ。 己の手に拙く絡められる指を、こちらからも強く握って。 「カズ、俺はここにいるぞ」 夢の中の彼には届いただろうか。緩く髪を撫でれば、すっとその表情が緩む。 一言、たった一言言ってやることが出来たら、彼の不安をどれほど拭うことが出来ただろう。 それすらも自分には、自分達には許されていない。己に出来るのはただ、戦うことだけ。 彼の悪夢が現実にならない様に。彼の元へ生きて帰るために戦うことだけ。 その悪夢を消し去ることなど、自分には出来ないけれど。 「…おやすみ、カズ……」 せめて今だけは、幸せな夢を祈ろう。 |