何となく違和感は感じていた。けれどそれがはっきりしたものに変わらなかったのは、木兎さんの態度がわかりやすすぎたせいだろう。

「ちょっと木兎さん! 花びらで滑って転んだりしないでくださいね!」
「へーきへーき!」

 新学期が始まり、制服に袖を通したばかりの新入生たちがまだ慣れない通学路を歩いている中、桜きれーだな! と生徒たちの間を縫って走り回る木兎さんは子供のように笑いながらはしゃいでいる。歳上だというのになんと落ち着きのないことだろう。何人かの生徒に不思議そうな瞳で見つめられながら「ごめんよ新入生、あれでもあの人最上級生だから……」と私は心の中で謝罪していた。いやもう本当騒がしくてすみません。
 確かに一年のうちで満開の桜を見られるのはほんの数日だけだけど、そこまではしゃぐものだろうか。なまえも早く来いよー! と数メートル先で手招きをされ、軽く呆れながらはいはい、と小走りで木兎さんの元へ向かう。
 本当、子供っぽい人。
 ふふ、という笑い声と一緒に思わず漏れ出た言葉に、私は慌てて口を塞いだ。あれ、今完全に声に出てたよね。聞かれてないといいんだけど……という私の思いも虚しく、木兎さんの瞳はしっかりと私を捉えていて。ばっちり、聞かれてしまったらしい。

「好きなくせに」

 そういうとこ含めた俺の全部。
 拗ねちゃったらどうしよう、なんて考えていた私の耳には全く予想していなかった言葉が届いて、驚いて顔を上げると悪戯っぽく笑う木兎さんがいた。そう、そうだ。子供っぽいところも全部含めて木兎さんが好きだ。それはずっと変わらない。当たり前のことだ。なのに何故、木兎さんの言葉がこんなに胸に刺さるのだろうか。この違和感は何だろう。
 そう、違和感は前々から感じていたのだ。それこそ、半年以上も。けれどそれがはっきりしたものに変わらなかったのは木兎さんの態度がわかりやすすぎたが故で、等身大で私に愛を伝えてきてくれる彼を不思議に思うことはなかった。
 けれど、その二文字が彼の口から紡がれた瞬間、今まで感じてきた小さな違和感の正体に気づいた。それがわざとなのか、無意識なのか、偶然なのかは私にはわからないけれど。そういえば、告白した時も同意の言葉で返されたんだったっけ。

「……もちろん、大好きですよ」

 私は木兎さんに「好き」だと言われたことが、一度も無かった。

***

「……どうかした?」

 スコアノートを開いたまま呆けて宙を見つめていた私は、その声に慌てて意識をはっきりとさせる。ぼうっとしすぎて赤葦くんが目の前に立っていたことすら気がつかなかったらしい。ボトルを握ったまま心配そうな顔をしている赤葦くんに「ごめん、ぼーっとしてただけ」と笑ってみせるが、「うそつき」と溜息を吐かれてしまった。

「どこからどう見ても落ち込んでるの、皆気づいてるよ」
「マジですか」
「気づいてないの、木兎さんくらいじゃないかな」

 豪快にスポドリを飲みながらさっきのスパイクがあーだこーだと大声で話している木兎さんを一瞥して赤葦くんが呆れたように肩を落とした。「いや、違うな。気付いていないというか、あれは……まぁいいや」と続けてまた私を見る。そんなにわかりやすく落ち込んでいたのだろうか。心配させてしまったことを詫びると、欲しいのは謝罪ではないと怒られた。そんなこと言われましても。

「……木兎さんに何かされた?」
「むしろされてないから落ち込んでいるというか」
「手を出してもらえないってこと?」
「いやそっちの意味じゃなくて! っていうかそんな話題でも相談に乗ってくれようとする赤葦くんにビックリなんだけど!?」
「恋愛相談はどんな内容がきても驚かないようにしてなきゃだから」

 一体彼は過去にどんな恋愛相談をされたというのだろう。非常に気になるところではあるが今聞いても答えてもらえないだろうから今度教えてもらうことにしよう。
 ほら、それで? と目で尋ねられる。前々から木兎さんのことについて相談し続けてきたから今更渋るようなこともないんだけど、内容が内容なため少し話しにくい。赤葦くんに話せば解決することなのかもしれないけど、何となく今回のことは自分で解決させなければならない気がした。まぁ、そんなこと目の前の彼は知ったこっちゃないみたいだけど。

「今更言いにくいこともないんじゃない」
「ご、ごもっともで」
「大丈夫、木兎さんが何をしていたって俺は二人のことを受け入れるよ」

 どんな覚悟だよ。
 赤葦くんの言葉に、ふと、数日前のことを思い出す。満開の桜の下で木兎さんが紡いだ「好き」の二文字は、あれから何度も聞くこととなった。しかしそれは私に想いを伝えるという用途で使われることはなく、むしろ、逆だ。全て「俺のこと、好きなんだろ?」という問いかけに使われ、その度に私は「好きです」と言わされた。……嘘ではないし言いたくて言っているのだから言わされた、は少し違う気もするけれど。
 何故、木兎さんは私に問いかけるのだろう。言葉がほしいのだろうか。そうであるなら、私はいつだって好きだと伝えるのに。
 ……そして何故、木兎さんは私に「好き」と、言ってくれないのだろうか。

「……『好き』って、言ってもらったことないなぁって」

 別に言葉が必要だなんて思っていないし、現に今までそれに気付かなかったくらい、木兎さんは態度で「好き」だと私に伝えてくれていた。だから不満はない。ただ、疑問があるだけだ。何故だろうか、と。
 窓の隙間から吹いてきた風に乗せて小さく呟くと、赤葦くんは澄ました顔で「ああ、やっぱりそれなんだ」と頷いた。いやちょっと待ってくださいよ、何ですかその予想付いてましたって反応。

「え、ご、ご存知で……?」
「うん、ごめん知ってる」
「ということはやはり木兎さんはわざと言わずにいるということでファイナルアンサー!?」
「ファイナルアンサー」

 なんということでしょう。赤葦くんが言うなら、それは本当のことなのだろう。何故赤葦くんがそれを知っているのか、なんて、木兎さん本人から聞いた以外に理由なんかないだろうし。私からも木兎さんからも同時に恋愛相談されているだなんて赤葦くん可愛そうだな、と他人事のように思いながら、私は徐々に顔を俯かせていった。自分で思っていたよりもショックだったらしい。まぁ、理由がどうであれわざと「好き」と言ってもらえないのだから落ち込んでも仕方がないことだけど。
 引きつった笑顔を見せながらも段々と沈んでいく私に、赤葦くんは困ったように笑いながら「大丈夫だよ」と私の肩を叩いた。

「木兎さんなりに頑張って思い出させようとしていただけだから、落ち込まないで」
「ど、どういうこと……?」
「えーっと、みょうじさんと木兎さんが付き合い始めてどれくらい?」
「……半年とちょっと、だね」
「付き合い始めた頃にした約束を思い出して、としか俺からは言えないんだけど」
「約束……?」

 約束、約束…………? どうしよう全く心当りがないぞ。赤葦くんは何のことを言っているんだ。
 明後日の方向へ目線をずらしながら頭を抱えて唸る。そもそも木兎さんと約束したこと自体片手で数えるほどしかないのだから、そんな重要な事ならすぐに思い出せるはずなんだけど。…………やっぱり、何度脳内検索しても覚えがない!

「まぁ、半年以上経ってれば細かい会話の内容なんて忘れてるよね」

 仕方ないよ。と赤葦くんは言っているが、"約束"を忘れるなんてことを仕方がないで済ませてはいけないんじゃないか。
 ちょっと待ってて! 記憶の引き出し全部ひっくり返してみるから! 赤葦くんに手のひらを突き出してもう一度これまでの木兎さんとの会話を思い出してみる。唐突にわけのわからないことを言い始めたり、変にハイテンションだったりと真面目な会話の少ない木兎さんとのやりとりは、思い出すだけでも楽しくなる。木兎さんと何気ない会話をするのが大好きだからこそ、その中でした約束ならどうしても思い出したいんだけど……だめだ! まったく記憶に無い! どういうこっちゃ!

「なんて最低な女なんだ私……」
「待って待って、そんなに落ち込むことじゃないから」
「全く思い出せそうにありません赤葦さん」
「うん、わかった」

 涙目になる私を見て赤葦くんが頷く。一体何が、と聞く前に「ところで前から気になってたんだけど」と突然話題を変え始めた。いやストップストップ約束の話はどこにすっ飛んだんだ。

「みょうじさんと木兎さんはもう半年以上付き合ってるわけだよね」
「え? う、うん、さっき言った通りだけど」
「付き合い始めて長いのに、どうしてまだ苗字で呼んでるのかなって」

 不思議に思ってさ。
 そういえば、そうだ。何となく気恥ずかしくてずっと木兎さんと呼び続けていたけど、恋人同士ならもう名前で呼び合ってもいいはずで……あれ? いつだかにそんな話を木兎さんとした気がするぞ。確か、私が木兎さんに告白して、返事を貰った直後……

 あ。

『恋人同士になったからには名前で呼び合わねーとな!』
『え、ええ……ちょっとまだ私にはハードル高いんですけど』
『何ーっ!? 呼んでくんなきゃなまえに好きって言ってやんねーぞ!』
『何ですかそれ! そのうち呼びますから今は許して下さいよ』
『絶対だからなー!』

「う、嘘……そういうこと?」

 私の小さな呟きに、赤葦くんは柔らかく笑って「そういうこと」と頷いた。
 した。確かにそんな会話を木兎さんとした。拗ねたように唇を尖らせていた木兎さんの顔が今でも鮮明に思い出せる。そう、思い出せるくらい印象には残っていた。いや、しかし。

「あれって約束になってたの……!?」
「え、わからないけど、木兎さんは『約束した!』って言ってたよ」

 マジですかい。
 絶対だぞ! と言われはしたけど、普通の会話として記憶に残していたから全く約束した気なんてなかった。けれども木兎さんの中ではそうなっていなかったようで、ずーっと、約束だと思っていた……らしい。「なら、その辺は勝手に勘違いしてるのかもね。みょうじさんの話を聞くようじゃ約束はしてないみたいだし」と赤葦くんは言うが、それでも約束だと思ってずっと待ってくれていたのかと思うと……心の何処かが少し痛んだ。

「確かに約束はしてないけど……木兎さんがあれを約束だと思ったなら、きっとそれは約束になってたんじゃないかな」
「みょうじさんがそう受け止めるなら、それでいいと思うよ。残りは……多分、意地みたいなものだと思うし。あの人意地っ張りだから。是が非でも名前を呼んでもらえるまでは言わない気だろうね」

 だから、呼んであげて。
 うん、ありがとうとお礼を言って、木葉さんに絡んでいる木兎さんを見る。鬱陶しそうに押しのけられた木兎さんと一瞬目が合うが、すぐに逸らされてしまった。けれど私と赤葦くんの会話の内容が気になるのか、そのまま何度かチラチラとこちらを見てはまた逸らす。……わっかりやすい人だなぁ。

「……意地っ張りな彼氏を持つと大変だね?」
「あはは……そうだね」

 でもそんな意地っ張りなところも含めて木兎さんが好きだからさ。
 私の言葉を聞いた赤葦くんは、少し呆れた、けれどどこか安心したように笑って「そういうのは木兎さんに直接伝えて」と私の背中を押した。

***

 数日前まで桜色に染まっていた道はすっかり緑を生い茂らせ、さわさわと風に揺れていた。桜という花は本当に散るのが早い。数日前は走り回るほどはしゃいでいた木兎さんも、緑に染まったこの道を寂しそうに見ながら「すっかり散ったなー」と私の横を歩いていた。

「今日、赤葦と何話してたんだ?」
「とりとめのない世間話ですよ」
「ふーん」

 自分から聞いてきたくせに随分淡白なお返事ですこと。
 道路の端に残っていた花びらを踏みながら、さてどうやって切り出そうかと悩む。約束のこと忘れていてごめんなさい。これからは光太郎さんって呼ばせて下さい。それだけ言えればここ数日抱えていたもやもやも、半年感じていた違和感も全てまるっと解決するわけだけど、言うタイミングがわからなければどう伝えればいいかもわからない。いつもの木兎さんみたいにドストレートに伝えられればいいんだけど、私に出来るかどうか。いやはや困った困った。

「明日久々に日曜で部活オフだろ? どっか行こ―ぜ!」
「あ、いいですね。滅多にデートなんかできませんし、行きましょう行きましょう」
「おう、約束な!」

 約束。微妙に強調されていたような気がする言葉に少し焦る。色々と解った後だと露骨に思い出させようとしているのがまるわかりだな! いっそはっきり言ってくれれば私だって思い出すのに!

「木兎さんって本当意地っ張りの頑固者ですよね」

 まぁ勿論覚えてなかった私も私ですけど。
 やー困った彼氏だなーとほとんど棒読みで微笑んでみせると、木兎さんも「そうだなー俺意地っ張りだからなー」と顔を綻ばせて笑った。
 
「けど、俺のそういうとこ全部好きだろ?」

 ちゃーんと俺は知ってる!
 もう何度聞いたかもわからない問いかけ。決して私には好きだと言わず、逆に好きだと言わせ続ける。本当、変に意地っ張りすぎて笑えてくる。こんな遠回しな行動を取らないで、いつもみたいにストレートに伝えてくれればそれで終わるのに。変な人。変で、面白くて、一緒にいるだけで楽しくて、愛おしくてたまらない人。
 そうか、だからこうして私に好きだと言わせて、気付かせようとしていたのか。

「はい。好きです、光太郎さん」

 全部ぜーんぶ好きですよ。
 木兎さんの身体が固まる。表情も驚いたまま固まっていて、正直写真に残したいくらい面白い。ぱちぱち、と瞬きだけを繰り返す木兎さんの表情は段々と崩れていき、顔を真っ赤にさせて泣きそうになったかと思えば、これ以上に嬉しそうな表情などないだろうと思わせるくらいに顔を輝かせて、笑った。

「……俺も、好き。すっげぇ好き! 大好きだ!」

 飛びつかれ、慌ててその大きな身体を受け止める。いつも以上に強い力で抱きしめられて苦しかったが、それ以上に木兎さんの「好き」という言葉で胸が締め付けられるように苦しくなって、「苦しいですよ」と言いながら木兎さんの胸に顔を埋めた。ああ、なんだこれ、苦しい。好き。好き。大好き。好きです。大好きです、光太郎さん。肺に空気が溜まりきって、苦しくて、息を吐き出す代わりに言葉を吐く。好き。吐き出す度に胸の苦しさは解けていって、けれどまた木兎さんが「ん、俺も、大好きだぞ」なんて言って私を抱きしめるから、また苦しくなってのエンドレスだ。苦しいのに、この上なく幸せで。思っていた以上に私は木兎さんからの好きという言葉を待ち望んでいたらしい。

「好き。好き、なまえ、好き」
「大好き、です、光太郎さん」
「……ちゅー、する?」
「……する」

 ごめん、俺名前呼ばれただけなのにちょっとコーフンしてる。そんな言葉とともに唇を塞がれて、息を吐き出すことも言葉を吐き出すこともできなくなった身体がまた苦しくなる。そうですね、木兎さん。多分私も、好きだって言われて興奮してるんだと思います。言葉は吐き出せなかったけど、ぎゅっと木兎さんの腕を握った手からそれが伝わっていることを信じよう。




「……そんなに名前で呼ばれるのって嬉しいものですか?」
「なまえからなら普通のことも全部特別になる!」
「名前呼ばれただけであんな幸せそうに笑う人初めてみましたよ」

 まぁ私も好きって言われて泣きそうになってたからどっちもどっちなのかな。
 道端で抱き合った上にキスまでしてしまった……と先程までの自分たちの行動に軽く反省と後悔を渦巻かせながら、木兎さんの腕の中から逃れようと身体を捻ってみるけど全く動けそうにない。あの、そろそろ人が通りかかってもおかしくないので離していただけませんかね。

「なまえ!」
「え、あ、はい」
「好きって言えねえのすっげー辛かったんだからなー!」

 そうですか、と答えようとした身体が物凄い力で抱きしめられ、慌てて木兎さんの背中を叩く。ちょ、ギブギブギブ! 彼女のこと絞め殺す気ですか! しかし私の行動は全く通用せず、むしろ力が更に強くなっている気がする。圧死しそうなんですけど木兎さん。
 これまでの木兎さんの行動を思い返す限り、木兎さんの言っていることは心からの本音だろう。じゃなきゃあんな誰が見てもわかるくらいの好き好きオーラ(言ってて恥ずかしくなってくるな)を発せられるわけがない。だから我慢せずに私に言ってくれればよかったのに。もう何でもいいけど。

「これからは今までの分も好きって言うからな!」
「え!? 結構です!」

 あ、やべ、つい反射的に答えてしまった。

「何で!?」
「だっ、だって光太郎さんに好きって言われると、なんかこう、あのー……とにかく良いです! 普通でいいです!」
「よくねぇだろ! 俺が言いたいだけだし! なまえ、好きだー!!」
「大声でやめてください!!」

 私を抱きしめたままくるくると木兎さんが回り出す。力が強い木兎さんだからこそできることだし落ちる心配もないけど、これもし人が通りかかったら確実にドン引きされますよ。リア充爆発の呪いをかけられること間違いなしですよ。っていうか回りすぎ、回りすぎ!!
 ……ああもう、困った人なんだから。ようやっと動きが止まり、緩んだ腕の中でため息と共に呟く。そんな私を見て、木兎さんはずっと繰り返してきた言葉を今までと同じように、けれど問いかけにしてはあまりにも自信に満ち溢れた声で言い、満足そうに笑った。

「でも、好きなんだろ?」

 ……もちろん大好きですよ、光太郎さん。



×××
木兎さんと名前

『木兎さんと恋人同士・文中に「でも、好きなんだろ」といれる』をお題に
半分以上赤葦くんとの会話で埋まってて何事かと思いました。

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