優が来るって言うから、わたしは家にいるにも関わらず厚着をして、サンダルをひっかけてベランダにでる。梅酒のお湯割をお供に。それで、待つのだ。イチョウの木の下から優の姿が現れるのを。

 夏は青々とした葉っぱがもっさりと茂っているイチョウの木は、秋になると黄色に色づいてすごく綺麗だ。肌寒くなってきてもその黄色を見るとなんだかぽかぽかとあったかくなってくる気さえする。(あくまで、そんな気がするだけだけど)
 そして優は、イチョウの落し物の銀杏を踏まないように慎重な足取りでやってくる。それがなんだか可愛くて好き。冬は葉っぱが散って、すかすかでちょっぴり寂しい気もするけれど、それでも優は変わらずわたしのところに来てくれる。いまみたいに、枝の隙間からこちらを見上げて、ちょっとだけ笑ってくれる。すんと鼻を鳴らしたら梅のにおいが鼻腔を擽った。わたしの頬が熱いのはお酒に弱いせいか、イチョウの下を通ってここにやって来るあの人のせいか、どちらだろう。


 部屋の中から物音がしたかと思うと背中が急にあったかくなる。後頭部になにかがごつんと少し強めに当てられて、「風邪ひくぞ」と体を震わせるような低音が右耳のすぐ傍で聞こえた。彼の警告を無視して「おかえり、お疲れさま」と労うと、少し間をおいてからただいまと小さい声が返ってきてどうしようもない幸福感に満たされた。
 ああ、いる、わたしのうしろに。臓器が震えるような寒さですっかり冷え切った手を、わたしのおなかにまわされている優の手に近づけるとぎゅっと包んでくれる。

「…冷たすぎ。いい加減、俺をベランダで待つのやめろよ」

 そういって笑う優の手だってそこそこ冷たいんですけど。言い返してみたものの、まあ普通に考えてみれば家にいたわたしが帰ってきたひとの手をあっためるべきなんだろうなあとこっそり思い直した。おかしいな、今日はあったかぁ〜い梅酒飲んでたから、わたしの計画ではお酒の効果もあいまって全身ぽかぽかで優を迎えていたはずなんだけど。

「ぽかぽかしてんのはお前の顔だけだな」
「ええ?」
「顔、赤くなってる。ガキみたい」
「うるさいなあ、これでもお酒も飲める立派なおとなです」
「こんなジュースみたいなの、酒でもなんでもないだろ」

 そう言ってわたしの手からグラスを取り上げてそれをぐいっと飲み干した優は「甘い」と呟いてから、わたしを部屋へずるずると引きずっていく。もうちょっと外にいたかったんだけど。そうしたら優、くっついてきてくれるし。
 ちょっと残念に思いながらおとなしくソファに運ばれ、シンクにグラスを置いて窓とカーテンを閉めてくれた優が隣にどかりと座って溜息を吐いた。疲れてるのに余計な仕事させちゃった。申し訳ない。

「今日もおつかれさま」
「ん。…まあ、別に疲れてないけど」
「依都さんに振り回された?」
「それはいつものことだな」

 優が疲れてないっていうならそうなんだろうけど、首をぐりぐりと回したり肩をもみほぐすような仕草をしてるっていうのは、やっぱり体は疲れてるってことなんだろう。彼のスケジュールを把握しているわけじゃないからわからないけれど、売れっこバンドのメンバーの一人なわけだし、わたしみたいな凡人には想像とつかない仕事の量をこなしてるんだろうなあ。お疲れさま。何回も言ったらしつこく思われるだろうから口にはださないけど、その気持ちを込めてそっと髪を撫でると一瞬驚いたように目を丸くさせてから、ふっと小さく笑って目を閉じた。

「なに。優しくしてくれんの」
「いっつも優しいでしょ」
「どーだか」

 背もたれに預けられていたシルバーの頭は、わたしの肩に滑ってきたかと思うとそのままぽすんと膝の上に落ちてきた。ひ、膝枕だ、これ。いつもはわたしがやらせてほしいって言ったってやらせてくれないのに、今日は優自ら乗ってきた。なんてことだ、そんなに疲れてるんだろうか。相変わらず目を閉じたままの優にどうしたものかと手の行き場をなくしながら固まっていたら、「もう終わり?」と片目だけ開けてわたしを見上げてくるものだから、はっと我に返って再び指先を彼の髪の中に挿し込んだ。

「どうしたの、優が膝枕なんて珍しい」
「…たまにはやられてみてもいいかなって思っただけ」
「そっか。わたしは嬉しいから全然いいんだけど」
「こういうのは男が喜ぶもんなんじゃないのか」
「うーん、そうかもしれないけど…わたしは、甘えてくれてるみたいで嬉しいって思うなあ」
「あまえる、か…」

 それから、暫しの沈黙。優は目をつむったままで、…寝ちゃったかな。わたしはと言えば、彼のために何かできないものかと考えを巡らせていた。でもわたしみたいな普通の人間にはこうやって彼の枕になったり、平凡な料理を作ったりマッサージしたりすることくらいしかできないしなあ。もうちょっと美人だったり可愛かったりしたら眼福にでもなれたのかもしれないけど。

「ね、優、起きてる?」
「何?」
「その、肩でも揉みましょうか」
「…眉間に皺寄せてると思ったらそんなこと考えてたのか。そんなこと、気にしなくていいから」
「ええ、そう…」
「ああ。それに、俺は揉まれる側じゃなくていいしな」
「…うん?」

 なんかいまさらりと意味深なことを言われた気がするんだけど、当の本人は再び目をつむって何事もなかったようにしてるので、突っ込もうにもなんとなく言い出すタイミングを失ってしまった。でも、その、も、揉まれる側って…いやいや、なにいってるの、なに、揉むって、なに。さっきの冷めた梅酒で酔ったんじゃないの。また顔が熱くなっていくのを感じて、空いた手で頬を覆って視線を移ろわせた。
 優がその発言をからかう意図があって言ったのかそうでないのかがよくわからない。後者だったら、なんかひとりで恥ずかしくなってばかみたいだ。落ち着こう。卵の賞味期限が迫っていることとか、ティッシュがもうすぐなくなりそうだとか、近くのドラッグストアが週末にポイント5倍デーだから買い物に行こう、そのときティッシュも買おうとか。そんなとりとめのないことをあれこれ考えて平常心を取り戻そうとしてたのに。

「どうした?顔、赤いけど」

 …なんて言いながら手を伸ばしてわたしの髪に指を絡める優は、ぱっちりと目を開けて意地の悪い笑みを浮かべながらわたしを見上げていた。ああ、あの発言は絶対わざとだったのだと合点がいって、落ち着きかけていた熱が再び戻ってきた。なんだか悔しい。いつもされてばかりだけど、今日は優に仕返ししてやる。そう普段なら思わないことを考えて、わたしの気を大きくさせたのはさっきのたった1杯のあったかい梅酒だろうか。
 意を決したわたしは、髪をいじっていた優の手をとって、その手のひらにちゅ、とキスをした。ど、どうだ。驚いたろ。こんなことしたことないもん、きっと、びっくりしたはず。わたしの突飛な行動は功を奏して、思惑通り優は驚いたように数度瞬きをして少し固まっていた。ふふん!参ったか!…なんて満足したのは一瞬で、たちまち己の奇行にやっはずかしくなって、口付けたそこを隠すように自分の頬にぴたりと押しつけた。まだひんやりと冷たさが残る優の手は、火照ったわたしの熱い頬にはとても気持ちがいいけれど、わたしの熱はそれくらいじゃ収まらないみたい。そしてその熱は、固まっていた優を解かしてしまったらしい。心なしか嬉しそうに目を細めている。

「なに、お前がそんなことするなんて珍しいな」
「…べ、べつに」
「俺的にはもっとしてほしいところだけど…ていうかお前、自分にキスしてどうすんだよ」
「え?」
「その手。そこじゃないだろ、こっち」

 そう言ってわたしの頬から離された彼の手のひらは、意地悪く弧を描いた口元に運ばれて、おそらくさっきわたしがキスを落としたところに彼もまたキスをしたのだった。その一連の流れはわたしには随分とゆっくりと、スローモーションのように見えて、心臓がどくんどくんと鳴る音を聞きながらぼんやりと見つめるばかりだった。ちゅ、とご丁寧にリップ音が残されたあと、わたしは思わずうわあと感嘆の声をあげた。

「キザすぎ?」
「…うんん、キザすぎ」
「だな。直接した方がいい」

 体を起こして、わたしの後頭部をちょっと乱暴に引き寄せて。リップを塗り忘れて少しかさついている唇を彼の舌がなぞってから、そっと重なる。離れてはもういっかい、とねだりねだられ段々と深くなっていくそれは、きっとわたしたちの夜が始まる合図だ。でもその前に、確認することがある。

「ちょ、っねえ優、ほんとうに、疲れてないの」

 半ば無理やりわたしと彼の間に自分の手を差し込んでキスをとめると、優は邪魔をするなと言わんばかりにわたしの指先に噛み付いた。ちょっと、痛い。

「疲れてない。それにお前がそんな可愛いことしてくれたのに応えないわけにはいかないだろ」

 そ、そりゃあ、応えてくれるのは嬉しいけどさあ。(そういう意図でやったわけではないけど)がじがじと相変わらずわたしの指先を甘噛みしていた優の犬歯がわたしの右の薬指の付け根、彼の刺青があるのと同じ場所に突き刺さる。痛いよ、と訴えれば痛くしてんだと返ってくる。特に意味はない、なんとなくだ、と。

「本当は左のここに、俺のもんだって印、つけてやりたいんだけど」

 それは、もう少し待ってて。
 わたしの手をどけて再び唇が重ねられる前に、そう言われた。シルバーの煌きがほしいだなんてそんな贅沢は言わない。そこに噛み痕でもつけておいてくれれば、わたしはそれでいいのに。

141218
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