イックシ!と自分の盛大なくしゃみで目が覚めた。ぐすっと鼻をすすりながら、そこを親指と人差し指でつまんでこねるみたいに揉む。顔のなかで一番飛び出ているそこはひんやりと冷たくなっている。というか、この部屋自体がキンキンに冷え切っていた。
 そんなに温度を下げていただろうかと、目も開かなければあくびも止まらない状態で、エアコンのリモコンを手探りで探す。ベッドのヘッドボード、ここにいつも置いてあるはずなんだけど、ない。自分の体の周り、寝てる間に操作してそのまま寝たとか…ない。窓とベッドの間…に落ちてたとしても寝ころんだままでは届くはずがないのに寝ぼけたままの私はその空間をぷらぷらと手で掻き混ぜるみたいに探した。リモコンはなかったけど、普段一緒に眠る相棒の、綿がたくさん詰まってふかふかの黒柴・コテツ(L)が隙間にはまっていた。いつの間にかこんなところに追いやってごめんね、と引っ張りあげて自分の体の上に乗せ、リモコンの捜索を続ける。次に、枕代わりにしてるクッションの下、ここにもない。えっと、他は。隣で頭からタオルケットを被って眠る男の枕の下に手を突っ込む。かつ、とジェルネイルで強化された爪が何かにあたる硬い音がした。あった。なんでこんなところに。

「……だんぼう…」

 眠気が乗っかって重たいまぶたをどうにか持ち上げ、一生懸命かっ開いた目に映るのは『暖房 温度21.0℃』の表示。…寝ぼけてたんだろうな。これにはエアコンもさぞ戸惑ったことだろうと思う。寒いのか暑いのかどっちなんだいと。というか、暖房でも21℃まで下げると目が覚めるくらいの寒さになるのだと知った。新たな知見を得たところで、冷房に切り替えて温度を25℃に設定しヘッドボードのいつもの場所に戻した。少し寒いくらいの部屋でタオルケットを肩までしっかりかぶる背徳感が心地いいのだ。人間は罪深い生き物なので。
 そもそも寝る前はしっかりタオルケットを被って、かつ恋人の腕の中いたはずなのに、いまとなっては隣ですぴすぴ寝てるイザナの腕の中にタオルケットのほとんどが抱き込められていて、抱くもの間違ってませんかあと口を尖らせたい気分だった。
 恋人の温もりもタオルケットのあたたかさも失って寒えるなんて、かわいそうな私…と自分を哀れみながら、イザナの睡眠をなるべく妨げないようにそうっとタオルケットを手繰り寄せて、コテツを腕に抱いたままその中に潜り込んで目を閉じる。イザナのむき出しの背中に額を寄せるとごつ、と背骨の感触がした。前髪に擽られてちょっとおでこがかゆかったから、そのまま背骨で掻くみたいにして擦り寄った。
 ていうかいま何時か確認するの忘れたな。そもそも時間を確認しようにも携帯がどこにあるかがわかんない。たくさん寝た気がするし、もうお昼に近い時間かな、わかんないな。おなかもすいたけど、ねむい、いやめっちゃねむいな。昨日何時くらいにおわったんだっけ…な…。
 また意識が遠退きかけていると、額をくっつけていた体が身じろいだ。小さく唸りながら寝返りを打とうとしたイザナが私がいることでうまく体勢を変えられずにもぞもぞとしていたので、ねむい目を擦りつつよっこいせと私も寝返りを打つ。今度は私がイザナに背を向ける番だった。私たちそこそこいい歳の男女が2人寝ころぶにはこのシングルベッドはすこし窮屈だ。

「……なまえ…」

 無事に体の向きを変えられたイザナの腕が背後からまわされたかと思うと、寝起きの掠れたちいさな声で名前を呼ばれたのが聞こえた。はあい、と私もカスカスの声で返事をしたものの、その後応答がない。あれえ、と思いながら顔だけ後ろに向けると、距離が近すぎて顔はよく見えなかったけど耳の傍で聞こえる呼吸が規則正しい、寝息のそれだったのでいまのは寝言だったのかなと自分の都合のいいように解釈して、こっそり口角をあげた。現実の私を差し置いて、夢の私の私とよろしくやってるんだとしたら、それはちょっと悔しいけど。
 せっかくだから寝顔でも眺めちゃおうかなんて段々と覚めてきた脳が画策する。起こさないように慎重に、コテツを抱えたままイザナに向き合うように体の向きを変えた。この少し窮屈なシングルベッドを一番広く使えるのはこうしてどちらかが相手の腕の中に納まっている時だと思う。
 女の私より長くてきれいに生えそろっているまつげの本数でも数えてみようか。いまは薄い瞼に隠されてしまっているけれど、白いまつげに縁どられてる真ん中にラベンダーみたいな色のまなこが嵌っている様は、初めて見たときから今に至るまで飽くことのない、何度見てもうっとりするような美しさだと思う。私のこの感動はイザナ本人にはあまり伝わっていないようだけど。

「……お誕生日、おめでと」

 ちいさい声で呟いてみる。起きてるときに言うと嫌がるから。ガキじゃねえんだからそんなくだらねーことではしゃぐなって。全然くだらないことないのに。私としてはこの特別な日を美味しいもの食べに行ったり、プレゼントを用意して盛大にお祝いしたりしたいけど、イザナが「そんなままごとに付き合う気はない」とぴしゃりと撥ねつけるから、私は大人しくしてるしかない。
 だから、別にいいじゃん、おめでとうって言うくらい。それくらい許してほしいし、お誕生日の歌を大声で歌われないだけましだと思ってほしい。
 せっかくの恋人の誕生日をめいっぱい祝えないことは結構、すごく、いやかなり残念であるけれど、本人が嫌がることをやっても仕方がないので、もう一回、恨みがましく、おめでとう〜とイザナの素肌に口を押し当てて言ってやった。体の中にまで私のおめでとうが届けばいい。でもさすがにこれは、起こしちゃうかも。

「……うるせぇ…」
「あ、起きた。おめでと!」
「…もうソレ言わねえつったよなぁ」
「え、いつ?」
「ヤってるときに」
「…あっ」

 そうだった。せっかくイザナと一緒にいるときに誕生日を迎えられそうだったから日付が変わるぴったりに祝いたくて、その瞬間を逃さないように23時58分から1分刻みでアラームかけてたんだった。でも私たちそのとき真っ最中だったから、けたたましく鳴るアラームの音にキレたイザナが途中で私の携帯の電源切ってソファに向かってぶん投げたんだった。じゃあ行方知らずだと思ってた携帯はソファらへんにあるってことだな。
 一歩間違えれば携帯をバキバキに壊されかねない行為だったけれど、でもそのお陰で私はひんひん鳴かされつつもちゃんと日付が変わったとほぼ同時にイザナにおめでとうをすることができたので、ヨシ!という感じだ。
 それで、あんまりにも私が喘ぎ混じりにおめでとうおめでとうと繰り返すので、耐えかねたイザナに「萎えるからやめろ。これ以上言ったらひでぇことするからな」と釘を刺されたこと、しっかり思い出した。ひでぇことはなるべくされたくない。

「マジうるさかった」
「ごめん…でも一番に言いたかったんだもん」
「…そーかよ」

 ライオンがするみたいな豪快で大きなあくびをしたイザナは、まだ眠たそうにゆっくりとまばたきを繰り返していたけれど、ふと何かに気付いたみたいに目を伏せると、私との間に収まって黒柴コテツの頭をむんずと鷲掴んでぐいっと私の腕から引き抜き、「コイツ邪魔」という冷酷な言葉とともにぽいっと自分の後ろに放り投げてしまった。

「ああ!コテツぅ」
「あんな犬っころ抱いてんじゃねぇ」

 コテツがいなくなってぽっかりとあいてしまったスペースに冷気が流れ込んできてきゅっと身が縮こまったけれど、イザナの両腕が私の体を引き寄せたことで隙間が埋められて、ぴたりと素肌同士がくっついたところからダイレクトに伝わる体温のあったかさにあっという間に縮こまった体が綻んだ。

「さっきの話に戻るけど」
「んぁ?」
「イザナは私の誕生日に一番におめでとって言ってくれないの?」
「言わなくたって別にどうにもならねぇだろ」
「まあ、そうだけど。…私がさびしいなって思うだけで」
「……」

 別に0時丁度に言われなくても、一番に祝えてもらえなくても、なんならおめでとうの言葉すらなくても、イザナの言う通りなにがどうなるわけでもないけど。ただ私は好きな人の誕生日にはそうしたいなっていう気持ちがあるから、イザナもそう思ってくれたら嬉しいなって思ってしまっただけ。
 ちょっといじけてみただけだったのに、イザナは少し長い沈黙の末に「……覚えてたらな」と私の前髪の生え際あたりに向かって呟いた。私は堪らず、イザナの優しさに声を出さずに笑った。うるせぇ黙れクソ女と一蹴することも出来るのに、私に歩み寄ってくれる。それがたとえ今この場を乗り切るためだけの言葉だとしても、私には十分だった。すぐそばにあるイザナの下顎のあたりにぐりぐりと額を擦り寄せる。

「じゃあイザナも私の誕生日忘れないようにちゃんとアラームかけといて」
「バァカ」

 調子のんな、とまだ少し掠れた声で呆れたみたいに笑うのが、好きだなあと思う。くすぐったい気持ちになって、ちょっとだけ体を伸ばしてイザナの首のあたりに顔を埋めた。
 いつもイザナがつけているピアスは、今はローテーブルの上にある。ちいさな穴が開いてる耳たぶをすぐ近くで眺めながら、多幸感のあまりんふふとつい笑い声を溢してしまうと、髪の毛を少し乱暴に掴まれてイザナの眼前に顔を戻されてしまった。
 もうその表情に笑みはない。代わりに微かに熱を帯びた瞳が私をじっと見据えていて、私は危うく見惚れてしまいそうになる。けど、そのまま大人しくしているわけにもいかなかった。その双眸がゆっくり近づいてくるのを、慌てて胸のあたりを押し返して阻止した。

「あ、ちょっ…」
「…拒否ンの?」
「…ね、寝起きのキスは口臭が…」
「あ?今更だろそんなモン」
「え、私もしかして普段口くさい?」
「別に。つーかもっとクセェところ知ってるし」
「もっと…?…あ!もッ、サイテー!ちょっと、信じらんない!」
「うっせーな。いいから大人しくしとけ」

 ぐっと顎を掬われて、また私の大好きな顔が近づいてくる。だけどそう易々とイザナの好きなようにさせるのはなんだか悔しいので、ンッ!と口を一文字に固く結んで抵抗を試みた。結果的に、それは悪手だったんだけど。
 「いい度胸じゃん」と口角を上げたイザナは私の鼻をぎゅっと摘んで酸素を取り入れるためのルートを塞ぎ、はよ諦めろとばかりに尖らせた舌先で私の唇を何度もなぞるように往復させた。
 私が負けるのは時間の問題だった。すぐに私の降参の時はやってきて、ぷは、と酸素を求めて唇が解けた瞬間、待ってましたとばかりに唇全体をべろりと舐めてからイザナの舌が口の中に入り込んできて、もうそこからは私は抵抗する術はなく、イザナのなすがまま、されるがまま、容赦なく貪られた。
 私の両耳をイザナの手が塞いで、頭の中に唾液が混ざり合うはしたない音を響かせられたときはもう本当に勘弁してくれと思って、喉の奥で何度もごめんなさいと詫びたものだけど聞き入れてはもらえず、結局、そのままコンドームを2つほど消費するに至った。

・・・

 イザナの腕を枕にしながら、回収してきた携帯をポチポチと弄る。どうやらイザナにぶん投げられたあとソファに跳ね返され、黙したまま床に転がっていたらしい。特に壊れた様子もなく、無事で何よりだ。
 すっかり自分の性欲が満たされたイザナは、今度は睡眠欲を満たすべくうつらうつらとしている。そのくせさっきからずうっと片手で私のみみたぶをひたすらこねているから、なんか猫ちゃんみたいだと思った。子猫がクッションとかをふみふみしてるアレみたいな。

「イザナくうん」
「ん…」
「なんか食べたいものとかない?」
「食べたいもの…?」
「うん。肉とか、寿司とか…肉とか」
「レパートリーなさすぎねぇ?」

 別に、祝うわけじゃない。ただイザナの食べたいものを食べよってだけ。それならイザナも文句ないでしょうと駅近くの美味しい店がまとめられたグルメサイトを眺めていた。イタリアンにお寿司、中華にもつ鍋に…あ、焼き肉とかいいじゃん。口の上で溶けるお肉とか、私食べてみたい。溶けるぅ〜!ってやつ、やってみたい。あれほんとに溶けるのかなあと思いつつ、イザナの答えを待つ。

「…………ン」
「ん?」
「……プリン」
「プリン!?」

 思ってもみない回答に声が裏返る。イタリアンでも寿司でも肉でも、ていうかご飯ですらなかった。プリン!イザナの口から吐き出されるにはあまりに可愛い響きに思わず体を起こした。イザナにはその反応が気に入らなかったらしく、「ンだよ。テメェが聞いたんだろうが」と少しムッとした顔をしていたので、声もリアクションもでかくてごめんねとほっぺたを撫でたら、ふんと鼻を鳴らして目を閉じてしまった。

「プリンってどんなやつ?かためのとかなめらかなのとかあるじゃん」
「…普通のじゃなくて、フルーツとか…クリームとかが乗ってるヤツ」
「あ、プリンアラモード?」
「ん、それ」

 ガキの頃、鶴蝶に美味かったって何回も聞かされてさ。だから、食ってみたかった。
 そう言って、当時のことを懐かしんでいるのか微かに穏やかな表情を浮かべるイザナに、私はわっと胸がいっぱいになった。絶ッ対、美味しいプリンアラモード食べさせたる。

「よし!いまお店調べるから、」
「いや、いい」
「え」
「オマエが作れ」
「私が?」

 直々に指名して頂けるのは嬉しいけれど、プリンアラモードはおろか、プリンなんてお母さんと1回作ったことあったけかな…?ってくらいのプリン初心者だ。作るのはもちろん構わないけど、やっぱり美味しいものを食べて欲しいのが本心なわけで。

「お店の、ちゃんとしたヤツがいいんじゃ…」
「いい、オマエので」
「……私のが、いい?」
「…口の減らねぇ女だな」
「へへ!」

 イザナにそこまで言われてしまえば(厳密には言われてないけど)、もう迷う必要はなかった。
 グルメサイトのページを閉じて、検索バーに『美味しい プリンアラモード 作り方』と入力する。そもそもプリンの作り方すらよく知らないからなあ、と思いながら1番美味しそうな写真のレシピを開いて必要な材料を確認する。プリンを作るための材料はうちにあるもので足りそうだけど、アラモードに昇華するためのものが足りないな。

「足りない材料あるから、買いもの行かないと」
「…」
「…イザナも来てくれる?」
「……ン」
「うん!じゃああとで行こうね」

 買い物行くまでにどういうアラモードにしたいかビジョン描いといて!と笑ったら「オマエのなけなしのセンスに任せる」と頼りにされてるのかおちょくられてるのかわからないオーダーを受けた。
 ようし見とけよ、もう私のプリンアラモードしか食べたくないと思わせてやるからなと固く決意しながら、参考にすべくプリンアラモードの画像検索をする。生クリームとチェリーは必須でしょ、あとはイチゴ…いやイチゴって今季節じゃないか。いまだとブドウかな?というかプリンアラモードの決めてってこの横に長いお皿じゃない!?と真理に気付きかけたところで、手の中の携帯がすぽっと手元から消えてイザナの手中に収まっていた。

「なまえ」
「うん?」
「…もう一回だけ、聞いてやってもいい」

 目を見開いた。なにを、なんて聞かなくても私にはわかっていた。嬉しさが波になって爪先から頭のてっぺんまで迫り上がってくるのがわかる。どうして急にそんなことを言ってくれたかわからないけど、聞いてくれると言うなら全部込めてやる。
 こちらをじいと見つめる薄く開かれた目の、その奥にあるラベンダー色をもっと近くで見たくて、額と鼻の先をくっつけて、少しひんやりとする頬を両手で包んだ。

「イザナ、お誕生日おめでと。生まれてきてくれて、それで、私と出会ってくれて、傍にいることを許してくれてありがとう。なるべく長ぁく、一緒にいさせて」

 だいすき、と願いを込めるみたいに呟いてからイザナの頭を覆うみたいにして胸に抱き込める。イザナは何も言わなかったけど、私の背中にまわしてくれた腕の力強さが彼の答えなのだと思った。


20210830 おまえもしあわせになれ
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