朝、7時20分。いないと思っていた人物がそこにいた驚きと戸惑いで、ひとり教室の入り口で硬直していた。
 ぎょっとした。万年空席のクラスメイト、現・私の隣の席の人、そして今日の日直のひとり。佐野くんが、教室の窓側の1番後ろの誰もが羨む、しかし佐野くん以外が座ることを許されぬとっておきの席で顔を突っ伏せて眠っていたからだ。
 見間違いではないかと、ベタだけれども一応自分の両目を擦ってみるが、佐野くんの姿が消えることはない。そりゃそうだ、夢じゃないんだから。朝特有のふわふわと霞がかかっていた脳内が途端にクリアになって、強制的に目が覚めていくような気分だった。
 もし、万が一、私が自席についた拍子に、佐野くんを起こしてしまったら。そう思うと焦りと恐怖で心臓が嫌な音を立てる。

 佐野くんは札付きのワルだ、…という噂を聞いている。
 実際のところ、滅多に学校に来ないし、同じクラスになってから片手で数えられるほどしか見かけたことがない。金髪だし、サンダルで登校してくるし、肩に学ラン引っ掛けてるし。同い年とは思えないオーラというか、迫力?みたいなものもあるし。あまり、というかほとんど話したことはないからどんな人なのかはよく知らないけど、不良グループの総長を務めてるらしいから、それ相応の人なんだろう…と、思っている。

 そんなお人の睡眠を、私のような小娘が邪魔してしまったら。ごきゅりと喉が鳴り、鞄を持つ手は力み、全身に緊張が走る。こんな張り詰めた朝を迎える予定ではなかったのに。
 そうっと、己が出来うる限りの忍び足で自分の席に向かう。そして、鞄をそおっと机の横のフックにかけ、椅子を少しだけ浮かせて音が鳴らないようにそおぉ…っと引こうとした時だった。がばりと勢いよく上体を起こした佐野くんと目が合う。終わったと思った。咄嗟に謝罪の言葉が飛び出る。

「ひっ、ごめんなさ…!」
「なんじ…」
「え!?」
「なんじ、いま」
「あ、えっと、もうすぐ7時半…です…」
「ふうん、そか……あ、オハヨ」
「あ!うん、お、おはよう、佐野くん…」
「はは」

 佐野くんは不良だけど、いま私の目の前で眠たそうに目を擦りながらあくびをする姿は不良というより、なんだかちょっと…猫みたいだと思った。あどけないというか、なんというか。…こんなこと、口が裂けても絶対に言えない。もっとアァン!みたいに凄まれると思っていたので少し拍子抜けする。
 たぶん、私のせいで起こしてしまったけど、どうやら怒ったりはしてないみたいで少し安心する。よほど眠いのかほぼ目が開いていないけれども「朝から元気だな〜」なんて笑っているし、私の緊張は依然解けないままだったけど、なんとか無事に着席することは成功した。安堵のため息をひとつ溢す。

「つーか、来んの早くね?」
「えっ!?」
「いや、そんな驚かんでも」

 かなり大きなあくびを連発していたからてっきりまた居眠りの続きをするのかと思っていたのに、続けて話しかけられて思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。一方で佐野くんは頬杖をつきながら私の方に体を向けて、メチャクチャ話す気満々な態勢だ。私と話すより寝ていた方が有意義だと思うけど、これも口に出すことなく終わる。

「えっと、今日、日直だから…」
「日直にしたってこんな早いモン?」
「それは…」

 日直なんて、言わば先生の雑用係だ。そして今日、木曜の1時間目の国語担当・小林先生はとにかく配布物が多い。その上、昨日のうちから担任に朝礼前に職員室に寄るように言われていたのと、放課後は本屋に寄って待ちに待ったお気に入りの漫画の新刊を確保したいのもあり、無駄な居残りはしたくなかったのとで、朝のうちに済ませられる仕事はやってしまいたいという魂胆だった。

 私ひとりだと思っていたから。もう1人の日直である佐野くんが来るなんて、思ってなかったから。
 でもまさか、そんな嫌味ったらしいことを素直に本人に言えるはずない。しかも佐野くんに。だけどずっと黙ってたら、それはそれで後ろめたいことがあるように思われてしまう気もする。どうせバレやしないのだから、いつも朝早いんだ〜アハハとテキトーに誤魔化せばよかったと後悔しながら、とにかく何か言わないとと口を開こうとすると、キョロキョロと辺りを見回していた佐野くんが、なにか閃いたように自分の手のひらにポン、とこぶしを置いた。

「あ。オマエが日直ってことは、隣の席のオレも日直?」
「えっと、その………はい」
「マジか。言ってくれればよかったのに」
「す、すみません…」
「謝ることねぇよ。つーか1人で日直の仕事しなきゃなんねーから早くきたんだろ?オレの方こそ悪いことしたな」
「えっ」

 まさか佐野くんから…というか、不良のひとから謝罪の言葉が出ると思ってなくてつい失礼な声をあげてしまって、慌てて両手で口を抑えた。当の佐野くんは私の無礼な言動を特に気にする様子もなく、寧ろ「さっきから気遣いすぎ。敬語もいらん」と私のビビり具合についてを指摘された。そっちなのか。
 すみません、とまた咄嗟に謝ってしまったのを「敬語!」とすかさず指さされペコペコと平謝りをしながら、今日のページを埋めるべく職員室から回収してきた日誌を開いた。
 中学に入ったら多くのひとはここぞとばかりにシャーペンを使い始めるというのに、いまだに2Bの鉛筆を使う昨日の日直のタケダの筆圧が強すぎて、真っ白なはずの今日分のページが既に薄汚れていた。手が黒くなりそうでいやだな。少しだけ唇が突き出るのを感じながらペンケースからシャーペンを取り出し、ヘッドをかちかちとノックする。

 今日の日付、天気、時間割、欠席者は…今日は佐野くん来てるし、珍しく空欄のままかも?なんて思いながら黙々と書き込んでいたところで、ふと左側からものすごい覗き込まれていることに気付いた。ちょっとだけ顔が近くてドキッとする。

「字ぃきれいだな」
「そ、そうかな?普通だと思うけど…」
「いや、上手いよ。オレマジ字汚いんだ」

 貸してみ、と手のひらを差し出されたので大人しくそれに従い、丁度書こうとしていた日直担当の名前の欄を埋めてもらうことにする。ぎゅ、と指先に力をこめながら『佐野万次郎』と書き込んでいく様を見ながら、当たり前のことだとわかっているけど、同じペンを使っているのに書き方も筆圧も私のと全然違ってて面白いなあ、などと呑気なことを思っていた。

「ほい書けた」
「ええ、全然下手じゃないよ」
「そーか?」
「うん。達筆って感じ」
「タッピツ?初めて言われた。んじゃオマエの名前も書いてやる」

 機嫌良さそうに鼻を鳴らした佐野くんは、そう言って私の胸元あたりをじいと見つめる。一瞬なにをしているかわからなかったけど、すぐに名札を見ているんだ!と気がついて、見えやすいように制服についているそれを少し引っ張って、佐野くんが見やすいように差し出してみた。
 そうか、私はなにかと目立つ佐野くんのことを当たり前に知っているけど、滅多に来ない自分のクラスの目立たないクラスメイトの内のひとりのことなど覚えてるわけがないもんな。どうしてか少しだけさみしいような気持ちになった。とはいえ、私も佐野くんのことはその名前と外見と、不良で、総長をやってるらしい、ということしか知らないんだけど。あ、あと"マイキー"という愛称で呼ばれていることも。

「あー…ゴメン、名前教えて」
「あ、苗字だけでも…」
「いーから。教えて」
「…なまえ、です」
「へえ、いいね、似合ってる。どういう字?」

 似合ってると言われて内心ドキドキが止まらないけどそれが表に出ないようにぐっと堪えて、ペンケースからもう一本シャーペンを取り出して、机に直接自分の名前を書いた。なんで佐野くんに名前教えてるんだろう、なんて今更なことを思いつつ。
 できた、と顔をあげた佐野くんの手元には、『佐野万次郎』の隣に並ぶ、佐野くんの字で書かれた私の名前がある。なんの変哲もない、いやと言うほど見てきた自分の名前と、レアキャラと化した同じクラスの男の子の名前が2つ並んでるだけの光景に妙な高揚感を抱いてしまってる自分が変で、なんだか恥ずかしい気持ちになる。

「ど?」
「あ、ありがとう。お見事です…!」
「お見事ってなんだよ」

 肩を小さく震わせながら「名前書いただけでそんな褒めるか?フツー」と笑うので、私もつられて笑った。表現は大袈裟だったのかもしれないけど、お見事と思ったのは確かだった。

「もう書くことねーの?オレが書いてやるよ」

 佐野くんは褒められたことに機嫌をよくした子供のように得意げな顔をしながら、シャーペンを器用に指先でくるくると回している。
 ほぼ机に突っ伏して寝てる姿しか印象にない彼がせっかくこんなにやる気を出してくれているのだから、私としてもなにかお願いしたいところではあるけれども、正直、いまはもうこれ以上書くところがないのが事実だった。
 それでもどうにか、なにかないかとうんうん心の中で唸りながら必死に作業を捻り出そうと考えていると、私の返事を待ちきれなくなったのか、佐野くんは備考欄に何か書き始めたようだった。"天上天下唯我独尊"……なんだかいかにも不良っぽい字面が並んでいる。担任に何か言われそうだけど、私は担任ではないので咎める理由もない。
 何も言わずにその様をじいっと眺めていると、ふと佐野くんの手になにかついているのに気が付いた。よくよく見てみると手の甲のところに皮が剥けているのか、切り傷なのかはわからないけど、赤黒い血が固まりかけているのが見えて、はっと目を見開いた。
 さっきまで指先の方にばかり注目しすぎて、全然気付かなかった。痛々しいそれに、思わず"マイキー様参上"の"上"の字を書きかけていた手を掴んでしまった。ペン先が歪に紙の上を走って、不思議そうな顔をした佐野くんが顔を上げる。

「さ、佐野くん、こここれ、手、怪我してる…!」
「あ?あーこれは昨日の…んーまあ、別になんともねえよ」

 「心配しなくてもヘーキだから」と言って私の手から逃げ出すようにすっと手を引っ込められてしまって、そこでようやく自分がとんでもない行動をしてしまったことに気付いた。佐野くんの名乗りを邪魔するどころか、図々しくも触れてしまうなんて!やってしまった、と思いつつも痛々しい傷口が目に焼き付いてしまって、心配する気持ちが勝ってしまう。

 昨日の、っていうのは喧嘩のことだろうか。いや、多分、きっと、そうだろう。手以外は特に大きな怪我もしてるように見えないし(よく見たら額や頬のあたりにもかすり傷みたいなものはあったけど)、総長を務めているくらいだからきっと佐野くんは喧嘩に強いんだと思う。だからこれは、喧嘩の知識ゼロのど素人の私が導き出した結論として、恐らく、人を殴ったことによる怪我…だと思う。
 人を殴ったことがないからわからないけど、バカ兄貴が一度だけ親友と大喧嘩した時に「殴るのも楽じゃねえ!いてえ!」と言っていたから、たぶん。

「よくないよ、血もでてるみたいだし…その、消毒とか。保健室付き合うから、」
「だぁいじょぶだって。ちょっと皮めくれてるだけ。ツバつけときゃ治るからさ」
「じゃ、じゃあ、せめて絆創膏だけでも…私、持ってるから!」

 佐野くんはいいともダメとも言わなかったけど、しつこい私との折り合いをつけるにはここだと思ったのか、さっき逃げていった右手を素直に差し出してくれた。その顔は呆れたように片眉を釣り上げて、めんどくさいのに捕まったとでも言いたげだけど。
 私の自己満足に付き合わせてしまってる自覚はあったけど、心配してる気持ちは嘘ではないので許してほしい。図々しくてごめんなさい、佐野くん。と心の中で謝りつつカバンを漁る。
 まずは傷口を綺麗にした方がいいだろうと、ポケットウェットティッシュを取り出す。本当は消毒液とか水道水とかのがいいのかもしれないけど、佐野くんをここから動かすことは私には無理だと判断したので、仕方がない。
 慎重に傷口のあたりを拭いてみると思ったほど大きな怪我ではなく、佐野くんの言うように少し深めに皮が剥けているようだった。(それでも十分痛そうではあるけれど) もっと酷いのかと勝手に想像していたので少しホッとしていると、それが顔に出ていたのか、ほらな?と佐野くんが苦笑する。

「たいしたことなかったろ?ささくれみたいなもんだって」
「…私はささくれ常習犯だけど、こんな痛そうなささくれ、できたことないです」
「ささくれ常習犯ってなんだよ」

 あははと佐野くんが声をあげて笑う傍ら、私は真剣な面持ちで黙々と作業を進める。滲みたりしてないだろうか、と思いつつ汚れや血を拭っていると「まあでも、女のコはこんなささくれは作ったらダメだな」と小さい声で独り言のようにそう呟くのが聞こえて、少しだけ心臓が強く脈打つ。
 佐野くんは、きっと優しい人なんだと思う。ほんの少ししか話していないしほとんどなにも彼のことを知らないけれど、確信めいたものを感じていた。

 一通り傷口をきれいにしてから、再びカバンを漁り今度は友達に誕生日プレゼントでもらったセサミストリートのポーチを取り出した。
 私が絆創膏を携帯する理由は、佐野くんのいうささくれではなくごくごく一般的な指先にできる皮がちろっ剥けてしまうあれを、煩わしさのあまりえいやと剥いてしまうことが多々あるからだ。あんな小さな傷口でもげんなりするのに、こんな、目を覆ってしまいたくなるようなささくれがあってたまるもんかってんだ。
 そんなことを思いつつポーチの内ポケットをまさぐると指先に触れたのは残り1枚の絆創膏で、どきっとした。そういえば最近補充してなかった。危うく絆創膏あるある詐欺になってしまうところだっ、…あ!

「や……」

 ひやりと背筋に冷たいものが走る。ヤバイ。いつもは普通の、ベーシックなベージュの絆創膏を入れてるのに、いざという時の、最後の1枚。選択肢は、友達に貰って以来使うのを躊躇い続けていた、仕事を選ばないことで有名なリボンをつけたあの白い猫がプリントされたかわいらしい絆創膏のみだった。
 思わず口から溢れ落ちてしまった意味をなさぬ言葉を佐野くんは耳聡く拾って、「どーした?」とポーチを覗いたまま固まる私に尋ねてくる。いくら佐野くんが心優しき不良だとしても、さすがに男の人にキティちゃんの顔が散りばめられたピンク色の絆創膏をあげるなんて、命知らずにも程があるだろう。
 じんわりと冷や汗が滲むのを感じながら、ギギギ、と鈍い音がしそうなほどぎこちない動きで顔をあげる。差し出した右手を暇そうにぷらぷらと揺らす佐野くんが首を傾げていた。

「あの…佐野くん、怒らないでほしいんだけど…」
「ん?」
「その…絆創膏、これしか、なくて」

 恐る恐る私が差し出したそれを見た佐野くんはブハッ!と盛大に噴き出してから、自分の膝をバシバシと叩きながら大きな声で笑った。怒られるか、邪険にされるか、とにかくマイナスなリアクションが返ってくるんじゃないかと戦々恐々としていた私は、思わぬ反応に呆気にとられてぽかんと口を開けるしかなかった。

「あ、あの…」
「あーウケる。キティちゃんて!他のヤツにやられてたらぶっ飛ばしてたかも」
「えッ!」
「ビビんなよ、オマエにするわけねーだろ」
「ほ、ほんとごめんなさい…」
「いーよ、心配してくれたんだもんな」

 ハイ、貼って、と再び差し出してくれた右手に、本当にすみませんと小さく一礼してから絆創膏の包装をペリペリと剥いて、傷口を覆うようにそっと貼り付けた。佐野くんのゴツゴツした手に不釣り合いなピンクが映えて、私の罪悪感を増幅させる。

「ん、サンキューな」
「…まだ笑ってる」
「いんやだってオマエ、オレがキティちゃんの絆創膏貼るなんてさ」
「嫌なら保健室行こうよ、貼り替えてこよう…!」
「別にイヤとは言ってないだろ」

 佐野くんはくくく、と笑いを堪え切れない様子で机に顔を伏せた。学ランがかけられた肩がぷるぷると小刻みに震えてるのを見て、じわじわと顔が熱くなる。怒らせなくてよかったけど、そんなに…そんなに笑わなくてもいいのに!
 膝の上で拳を握って、唇を噛みしめる。恥ずかしさのあまり佐野くんとは違う意味で震えそうだったけど、私より先に震えたのは佐野くんの机の上に放られていたケータイだった。
 突然ブーッブーッと大きな音が響いたのでびっくりした拍子に思い切り机にぶつけてしまった膝を撫でさする横で、佐野くんは"ケンチン"と呼ばれるお友達と電話をしているようだった。楽しそうだ。ケンチンさんのことを信頼している様がこの少しのやり取りだけでもわかる気がした。

「あー…悪い、呼び出されちった。行ってもいいか?」
「あ、うん…」
「日直の仕事、結局何もできなくてゴメン。今度の日直ン時はちゃんとやるから」

 初めから1人でやるつもりだったからそんなに気にしなくていいのに、佐野くんはやたら申し訳なさそうな顔をした。それに今度の日直の時にはって言っていたけど、その時まで私が佐野くんの隣の席とは限らないのに。恐らく、もうすぐ席替えをする頃合いだろうし。
 そんなことを考えている間に、机に転がっていた私のペンを再び手に取った佐野くんは、そのまま日誌の端っこに何かを書いてるようだった。内容は見えなかったけどそれも彼がペンを机に置いたと同時に露になる。そこには、どうやら佐野くんのものと思わしき携帯の番号が書き殴られていた。

「えっ」
「次の日直のとき、電話して。ちゃんと来るから」
「や、…でも…」
「電話しろ」
「ハイッ!」
「ん。つかまた敬語。あと佐野くんじゃなくてマイキーにして。ムズムズする」
「ま…!」
「マイキー」
「ま、マイキー…くん」
「くんは要らない」
「まいきー…」
「そ。よくできました」
「…くん」
「オイ」

 次会うときまでにくん取っ払っとけよ、と笑いながら立ち上がる佐野く…マイキーくんを自然と追いかけるみたいに顔を上げる。ニッコリ笑みを浮かべたままのマイキーくんは「バンソーコーありがとな、なまえチャン」と言ってピンクのそれを見せつけるように右手を振りながら、教室を後にした。

 顔を上げて暫く固まったままの私を我に返らせたのは、入れ替わるように教室にはいってきたクラスメイトのおはよ〜と間延びした声だった。もうそんな時間か、とハッとしながらなんとなく窓の外がざわついてる気がして、中途半端な位置でとまっているカーテン(マイキーくんの席に日が当たらないように調整されてるようにも思える)を開けながら外の様子を窺ってみると、登校する生徒の流れに逆らう金髪の学ラン姿があった。自然とみんながマイキーくんに道を開けていて、通り過ぎたそばからすぐさま振り返って珍しいものを見るかのようにガン見しているさまが見てとれた。その光景に、今更ながらに自分がとんでもない人にとんでもないことをしてしまったような気がして、心臓がきゅっと縮むような感じがした。

「…ふう」

 朝から、どっと疲れた。特に精神的に。
 自席に戻って開きっぱなしの日誌に目を落とし、ページの隅っこに書かれた数字を見つめた。私からマイキーくんに電話なんて、かけられるわけない。かけられるわけないけど。

「……」

 暫くその文字を眺めてからひとつ長い息を吐いたあと、急いでペンケースの中から付箋を取り出し、数字の羅列を書き写す。それから念押しに、携帯のカメラで写真を撮る。ついでに、名乗りを上げられている備考欄のほうも。ブレてないことを確認してから、みんなに知られないように、誰にも見られないように、私とマイキーくんだけの秘密になるように、11桁の番号をボールペンでぐるぐると塗りつぶし、2つの目玉をつけた。誰もここにあのマイキーくんのケー番が書かれていたなんて思わないだろう。どっからどう見ても少し体の長い黒いけむくじゃらの毛虫の落書きだ。

 結局私は朝礼前に職員室に寄らなければいけないことをすっかり忘れており、担任に校内放送で取りに来るように呼び掛けられることとなった。小林先生の配布物も今日もたっぷり用意されていて、更には理科の授業で使った用具を片すのを手伝っていたために、次の数学の授業開始前に黒板をきれいにしておくのが間に合わなかったせいでお叱りを受けるという不運さだった。

 普段なら、首を垂れてブツブツと文句を口にしたくなるような最悪な1日だった。
 予定より1時間近く帰るのが遅くなってしまっただけでなく、母の命により本屋とは逆の方向にあるスーパーに納豆を買いに行かなければならなくなったせいで新刊は明日にお預けされたにも関わらず、家路につく私の足取りは少しだけ、浮かれたように高く上がっていたような気がする。どうしてか。どうしてかは…よく、わからないけど。いやほんとに。わからないってば。

20210625 ハローマイキー
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