※都合のいい平和な世界線!(超捏造)

 恋人ができると必ず見る夢がある。
 見慣れた神社の芽吹きかけた桜の木の下。暮れかかる夕日の朱色が差し込む金色の髪。口から飛び出そうなくらい暴れている自分の心臓の音。永遠のような沈黙。初めて人を叩いた手のひらの痛み。涙と鼻水でうまく呼吸ができない息苦しさ。
 人生において初めて告白した時の情景が再生されるみたいに、中学の終わりの残酷な春のことを瞼の裏で見せられて、泣きながら起きる。そうするとたちまちに、私が好きなのは隣で眠るひとではなくて、いまでもずっとあの男なのだと後ろめたさでいっぱいになって、その罪悪感のようなものから逃れるためにその時の恋人に別れを告げる。この、他人からすればバカみたいな流れを、私はまじめに何度も繰り返してしまっている。呪われてるみたいだと真剣に思った。

「結婚かあ、いいなあ…」
「まさかパーちんに先越されるとはな」
「うらやましい。私はもうこのまま一生独りかもしれないってのに」
「あ?前の男、もう別れたのかよ」
「うん…またあの夢見ちゃって…ほんと最悪。トラウマだよこれ。PT…なんだっけ、ほらPTAみたいなあんじゃん。あれだって絶対」
「PTSDな」

 大袈裟なんだよオマエはさ、と興味なさそうに枝豆をつまむ三ツ谷をジッと睨んだ。この男は私の深刻な悩みである恋のデス・ループ(我ながらダサいネーミングである)を聞いてバカじゃねえのと一蹴した第一号だ。(ちなみに第二号はエマである)

「こっちはリサ・ラーソンの猫見るだけで辛いのに」
「あの横に長い猫か?」
「そう。あの猫、マイキーっていうんだよ」
「くだらねー」
「鬼め!」

 こんなことになるなら、あのとき告白なんてしなければよかったと常々思う。でも、そんなのはいまだから出来るタラレバだ。当時の、うら若き恋する純情な乙女だった私は、いまここで気持ちを伝えないと一生後悔する!と思ってしまったのだ。その結果、一生後悔することも知らずに。

「あてかさあ、この前ダイちゃんに会ったんだよね、合コンで」
「ダイちゃんってオマエが小学生のときに泣かされまくってたヤツだっけ」
「そうそう。フツ〜にいい人?てか普通の人になっててビビった。マイキーの強烈な一撃のおかげで正常に戻ったんかな」
「かもな」
「てか思ったけどさ、ダイちゃんさえいなければ私マイキーに出会うことなかったじゃん。したら好きにもならなかったし告白なんてしなかったしこんな思いもしなくてよかったわけじゃん!私に恋人出来ないの、ダイちゃんのせいだ。腹立つ〜」
「じゃあマイキーに出会わない方がよかったのかよ?」
「無理。マイキーとか、みんなといた時が人生で一番楽しかったもん」
「はは!」

 小学生5年のとき、なにかとからかってくる図体のでかいダイちゃんにいつも泣かされてた。ブスやデブのテンプレートな言葉を始め、後ろから羽交い絞めされたり、勝手に私のランドセルを背負って大暴れしたり(当時はそれどころじゃなかったけど、今思えば逆にダイちゃんは恥ずかしくなかったのかと思う)、体育の時間には膝枕を強要されたりした。マジで意味わからん。最初こそやめてよ!と抵抗していたものの、もちろん聞き入れてくれるわけもないし、もう段々抗うのも面倒くさくなってきて最終的には勝手に涙が出るようになってた。私がわんわん泣いて、ダイちゃんもうやめてとお願いすると、そこでようやくダイちゃんは満足して解放してくれるからだ。ほんと最低だと思う。

 私の運命のその日も、私はおおいにギャン泣きしていた。でもその日の私には闘志があった。今日は絶対このでかい男に報いてやる、と。だってお気に入りの服を、故意ではないとはいえ、ダイちゃんが引っ張って破ったからだ。これは遠い田舎から、慣れない飛行機に乗って遥々会いに来てくれたおじいちゃんとおばあちゃんが買ってくれた、大事な服だったのに!
 生まれて初めてと言ってもいいくらい胸の奥からふつふつと怒りが込み上げてきて、大声で喚き散らしながらダイちゃんに猪突猛進に突っ込んだ。(傍から見たらホラー映像だったかもしれない)
 だけど私は女で、力も弱くて、男の子の中でも特に大きかったダイちゃんとは、一回り近く体格差がある。マジでダイちゃんこと『大基』の名に恥じぬデカさだった。
 熊に鼠が挑むようなものだったと思う。勢いよく体にしがみついてきた私を、ダイちゃんはいとも簡単に引っぺがして、そのままぽいっとあっけなく地面に転がされた。ランドセルを背負ったままひっくり返ってる私をダイちゃんに亀みたいだと笑われて、情けなくてまた一層涙がでた。そこに、ヒーローが現れた。いや、浦島太郎って言った方が正しいかも。

「なぁ。アイツやっつけたら、竜宮城連れてってくれる?」

 涙でぼやけた視界ににゅっと現れた男の子は、私のぽかんと空いたままの口に棒キャンディーを突っ込むとにかっと笑った。このひと、誰だろう。ぼんやりとそう思っていると、いままでに聞いたことのない、言葉で表すのが難しいような鈍い音が聞こえて、私はバタつきながらも慌てて起き上がった。袖で涙を拭ってクリアになった視界に、私よりは大きいけどダイちゃんよりは小さい男の子が立っていて、その足元にダイちゃんが大の字でぶっ倒れていた。これがマイキーとの出会い。一生忘れないと思う。
 ちなみにこの前の合コンのときに聞いた話だけど、あの時に生えたての永久歯を一本無くしてるらしい。マジで親知らずに感謝してるとも。知らんがな。

「いやさすがにこれは惚れるくない?」
「オレ確実にこの話8回は聞いてんだけど」
「だってさあホンット〜にかっこよかったんだよ。竜宮城とかよくわかんないけど絶対連れってあげるって思ったし」

 あのときのこと、いまだに思い出すだけでもドキドキする。もし子供ができたら絶対にこの話したいもん。後世に語り継ぎたい。ま、どうせ、そんな機会にも恵まれないだろうけど。銜えた枝豆の鞘に塩の塊がついていて余計にしょっぱい気持ちになった。

「で?そっからオマエのマイキーのが追っかけが始まったと」
「本気で七小に転校したいって思ってた、あのとき」

 巷では七小のマイキーとして有名だったみたいだけど、私はそんなこと全然知らなかったから所謂不良ってヤツだって友達に聞いたときはほんとにびっくりした。不良って、ダイちゃんみたいなことを言うんじゃないの?不良でも私みたいなやつのこと助けてくれるの?って。あんまり関わらないほうがいいよとも助言されたけど、あれからダイちゃんにからかわれることは一切なくなったし、あの日は放心状態でろくにお礼もできなかったからやっぱりちゃんとお礼をしに行こうと思って七小に向かった。その道すがら、まさに喧嘩真っ最中のマイキーを見つけた。周りはマイキーより大きい人たち(学ラン着てたから中学生だとおもう)ばっかりなのに、マイキーがひゅんと目にもとまらぬ速さで蹴りを繰り出すと次の瞬間には足元に人が倒れている。そのあまりの光景に怖いというよりはアニメを見てるみたいだ、なんて場違いなことを思いながら呆然と立ち尽くしていたのを今でも覚えている。

「もうね、こわいとかじゃないの。カッケェ〜!って、もうウオ〜!ってなったわけ」
「まあ、スカッとするよな。アイツの捌きっぷりは」
「そんで棒立ちしてる私見てなんて言ったと思う?マイキー」
「『あんときの亀じゃん』、だろ」
「は?なんで知ってんの?ネタバレすんなし」
「オマエなぁ、いい加減にしろよ。何回その話聞いたと思ってんだ」
「ごめんて。ほらほら、ビールおかわりしますか?」
「んーいや。ウィスキーロックで」
「フン、お洒落ぶっちゃってさ」
「なんだよカシオレ」
「カシオレおいしいもんばかにすんな!」

 トイレ行ってくるから注文ヨロ、と私の頭を小突きながら席を立った三ツ谷にイラッとしつつ、タッチパネルでウィスキーのロックとシャカシャカポテトとカプレーゼと、カシオレを注文した。カシオレばかにすんな。
 ひとりだけになったテーブルではあ、と頬杖をつく。いつもより顔が熱い気がした。今日なんてレモンサワーとカシオレくらいしか飲んでないのに、いつもより酔いがまわってる気がする。だからこんなにマイキーの話ばっかりしちゃうかな。忘れたいのに、忘れられない。あれからもう何年も経ってるのに夢にまで見るってやばすぎる。

 マイキーに魅せられてしまった私は学校が終わったらすぐにマイキーのことを探しに行った。そのときは好きとかそういう気持ちというよりは、尊敬とか、この人といたら絶対に楽しいみたいな、好奇心が強かったと思う。
最初はついてくんなよって邪険にされたもんだけど、懲りずに毎日毎日、神社や土手や空き地やらにいるマイキーを探し出しては今日の分!と棒キャンディーを納め続ける私にマイキーが根負けして、オマエのせいで虫歯になりそうだから明日からは手ぶらで来いよと言った。一緒にいることを許されたのだと思って、胸がドキドキした。その日は時計の針がてっぺんを過ぎても高揚していたせいで眠れなかった。

 中学に上がっても私が学校終わりにすぐにマイキーの元に向かうのは変わらなかったけど、その頃にはマイキーはトーマンを結成していて、バイクに乗ってどこかに出かけたり喧嘩をしたりする回数が増えた。昔みたいに邪険にされることはなかったしドラケンたちと同じように扱ってくれて仲間になれた気がしていたけど、喧嘩になるとまた明日な、と宥めるみたいに言われてどこかへ行ってしまう。置いてかれてるみたいな気がして、胸が痛くなった。
 私が強かったら、私が男の子だったら。トーマンに入れてもらえて、マイキーと一緒に戦えたんだろうか。ベッドの中でぐるぐると考えても、強くなれるわけでもなければ男になることもない。考えるだけ無駄だった。ならば、弱いまま、女のままでも、くらいつくしかないと思った。
 舐めるなマイキー!どこまでもついていってやる!ダイちゃんに泣かされていた頃の私は到底こんなことは思わなかっただろうが、マイキーに出会って私は変わった。マイキーが私を変えたのだ。本人にそんなつもりはなくとも!

 今思えば黒歴史に記されるようなことばかりだけど、マイキーといたいその気持ち一心で色んな無茶をした。
 マイキーたちがバイクでツーリングするときにはチャリで追いつこうとしたし(さすがに呆れられて、マイキーが後ろに乗せてくれた)、喧嘩の場に勝手についていったこともあった。(一度、相手に捕まって本当に怖い思いをしたけど助けてくれたマイキーに叱られた時のほうがよっぽど怖かった。ほんとに怖かった。もう絶対についていかないと固く約束した)
 マイキーに近寄るな邪魔なんだよブス!と派手な髪色の先輩らしき女複数人に囲まれても臆することはなかった。その頃はこっそりパーちんに何かあった時のために、と少しだけ喧嘩のイロハを教えてもらっていたので少しだけ抵抗したものの、結局数には勝てなくてボコボコにされたけど。男の人たちって大抵グーパンチなのに、女の喧嘩は髪の引っ張りあい、引っ掻きあいなの、なんでなんだ。ぶちぶちと髪を抜かれたせいで頭皮が痛いし猫にひっかかれたみたいに顔と手が引っ掻き傷だらけになった。

「あーあ、ホントひどい!こんな傷だらけになっちゃってさ!」
「タイマンなら勝てたかもしれないのに…!」
「てゆーか言ってやればいいじゃん、カノジョなんだし!」
「いやそんな嘘ついたらもっとボコボコにされてたよたぶん」
「え?」
「ん?」
「…待って。なまえとマイキーって付き合ってるんでしょ?」

 私の手の傷を消毒しながらペタペタと絆創膏を貼ってくれていたエマが動きを止めて、真剣な顔で私を見る。私は小さく首を振る、付き合ってないと。

「ウッソありえないんだけど!」

 絶対付き合ってると思ってた、信じらんない!
 なぜだか半分怒ったようにエマはそう言って、それから最後にマイキーのバカ、と呟いた。

「いや、私たちそういうのじゃないし…」
「…それ、本気で言ってる?」
「えっと……」
「なまえはマイキーのこと、好きじゃない?」

 正直、初めは自分がマイキーに抱いてる感情が恋だとは思ってなかった。色恋抜きに、純粋にマイキーに惹かれてた。マイキーの周りに集まるみんなと同じように。
 あの日、ダイちゃんから助けてくれたのはたまたまだし、マイキーは誰にでも優しいから、私が無茶してついていこうとするのを見て見ぬふりできなかっただけだ。私が特別なわけじゃない。そうわかってるはずだったのに、一緒にいる時間がずっと続けばいいと思ってしまうし、その声でずっと私の名前を呼んでほしいと、その目に私を映してほしいと。どこにもいかないで、マイキーの隣にずっとさせてなんてって、図々しい感情が生まれて心の底に蓄積していっているのは確かだった。

「私は…たぶん、初めて会ったときからずっと、」


 中学を卒業するタイミングで親の都合で引越すことになったとき、すごく焦った。
 エマには打ち明けてしまった(というかそれ以前にバレていた)けど、だからといってマイキーに気持ちを伝えるなんて考えてなかったから。でも、引越すって、もう会えなくなるんだって思ったら、また別だった。どうしよう、なんて思ったのは最初はだけで、すぐに言わないと後悔すると思ってしまった。当たって砕けろ、もし万が一、億が一、当たっても砕けなかったら、私はマイキーのおじいちゃんに頼みこんで居候させてもらおうとすら考えていた。もちろんバイトもするし、家賃も払う。それくらいの覚悟だった。いま思えばクソ図々しいけれど。

 いつもの神社の、境内の裏にある桜の木の下にマイキーを呼び出した。この木の下でお花見したこともあるし、家庭科の授業で作ったクッキーを渡したこともある。最後に飴を献上したのも、喧嘩の場についてくるのはやめろと説教されたのもここだ。なんとなくここは私とマイキーの場所だって勝手に思っていて、だから告白するときもここでって決めていた。
 木の下で黙ったままな私に、初めは今日もクッキー作ったのか?なんて笑っていたマイキーも、様子が普段と違うことに気付いたのかまじめな顔をして私が口を開くのを待ってくれた。
 言わなきゃ、言わなきゃって思うのにうまく声がだせなくて口を開けては閉じてを繰り返す。緊張で体の中の臓器すらぶるぶると震えている感じがする。ぎゅっと手のひらを強く握って、深く息を吸った。

「…ず、ずっと、マイキーのことが好きでした。その、これからも一緒に…ま、マイキーの隣に、いさせてくれませんか」
「…………」

 顔を上げられなくて、ずっとマイキーのサンダルの鼻緒を見つめた。マイキーは何も言わない。なんでもいいから言ってほしいのに、ただ私たちの間を少し冷たい風が通り抜けるばかりで、それが私には永遠のように長い時間にも感じた。ぎゅっと唇を噛みしめる。息が荒くなっていて恥ずかしいのにどうしようもできない。なんで、なんで何も言ってくれないの!もうこの沈黙が答えのようなものなのに、どうして何も言ってくれないの!じんわりと涙さえ浮かび始めた頃、砂利を踏みしめる音が聞こえて大袈裟に肩を跳ねさせてしまった。恐る恐る顔を上げると、マイキーが今まで見たこともないくらい優しい顔で笑っていた。

「ありがとな」

 言葉はそれだけだった。それ以上は何も言わず、ただただ優しく私の頭を撫でるだけだった。砕けた。砕けたのだ、私の心も何もかも、目には見えないいろんなものが砕けて崩れた音がした。いやてかありがとなって、なに?その続きは、イエスもノーもないの?こっちが腹くくって告白したのに!?全身全霊の告白に曖昧な返事をされたことに、ガキの私は理不尽に、そして猛烈に腹を立ててしまった。裏切られた気分になってしまったのだ。そして、その反動で、可愛さ余って憎さ百倍…なのかわからないけど、大好きなマイキーの顔にバチーン!とものすごい音を立てて平手打ちをして、逃げたのだ。いろんなものが砕けた中に、理性や正常な判断も含まれていたのだと思う。横暴だった。最低だった。

 マイキーにフラれて腑抜けになった私は、優しくしてくれた大好きな友達の誰にもさよならを言わずに引越しした。恥ずかしくて、情けなくて、悲しくて、誰にも何も言えなかった。本当に最低だった。
 その結果、呪いがかかった。一生恋人と続かない呪い。あの春をずっと繰り返す呪い。考え直してみると、呪われて当然のことをしたのかもしれない。自業自得、悪いのは私だった。

「もうどうせこのまま独りぼっちで死ぬんだ…」
「まだそんなこと言ってんのかよ」
「孤独な私を憐れんで、どうか棺に入るときは三ツ谷がデザインした一番いい服着せてほしい」
「高くつくぜ」
「死装束貯金しとくから…」
「はは、そーしとけ。つかさ、これ食った?うまくね?」
「あ、オイキムチ?うまいよね。もっかい頼も」
「きゅうりと言えばよ…あ〜思い出した」

 最後のオイキムチを口に放り込んだ三ツ谷は突如きゅうりから何かを思い出したようで、急に眉間に皺を寄せて怖い顔に様変わりした。ふと、マイキーに紹介されて三ツ谷とドラケン初めて会ったときのことを思い出した。2人とも刈り上げてる上に米神に龍の刺青入ってたから、本当にビビったなあ。マイキーの後ろに隠れたのを思い出した。
 目の前のウィスキーを一気に呷って空にした三ツ谷が「何ニヤニヤしてんだよ」と凄むのでなんでもないと首を振ると、おんなじの、と顎でタッチパネルを指される。一体きゅうりのなにが三ツ谷をこんな怖い顔にさせるのかはわからなかったけど、私は下っ端のごとくハイッ!と素直に返事をして慌ててオイキムチとウィスキーのロックをオーダーした。
 今度は私が聞き役に徹する番だった。散々私に同じ話をすると文句を言っていたけど、自分だって酔っ払ったら同じ話何度もしてるの、知ってるんだろうか。私は優しいから指摘しないであげるけどね。



「ほんとにいいの?」
「いいって言ってんだろ。素直に奢られといほうがかわいいぜ」
「三ツ谷にかわいいって言われてもな…」
「うるせえな。あーとにかく来月の10日な、忘れんなよ」
「はあい」
「じゃあな、気ぃつけて帰れよ」
「三ツ谷、いくらムカつくからってきゅうり顔の先輩、ぶっ飛ばしちゃだめだよ」
「善処するよ」
「しないと言い切れ。じゃ、おやすみ」

 割と温厚な三ツ谷をあれほどまで荒れさせる顔がきゅうりみたいな先輩とやら、一体どんな人なんだろう…と思いつつ、三ツ谷と別れたタクシーの中、スケジュールアプリを開いて来月の10日に『パーちん結婚おめでと会』の予定をいれる。正直、三ツ谷とエマヒナ以外は引越して以来、連絡も取ってなかったし私が行くの場違いじゃない?と思ったんだけど「周りがカップルだらけで肩身が狭いんだよ」と三ツ谷が切ないことを言うので、仕方なく哀れみの独り身枠として参加することにした。パーちんは喧嘩の師匠でもあるし、お祝いしたい気持ちはとてもあるし。

「(結婚、エマたちが一番かと思ってたな…)」

 パーちんやるなあ、顔はちょっとこわいけど女の子には優しかったしなあ。うらやましいなあ、と今日何度も思った羨望の念を胸に抱きながら窓越しに、夜でも煌々と明るい街を眺める。
 マイキーは来ない、と三ツ谷は言っていた。もちろんパーちんのことも伝えたけどどうせ返事はねーよと。そもそもマイキーがいまどこで何してるか、仲のいいドラケンや三ツ谷でさえよくわからないらしい。連絡しても返ってこないことがほとんどだし、たまに生存確認みたいに風景の写真だけが送られてくることがあるくらいで。なんか、マイキーらしいな。

「…元気にしてるといいけど」

 そう思う気持ちに嘘偽りはない。でも、勝手に好きになって、勝手につきまとって、勝手に告白の返事にキレてビンタをぶちかまして、全ての連絡手段をシャットアウトし、何も言わずに去っていった女の、言葉である。図々しいにもほどがあるキモイほんと最悪な女、と自分を罵る言葉を並べながら目を瞑った。マイキーだって、きっとそう思ったに違いない。
ああ最悪。車内に染みついたタバコのにおいでクソ気持ち悪くなった。



「それでそれで!2人はいつ頃とか、もう決まってるの!」
「え、えぇ〜っと…なんのことぉ…?」
「…エマはいつでもいいんだけど」

 温州みかんサワーをぐっとあおってからずいいっと2人に向かって顔を近づけると、それぞれ顔をふいと背けた。ヒナはすっとぼけて誤魔化そうとするし、エマはちら、とドラケンの方を見てからむすっと口を尖らせてる。(ここのカップルは相変わらずだな)
2次会に差し掛かり、私にしてはまあまあお酒も入ってるので絡み方は親戚のおばちゃんさながらのウザさだろうと自覚はあったけれど、私はとにかく早くこのかわいい友達のきれいなウェディングドレス姿を見たい、その一心だった。きっときれいだろうなあ。

「なまえちゃんこそ最近どうなの?前によさげな人いるって言ってたじゃない?」
「そいつとはもう終わったってさ」
「え!いつの間に?エマ聞いてないんだけど!」
「ちょっと!なんで三ツ谷が答えんの!あっち行ってよシッシ! 」

 隣でパーちんたちと話してたはずの三ツ谷がにゅっと女子会に首を突っ込んでくる。勝手に盗み聞きすんな!しかもお前が答えるな!と男子会のほうに押し返そうとする私に妙に目の据わったエマがずい、と前のめりになって顔を近づける。

「やっぱり、ダメなんでしょ」
「え?」
「ウチにはわかるよ。なまえはいまでもマイ、」
「ちょっいや!ちがうから!」

 当時、誰にも何も言わずに引越してしまったものの、暫くして冷静を取り戻した私はまずエマとヒナに経緯の説明と誠心誠意謝罪をした。星座のパフェを添えて。初めはぷりぷりと怒られて説教されたけど、マイキーとのことを慰めてくれて私はカフェだというのに普通にめちゃくちゃ泣いた。それまで誰にもそのことを話せていなかったから、余計。
 それからも定期的に会って、それぞれの状況とか話していたから私が呪いと呼ぶそのことについても知っている。それでいつも「なまえにはマイキーじゃないとダメなの、マイキーもそう!ほんとバカみたい!」とエマが怒るのだ。今みたいに。だけど私にはどうすることもできない。例えエマの言う通りだったとしても、もうどうしようもない。

「そういうんじゃないから、ね!ただ合わなかっただけだよ」
「それはどうかねえ?」
「だから三ツ谷!こっち入ってこないでって言っ、」
「オイオイ嘘だろマジかよ!」

 突然、今日イチでかいパーちんの声が上がる。急に大きな声がしたのでびっくりして固まっていると、次々にみんなの声が弾んだ。お久しぶりです!と震えた声でタケミっちが言うと、オイオイもう泣いてんじゃねえよとからかいながらドラケンが笑う。おせえぞ、どこほっつき歩いてたんだよ、もうすぐお開きだっつうの、マイキー、と。

「おう、わりぃ」

 背後から聞こえた声に完全に硬直する私と、そんな私に気付いておろおろしているヒナ以外はみんな笑いながらマイキーに楽しそうに非難を浴びせている。
 まじおせーよ!ふざけんな!お前のメシ、ねぇから!久しぶりに聞いたなそのフレーズ、なんのドラマだったっけ…なんて一瞬現実逃避しかけてしまったけど、「オメーが主役持ってってどうすんだよ!」と笑う三ツ谷の声にハッと我に返って、その高そうな服を鷲掴んで手繰り寄せ、耳元で声を潜めながら訴えた。来ないって言ってたじゃん!

「ンだよ。オレだって知らなかったつーの。返事なかったら来ないと思うだろ?」
「そ、そうだけど…!」

 確かに連絡取れないとは聞いてたけど、いやでも、そんなこと言われたって、心の準備みたいなのがあんじゃん!私立つ鳥跡を濁しまくっちゃってんだもん!
 軽くパニックを起こしてる私に三ツ谷は「いい機会だからその呪いとやら、解いちまえよ」なんて適当なことを言うから手の甲を強めにつねった。バーカ!

「いって!なにすんだテメェ!」
「でかい声だすな!気付かれるでしょうが!」
「へいへい、オレはよかれと思って言ってやってんのによ。まあ別に顔合わせなきゃいいだけだろ、パーちんの横座るだろうし」

 確かにそうだ。幸いにもマイキーの席は私のところからちょっと離れたところだったし、パーちんが酔っぱらって絡みまくってて、相変わらず号泣してるタケミっちがべったりくっついているので、多分こっちに来る余裕はないだろう。三ツ谷を盾にして隠れていればたぶん、大丈夫そう。そう考えるとちょっとだけ気持ちが楽だ。
 バクバクと鳴っている心臓を落ち着かせるように胸のあたりをおさえながら深く息を吐くと、ヒナが眉を下げながら大丈夫?とお冷の入ったジョッキを渡してくれた。

「うん、ありがと、ぜんぜん、だいじょぶ!」
「片言なってんぞ」
「うっさい!三ツ谷はあっち行って話してきなよ!」
「オレがいなくなったら隠れる壁がなくなるけどいいのかよ」
「ダメ行くなずっとここにいろ!」
「滅茶苦茶だなオマエ」

 立ち上がるふりをした三ツ谷を無理やりイスに戻して、お冷の入ったジョッキをぐいっと呷った。思いのほかキンキンに冷えていてちょっとびっくりしたけど、そのお陰でちょっと冷静を取り戻せた気がする。
 突然のことすぎてついバカみたいに慌てちゃったけど、こっちが勝手にトラウマになっちゃってるだけで、私が思っているほどマイキーはあのことを気にしていないし、そもそももう私みたいな女のことはとっくに忘れてるかもしれない。それか理不尽なクソ女だと嫌ってくれてるかも。そう、それがいい、その方がいい。そしたら私っていつまでも昔のこと引きずってバカだ!な〜にが呪いだただ恋愛が下手なだけじゃん!と笑い飛ばせるかもしれない。
 ここの閉店時間はもう1時間もない。あと少し、あと少し耐えれれば。
 そう思って、普通にくだらない話題を切り出した私にヒナは一瞬びっくりしていたけど、すぐに察して話を広げてくれた。そこにエマも加われば、あっという間に女子会の再開だ。ありがとうの気持ちを込めて、デザートに運ばれてきた白玉ぜんざいの白玉を一つずつ、2人の口の中に運んだ。



「んじゃ、またなぁ〜オマエら〜」
「気ィ付けて帰れよ」
「パーちん結婚式までに痩せておかねーとボタンがはじけ飛ぶぜ〜」
「うるせーよドラケンテメェ!」

 案外あっけなく、マイキーに接触することなく2次会を乗り越えることができた。3次会の話も出かけていたけどみんなだいぶ酔っぱらっていたのでまた日を改めて、ということになったらしい。あとは無事に家まで帰るだけだ。
 「マイキーは、ウチらが連れて帰るから!」とエマが言ってくれたし、ヒナはそれとなくみんなを早く帰路につかせるようにしてくれて、優しき女神2人のご尽力もあり、私は一人トイレにこもってみんなと帰るタイミングをずらせばいいだけだった。さっきエマから『マイキー確保!』とメッセージも来たので、もう大丈夫だろう。
 さてと、このあとは三ツ谷を呼び出してこってり説教でも垂れてやるか、なんて考えながら店をでて、連絡をすべくコートのポケットからスマホを取り出したときだった。その手を誰かに掴まれる。なんだ三ツ谷、待っててくれたのか。連絡する手間省けたわ、と顔をあげた。

「丁度よかったいま連絡し、よう…と……」
「オレに?」
「え、あ、いや……」

 顔をあげたらサラサラの黒髪の男の人で一瞬びっくりして変な声が出そうになるけど、こちらを見下ろすその猫みたいに大きくて黒目がちな瞳を、私はよく知ってた。
 髪型はおろか髪色すら変わっていたことすら気付かないって、私どれだけ視界にいれないようにしてたんだろう。ていうかなんかちょっと背が伸びてる気がするし、そう言えば少しだけ声も大人っぽくなっている。
 いつだったか、酔っぱらった三ツ谷と「マイキーがぶくぶくに太って、あのときの面影もないくらい別人に変わってたら百年の恋も冷めるんじゃねーか?」と話したことがあったのを思い出した。確かに〜と思うと同時に、そうなっててほしくはないなとも思ったけど、そうなってたらさすがに私も目が覚めるわと笑ったこともあった。
 現実は残酷だ。マイキーはいまでもバチバチにかっこよかった。悔しいくらい、かっこよかった。

 …なんて呑気に見惚れている場合ではない。
 なんでマイキーがここにいるの?もう帰ったはずじゃ?と頭が真っ白になりかけてると、手の中のスマホがブーッと震えて画面にエマから『ヤバイ!マイキー消えた!』とメッセージが届いてるのが見えた。うんうんそうだろうとも。だって、ここに!マイキーくん、ここにいますもの!
 わざわざここまで引き返してきたというのか。なんで、どうして、そんなこと。

「久しぶり。三ツ谷だと思ったろ、ガッカリした?」
「や、えっと、帰ったんじゃ…」
「ウン。でもオマエいないから探してた。帰んの?」
「うん…帰るよ」
「フーン…じゃ、オレに付き合ってよ。もうちょい飲みたいんだよね、腹も減ってるし」
「そ、そんなの、三ツ谷でも誘えば?独り身で寂しいらしいし!」
「でもアイツさっきタクシー乗ってたケド」
「えっ!」

 あんの野郎〜!思わずスマホを握る手に力が入る。三ツ谷が使えない以上、自分の力だけでなんとか、どうにかしてこの状況を切り抜けないといけない。ええっと、えっとえっと、ン〜!
 パニクりかけてる私の眼前ににゅっとマイキーの顔がでてくる。酒のせいか、寒さのせいかほんのり顔に赤みがさしていた。

「オマエは?」
「あィ!?」
「オマエは、独り身で寂しい?オレは寂しい。だから付き合って」

 もう無理だ、と思った。私にこの場を切り抜けるすべはないと。
 私の目の前にいるのがマイキーだと認識したときからずっと、耳に心臓移動した?って思うくらい自分のバカでかい鼓動がすぐそこで聞こえていた。もしかしたらマイキーにも聞こえちゃうんじゃないかと危惧して少し距離を取るために少し後ずさろうとすると、掴まれたままの腕を軽く引かれて、さっきより距離が近くなる。悪手だった。
 ていうか、えっと、なんだっけ、私いまなんか答えなきゃいけないっけ?わかんない。まじでわからん。どうしよう、まじで気絶しそう。



 結局、私は逃げるための言い訳も考えられず、掴まれた手を振り払うこともできなかった。
 手を繋ぐ、というには些か不恰好ではあったけどマイキーの手のひらに私の手が包まれる形で夜の街を歩く。触れているそこがジンジンと熱くて、ツキツキと痛む心臓を抑えながら、連れられるがまま安いチェーン店の居酒屋に入った、けど。

「ハァ……」

 マイキーと向かうように座って、なに食う?とメニューを差し出された途端、目が覚めたように我に返って慌ててトイレに立ってしまって、戻るタイミングを失っている、なう。
 顔が異様に熱い。絶対、お酒のせいだけじゃない。
 一度洗って冷やした手で左の頬をおさえながら、空いてる右手でスマホを握りしめ、メッセージアプリのアイコンを無駄に何度もタップした。苛つきに近いこれはあの男への懐疑心だ。開いたトーク画面の上部に表示される『mitsuya』の字すら癇に障る。お洒落気取りの半角英字で登録しやがって。あとで頓知気な名前で登録しなおしてやる、と思いながら『おぼえとけ』と全身全霊の怨念をその5文字に込めて送信した。すぐに既読がつく。そして、すかさずしろくてもっちりした癒し系ロボットの『診断名 思春期』のスタンプと共に音声が流れたとき、私の疑念は確信に変わった。絶対、この状況に至るまでに三ツ谷がかかわってるに違いなかった。ちくしょう!

「うぐぁ〜 ……」

 情けない声が出る。もうそろそろ戻らないと、会って早々うんこ我慢できなかった女みたいに思われるかもしれない。まあ、もう今更なんて思われたところでどうなるわけでもないけど、と思いながら苦し紛れに前髪を直す自分がなんだか恥ずかしかった。急いで席を立ったせいでポーチを持ってくることもできなかったので顔面をどうこう直せる術もない。唇にはかろうじてティントの色が残っていたけど、だいぶ乾燥しているし目尻のアイラインも少し掠れてる。悪足掻きに、置いてあったあぶらとり紙でTゾーンを抑えながらため息を吐く。ここに留まり続けたってしゃあない。そろそろ腹を括らないといけないことは自分でもわかっていた。

 私の恋心というやつを蝕み続けた男が、小さなテーブル席で私を待っている。私の長いようで短い人生の中で一番好きだった男。何年も経ってるのに夢にまで見る男。できれば会いたくなかった男。忘れられない男。私に呪いをかけた男。私の中のあらゆる分野のランキングを総なめしている男を、待たせている。ドリンクオーダーすら取ってないのに。



「ポテサラと、枝豆と…ん〜あと牛ハラミステーキ串2本、焼き餃子と…あと薩摩ぶり。それからー…あ、帰ってきた。オマエなんか食いたいのある?」
「え?あ、えと……じゃ、じゃあ、これ」
「ん。じゃあとそれで」

 特におなかがすいてるわけじゃなかったのに、メニューにどでかく載ってる金色に輝く熱々の『焼き立てふわふわだし巻きたまご』の写真に惹かれて思わず指さしてしまった。オレも頼もうか迷ってたんだそれ、と笑いながら畳んだメニューをテーブルの端に寄せたマイキーの黒い髪が揺れる。

「帰ったかと思った」
「え?」
「なかなか戻ってこないからさ」
「そ…そんなことしないよ…カバンも置きっぱなしだし」
「そーか?カバンも投げ出したいくらい嫌なんかなって思ってた」
「……帰ってほしいなら、帰るけど」
「んなわけねーだろ、オレが誘ってんだからさ。ホラ、乾杯しようぜ」

 お待たせいたしました、の声とともにテーブル運ばれてきたのはジョッキに入った…コーラが2つ。ご丁寧にソフトドリンクとわかるようにストローまでささっている。ウン年ぶりに再会したいい歳した男女が居酒屋でコーラ飲むってどんな状況だよと思っているのがつい唇から溢れて、「コーラって…」と呟いてしまうと、それを耳聡く拾ったマイキーがふふんと鼻を鳴らした。

「コーラ、好きだっただろ」
「いやまあ好きだけど…」

 確かによくマイキーとコーラを買っては一緒に飲んだりしたけど、それってコーラが好きというよりは、それを口実にしてたってだけだ。ほんとなら酒でもいれないとこの場を乗り越えられない気がしていたけど、まあ、いい…か。
 ジョッキをもってウズウズした様子のマイキーがはやく、と急かしてくるので慌ててジョッキを引き寄せる。持ち手までキンキンに冷えていて若干指先が痛いくらいだった。

「んじゃ、久しぶりの再会に、カンパーイ」
「はい、かんぱい…」

 カンパイしてる、マイキーと!…中身コーラだけど。
 信じられなかった。夢みたいだった。いや、もしかしたら夢かもしれない。拗らせて、ついにマイキーとサシで飲む夢を見てるのかも。そう思いながらストローを抜いて灰皿の上に置き、キンキンに冷えたジョッキに口をつけた。久しぶりに飲むそれは甘ったるいけど炭酸の刺激がちょうど良く、だけど、ペプシ・コーラだった。

「ん、ペプシだこれ」
「うん」
「ま、たまにはいいか」
「…うん」

 一応相槌はうってはいるものの、いまだにマイキーと言葉を交わしてることに現実味がない。ほんとに夢なのかな、と真面目にバカなことを考えてテーブルの下でこっそり自分の太ももをつねる。痛い。だけどそれだけじゃ足りなくて、丁度よく運ばれてきた枝豆に手を伸ばした。夢の中って味するんだっけかもわからんけど……ん?あれ?味しなくない?やっぱ夢か?

「ねえこれ味する?」
「ま、まだ食ってねーからわかんねぇよ…どんだけ枝豆食いたかったんオマエ」

 あまりにも枝豆に食らいつくのが早かったせいか、私の奇怪な行動を訝しみながらも、神妙な顔でマイキーも枝豆を口に運ぶ。私も思わず、固唾を飲んでそれを見守った。

「…いや、素材の味しかしねえ」
「あやっぱ?」

 ただただ店員さんが塩をかけ忘れただけだったらしい。タイミングよく寒ぶりを持ってきた店員さんに味がしないことを伝えると、すぐ塩ふってきます!とキッチンに引き取られていった。
 再びテーブルに戻ってきた枝豆はしょっぱすぎるくらい味がついていて、極端だなと顔を見合わせて笑った。夢じゃない。私は確かに現実でマイキーと笑い合っていた。

「いつぶりだ?オマエが引越したのが高校あがる前だったから…うぇ、数えたくもねえな」
「うん…そだね」

 さらりと私がマイキーの前からいなくなったときのことを言われて、どきっとする。私はその時のことをいまだに引きずっているけど、マイキーからしてみればたいしたことではないのだということがわかって、喉の奥がきゅっと絞まるような息苦しさを感じた。そりゃオレも老けるわけだ、なんて笑うマイキーに合わせて私も「ほんと、早いね」なんて言ってみたけど、あまりうまく笑えている自信がない。

「まあ、なんだ。オマエが元気そうでよかったよ」
「うん…その、マイキーこそ。みんな心配してたよ、全然連絡取れないって」
「あーそれさっき散々叱られた。せめて既読くらいつけろって」
「そうだよ。今日だって返事ないから来ないと思ってたって三ツ谷言ってたし…」
「ん…そーだな、ちゃんと見るようにするよ。3回未読無視したらジョジョエン奢らなきゃいけないルール作られたし」
「すぐ執行されそうだね、それ」
「絶対ヤダ」

 口ではそう言っているけど、表情はおだやかで本当に楽しそうに笑っていた。そりゃそうだよな、久しぶりに会えたんだもん。なんならもっとドラケンたちと飲みたいだろうに、なんでわざわざ、私のとこになんか来ちゃってんだろこの人。完全に判断誤ってますよ。

「オマエはあいつらとああやってよく会ってんのか?」
「いや、全然。三ツ谷には割とよく会ってたけど、あとエマたちと女子会したりとかは、たまに…」
「ふうん」

 ポテサラを箸でつまもうとしたらマイキーとタイミングがかぶって危うくぶつかりそうになる。咄嗟に手を引っ込めてごめんと謝ったら、宙に置いてきぼりだったマイキーの箸がポテサラを摘んで、こちらに差し出された。
 は?という声はギリギリ飲み込めたけど、そのポテサラは飲み込めん。自分で取るから、とあわてて首を振る。無言で箸が近づく。首を振る。何回かその攻防を繰り返して、最終的に折れたマイキーがひどく面白くなさそうな顔をして自分の口に運んだ。

「…オマエらって、そんなに仲よかったっけ」
「え?」
「三ツ谷とだよ。あれからずっと仲いいのか?」
「あれから?」
「オマエが引越してから」
「あ、ううん、そういうわけじゃない。全然連絡取ってなかったけど、大学生のときに友達と入った店でたまたま三ツ谷が働いてて、そっからたまにご飯行くようになったって感じ…だけど」
「ほおん、そーか」

 なんだかやたら三ツ谷とのことを聞かれている、気がする。まあ自分のことは着拒までしておいて、その一方他のひととはまあまあ遊びに行ってたら感じ悪いかな。よくわからないけど、それからマイキーはその話を続けようとはせず、ガリガリと、空になったジョッキの中の氷を噛み砕いていた。
 なんとなく空気が重いまま、沈黙が続く。マイキーといられれば沈黙さえ心地よく感じた頃もあったけど、いまはいやに緊張して掌がじんわりと汗ばむ。手持ち無沙汰なせいで、ジョッキに手を伸ばす回数が増える。私の緊張に比例してコーラの嵩が減っていった。

「か、髪…」
「ん?」
「髪…黒くしたんだね。声かけられたとき知らない人かと思っちゃった」
「ああ、ウン。似合わない?」
「ううん、似合ってると思う…し、それに…」
「それに?」
「…なんでもない。いいと思います、以上」
「はは、なんだよ気になんじゃん」

 まあ褒めてくれたんならいいけどさ。
 マイキーと言えば金髪のイメージが強いから黒髪なんて想像したことなかったけど、こう、なんていうか…ミステリアス?で、かっこいいと、思う。本当はもっと褒める言葉があったけれど、喉の奥につっかえたまま、それを吐き出すことはなかった。似合ってるって言えただけで十分だ。
 金髪は、マイキーのトレードマークといってもいいものだったと思う。それを黒に染めるなんてきっと何かあったのじゃないかと私は勘ぐっていたけど、マイキーは笑って「目立つから黒にしただけだよ」と言った。そうなのかな。そうなんだろうな。

「なまえはキレイになったな」
「な、なにそれ」
「チャリでバイクに追いつこうとしてたとはとても思えねぇよ」
「もうやめてよその話…」
「フフッ、照れんなって」
「うるさいな…!」

 そんな風にたどたどしく、どぎまぎしながら話している内に、段々と妙な緊張も和らいできてだいぶ昔のように話せるようになっていた。お互いコーラを片手に。
 パーちんの結婚のことや、仕事のこと、つい最近ダイちゃんに会ったこと(マイキーはほとんどダイちゃんのことを覚えていなかったけど)、私が引越した後のことなんかを話したりした。
 トーマンのことは、聞かなかった。知りたかったけど、これは三ツ谷にも聞いていないことだ。多分、私なんかが聞いちゃいけないものだと勝手に思ってる。私はトーマンの人間じゃなかったから。

 マイキーは暫く日本全国を目的も決めず気ままに旅したあと、海外にまで行っていたらしい。道中、携帯を壊したり無くしたり盗まれたりしたから連絡がつかない時期があったと。その話を聞いて、三ツ谷に送られていた生存確認代わりの風景画像は、きっと旅先で撮ったものだったんだろうなと合点がいった。たまに日本の街並みじゃないようなものがある、と言っていたし。画像だけじゃなくて、どこにいるとか一言添えればよかったのに。

「いま思えばなんで外でねるねるねるね食ったんだろうな」
「マイキーが言い出したんだよ、オレたちには知育菓子が足りない!って」
「意味わかんねぇな」
「パーちんが3番の粉あけるの失敗して周りに飴飛び散っちゃってさ」
「そーだ!パーのヤツ、半泣きで拾ってたよな」
「あとあれ、誰が一番ねれるかとかやったよね」
「あれ結局誰が勝ったんだっけ。オレか?」
「ドラケンじゃなかったっけ」
「そーだっけ?」
「だいたい一番ねれるの判断基準が謎だったもん」
「確かにな。いかに周りを説き伏せられるかだったしな」
「そうそう」

 マイキーと話すのは楽しかった。話を聞くのも、聞いてもらうのも。久しぶりにこんな風に話せたことが嬉しくて、それでいてまだ私はマイキーのことが好きだったんだなと再確認した。めっちゃ好きだ、認める。どうしようもない。
 不思議なものだなあ。もうずっと長い間会っていなかったっていうのに、体中の全部がこの男を好きだと言っている、そんな気がした。でもその気持ちは今日で終わりにしようと思う。

「…あの、マイキー、そろそろ電車なくなっちゃうから、帰らないと」
「ん?…あーもうそんな時間なのか」
「うん、だからお会計しよ」

 頬杖をついて口をとがらせているマイキーは明らかに不満そうだったけど、見ないふりをした。そんな風にしないでほしい。いつまでもここにいたくなっちゃう。数時間前までは会いたくなかったって思ってたのに今は帰りたくないって思ってる。単純でバカな女だ、と思いながら伝票をもらうために店員に声を掛けた。

「すいません。お会計で」
「はーいかしこまりま、」
「いや!コーラ2つで」
「えっ」
「ええっと…?」
「コーラ2つで。まだ飲み足りないので」
「っす!」

 にこっとマイキーが満面の笑みを浮かべると、店員のチャラそうなお兄さんもそれに応えるようににこっと笑顔を浮かべて、私のお会計など聞こえなかったようにハンディでコーラ2つを注文を通した。そりゃあ、店側からしたらオーダーがはいるならそれに越したことはないんだろうけど、こんなのあんまりだ。
 ぶっちゃけ終電なんてなくてもタクシーで帰れるからいいんだけど、そういうことではない。どんな理由があれ、まだ私といたいと思ってるような行動をとることに、浮かれてしまいそうになる。やめてくれ、ほんとに。

「ちょっと、なにしてくれてんの!」
「いーじゃん、オレが責任もって送るからさ。てかここもオレが出すから好きなもん食えよ」
「そ、そういうことじゃ、」
「オマエがどうかは知らないけど、オレはまだ話し足りないし」
「マイキー、」
「頼むよ。…もう少し、このまま」

 な?と無邪気に笑いかけられると、私は泣きたくなる。
 好きな男にもっと話したいから帰るなと引き留められて期待しない女がいるのか。
 苦しい。ただの友達だと割り切れない私が悪いのかもしれないけど、こっちはもう何年もお前を夢に見てるんだっつの!そう簡単にいくかバーカ!心の中ではそう威勢を張っても、現実の私はぐっと唇を噛みしめるだけだ。
 だけどその無言が彼を不安にさせたらしい。恐る恐ると言った風に私の名前を呼んだマイキーは、さっきの明るい顔から一転して眉尻を下げて、会計する気満々で財布を握ってきた私の手を覆うみたいに触れてくる。私が知ってるより大きくて、ゴツゴツした手に、またバカみたいに鼓動が早まる。
 こちらを覗き込むようにして私の目をまっすぐに見つめるマイキーのその顔を、何度か見たことがあった。彼の繊細な心が揺れるときのそれだった。

 マイキーは無敵だけど、完全無欠なわけじゃない。なんてことない顔して、平気な風に振る舞うのが上手なだけだ。完璧に見えるだけ。気持ち悪いけど、私はマイキーのことをずっと見てたから、なんとなくわかる。
 だけど私がどうにか出来るわけでもない。抱きしめてあげることも、宥める言葉をかけることもできるけど、そんなものはマイキーのためにはならない、邪魔になるだけだ。だからいつもそんなときはただただ隣に座ってジッとしていた。マイキーに追い払われるまで。
 いまここでの最善策は、もう一杯コーラを一緒に飲むことなんだろうと思う。ほんとは逃げ出したかったけど、私といたいと思ってるマイキーを置いて帰れるのかと言うと、そんなこと出来なかった。好きなんだもん、仕方なくないか。
 渋々カバンから取り出しかけていた財布をもとの位置に戻した。ついでに、マイキーの手の下敷きになってる手も引っ込めると、ちぇ、と残念そうな声が聞こえた。もういつものマイキーに戻っていた。…まんまと従ってしまったのが、なんとなく悔しい。

「ありがとな、付き合ってくれて」
「…酔ってんでしょ」
「酔ってねーよ。一滴も飲んでないの知ってんだろ」
「え…知らない。そうなの?」
「うん。だってオレ、今日バイクだし」

 この店に来てからコーラしか飲んでないことは知っていたけど、ドラケンたちといた時もソフドリしか飲んでなかったのか。てっきり飲まされているのかと思ってた。
 だとしたら今までの言動、全部シラフで、責任もって送るってのはそのまんまの意味でマイキーのバイク(まだバブに乗ってるんだろうか)でってこと、なのか?わからない。わからないけど、自分の顔が熱くなるの感じる。丁度よくさっきのチャラいお兄さん店員がコーラを持って来たのですぐに手を伸ばした。冷静にならないといけない。


「他の誰でもダメなら、もうマイキーにどうにかしてもらうしかねぇんじゃねーの?」

 いつだったか三ツ谷と飲んだ時に言われた言葉をふと思い出した。ま、アイツどこで何してんだかわかんねーけどな!と笑う三ツ谷に無茶苦茶言うな!と目くじらを立てたものだったけど、いまなら、もしかして。
 トイレに立ったマイキーが帰ってくる前に薄くなったジンジャーハイボールを飲み干した。覚悟を決める。ここで呪いを解いて、もうこれっきりにしよう。それでいい友達としてやっていけたら、いける自信はないけど、そう出来たら、いい。マイキーといると楽しいはずなんだから。

「は〜すっきりした」
「…ねえ、マイキー。私もお願いがあるんだけど、きいてくれる?」
「ん?なんだ?なんでも、どーんと来いよ」

 にかっと笑うマイキーを前に、うまく言葉が出ない。呼吸が浅くなって背中に嫌な汗をかく。言う、言おう、言ってしまえ。なにかを言い出そうとしては口を閉じ、それを何回も繰り返してる私を、眉間に皺を寄せたマイキーが大丈夫か?と心配する。緊張のあまり目の縁が、少しだけ潤む。

「オイ。具合でもわる、」
「ま、マイキー」
「お、うん、どした」
「あの…あのとき、思いっきり…その、ビンタして、ごめん」
「あの時って……あれはオマエが謝るようなことじゃ」
「それで!ここからがお願いなんだけど」
「おう…何?」
「わ、私のこと、ちゃんとフってくれない?」
「は?」

 眉間に皺を寄せて意味が分からないと顔全体で表すマイキーに私はただひたすら、うんうんと頷くしかできなかった。意味が分からないことを言ってる自覚はある、そんな顔にもなるよね、ごめんね。でも、私をちゃんとフってほしい。

「あのとき…マイキーに、その、告白したときのことを夢を見るの、たまに」
「……」
「それで、そうするとああ私まだマイキーのこと忘れられてないんだって思っちゃって、その時の恋人をフるっていう、ことを、愚行を、何回か繰り返してるんです。あ待って違う、別にマイキーのせいにしたいとかじゃなくて私のせいなんだけど」
「……」
「ほら、あのときマイキー、ありがとなしか言ってくれなかったじゃん。実質フラれてるんだけど、その、ちゃんと断ってほしいの、そうしたら多分もう大丈夫だと思うから」

 無理言って、ごめんなさい。
 最後の方はちゃんと声になってたかわからない。好き勝手に捲し立てるように意味のわからないことを言っちゃったから、無言になられても仕方ないけど、こんなに居た堪れない空気はない。胃の中のものが全部でてしまいそうな感覚に襲われる。喉元までだし巻き卵がせりあがってきていてもおかしくない。
 沈黙に耐えられなくてうわ言のように「まじ、ごめん、意味わかんないよね、ごめん、マイキー」と繰り返す私は、もうマイキーの顔なんて見れない。俯いて、割りばしの袋を折って作った箸置きをじっと見つめていた。膝の上で握った手のひらにじんわりと汗が滲む。

「……」
「あの、マイキー…その…」
「……断る」
「え?」
「オマエの告白を断ることを断る」

 思わず顔を上げた。すこし前のめりになってテーブルに肘を置いたマイキーはものすごい不服そうな顔をしている。ごきゅり、と喉が鳴る。何を言われるのかわからなくて、ちょっとこわかった。

「え、いや…な、なんでよ、」
「ん〜そうだな。まず、オレはオマエのことをフってない。まあ、OKもしてねぇけど」
「ええ…?」
「そんで、オマエは今でもオレのことが好きってことでいいか?いいよな?」
「…そこまで、言ってない」
「そーか?でもザンネン。顔にそう書いてある」
「なッ」

 わかりやすい人間である自覚はあったけど、当人にそれを言われると恥ずかしくてたまらない。両手で自分の顔を隠すように覆うと「オマエは昔からわかりやすいから」と付け足されて顔から火が出そうだった。いつからわかってたんだろう、もしかして店の前で捕まったときから私の気持ちはバレてたんだろうか。最悪すぎる。

「悪かった」
「へ」
「オマエの気持ちにちゃんと答えてやれなくて。悪かった」

 恥ずかしさに悶えていたら、謝られた。真面目な顔で、真っ直ぐ私を見てる。マイキーの言葉を疑っているわけじゃなかったけど、本心からの言葉なのだと目を見てわかった。私はなにも返す言葉が見つからない。

「好きって言われて、スゲー嬉しかったよ。でも、あのときはまあ…オレにもいろいろ事情があったんだ。オレの気持ちだけで決めていいことじゃなかった」
「……」
「あの場ではオマエの気持ちを受け取れなかったけど、その理由をどうやって説明しようか迷ってたんだよ。なのにオマエ、ビンタして逃げるから。びっくりして固まっちまったんだ、情けねーけど」
「…だって…」
「あのときすぐに追いかければよかったけどさ、まさか急に会えなくなるなんて思わねーだろ。誰にもなんも言わずにいなくなりやがって。ばっちり着拒もしてやがるし」
「う……」
「でも、オマエがいなくなったのは、都合がいいと思ったんだ。オレから離れればお前が巻き込まれなくて済むと思ったから」
「巻き込まれる…?」
「そ。オレ、いろんなヤツにモテモテだったからさ」

 ケンチンみたいにカッケーヤツにも、オマエみたいな可愛いコにも、平気で人を殺すような悪いヤツらにも。
 その言葉が冗談ではないことはわかっていた。マイキーのカリスマ性やその強さに惹かれて不良になった人やトーマンに集まる人をたくさん見てきたし、憧れや羨望を拗らせて、変に絡んでくる人も見てきた。…私もその1人かもしれない。オマエのせいで恋愛ができないっていちゃもんつけてる輩のひとりかも。

「じゃ、じゃあ、私を守るためにってこと、なの…?」
「そんな恩着せがましいことは言わねぇよ。どんな理由であれオマエを傷付けたのは事実だ。ホントにごめん」
「いや、そんな……」
「…でも、もう済んだんだ。全部終わった。オレはオレの好きに生きる」
「え…?」
「だから、オマエにもちゃんと言える。あの時も、いまでも。オレはなまえが好きだって」
「は!?」
「今更そんな驚くことか?」

 ふはっとおかしそうに笑ってるけど、そりゃ、おど、おどろかないほうがおかしいだろ。だって私はあの時から今までずっと、フラれたんだと思って生きてきたんだから!両想いなんて、思うわけないじゃない。

「今でもって、だって何年ぶりだと思ってんの、ずっと会ってなかったのに、そんなこと」
「それはオマエも一緒だろ」
「そ、それは…」
「…さっき、オレが夢に出るって言ってたろ?」
「うん…」
「あれ、オレも同じ。たまにオマエが夢に出てくるんだ」
「うそ…」
「ウソじゃねーよ。そんでさ、いっつもマイキーのバカ〜って泣いてんだよ、オマエ。初めて会ったときみたいにぎゃんぎゃん泣くんだ」
「ええ……」
「泣きやませようと思っていくら手を伸ばしても、追いかけても、全然届かなくて」
「……」
「だから、オレはきっとなまえのことずっと悲しませてんのかもしんねぇなって思ってたけど…間違ってなかった。ごめんな、ずっと傷つけて」
「そ、そんなこと…」
「でももう大丈夫だ。もう手が届く。涙も拭ってやれる」

 困ったように眉を下げたマイキーの手が伸びてきて、少しかさついた指先が私の目尻を拭う。そうしてもらうまで自分が泣いてることに気付かなかった。

「ごめん、なまえ。オマエが好きだ、ずっと」
「わた…わたし…」
「ん?」
「わたしも、ずっと…魘されるくらい…すきで…」
「うん、知ってる。オマエには悪いけど、夢にオレがでてくれてよかったよ。じゃなきゃ今頃どこの馬の骨ともわからん男に取られてたかもしんねぇだろ?」
「ま、まいきーが…マイキーじゃなきゃ…いやで…ウエェ…」

 話しながら、ダムが決壊したみたいに涙がワッと溢れてきて、マイキーが慌てて取ってくれたテーブルナプキンで目元を抑えた。紙質が硬いからあんまり吸いとってくれないけど、なにもしないよりマシだ。
 感極まって、ついイーン…なんて変な泣き声まであげてみたらマイキーが笑いながら「ガキかよ」と額を小突いてきたけど、それからすぐに頭を撫でたり、ほっぺをちょっと引っ張ってみたり、赤くなった耳たぶをつまんだりして、泣くな〜と宥めてくれた。ついでに、「オマエ、福耳だよな」とも言われた。いま言うことかそれ。

「…わ、わたしたち、付き合うの?これ…」
「そうなるだろ。…イヤか?」
「ううん…やじゃない…でも、夢みたいで…ゆ、夢だったらどうしよう…たちなおれない…」
「夢じゃねぇよ。もういい加減わかれって」
「だってそんなこといったって、」

 マイキーの両手がうじうじする私の顔をむんずと掴み、ぐっと顔を引き寄せられる。その拍子に体がテーブルに当たって皿同士がぶつかる音がしたけど、そんなものはブレーキにはならない。
 マスカラもアイラインもファンデーションも全部ぐちゃぐちゃで汚いだろうに、愛しいものでも見るみたいに顔を綻ばせたマイキーの顔が近付いて、カサカサの私の唇に一瞬、マイキーのがふれた。もうこのまま、幸せなまま死んでしまいたいとさえ思ってしまった。

「これでわかったか?」
「あ……」
「わかんないならわかるまでするけど」
「わか、わかりました、もう、大丈夫です…」
「そーか?遠慮しなくてもイイのに」

 顔を覆って悶える私を後目に、満足そうなマイキーはお会計を頼んでいた。またさっきのちゃらいお兄さんがやってきて、「あれ、もう飲み足りたんすか?」と尋ねたのに対し、「足りないんですけど、このテーブルが邪魔なので」と答えた。お兄さんは歯切れ悪そうに相槌を打っていたけど、私はそれを聞いてまた頬が熱くなるのを感じていた。私も、マイキーと同じことを思っていたから。
 このテーブルを取っ払ってマイキーにしがみついてしまいたい。名前を呼んで、抱き締めてもらって、体温を感じたい。いろんな、口に出すのは憚られるような恥ずかしい欲望がふつふつと湧いてくる。誤って唇の端から溢れてこないようにコーラと一緒に喉の奥に流し込んだ。

「…私、三ツ谷に一生独身の哀れな女に似合う死装束のオーダーしてたんだけど、キャンセルしてもいいと思う?」
「は?なんだソレ。んなモンとっととキャンセルしろ。そんでもう三ツ谷と連絡取んな」
「ええ〜…」
「…なんだよ」
「もしかしてなんだけど…マイキーくん、三ツ谷に嫉妬してる?」
「あ?」

 総長を務めたことのある男の「あ?」は迫力が違う。ひ、と思わず肩を竦めるけど、凄んだ割にマイキーが拗ねた子供のような顔をして唇をとがらせているのが可愛くて、不覚にもふふと笑いが漏れてしまった。それがまた余計に眉間の皺を深くさせる。

「…オレより、三ツ谷のが今のオマエのこと知ってるだろ」
「うーん、そんなことないと思うけど…」
「どーだか」

 確かに三ツ谷とはよく飲みに行ったし近況も話したけど、私が話す内容の7割くらいはマイキーに関連することだったと思う。三ツ谷曰く、マイキーと初めての出会い編は8回くらい話してるらしいし。…まあ、この話をするのは色々問い詰められそうだし、今はしないでおくけど。

「でもこれから知っていけばいいんじゃないの?私もマイキーのこと、全然知らないよ」
「ま、そうだけど。もう勝手に居なくなんなよ」
「いなくならないよ。マイキーこそ、私のこと置いていかないでよ」
「そんなことしねぇよ」

 手を伸ばして、マイキーのきれいな顔に深く皺が刻まれてしまわないように眉間を伸ばすようにぐりぐりと撫でていると、その手を取られて小指と小指を結ばれた。指切りみたいだ。

「三ツ谷と連絡取るなって言われたけど…やっぱり、三ツ谷にトップクのオーダーしたいな」
「あー…オマエ欲しがってたもんな」

 トーマンの特攻服の話だろう。私に着る資格がないことはわかっていたけど、それでもほしくてマイキーにお願いしたことを覚えてる。結局、手にすることはなかったけど。
 家に一人の時にこっそり…っていう状況でしか着る機会はないだろうけど、こう、やっぱりほしいなあ。手元に置いておきたい。だめかなあ、と粘る私にマイキーは渋い顔をしていたけど、すぐになにかを思案するようにふむ、と顎に手を置いた。

「んー…じゃあ、条件がある」
「なに?」
「『夢にまで見た男 生涯佐野万次郎一筋』って背中にでっかく刺繍してもらうこと。なら、許す」
「なにそれ!」

 そんなの恥ずかしくて着れないよと笑うと、「式でだけ着ればいいだろ」とまじめな顔で返された。なんの式なの、なんて聞き返すことも出来ずに鳩が豆鉄砲を食ったような顔して固まる私を見て、マイキーはにかっと歯を見せていたずらっ子のように笑った。それは、私を助けてくれたあの日と同じ笑顔だった。


20210223 「居酒屋で/無邪気に/もう少しこのまま、と言う」
仲良しの管理人さんとCPシチュスロットで遊んだやつでした毎度のことながら長い
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