恐らくフランス人の綺麗なお姉さんとムキムキでイケメンなお兄さんが愛を語り合う様を見ながら、顎が外れそうなくらいの大口であくびをした。退屈なわけじゃない。ただ、隣にいるひとの温もりとかにおいとかによる安心感と純粋な睡魔のせいで、目の前で繰り広げられているあまいあまいラブストーリーをないがしろにしつつあるだけだ。
 再び、目の前のマグカップを吸い込まんとするくらいに大きな口をあけ、目を強く瞑りながら息のやりとりをすれば生理的に浮かんだ涙で目元が濡れた。手で拭うと、腰のあたりに置かれていた手が肩にまわされ、ぐっと引き寄せられる。隣に座るそのひとは、笑いながらわたしのこめかみにキスをするともう片方の手でプレイヤーの停止ボタンを押した。あ、と思わず声が漏れる。

「みないの?」
「うん。続きはまた今度にしよう」

 わたしのせいで画面の中にいる彼らの甘い一夜がお預けになってしまった。ごめんね、つまらなかったわけじゃないの。そう伝えると、わかってるよと言うように頭を優しく撫でられた。髪の間に差し込まれる指の感覚が気持ちよくて、まるで猫になったようにうっとりと目を細めてしまう。自然と猫のようなあくびが、またひとつ。むにゃむにゃという擬音語がぴったりな状態でしぱしぱとまばたきを繰り返していると、少し大きめの息を吸う音と、吐く音が静かな部屋に響いた。いまのはわたしのではない。時明のあくびだ。

「…ん?じっと見つめて、どうしたの?」
「もっかい」
「もう一回?」
「あくび。もう一回して」
「あくびのリクエストをされたのは初めてだな」

 そう言われれば、わたしもあくびのリクエストをしたのは初めてだ。ううん、眠気に頭がやられて考えなしに言葉を発してしまったと少し反省するけど、もう一回見たいな。時明のあくび。なんだか少し、レアな気がしない?いつもきちっとしていて隙がないひとのちょっぴり油断した姿がみたいだなんて、つい思ってしまったんだけど。

「お前の望むことはなるべく叶えてあげたいけれど…あくびって案外、だそうと思ってだせるものじゃないんだなっていうのを実感しているところだよ」
「しようとしてくれたんだ」
「お前のお願いだからね」
「ふふ、ありがと」

 そうか、あくびって自分の意思でできるものじゃないのか。そう思いながら試しにチャレンジしてみたら、びっくりするくらいあの大きく息を吸う衝動がきたので驚いた。できた。わたしは自由にあくびできた!と思って時明を見上げると、丁度大きく息を吐いたところだった。どうやらわたしのあくびが移ったらしい。また見逃した…!と残念に思っていると時明と目が合う。たいして面白いわけでもないのに、ふつふつと沸き上がるなんとも言えぬおかしさに2人で顔を見合わせて笑ってしまった。

「大人しく寝ようか」
「そだね」

 ふふ、と笑みを漏らしながらそう言って手を繋いだまま洗面所へ向かう。寝る前にはきちんと歯を磨かないと。虫歯もそうだけど、人に見られる仕事の時明は歯だって商売道具だ。お手入れは欠かしちゃいけない。残念ながら、わたしは軽い知覚過敏ではあるけれど。

「はい、どうぞ」
「はい、ありがと」

 時明からわたし用の歯ブラシを受けとる。このブラシの上にちょこんと角を立てて鎮座している歯磨き粉は、わざわざ彼が行きつけの歯医者で購入してくれたものだ。市販じゃ売っておらず、歯医者でしか取り扱っていないような本格的なものらしい。
 ちなみに、英時明が歯ブラシなんて使うわけがない。電動だ。電動歯ブラシ。数ある商品を一通り色々試して、今のにようやく落ち着いたらしい。使っていいよとわたしの分のブラシも置いてくれているのだけど、どうもわたしには手動のほうがしっくりくるもので、申し訳ないことにそれは使われないまま洗面台にぽつんと佇んでいる。初めのほうは軽くプレゼンされながら電動歯ブラシを薦められたものだけど、最近は諦めたらしくなにも言ってこなくなった。その代り、わたしと色違いの歯ブラシが並ぶようになった。どうやら、お揃いの歯ブラシというものが欲しかったらしい。使わないくせに、わたしのイエローグリーンの横にオレンジ色のそいつはいつもばっちりポジションを確保している。お気付きと思うが、意外と可愛いところのある人なのだ。英時明という男は。

「…」
「…」

 しゃこしゃこと手動の歯ブラシの音と、ぶううんと電動の歯ブラシの音。大きな鏡の前に二人並んで歯を磨くこの時間は割とすきだ。なんだろう、なんていうか、無防備な姿を見せてくれてるのが嬉しいというか。時明もわたしが頬をハムスターのように膨らませながら口の端に歯磨き粉をつけてる様が気に入っているとか可愛いとか、そんなよくわからないことを前に言っていた気がする。歯磨きしてるところ見て可愛いと言われるのはなんとも気恥ずかしさがある。

「ちゃんとぐちゅぐちゅぺってするんだよ」
「んむ」
「そう、ぐちゅぐちゅぐちゅって」
「む…」
「…ん?」
「…、それ、わざと言ってるでしょ」
「さあ、なんのことかな?」

 初めて歯磨きをする子どもでもあるまいし、そんな指導する必要ないのにわざわざ、その…時明が言うとやらしく聞こえてしまいそうな言葉を並べるのは完全に確信犯のすることである。口元をタオルで拭いながら時明を見れば至極愉しそうな顔をしていた。まったく、たまにやんちゃな少年のようになるんだから。…言うまでもなく、そういうところももちろん好きだけど。自然と近寄ってきた端正な顔に、わたしも自然と目を瞑る。爽やかなミントの香りが鼻孔を擽った。

20160525
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