※『音石夕星と終えたあと』の続き的なサムシング
※あっぽり登場時くらいのといちゃんの印象で書いてたものなので注意(解釈?的な意味で)


 今日が最後だと決めたあの夜のことを思い出していた。今から、1か月とちょっと前くらいだろうか。あの日は初めて自分から夕星に連絡をした。断られるかも、と不安になりながらかけた電話はものの数十秒で終わった。軽い口調で二つ返事が返ってきて、切れる。そこに一切余計なやり取りはない。わたしと夕星はそういう関係なのだからそれが当たり前のことなのに、どうしてこうも胸が痛んでしまうんだろう。

 最後だから、と心に決めていたわたしは自分でも驚くほどに大胆かつ積極的になれた。自分から彼を押し倒し、自ら上に乗ってはしたなく腰を振った。自分から下手くそなキスを何度もした。案外夕星は大人しくわたしにされるがままだったし、自分から彼を求める積極的な行動は夕星のお眼鏡にかなったらしい。始めは珍しく驚いた表情を浮かべていたものの、段々と嬉しそうに顔を綻ばせ、ご褒美とでもいうように今までにないくらい優しい手つきで、愛おしむように頭を撫でてきたのだ。まるで、世の男性が彼女にするかのように。夕星も女の子にそんなことするんだ。最後の夜に、初めて知った彼の一部分だった。
 わたしの努力(?)の甲斐あってか、わたしと夕星の最後のセックスは終始、かつてないほど甘い雰囲気で行われた。騎乗位のときにぎゅう、と夕星の首にしがみついても、怒られることも鬱陶しがられることもなかったし、寧ろわたしを受け入れるように背中に手を回してくれた。夕星の首元に擦り寄ると、安っぽいボディーソープのにおいがした。さっきシャワーを浴びたときに使ったんだろう。いつも色んな女の人の香水が混じったようなにおいを纏っているけど、いまはそんなのは全く感じられない。わたしと同じボディーソープのにおいと、少しだけ、夕星自身のにおい。今だけは、彼がわたしだけのものな気がした。…気がしただけね。

 最後に首でも絞められるようなハードなプレイだったらどうしようかと密かに心配していたけれど、実際のところ夕星はずうっとゴキゲンで、わたしの顔を見つめて、かわいいかわいいと甘やかしてくるだけだった。どうせなら滅茶苦茶な、最低なセックスをしてくれたほうがよかったかもしれないと思った。そうしたら、サイテーのヤリチンクソ男だと吐き捨てられたかもしれないのに。中途半端に優しくされると甘い名残がこびりついて、躊躇いが生まれてしまう。

 ゆうっくり瞬きをしながら、次の予定があると言って帰っていった背中とわたしの間を隔てたドアを黙って見つめていた。あっさりした最後だと思ってしまった自分を嘲笑ってやりたい。セフレ如きがなにを期待してたっていうのか。そもそも夕星は最後だってことを知らないのだから、なにもないに決まってるじゃない。ばかみたい。

「…ばいばい」

 最後に一瞬でも夕星の彼女のような気分を味わえて、ちょっと幸せだったかも。浅はかにそんなことを思いながら気だるい体を動かして夕星の番号を着信拒否にして、連絡先も消して、メッセージアプリもブロックした。これでおしまい。悲しいのかなんなのかわからないけどぽろりと涙が溢れた。きっと、やっぱり、いや確実に、わたしは彼が好きだったのだ。傍にいることを、触れることを許されるのならセフレでもいいなんて思ってしまったわたしがばかだった。

「……ほんっとばかだなあ」

 好きになってもらえるとでも思ってたんだろうか、本当にバカだ。繋がるのは体だけで、心が結ばれることはない。わかっていたから、なるべく彼には好意なんてなくて、ただ顔のいい男と気持ちよくなりたいだけの浅ましい女でいようとしていた。…けど、そこまでして一体この先になにが待つというのだろうか。はやく夕星から離れないと、このままじゃ胸が苦しすぎて死んじゃいそうになる。そう思って、終わらせようと思ったんだ。わたしは夕星が好きだけど、夕星はわたしを好きじゃない。夕星よりかっこよくて、わたしのことを幸せにしてくれるひと見つけてやるんだからなんて、あのときは思っていたはずだったのに。

::

「んでさ、そんときヒデがウワーッ!っていうからなんだ!?と思ったらあいつテレビに頭ガーンぶつけてメッチャ血ドバーッってだしてたワケ!やばくね?」
「あはは、まじうける〜」

 ウワーッでガーンでドバーッ!ね、はいはい。質の低い愛想笑いを浮かべながら、早く帰りたいなんて本音をジンジャーハイと共に喉の奥に流し込んだ。

 理由も話さずただひたすらしょんぼりしたわたしを見かねた友人が、独り身のわたしにぴったりの彼氏候補を紹介してやる!と意気込んでくれて、これまでに幾度か合コンまがいなことが行われたのだけど、いまだにいい人が見つからない…ていうかそもそもわたし自身本気でいい人を見つけようとしているのかどうかもよくわからない。もちろん、今日も今日とてわたしのハートを射抜く人には出会えなかった。ひたすら、たいして面白くない話を楽しそうに話す男に付き合っているだけだ。つーかアヤナ帰ってこないし、シュンくんもいつの間にかいなくなってるし。わたしのための合コンじゃなかったのかよ!

「実は俺もここ6針縫ってんよ〜見る?触ってみ?なんか変だから!」
「え、」

 やだよ別に興味ないもんあなたの頭部の縫いあとなんて。そう思いはするけど、直接言う勇気も元気もない。そうこうしている間に彼は頭をさげて、わたしの方に完治した傷口を向けてきている。や、やだあ興味ないもん!でも触らないとこの人ずっとわたしに謝ってるみたいな恰好のままでいるんだろうなあ、と困っているとテーブルの端っこに置いていたわたしの携帯がパッと明るくなり、ぶぶぶと蠢きながら着信を知らせていた。ちらっと見えたディスプレイには知らない番号が表示されていたけど、丁度いいや。ごめん、ちょっと電話でてくるねと頭を下げたままの彼にそう告げて急いで店の外にでた。通話ボタンを押して、耳に押し当てる。

「も、もしも、」
『お前なんなの』
「へ」

 一瞬間違い電話かと思ったけど、耳に流れ込んできたのは聞き覚えのある声で、もう聞くことはないと思っていた声で…思わずぐっと顔を顰めた。

 …こっちがお前なんなの、だ。もしもしも言わせずにそんなことを言うこのド失礼な野郎を、わたしは一人だけ知っている。だけど、どうして。ちゃんと着信拒否したはずだから、かけられるはずないのに。首を傾げていると右耳から『おい聞いてんのかクソ女』なんてまたしても失礼な言葉が流れ込んでくるものだから、むかついて通話を切った。っていうか、なんで。もう夕星には関わりたくないってのに。

「……」

 中、戻ろう。それでさっきの彼の縫いあと触らせてもらおう。なんとなくそんな気持ちが湧きあがってきたところで、再び手の中でスマホが震える。さっきと同じ、知らない番号。しつこい。切る。またかかってくる、切る。かかってくる。切る。…埒が明かないなんだこれ。いらっとして、今度は切らずに通話ボタンを押す。さっき夕星がしたように開口一番に失礼なこと言ってやろうと口を開くと、それより先に夕星の、少し落ち着いた声が聞こえてきてぴたりと体が固まる。

『きて』
「は?」
『いーから来いっつってんの』
「どこに」
『ウチ』
「いやいや、場所知らないし。っていうか行かな、」
『教える。いますぐ来いじゃねーと犯す』
「お、犯すって」

 自分の言いたいことだけさっさと言って、電話は切られた。そしてすかさず住所だけが記載されたショートメールが送られてくる。犯すなんて脅し文句、別に怖くない。散々犯されたし。(合意の上だけど)そもそも会わなければ犯されることもないわけだし。……でも、なんか、こう、いつもとちょっと様子が違う気がした。いつも、なんて言えるほどあの人のことを知ってるわけじゃないけど。大体夕星が自分の家に女を呼んだなんて話、わたしが知る限り聞いたことない。そういえば、いつだったか『他人に汚されるのやだしストーカーになられても怖いしぃ〜』と顔を顰めてたのを思い出した。

「……、…」

 もう会わない、って決めたじゃない。
でも、いつもと少し違う夕星のことが気になって仕方ない。

 ぐるぐると葛藤を繰り返したのち、スマホを握りしめる手にぎゅうと力をこめた。…結局、わたしの気持ちはあの日からなにも変わってないんだ。

 いつかのわたしは夕星なんかに未来をあげたくはないと思っていた。どう考えたって幸せにしてもらえないし、わたし自身彼を幸せにしてあげれると思えないし。だけど夕星と幸せになれなければ、他の人とも幸せになんてなれない。…なんの根拠もないのに、なんとなくそんなばかなことを思っていた。それなら、どうせ誰とも幸せになれなら、許される限り夕星の傍にいたいだなんて密かな思いを胸の奥の、もっと奥のほうに仕舞込んでいた。それが、少しずつ漏れてきちゃってるみたい。

「……シュンくんになんて謝ろう」

 …傷痕触ってから帰ろうかな。

▽ ▽

 タクシーで教えられた住所に向かうと、そこにはお洒落なデザイナーズマンションがあった。ほんとにここが夕星の家なのか?と半信半疑でロビーにはいる。ちょっぴり緊張しながら部屋番号を入力して呼び出しボタンを押せば、家主はわたしが口を開く前に一言『はやく』と一方的に告げ、そのあとすぐに自動ドアが面倒くさそうにゆっくりと両端へ捌けていった。…ま、まじでここ夕星のおうちなんだ。ちょっとほっとして胸を撫で下ろしながらエレベーターで彼の部屋がある階まで行き、部屋の前でインターホンを押すと深呼吸をする間もなくすぐに扉がひらいて、中からにゅっと伸びてきた腕に強い力で引き入れられる。

「っうわ!」
「さけくせー」
「…しょうがないでしょ、飲んでたんだから」
「サイアク。ゆっけじゃねーよな」
「なんで有紀くんがでてくるの、違うよ」
「じゃあ誰」
「夕星の知らないひと」
「そいつとえっちした?」
「そんなことしません」
「ふぅん、あっそ」

 自分から聞いてきた割に興味なさそうな返事をした夕星は、相も変わらずわたしの腕を掴んだままでわたしを室内へ連れて行く。恐らくこれが最初で最後になるだろう夕星の部屋は、思った以上になにもない部屋だった。特筆する点といえば、必要最低限のものだけのシンプルな部屋の中で唯一存在感のある電子ドラムくらい。どうやらここの壁、防音加工されているらしい。決してあれが飾りで置かれたものではないことくらいはわたしにもわかる。それを生業にしているとはいえ、夕星は本当に、心の底からドラムが好きなんだと思う。夕星がわたしに自分の本心を話したことなんてないだろうけれど、ライブ中の彼の顔を見ていればわかる。…夕星があんなに楽しそうに嬉しそうに気持ちよさそうに、ドラムを叩いてるところなんて見なければ、今頃わたしを好きになってくれる優しい彼氏と明るい将来を夢見ることができていたのだろうか。

 ぼうっと夕星の部屋を見回しながらそんなことを思っていると腕を掴んでいた彼の手が今度は肩をぐっと押してきて、突然のことにバランスを崩したわたしは後ろにあったベッドに倒れこんでしまった。ぼふん、とくしゃくしゃのシーツの上に沈みこんだわたしの上に夕星は慣れたように馬乗りになると、そのまま上半身の服をたくしあげてくる。

「え、っちょ、と、夕星やだ、!」
「うるせー黙ってろ」
「な、んなの、!」
「……ない」
「へ、っ?」

 わたしの抵抗も虚しく服は首元までずり上げられてしまった。やっぱり、わたしを呼ぶなんてヤるために決まってるよね。…失敗した。会わないって決めたんだから、来ちゃダメだったんだ。少しだけ目頭が熱くなる。ヤるつもりなんて微塵もないんだから、もうこれ以上はさせちゃいけない。ブラは死守しないと。そう思って伸びてくるであろう腕を拒もうと構えたものの、夕星はぽつりと小さく呟くとそのまま動きを止めた。思わず間抜けな声がでてしまったけれど、夕星はそんなわたしをからかうこともせずただじいっと、無表情のままわたしの胸元あたりを見下ろしている。な、なにがないって?おっぱいの話?それならとっくに知ってるだろうに。

「…ゆ、ゆうせい?」
「………なんも、ないじゃん」
「うん…?」
「…やっぱ夢かよクソが」
「え、ええっと、」
「……ゆっけ、って彫られてたの、お前のココに」

 夢だったらしいけどぉ?
 とんとんと心臓の上を指先でノックしながら「めっちゃうけるぅ〜」なんて、ケラケラと、全く面白くなさそうな顔で夕星は笑っていた。
 なんだかよくわからないけれど、夕星は夢を見て、それはわたしの心臓のところに有紀くんの名前が彫ってある夢で、夕星はそれを確認するために…わたしを呼んだってこと?いや、いやいやいやいや。そんな、まさか、子供でも、あるまいし。…だけど夕星からはどうもそんな冗談のような雰囲気は感じられない。

 これは一体どうしたものか…なんて戸惑っていると、『なまえはぁ、僕のだもんねぇ?』とわたしの胸元に顔を寄せ、夢の中で有紀くんの名前が彫られていたらしいところに、思い切り吸い付いてきた。う、と顔を顰めると、夕星の嬉しそうな弾んだ声。どうやらくっきりと痕がついたらしい。

「ね〜え、いつ彫るのぉ?」
「だから、彫らないってば」
「は?なんで」
「…だって、夕星のものじゃないし」

 自分で言って、悲しくなった。そう、夕星はわたしのものじゃないし、わたしも夕星のものじゃない。わかっているはずのなのに、わたしはバカだからなにかを期待してここに、のこのことやってきてしまった。我ながらどうしようもない。
 急に大人しくなった夕星を不思議に思いながらも、チャンスとばかりに彼の体を退かして、たくしあげられていた服を急いで整えた。キスマークは、ギリギリ服に隠れるところにあった。

 帰ろう。さっきの居酒屋にあいつらはまだいるだろか。いるなら戻って、さっき結局触らなかったシュンくんのヤンチャした傷痕を今度こそ触ろう。床に落ちてくたりとしていた鞄を拾い、玄関に向かおうとすると背後から苛ついた声が聞こえた。

「あーうぜームカつく」
「……」
「あっそぉだ!僕ぅ、いま悩みがあんだよねぇ」

 悩みとは無縁な人間に思えるけれど、夕星にも悩みなんてあるんだ。そう思いながら夕星の方へ振り返ることなくこの息苦しい空間の出口へ向かう。彼はわたしの返事などなくとも、その悩みとやらを話しだしていた。独り言にしては幾分大きすぎる声量で。

「最近ねぇ、他の女のコとヤってもぜぇんぜんきもちよくないんだぁ〜」

 『お前とはそんなことなかったのにねぇ?あっもしかして僕とするときにクスリでも盛ってたんじゃないのぉ〜?』と、夕星は笑っていた。なんだかわたしもつられて笑いたくなる。わたしだけでしか気持ちよくなれない体になっていたら夕星はわたしのものになるのかな、などとばかなことを考えてる自分を、嘲笑ってやりたかった。
 しかしまあ本当だかどうかわからないけれど、気持ちよくなれないなんてそりゃ夕星にしてみれば結構重い悩みだろう。かわいそうに、なんて適当なことを思いながら靴を履こうとしていたわたしの肩は、気付いたら玄関の壁に叩きつけられていた。鈍い痛みが肩と背中に走る。

「ッいった、なにす、」
「お前呼ぼうとしたら連絡とれねーし。ふざけんなよ」

 痛みとその乱雑さに眉を顰めながら顔をあげると、目の前に立つ夕星にいつもの人を小ばかにしたような表情はなかった。強い言葉とは裏腹にその表情は、なんていうか、その、うまく表せないけど…捨てられた子犬、みたいな、酷く頼りない顔をして、わたしを睨みつけていた。

「着拒しただろ。なんで」
「…、…もう夕星と会うのやめようと思ったから」
「は?なにそれ聞いてねーし。つかそんなの許すと思ってんの」
「許すもなにも、だってわたしたちは…セックスするだけの友達でしょ」
「あ?」
「友達って、やめますって言ってやめるもんじゃないじゃん。気付いたら付き合いがなくなってるもので、」
「ッ黙れ、」

 唇に噛みつかれたかと思うと、強引な動きで再び室内に連行され、またしてもベッドに押し倒された。わたしの手首を、その細ッちい腕のどっからでてくるんだと不思議に思ってしまうくらいの強い力で拘束して、鼻と鼻の先が触れ合うくらいの距離で相変わらずわたしを、睨むように見つめてくる。その口元は先ほどとは違っていつものようににたりと歪んだ形をしていた。

「お前、僕のこと好きだったんじゃないのぉ〜?」
「……、わかんない」
「好きだろ嘘吐くな」

 すっと細められた夕星の綺麗な瞳に苛立ちが濃く滲んだかと思うと、乱暴に下唇に噛みつかれた。痛みに思わず小さく呻けば、その隙間から夕星の柔らかくて薄っぺらい舌が滑り込んできてわたしの口内をめちゃくちゃに荒らしていく。呼吸も唾液も舌も全部奪われてしまうんじゃないかと思ってしまうような、夕星の苛立ちをそのまま表したかのような荒々しい動きだった。…いやだ。夕星とのキスはすきだったけど、もう、いやだ。抵抗しようとわたしの手を拘束している腕を振り解こうとするけど女の微々たる力じゃちっとも敵わないし、寧ろ片手でまとめあげられてしまって、もう片方の手は夕星の唇から逃げようとするわたしの顎を掴んで固定していた。ああ、もうだめ、勝てっこない。苦し紛れにわたしの舌に絡んでいる舌に歯を立ててみたけれどたいした力もはいらなかったそれは、逆に彼を煽ってしまったらしい。にんまりと嗤って離れた夕星の唇は唾液でてらてらと妖しく光り、蜘蛛の糸みたいな銀糸がわたしたちを繋いでいた。

「こぉんなきもちよさそうな顔しといてなに勝手に僕から離れようとしてんだよバカ女」

 ぜってーゆるさねー。
 表情をなくした夕星はそう小さく呟いて、首元に顔を埋める。がぶりと音がつきそうに噛みついては、ぢゅうっと音を立てて吸い付き、それを何度も繰り返されたわたしの首は吸血鬼にでも襲われたかのように真っ赤になっているに違いない。逃げようともがいても抜け出せず、彼の名を呼んでもなにも返ってこない。

 …結局わたしは、このまま抱かれてしまうんだろうか。こうなるかもしれないってわかってて、ここに来たはずなのに。それ以外になにかあるわけないってわかってたのに。全部わかっていたはずなのに、それなのにどうしてこうも胸が痛いんだろう。夕星の言う通りわたしはバカ女だ。どうしようもない、バカ女。クソ女。
 諦めたように目を閉じると涙が一筋、目尻から流れ落ちていくのを感じた。鼻が鳴る。喉が引くつく。濡れていく目元を拭うことも隠すことも許されないわたしは、ただひたすら目を瞑って時が流れるのを待っていた。夕星の動きがとまっていることには、気付かなかった。なあ、なんて話かけられたのにも一瞬気付けなくて反応するのがワンテンポ遅れてしまった。

「…泣くほどイヤ?」
「えっ…?」
「そんなに僕に抱かれるのがイヤかって聞いてんの」
「……い、いや、だよ」
「…ふうん」
「ぁっ、!」
「じゃあやっぱり抱く」

 あんたの泣き顔嫌いじゃないしぃ〜?と付け加えられた言葉は冷たくて残酷なはずなのに、なぜか夕星の声はいまにも泣き出しそうに震えていた。わたしを見下ろす顔だって、傷ついた子どもみたいな、そんな顔をしてる。どちらかといえばその顔をするのはわたしの方じゃないの、とか、レイプまがいなことをしといてどうしてそんな泣きそうな顔をしてるの、とか。ちぐはぐな現実にわたしの頭は混乱していくばかりだ。そして混乱した結果、襲われてるはずのわたしは、自分の上に跨って耳に柔く歯を立てている男の頭をそっと撫でていた。どうしてこんなことしてるかなんて、自分でもよくわからない。もうよくわからない、全部。

「…なに。さわんな」
「ごめん」
「さわんなって」
「うん、ごめんね」
「うぜーな、謝るならさっさとやめ、」
「………夕星、ごめん、 」
「…は?」

 やっぱり、すき。
 絞りだした声は掠れていてとても小さいものだったけれど、この静かな部屋なら彼の耳に届けるには十分だった。自分でもどうしてそんなことを口走ってしまったのかわからない。自分の体のはずなのに、ちっともコントロールできてないのを感じていた。…でも、いいや。多分、このまま手酷く抱かれるんだろう。これが最後だ、どうせなら素直に気持ちを伝えてこのどうしようもない想いを散らしてやる。それで、夕星が萎えてくれればそれはそれでいい。苛々としながらわたしの耳たぶに齧りつく夕星の頭を、しつこく撫でてやる。うざいだのやめろだのきもいだのきらいだの、どう思われようと関係ない。最後なんだから。先のことを考える必要なんてない。わたしがこの痛みに耐えればいいだけの話だ。

「………んで」
「ん、っ…?」
「なんで…最後なんだよ、好きならいいじゃん。気持ちよおくしてあげるよぉ?」

 わたしも夕星が好きだから、どんな形でもたとえセフレでも、傍にいれるならいいと思ってたよ。だけど、わたしは我儘で強欲だから、それだけじゃいやだって思うようになっちゃったの。好きだからいや。好きだからこそ、辛い。…今更何を、と言われてしまっても仕方がないと思うけど。報われない想いをもったまま抱かれることは心臓を千切られるような痛みを伴うなんてこと、昔のわたしは知る由もなかったし、きっと夕星にもわからないと思う。

 そっとあげられた夕星の顔を黙ったままじっと見つめていると、夕星は一度わたしと視線をあわせてから苦しそうにきゅっと眉間に皺を寄せた。なんで夕星がそんな顔するんだろう。まるで傷ついた様子を見せた彼はなにか思案するかのように視線を暫く彷徨わせたのちに、すとんとわたしの胸元に額をくっつけた。

「………やだ」
「…やだって、なにが」
「お前が僕以外のヤツに抱かれてるのとかちょーやだ。ぶっ殺してやりたくなる」
「っぃ、…っなに、いってるの…?」
「知らない。わかんない。なんなのお前」
「えええ…」
「わかんない。わかんないけど……そんな風に思うのって、」

 僕が、お前のことすきってことなの?
 随分と、弱弱しい声だった。夕星は首筋に時折吸い付きながら、今のわたしにはとても理解できない言葉をぽつりぽつりと吐き出す。好きかどうかなんてそんなの、わたしにはわからないよ。そんなこと聞かないで。
 いつの間にか解放されていた手で涙を拭って目元を隠しながら横に首を振れば、鋭い舌打ちが聞こえる。わたしに対して、という感じは、なぜだかしなかった。

「クッソ、よくわかんねー好きとか恋とか愛とか。意味不明」
「……」
「そんなのなくたってキスもえっちも気持ちいいのに。なんで女って心まで求めんの?」
「……」

 理解できねー、と呟きながら人差し指でわたしの下目蓋のあたりをなぞる。まるで涙を拭ってくれたみたいな仕草に、思わず唇を噛み締めた。
 もう、やめよう。きっと、わたしたちはわかりあえないんだから、本当にここで終わりにしよう…なんて、そもそもなにも始まっていなかったのかもしれないけどね。

 夕星、と名前を呼ぶとすぐに彼の唇が覆いかぶさってきた。それはすぐに離れるけど、互いの息遣いがわかるくらいの至近距離で留まったまま。もう一度口を開こうとすれば声を出す前に、また彼のもので塞がれる。わたしに話す機会を与えまいと、何度も何度も。ちがう、キスがしたいんじゃない。夕星とさよならしたいだけ。そのオーロラみたいな色をしたきれいな双眼を忘れたいだけだ。

「ゆうせ、」
「聞かない」

 わたしの唇にぴ、と人差し指をあてて黙らせた夕星は怒ったような、悲しそうな、寂しそうな顔をして首を振った。わたしが今から言おうとしていることをわかっていて、そんなこと言うの。セフレがひとり減るくらい、夕星にしてみればたいしたことじゃないだろうに。まったくこの男が何を考えているのかよくわからない。

「他のやつになんかやらない」
「…ゆうせい」
「やだ」
「夕星、」
「やだってば」

 子どもが駄々をこねるみたいに首を振りながらわたしをぎゅう、と抱きしめてくる。一瞬呼吸が止まって胸の奥の方を締め付けるような痛みに顔を顰めた。クソ。ひどい男だ。勝手だ。わたしじゃなくてもいいくせに。自分のものだと思っていたものが他人にとられるのがいやなだけだ。もうやだ、しるかばか。

「………じゃあ、」
「ん…?」
「じゃあ、……他の女の子と遊ぶの、やめてよ」
「は?」
「わたしだけにしてくれるなら、いいよ」

 …なんて、面白くもない冗談だ。夕星にそんなことできるわけないしわたしにこんなことを言う資格がないのもわかってるけど、これぐらい言わないと埒があかない気がした。『は?何言ってんのぉ?』といつもの調子で笑い飛ばしてくれ。突き放してくれ。

「…やめたら、僕から離れない?」
「うん離れな…は?」
「じゃあ、いいよぉ。やめたげるぅ〜」
「え、まって、え?」

 わたしが望んだ通り、いつもの調子で言われた言葉は、わたしが想像したものとはかけ離れていた。いま、なんて、?頭の周りにハテナを浮かべまくるわたしの上からあっさりと退いたかと思うと、夕星はテーブルの上のスマホに手を伸ばしそれをぽちぽち操作し始める。え、え?慌てて体を起こしてそれを覗き込めば、目の前で女の子の連絡先らしきものが上から順番に消されて、いく。テーブルの上にもう一つ見慣れないスマホがあるけど、どうやらそっちからわたしに連絡してきたらしい。聞けば、わざわざわたしに連絡するために買ってきたとか。そっちはお前の番号しかはいってない。確認してもいいと言われたけど、いや、なんていうか、えっと?……全ッ然状況についていけないし、ていうかさっきからから見てて思ったんだけど、女の子の名前じゃなくて場所の名前とか特徴とかで登録してんのね、なかなかに潔いクズっぷりというか、あの、もごもご。

「ん〜…」
「……」

 『ぴすたちお』、『錦糸町3』、『ポスター』…意味が分からないと思うが、これ、全部女の子の連絡先の登録名だ。なんだぴすたちおって。ポスターって。なんとなく錦糸町はわかるけれど、ナンバリングされているあたり恐ろしい。こんな雑というかえげつない登録のされ方をしている中で、わたしは一体どんな名前で登録されてんのかなあなんて思いながら固唾を飲んでその光景を眺めていると、ひとつだけ飛ばしてる連絡先があったのに気付いた。登録名は、『あいつ』。心臓が変な風に飛び跳ねた。

「はぁ〜い全部け〜したぁ〜」
「ほ、ほんとに…?」
「うん、ほら。おわりぃ」
「お、おつかれさま…っわ!」
「これでもぉお前は僕のものだよねぇ?」

 ベッドに再び押し倒され、鼻先に綺麗な顔が迫る。僕のもの、っていうのは…その…彼女って、ことなのかな。それとも専属のセフレみたいな?だったらなにも進展してないなあと思いつつ、恐る恐る尋ねてみれば、『僕もぉそぉゆーオトモダチいらないしぃ〜…たぶん、お前がいればいい』と思わぬ返しをされた。語尾は、いつもと違う落ち着いた声だった。あれが本当の…って言ったら変だけど、あれが夕星なんじゃないかって考えながらすん、と鼻をすすった。

 …夕星の、彼女。まったく実感の湧かない肩書だ。果たしてこの肩書に効力があるのか怪しいものだけれど。そう思いつつも頬が熱くなっていくのを感じる。う、初心かっ。

「ねえ…僕のこと、好き?」
「……」
「ね、なまえ。答えて。すき?」
「……すき、だよ。…たぶん」
「たぶん?」
「…たぶ、ん」
「ほんと?」
「…うん」
「ふうん」

 まぁいいやぁ〜、なんて笑う夕星はなんだか…なんだか、前よりも近い存在に感じた。うまく言えないけれど、手を伸ばしてもちゃんと捕まえられそうっていうか…ああもう、難しいな。思い切って、でもそおっと、逃げ出さないように、脅かさないように、夕星のほっぺに手を伸ばす。すっと細められた目がわたしを捉えたかと思うと伸ばした手に猫みたいに擦り寄ってきて、ちゅ、と手のひらに唇を押し当てられた。なんだか恋人みたいだと頭の隅でぼんやり思って、いや一応恋人になったんだっけと頭の別の隅でぼんやり思った。

 あれよあれよという間に恋人(仮)みたいな感じになってしまったから、夕星のわたしに対する気持ちは好きというよりは独占欲的なものに近いと思う。わたしに実感がないように、夕星にも実感はないに違いない。ただ、他のひとに取られないように、名前を書いただけ。恋人って肩書きを、今だけ、彼の気まぐれでわたしに与えただけかもしれない、けど。一時的とはいえ女の子をみんなきってカノジョにしてくれたんだから、向き合ってみようと思う。セフレを終わらせるために来たはずが、まさかカノジョになるなんてね。いやカノジョになれてるか、実際のところはよくわからないけど。

「…わたしも」
「んん〜?」
「わたしも、夕星にすきっていってもらえるようになれればいいなあ」
「……ばぁか」

 なんとなくぽろっとこぼれてしまったその言葉は目の前の男を少しだけむっとしたような顔にさせてしまい、挙句夕星に鼻の頭をがぶりと齧られた。ばかとはなんだ。そして犬歯が突き刺さってちょっと痛い。
 ちくしょう、見てろよお。愛だの恋だのわからないとか言ってた夕星に痛いほどわからせてやる。…なあんて、無理かもしれないけどそう思うくらいはしたっていいでしょう。こめかみのあたりを擽る唇と吐息に身をよじりながら、そんなことを思いながら、少しだけ、笑ってみた。


20160329 なんかいろいろごめんなさい
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