※現パロ

 ひとりのときは適当に済ませるごはんの支度も、誰かと一緒ならばいつもより気合がはいる。その相手が、好きな人ともなれば尚更だ。
 昨日のうちに作っておいた肉じゃがをあたためなおす傍ら、私はその好きな相手に会えなかった間の他愛ないことをつらつらと、報告するような気持ちで話していた。友達と大阪に行ったときのお土産があるからあとで渡すねだとか、大学に住み着いてる猫ちゃんを初めて抱っこすることに成功しただとか、同じゼミの男の子が芸能人の息子だっただとか、大学内を馬が散歩しててびっくりしただとか。なんの面白みもない話ばかりだけど、不死川はいつもちゃんと私の話を聞いてくれる。今日だって聞いてほしいことがいっぱいあった。それで、不死川のことも聞かせてほしかった。
 不死川はずっと黙って私の話を聞いていた。普段であればクッソ適当でもなにかしら相槌を打ってくれるのに、今日はそんな気力もないくらい疲れているのかなあと思いつつ、不死川に久々に会えて嬉しい私の口はそんなことはお構いなしでぺらぺらと動き続けた。
 付き合った当時――高校のころから、ずっとそうだった。いつも不死川が降参するかのように大きな声で私のおしゃべりを止めに入る。私はそれが好きだった。そうやって一旦私の話を一通り聞くと、気になった出来事について一つずつ聞いてくれるからだ。だから、今回もその芸能人ってェのは誰なんだ?とか、聞いてくれると思ってたのに、今日はずっと、黙ったままだ。…なんかちょっと寂しいし、さすがにうるさくしすぎたかもしれない。

「今度教授に聞いてみようってなったんだけど…ってなんか私ばっかしゃべってごめん。不死川は最近どう?仕事、大変?」
「……そりゃあなァ」
「そっか、体気いつけなよ。インフル流行ってるみたいだし」

味噌汁の鍋を掻き混ぜる。ひとりで食べる時より少しだけ濃いめなのは、不死川がすきだから。それからたくさんの豆腐と、本来であればここに私の好きななめこも投入されるはずだったんだけど…うっかり買うのを忘れたので、煮物に使ったあまりのかぼちゃをいれてみた。豆腐とかぼちゃって微妙な組み合わせかなとも思ったけど、案外悪くなさそうでちょっと安心した。あ、ていうか不死川、かぼちゃの煮物食べるかな。私いっぱい食べちゃったから、ちょっとしかないけど。そう声をかけようとしたときだった。

「…そっちはさぞ楽しい日々を送ってるようで何よりだなァ?」
「え」
「どっかの誰かと違ってこっちは毎日忙しくてよぉ、会いに来る時間も作ってやれなくて悪ィなァ」

 ちっとも悪いと思ってない、寧ろ嘲るように鼻で笑いながらやたらと刺々しい言葉を吐き捨てられて、なんのために口を開こうとしていたのかも一瞬で忘れてしまうほどだった。
 どうしてそんな言い方を、するのだろう。明らかにいまの発言には悪意のようなものを感じた。いままでくだらない言い合いやケンカをしたことは何度だってある。だけど、最近はその回数も減ったし、私たちなりに大人になって相手を思いやれるようになったのかなあ、なんて少なくとも、私は思ってたのに。
 楽しい日々を送ってるようで何より?どっかの誰かと違ってこっちは毎日忙しくてなあ?いや、ううん、ちがうちがう。かぼちゃの煮物、食べる?って聞こうとしてたんだよね、そう。そうだった。平静を取り戻すべく、吹き飛んでいった言葉たちを掻き集めて、長い息を吐きだしてみたけど喉の奥がぶるぶると震えていて、なんだかばかみたいと笑いだしたくなる気持ちだった。会いたかったのは私だけだったみたいって。
 わが家のはずなのに、この場から一目散に逃げ出したいほど寂しく、悔しく、苛立たしく、悲しくなった。背中がすっと冷えていくような感覚を覚えて、肉じゃがをお皿によそおうとした手が止まる。コンロの火も消した。リビングでテレビを見ている後頭部をじっと見つめる。その芸人、クソつまらねェつってキレてたじゃん、なにガン見してんだよ。こっち向けコラ。

「…なに?その言い方」
「あァ?事実だろォがよ」
「…」

 不死川は立派だ。同い年ではあるけれど私は学生で、不死川は早くに亡くなってしまったお母さんの代わりに兄弟たちを養うべく、一足先に社会人になった。不死川の言っていることは間違ってなくて、比べるまでもなく不死川の方が大変なのは一目瞭然だし、今日だって、疲れてるんだなっていうのは見て取れたけど。 
 …でも、だけど、私たちの関係の中で、そんな思いやりのない発言は、してほしくなかった。忙しさに大きく差があるとはいえ、私だって自分なりに将来のことを考えて、役に立ちそうな授業を取ったり、勉強をしたり、バイトをしたり、それなりに努力してるつもりではある。そりゃあ不死川が働いてる平日に遊ぶときもあるし、自由に使える時間も遥かに多い。傍から見れば毎日遊んでいるようなものだと思われるのも仕方がないかもしれない。だけど、不死川は傍なの?そんなさびしいこと言わないでよ。

「…わかった。ごめん、貴重な時間使わせて」

忙しい人からしてみたら、毎日楽しそうなやつの話を延々と聞かされるなんてさぞしんどかったことだろう。そう思いながら戸棚からジップロックを取り出して、お皿によそおうとしていた肉じゃがを詰めていく。普段あまり使うことないくせに、ただハロウィンデザインが可愛いからという理由で買ったまま仕舞われていた2個セットのこいつらが、まさかこんなところで日の目を見るとは。肉じゃが、ピーマンの肉詰め、明太ポテトサラダ、ちょっとだけのかぼちゃの煮物。それからこれもハロウィンデザインに負けて買ったスクリュータイプの方に豆腐の味噌汁をいれて、それらを詰め込んだ紙袋を相変わらず私に背を向けたままぼうっとテレビを眺めている不死川の後頭部にぶつけた。

「…ンだよォ」
「特別美味しいもんでもないけど、これ。玄弥くんたちと食べて」
「あ゛ァ?」
「悪いけど、今日はもう、帰って。…ごめん」
「…久々の逢瀬に喜んでたのはどこのどいつだァ?」
「うん、ごめん。でも、はやく、かえって、おねがい」

 あと一回まばたきをすれば涙が落ちていただろうが、絶対に泣いてやるもんかと思って目を見開いた。声は震えてしまったから、案外敏い不死川には私がどうなっているのかなんて気付かれてしまっているだろうけど、暫く紙袋を見つめたのち、腰をあげて何も言わずにそれを受け取った。そのまままっすぐ玄関まで歩いて行ったんだろう、邪魔したなァとまた嫌味ったらしく言葉を吐き捨てるとバタンとドアが閉まる重たい音と、鍵がかけられる音。それからドアについている郵便受けにがしゃんと鍵が落ちる音がして、ようやく玄関のほうを振り返れた。
 施錠に使われたのは、下駄箱の上に置いてある私の鍵だろうか、それとも不死川に渡している合鍵だろうか。後者だったら、もしかしたらこれで私たち終わりかもなあなんて思った。妙に緊張しながらポストの取っ手を引いて中を覗くと、そこに落ちていたのは修学旅行で不死川とお揃いにしようとせがんで買った赤いかざぐるまのちりめん根付がついてる私の鍵で、心底、腰が抜けそうなくらい安心してしまったとともに、自分が不死川をどれほど好きなのか思い知ってしまって、頭を抱えた。
 あんな嫌味ばっかりいう可愛くない男が好きなんて、バカじゃないのか、私は。


 あれ以来、まったく連絡を取ってない。とはいえ普段からそんなに頻繁にやりとりしてるかっていうとそうでもないしどちらかというと弟の玄弥くんとのほうが連絡とってる気がするくらいだから、そこまで日常に大きな変化があったわけじゃあないんだけど。だけど日々もやもやするし、もしなにか用ができたとしても、あの日不死川が私をどう思っているのか知ってしまった気がして、こわくて連絡できないと思う。
 正直いえば、不死川の気持ちがよくわからなくなっていた。告白したのも私からで、たまに気持ちを言葉にするのも私だし、不死川から好きと聞いたのは…いつだろう。もう随分あの憎まれ口からその言葉を聞いていない気がする。
 大学の友達の話、いわゆる恋バナを聞いているとき、彼女たちの満開の笑顔とあふれ出る幸せオーラにほっこりする一方で、自分の中のすくない乙女の部分がどんどんとしぼんでいくのを感じていた。まあでも私たちは付き合いたてでもなくて、恋人になってからまあまあ経っているし、ただでさえそういう言葉が少ない男だし、そういうところもわかった上で告白したわけだし、第一、言葉だけがすべてではないし…と自分に言い訳をしていたけど、心のどっかで、ちょっぴり思っていた。好きなのは私だけで、不死川からしたら惰性でいまの関係を保っているのではないかと。あとは、ああ見えて不死川はいい兄貴だから、玄弥くんたち不死川兄弟たちが懐いてくれている私と別れることで彼らを傷つけたくないとか、そういうやさしい兄貴としての思いもあるのかもしれない。

「さぞ楽しい日々を、かぁ…」

 あの時はついワッと頭に血がのぼって帰ってなんて追い出してしまったけど、これからも一緒にいたいのであればあそこは我慢するべきだったのかもしれない。…いや、でもそんなのは一時しのぎだ。遅かれ早かれ、絶対どこかでダメになる。でも我慢しなくたってダメになりそうになってんじゃん、とひとりの部屋で呟きながらごろりと寝転がった。窓の外はどんよりとしていて小雨が降っている。
 人のことをバカだのあほだのなんだの散々言うくせに、すきだとは言ってくれない(本当にすきじゃないかもしれないし)男だけど、私は不死川のことがすきだ。これはもうずっと、ずっとだ。だけど不死川は私のことを、あんな風に、アイツは毎日気楽でいいな、って思ってたんだろうなあ。私が不死川に会いたいなと思ってるとき、彼は私のことを考えたことがあるんだろうか。仕事でそれどころじゃ、ないか。ないよなあ。
 己を慰めるわけではないけど、あの日の不死川は機嫌が良くなかったんだと思う。普段から口が悪いのは間違いないけど、あんな風に棘がむき出しの言葉は言わないはずだし、顔はあんなに怖いけど、あれでも玄弥くんたちにとって尊敬される頼りがいのある兄であるし、中身は優しさがつまってるひとだと、私は思ってる。知っている。そんな不死川がすきなんだから。
 だから、多分、あのときはいろんなタイミングが悪くて、私の行動や言葉たちが不死川の中でうまく噛み砕かれなくて、ああなったんだとは思うけど。思いたい、けど。傷つくものは傷つく。

「ば、か、や、ろー」

 結露している窓ガラスに人差し指で暴言をなぞってみたところでなんの気分も晴れることはない。つう、と滴る水滴があの日の自分の涙みたいだ…なんて気持ち悪いポエムだって認められそうな気分で、はあと大きくため息を吐いた。
 私は今回のことですっかり自信がなくなった。不死川の隣にいていいもんなんだろうか。はたしていまも、隣にいれているんだろうか。それすら曖昧で、思わず子どもみたいに膝を抱えて唸るしかなかった。


「あれ?玄弥くん?」

 ランチのバイトを終えて帰って来ると、うちのマンションの前で不死川家の次男・玄弥くんが見覚えのある紙袋片手にガラの悪い座り方(いわゆるうんこ座り)をして私を待っていた。一見ちょっとガラの悪い見た目(モヒカンだし目つきも鋭いし)なのでその座り方するとヤンキー感がすごい。ていうか何も知らない人からしたら近づきがたいヤンキーそのものだろうな。当の本人はヤンキーでもなく家族思いのいい子だけど(いまだって「なまえさん!」なんて言いながら顔を明るくさせているかわいい)、兄へのリスペクトが強いので不死川の真似をしてあんな座り方をしてるらしい。ちなみに不死川がうんこ座りしたらまじもんになるのでやめたほうがいいと忠告したことが過去に何度かある。

「急に来ちゃってすいません」
「ううん、こちらこそ待たせちゃってごめんね。連絡してくれればよかったのに」
「いえ、そんなに待ってないので!大丈夫っす!」

 とは言いつつも、ほんのりと湯気の立ちのぼるカフェオレ(ちょっと甘め)を玄弥くんの前に置くと、ぺこりと頭を下げてそっとマグカップを両手で包み込んだ。ごめんね、寒かったよね。

「で、どうしたの?なんかあった?」
「あ、いや、兄貴にタッパー返しに行けって言ってんのに忙しいだのなんだの言ってるんで、代わりに届けに来たんです。それと分けてもらったメシ、どれもすげえうまかったっす!…っていうのを、直接言いたくて」
「ええ?ありがとねえ」

 いまではだいぶましなくらいにはなったけど、それでもあまり料理の腕に自信はないからそうやって言ってもらえると素直に嬉しい。特にあの日はおいしいって思ってもらいたい気持ちが強かったしなあと思いながら、不死川のことばを思い出して、胸がずきんと痛くなった。いかん。自爆した。

「兄貴も、うめえって言ってました」
「またまたぁ、ほんとに?」

  私、そんなの聞いたことないよ、なんて笑うと玄弥くんはものすごいもそもぞとした顔をした。うまく言えないけど、もぞもぞとした顔だった。突っ込みたい気持ちはあったけど、なんだか触れちゃいけない気もしたので見なかったことにする。思春期にはいろいろあるだろう。まあでも、美味しかったんならよかったな。
 あの日、あのままうちで一緒にごはんを食べたとしたら、同じことを言ってくれたんだろうか。いや、言わなかっただろうなあ、玄弥くんたちの前だから言えるんだろうなあ、きっと。

「あ、兄貴といえばさ、今年の誕生日のことなんだけど」

 不死川の誕生日はいつも不死川家で行われていて、私もここ数年はその場に参加させてもらっている。そうなったのも大学1年のとき、兄貴が自分の誕生日を祝わせてくれないんです、と玄弥くんに相談されたのがきっかけだった。兄弟たちの誕生日の時は自分はきっちりケーキやプレゼントを用意するのに、いざ自分のになると一切なにも用意するなと釘を刺されていたのだという。実際、ガキの自分たちには誕生日のための資金も持ってなかったから、いままではあんまり盛大にできたことがなくて、でもどうにか兄貴のためにお祝いしたいんです!お金は必ず返しますから、手伝ってくれませんか!と必死にお願いされて、逆に私はぜひ手伝わせてください!とお願いしかえした。
 初めは私みたいな部外者が不死川家の大事なイベントに参加しちゃっていいものかと思っていたけど、玄弥くんが「なまえさんが一緒だと兄貴も喜ぶんで」なんて言って笑うので、そりゃもうちぎれんばかりに首を縦に振り、泣きそうなくらい胸があったかくなったのを今でも覚えている。

「そうなんすか…残念です」

 そんな不死川の誕生日イベントに、今年は参加できないことを伝えた。
 本当だったらあの日、今年は当日にできそう?(去年は翌日に玄弥くんの模試が控えていて日程をずらして行われたので)なんて話をしようかと思っていたけどあんなことがあってまともに話せなかったし、今年はゼミの飲み会がかぶっていたので、今年は不死川一家だけでやってもらうようにお願いした。私がそんなお願いするのも、なんだかお門違いだけど。私は、部外者なんだし。

「うん、ごめんね。これほんとちょっとだけどケーキ代の足しにでもして」
「え!そ、そんな、ダメです!もう俺もバイトしてるしそれに、」
「だっさなっきゃまっけだよ最初はグー!」
「え!」
「ジャン!」
「ちょっ、」
「ケン!」
「あっ!」
「ポン!」
「クッソ、ッポン!」
「はい私の勝ち〜!玄弥くんいい加減焦ったときのジャンケン初手チョキのクセ直しな〜!」

 はい受け取った受け取った!
 チョキの形のままの手を震わせて悔しさに打ちひしがれている玄弥くんの親指、薬指、小指をほどいて、広げられた手のひらにケーキ代を包んだポチ袋を置いた。玄弥くんは悔しそうに唸りながらしばらくじっとそれを見つめたあと、申し訳なさを滲ませた声でお礼を言ってきたので、なんとも言えぬ愛しさに私は思わず笑った。かわいいなあ高校生。

「美味しいものでも買って、不死川のこと、私の分も祝ってあげて。ね!」
「っス…!…あの、ずっと気になってたんスけど、なんで兄貴のことは苗字で呼ぶんですか?」
「ええ、なに突然」
「だって俺も…不死川だし」
「いや、まあ、うん。そうだけどさあ」

 理由は簡単だ。今更名前で呼ぶのが恥ずかしい、以上。
 もうすぐ4年目の付き合いになるっていうのにお互い苗字というか、不死川に至っては私のことオイだのテメェだのしか呼んでないんじゃないか?レベルで、少なくとも最近は名前はおろか苗字すら呼ばれた記憶が薄い。
 名前、かあ。いままでさして呼ばれ方を気にしたことはなかったけど、いまみたいなネガティブな状況だと名前もまともに呼ばれていないことに無性に寂しくなった。

「呼んでほしいと思いますよ、兄貴」
「…そうかなあ」
「絶対そうっす。…ていうか、その、こんなこと聞くのめちゃくちゃ失礼だってわかってるんすけど、その、」
「うん?」
「兄貴と、わ、別れた…んですか?」

 玄弥くんが緊張した面持ちで私を見据えている。思わず力が入ってしまったのか、渡したばかりのポチ袋がくしゃりと玄弥くんの大きな手の中で縮こまっていた。まるで私と玄弥くんが別れ話でもしているかのような緊張感だなあ、なんて呑気に考えながら「私はそんなつもりないけど、不死川はそう思ってるかも」と笑うと「それは絶対ありえねえ!」と言って身を乗り出してきた玄弥くんの膝小僧がテーブルに勢いよくぶつかって、マグカップのカフェオレが大きく揺らいだ。ちょっと、びっくりした。

「お、俺たちのせいですよね、俺たちのせいで…兄ちゃんとの時間、邪魔しちまって、ほんと、すいません、ほんと」
「お、落ち着いて、玄弥くんが謝ることじゃないから、」
「…………あの、なまえさん」

 結構な勢いでぶつけたからなかなかに痛むんであろう膝をちいさく擦りながら、改まったように正座をした玄弥くんが、まっすぐに私を見る。思わず私も膝は…特に痛まないので擦らないけど、同じように正座の姿勢をとって玄弥くんが口を開くのを待つ。ごくり、と玄弥くんのぽこっと出っ張った喉仏が上下に動いた。

「俺がこんなこと言ったら、兄貴にぶっ飛ばされると思いますけど……その、兄貴と、ずっと一緒にいてやってくれませんか」
「え…」
「兄貴、口下手って不器用っていうか、とにかく言葉にしてないこととか態度にだしてないこととか、たくさんあるかもしれないっスけど、なまえさんのこと、マジで大切にしてるっていうか、大事に思ってるつうか、あの、えっと、うまく言えないんすけど」
「……」
「とにかく、俺が言うのもほんと変なんですけど、これからも兄貴のそばに…って、え、泣いて、!す、すんませ、」

 やべえ!兄貴に殺される!と盛大に慌てふためく玄弥くんを落ち着かせてあげるために大丈夫だよと笑って言ってあげたいところだけど、すっかり不死川の恋人としての自信を失っていた私はその言葉たちにわんさか泣いてしまった。情けない。年下の、恋人の弟の前で。
 すんません、大丈夫ですか、とティッシュの箱を片手に眉をハの字にさせて私の顔を覗き込む玄弥くんに、「"姉ちゃん"になれるように、がんばるね」としゃくりあげながら伝えると一瞬首を傾げたものの、すぐに理解してくれたようでぱっと嬉しそう笑って、ティッシュで私の鼻をかんでくれた。ああ、この子もちゃんとお兄ちゃんだ。


 とはいえ、それから私も不死川もお互いなんのアクションも起こすことなく、無情にも月日は流れ流れてもはやなんのためのイベントなのかわからなくなっているハロウィンも終わり、文化の日も通り過ぎ、ポッキーの日も超えて、あっという間に29日になってしまった。
 誕生日おめでとうって、言いにくいなあ。でもこの機会を逃すと本当にこのまま終わってしまいそうな気がした。それも……いやだなあ。だけど実際、恋人の誕生日よりこうしてなんも面白くないゼミの飲み会を優先するようなひどい女だ。自然消滅、になっても仕方ないのかもしれない。思い出すだけでまあるく縮こまってしまいたくなるほどに恥ずかしいお姉ちゃん宣言をしたってのに、こんなんじゃだめだ。

 目の前には、なんでかよく分からないけどやたら話しかけてきて、やたら気にかけてくれて、やたら優しくしてくれて、たぶん私なんぞに好意を持ってくれてるっぽい男・シノダくんが座ってる。明るいしいい人だとは思うけど、なんかずっと自分の話してるしこっちが話を切り出すとうまいことそれを攫っていって自分の話にすり替えるところ、嫌なんだよなあ。
 不死川も気にはかけてくれるし優しいと思うし、ちゃんと私の話を聞いてくれるけど…自分の話は、あんまりしてくれたことなかったな。ていうか自分の話は多く話さない人だと勝手に思ってるだけで、もしかして私、不死川の話ちゃんと聞いてあげれてなかったのかな。あの日だって私がひとりでべちゃくちゃ喋っちゃったから、不死川、あんな、うんざりして、あんな言い方、したのかな。
 これ以上考えたくなくて、半分くらいあったビールを呷る。シノダくんが、いい飲みっぷりじゃぁん!なんて明るい声をあげながら次なに頼むか聞いてきたので、自分でタッチパネルを操作してビールを注文した。嫌な女だな。

 私に自己嫌悪に陥る隙を与えないくらい、次のビールはすぐに届けられた。あまりの速さにまるで私が最初から頼むことをわかっていたみたいだなんて思いながらジョッキに口をつける。うぇ。自分で頼んでおいてなんだけど、ビールなんておいしくない。カシオレとか飲みたい。いや、オレンジジュースでいい。オレンジジュースがいい。不死川んちで、オレンジジュース、飲みたい。

 去年の今日、私は不死川の家でオレンジジュースを飲んだ。寿美ちゃんが、なまえさんいつもお兄ちゃんと仲良くしてくれてありがとうと言って、可愛いキティちゃんのコップに注いでくれたオレンジジュース。市販のやつなのに、やたら美味しく感じたんだよなあ。
 今頃、不死川家では誕生日会が行われているんだろう。夕方、玄弥くんから『こんな立派なケーキ買っちまいました!マジありがとうございます!』なんていうちょっと興奮気味の文章とともに貞子ちゃんや弘くんたちがみんなでケーキの周りを囲んで笑顔でピースしてる画像が送られてきたときはなんだか泣きそうになってしまったもんだ。
 私も祝いたかった。そう思いながらビールをぐいっと、なるべく舌にのせないように喉奥に流し込むとまた声が上がる。うるさい。もうお前は教授のとこに行け。うるさい。

「…っぷ」

 危うくげっぷが飛び出してしまいそうになるのを抑えながら、う〜んと唸り声をあげる。きっと今頃は兄弟たちとの時間に夢中で携帯なんか見ないだろうし、いまのうちにさっと送ってさらっと終わらせちゃおう。うん。ひとり決意を固めて頷き、残りすこしだったビールを流し込む。まずい。
 シノダくんが何か言いたげな顔をしているのを横目に、お手洗い行ってくると隣の友達に告げてから席を立つ。あ、ゆずみつハイボール頼んでおけばよかったけど、まあ、いいや。


『誕生日おめでと』
 3つある個室の右奥。デニムの生地越しにじんわりと便器の冷たさを感じながら送信ボタンを押した。余計な言葉はつけられなかった。これからもよろしくね、なんて言えればよかったけど、言えるわけもない。いまはその必要最低限の言葉を送るので精いっぱいで、すぐにメッセージアプリを画面場外にスワイプして終了させた。いつまでたっても未読だの既読無視だの、さほど気にしたことなかったけどいまだけは気にしすぎて気に病みそうなくらいだったからだ。

「ふう…」

 不死川への用も済ませたし、本来の用も済ませた。手を洗いながら鏡に映る自分とよくやった、と頷きあう。そこでふと、おめでとうの後に体に気を付けて、くらいは付け足してもよかったかもしれないと気づいて、もう一人の私とため息を吐いた。酒くさい。酒ごときじゃ蹴散らすことのできない心のもやにげんなりしながらテーブルに戻ろうとしたとき、うしろのポケットに突っ込んでいた携帯がぶるるとおしりの肉を震わせた。思わず突き出していた手をハンドドライヤーにぶつける。大げさにびっくりしてしまった。

「…返信クソ早い」

『どこにいんだ』と私のおめでとうの言葉はガン無視なメッセージがすぐに返ってきた。私があの言葉を打つのにどれだけの勇気を持ち寄り、いやというほど葛藤をして、ようやく覚悟をして、送信したってのにこの男はそんなものまるで無視するかのごとく簡単に返してきやがったな。死ぬほど気に病んでたのは私だけなんだと、気持ちの温度差を突きつけられたみたいでちょっとだけむっとしながらも、少し湿ったままの指先で返信を打つ。ゼミの飲み会、と。

− そんなんわかってらどこのだ
− なんじにおわる

 せめて変換くらいしたらどうなんだ、と思いながらここ何時までの予約だったっけ…と記憶を辿る。19時からで、飲み放題が…2時間って書いてあるや、ここの広告に。親切に最寄りの駅の終電の時間が書かれた手書きの案内の下、そこに店長イチオシ!と銘打たれたおすすめコースとメニューが並んだ広告が貼ってあった。まあだいたい2時間くらいだよね、と思いながら『たぶん21時くらい。2次会あると思うけど』と返しながら、なんでこんなこと聞かれてるんだ?と今更にはてなを浮かべた。
 暫く返事がなかった。既読はすぐについたから見てるはずだけど…な、なんだったのか。すっかり席に戻るタイミングを失ってしまって、いまだにトイレで突っ立ってる。うんこだと思われるだろうか、いや酔っ払いたちには私がトイレに立ったことなんて気づいてないのがほとんどか、とかどうでもいいことをぽこんぽこんと頭の中に浮かべていると左端から吹き出しが飛び出した。

− 行くから店の場所送れ

「えなんで?」

 思わず声にでた。そんなこと言われたの、初めてだったから、つい。
 飲み会が終わる時間を聞いてきて、店の場所を教えろという。つまりは、不死川が迎えに来るってこと?そういうこと?あ、私今日飲みすぎてる?これ酔っぱらってる?うん?
 真ん中の指を3本をぴたりと揃えて、そのまま己の額をぺちぺちぺちと3度叩いてみて己を落ち着けてみる。ふう、締めに一息ついてから再度見た画面には『はよ』と急かすメッセージが増えていた。現実だ。なんで?と聞く勇気もない私は、素直にゼミのグループラインに貼られていた店のホームページのURLをコピーして、不死川のほうに貼っつけた。既読はすぐにつく。それからすかさず『二次会は不参加つっとけ』と。数分前にしたのと同じように、メッセージアプリを画面場外にスワイプして終了させた。席に戻った私にかけられた言葉はうんこしてきた?ではなく、「なまえ飲みすぎじゃない?顔メッチャ赤いよ」だった。


「ほ、本当にいる…」

 もしかしたらいないんじゃないかと思ったけど、店の出口から少し離れたところのガードレールに寄りかかってる不死川の姿を見つけたとき、思った以上に冷たかった外の空気も相まって心臓がきゅうと縮こまった感じがした。
 会計を済ませて、教授による一本締めで締めくくられ、次の店どうする?なんて声が飛び交い始めた頃に、ゼミの中で一番仲のいい友達にこっそりと2次会には参加できないこと、ちょっと調子が悪くてお手洗い行くから、気にせずに次の店に行ってほしいことは伝えていた。なんとなく、他のみんなと一緒に店をでてそのタイミングでよう不死川!となるのは気まずい気がしたから、タイミングをずらすための作戦だった。正直、本当に来てるかもわかんなかったけど。
 でも、いる。いるなあ、あそこにいる。黒いパーカーを着て…足元はサンダルだ。もう11月も終わるというのに、ばかなのか?ばかなんだろうな。自分の誕生日会を抜けだしてこんなどこにでもあるチェーン店の前で突っ立ってるなんて、この男はばかに違いない。

「サンダルて、寒いでしょうよ」
「……るせェ」
「なにもうるさくない」

 携帯を弄っていた不死川に声をかけると、ちらりと私を1回見て、すぐまた手元に視線を落とした。
 気まずい。なにを話せばいいのか、ていうかなんで来たのか、誕生日会はどうしたのか、ケーキはおいしかったか。頭の中にぐるぐると回るだけで一向に声にならない。
 え、えっと、まじでどうしよう。困っていると、なまえちゃん?と知った声が私の名前を呼んだ。不死川が顔をあげる。私は声のした方に顔を向ける。シノダくんだった。

「え、なんで…」
「いや体調悪いって聞いたから大丈夫かなって…えっと、」
「…」

 私と不死川を交互に見ながら口ごもってる。誰なのか聞きたいんだろうけど、聞くに聞けないって感じの顔をしていて、私もえ、えと、と口ごもる。彼氏です、というのが正解なんだろうが、うまく口が動かなかった。どうしようと思ったとき、つい、不死川を見上げてしまった。無表情の不死川と目が合う。微かな舌打ちを私の耳は拾っていた。

「…ああ、すいません、ご迷惑をおかけして。体調が悪いと連絡があったんで迎えに来たんです」
「あ、ああ!そ、そうだったんですね………えっと、ちなみに、どういったご関係で、」
「恋人です」
「あっ」
「恋人です」

 外行きの不死川の人格(といっても過言じゃないくらい人が違うから)が出てきたと思ったら、たぶん相当の勇気を振り絞っただろうシノダくんの言葉を遮って、更に念を押すようにもう一度繰り返した。恋人と。シノダくんはちょっとまぬけに口をぽかんと開けて瞬きを繰り返していたけど、私も同じようなことになっていたと思う。まだ一応別れてないわけだし、恋人、だけど。不死川の口からその言葉が出てきたことが奇跡のようにも思えて、照れを通り越して驚きで固まってしまった。

「オイ」
「あっ、」

 不死川の一声で金縛りが解けたみたいだった。はよ帰るぞ、と鋭い目が訴えている。慌てて、いまだに硬直から解けていないシノダくんに向かってぺこりと頭をさげた。さっきまでシノダくんには辟易していたけど、さすがにちょっと申し訳なく思った。

「じゃあ、シノダくんあの……そういうことなので。心配させてごめんね」
「あ、ああ、うん…」

 それじゃあ、これで失礼しますねと不死川が私の手を取って手早く拾ったタクシーに押し込む。すぐには不死川は乗ってこなくて、…車内から様子を伺うとどうやらシノダくんと何か話していたみたいだった。聞き耳を立てようとドアに近づいてこうとしたところでちょうど乗り込んできた不死川に詰めろォ、とまた奥のほうへ押し込まれた。もう外行きの人格は消えていた。
 いったい何を話したんだ。余計なこと、言ってないだろうな、なんて訝しんでいた気持ちは、不死川がまるで我が家かのようにうちの場所を伝えるのがうまいことへの驚きですっかり吹き飛んでしまった。びっくりした。もしかしてうちの住所、空で言えるんじゃないかと思うほどだった。言えるのかな。

:::

 運転手の声で、沈黙のドライブが終わりを告げる。代金を支払おうと財布を取り出すより先に、不死川がカードを差し出してしまったのであとで払わなきゃ、と金額を目に焼き付けながらタクシーを降りた。
 ありがとうござぁしたぁ、なんてのんびりした運転手の声とエンジンの音が遠のいていくと、誰もいない世界に二人で放り出されたような静けさに包まれる。なんだかすこし心細く思いながらうちに向かって歩き出そうとすると、ふい、と目の前に不死川の手が差し出された。この手は一体…あ、タクシー代?それならうち着いてからでもいいじゃあん、なんて思いつつ今度こそ財布を取り出そうとすると、盛大に舌打ちをされて不死川の目尻がくわっとつり上がった。あまりの剣幕にひい、と怯みそうにになっていると強引に手を掴まれて…あ、手。手を、繋ごうとしてたんですか、ああ、そう、手を。…いまどき、小学生でもこんなにならないであろうほど、心臓がバクバクと鳴りだした。
 お酒が入っていつもよりぽわんぽわんしてるはずの体でも、繋がれてるこの硬い手があったかいのがわかる。指先や手のひらから伝わる温度に、心がほどけたのかなんだかわからないけど、無性に泣き出したくなった。ごめんなさいと泣きついて、迎えに来てくれてありがとうとしがみつきたくなった。できないけど。できないかわりに、少しだけ指先に力を入れると黙ってろとばかりに強く握り返された。やっぱり、不死川のことがどうしようもなく、好きだった。

 じゃりじゃりと不死川のサンダルが地面を掠める音とコツコツと私のパンプスのローヒールが地面を叩く音をさせながら2階までの階段をのぼり、205号室の鍵を開ける。開けたのは私じゃない。不死川の、繋がれてない手の中に握られていたそいつが解錠したから。私は手の中のそいつを見て、鼻の奥がツンとして堪らない気持ちになった。渡したとき以来、見たことのなかった合鍵についてたのは緑色のちりめん根付だった。ちゃんとつけてる?って冗談めかして聞いたってさァな、なんて言って毎回教えてくれなかったくせに。ちゃんとつけてるなら、大事にしくれてるなら、そう教えてくれればいいのに。

「いじわる」

 つい、そう口に出してしまったのは、部屋の中に入って私たちの手が離れた時だった。
 まるで我が家のようにぱちんと電気を点けた不死川が何言ってんだこいつみたいな顔で振り返る。むかつきながら玄関のいつもの場所に乱暴に自分の鍵を置いて、鞄も放り投げるみたいに部屋の隅にやって、コートはハンガーにかけることなくひとをダメにするクッションに向かってぶん投げた。不死川はその間じっと荒れてる様子を見ていたようだけど、私が「すわれば」と言うと無言のままいつもの場所にちょこんと座った。家主の私はコーヒーをいれるべく、キッチンに立つ。あの日も私はここに立ってて、不死川はそこに座ってた。

「…」
「…」

 なにしに来たのだろう。可能性が高そうなのは、別れ話だけど。わざわざ、誕生日にすることないのに。不死川と出会ってから特別になっていたこの日は、今後、365日あるいは366日の内で最も憂鬱な日になるに決まってる。そうなったら、私はカレンダーから29日だけをどうにかして消し去るだろう。塗りつぶすとか、切り抜くとかしてさ!
 どんどんと頭の中で膨らんでいくネガティブな妄想(で済めばいい)を掻き消すように頭を振りながら、冷蔵庫を開ける。わが一族のインスタントコーヒーの保存場所は代々冷蔵庫と決まっているからだ。

「…ん?」

 そんなに物が入ってないはずの冷蔵庫の2段目に、白い箱がぴったりとはまっていた。なんだっけ、これ?と記憶を辿ってみるけど、やっぱりこんな箱を冷蔵庫にいれた覚えはない。とりあえず取り出してみると、側面に捺されている金の箔押しにあ、と声が出た。もしかしてこれは、私が好きな、ケーキ屋の。
 ドッドッと心臓が血を体中に巡らせる音がすぐそばで鳴ってるみたいに、急に大きな音で聞こえるような気がした。うちの冷蔵庫に入ってるとはいえ、私のものではない箱の中身を確認することはちょっとだけルール違反な気がしたけど、だけどここは私の家で私が家主だ。私がルールだ!ええいままよと、店のロゴと同じ金色のシールを丁寧に剥がして、そっと中を覗き込んで、すぐに閉じた。分けるのも渋りたくなるくらい一番好きなミルフィーユ、不死川も美味いと言っていたチーズタルト、ポムって響きが可愛くて不死川ポムと呼んだら思いっきりデコピンされたシブースト・ポム、ちょっとだけ値が張るから迷いに迷っていつも買うのをやめてしまう宝石がどっさり乗ってるみたいなイチゴのタルト。それらが箱の中でおとなしくしていた。こ、これは、いったいなに?なんのための?
 思わず不死川のほうへ勢いよく顔を向ける。相変わらずこちらに背中は向けたままテレビのほうを見ているようだけど、今日は電源がはいってないからただ黒い画面を見つめてるシュールな図になってる。なにやってんだばあか、と思いながら不死川、と声をかけるとぴくりと肩が揺れた。

「不死川、このケーキって…」
「……俺の誕生日だからなァ」

 はは、なんて乾いた笑いとともに立ち上がると、たぶんキンキンに冷えているだろう裸足がぺたぺたとまぬけな音を立てながらこちらに近づいてくる。それが私の真横で止まると、思わず俯いてしまった。なんで俯いてしまったのかは自分でもわからないけど、そのまま不死川の顔を見れないでじっとしていると、たっぷりの沈黙のあとに、なァと不死川が口を開く。そんなに大きな声でもなかったのに、この静かで狭い部屋の中じゃやけに響いて聞こえた。

「この前は………悪かった」

 傷つけるつもりはなかった、俺も同じ気持ちだったと、ちいさい声でぽつりぽつりと呟く不死川のつま先をじっと見つめていた。知ってる。不死川がやさしいひとだなんてこと、私はとっくのとうに知ってる。そんな不死川が好きで、できればずっと、一緒にいたくて、あんな言い方されたってあははと笑い流せばよかったのに、突っかかった私も悪い。ごめん、と私だって謝りたい。なのに、喉に言葉が閊えて、うまく吐き出せない。たった3文字も、でてこない。結果的にだんまりのままになってしまった私に、不死川は話し続ける。

「俺は、…テメェにゃ幸せになってもらいてェんだよ」
「…え?」
「情けねえ話だが、俺ァ現状アイツらと…自分のことで手いっぱいだ。…正直、今はお前まで気にかけてやれる自信がねえ」

 こ、これは、私はいまフラれようとしている?別れ話を切り出されてるのか?
 全然、何を言いたいのかわからなくて、顔をあげた。少しだけ驚いたような、ばつの悪そうな、何とも言えない顔をした不死川と目が合う。そのまま、まばたきを繰り返すだけしかできなかった。
 私には幸せになってもらいたい。でも自分は気にかけてやる余裕がない。だから、別れようとでも言いたいんだろうか?私は気にかけてくれなんて頼んでない。
 さっきまで子どもですら言える謝罪の言葉も言えなかった口が、易々と「不死川にとって私は重荷?」なんて吐き出す。こんなの、本当にフラれる直前の女のセリフみたいなじゃないか。まさか自分がそんなこと言う機会があるなんて思ってなかった。

「…そんなんじゃねェ」
「じゃあ、不死川は、私のこと好き?」

 また、ドラマの中で聞くようなフラれる女の常套句を口にしてしまった。

「……」

 ドラマの中の男なら、なんて答えてくれたんだろう。現実の恋人はなにも答えてはくれなかった。
 事態は私にとって良くない方向へ進んでいるというのに、なんだか不思議なことに、抱えていたもやもやがすっと晴れていくような、清々しい気持ちになってきた。不死川がどう思ってるのかがきっぱりと分かって、諦めがついたのかもしれない。やっぱり、気持ちが向いてるのは私だけだったんだろう、うん、わかった。わかりました。
 目の淵にたまった涙が落ちないように唇をきゅっと結びながら、ひとり、わかったのだと何度も頷く。わかった。別れよう、わかったよ。ごめん不死川。無理させて。ごめん玄弥くん。姉ちゃんにはなってあげられそうにないや。

「ご、ごめん、いままで、むりして、つきあわせちゃって」
「は?」
「わかった、別れよう。ほんとごめん、いままで、ごめん」

 さっきまで閊えてたくせに、いまめちゃくちゃごめんて言えてるやんなんて場違いなことを思いながら乱暴に涙をぬぐう。指にマスカラのカスがついてるけど、メイクが落ちるとか、もうそんなことどうだっていい。すっぴんなんていままで何度も見られてるし、ていうかもうこれで終わりなら不細工だと思われることもそれで嫌いになられることも幻滅されることも、別にどうってことない。ていうか最初から滅ぶような幻なんてない。そう思うと、なんだかショート寸前といってもいいくらいカッとなっていた頭から急に熱が引いていくような感じがした。冷静に、うちにある不死川の荷物どれだけあっただろうかとか、私が貸してる漫画だとかは…まあまた買いなおせばいいやだとか、考え始めるくらいには。

「えと、にもつ、きょう、もってかえる?もちきれなかったら、あとでおくっとくよ」
「……」
「あ、あとみんなによろしくね。…玄弥くんには…ごめんねって、いっておいて」
「……」
「…しなずがわ?」
「………る…ェ」
「え?」
「ッるせェんだよ!誰が!別れるなんて言ったァ!あ゛ァ!?」
「は…はああ!?」

 ずっと黙り込んでいたかと思えば急に大きな声を出して、それから強く肩を掴まれたもんだから、思わず首をすくませて甲羅に引っ込みかけた亀のようになってしまった。怯えた亀こと私の前に立ちはだかるのはぎゅんぎゅんにつり上げた目尻をほんのり赤く染めながら毛を逆立てている狂犬のような男・不死川実弥。な、なんでキレられてるかわからん!と縮こまったまま体のまま眉間に皺を寄せて荒れ狂う不死川を凝視する。ぐるると唸り声さえ聞こえてきそうな中、おもむろに私の顔を覗き込むとチッと盛大に舌打ちをしてから、やさしく、私の涙を拭っていく。こわい顔と乱暴な舌打ちと拭う指のやさしさがアンバランスにも程がある。
 不死川の考えてることがよくわからない。どう考えても別れる流れだったじゃん、そんな雰囲気だったじゃん。なのに、いや、なんで?なんでこんなおっきな声だされなきゃいけないの?誰が別れるかバーカと叫びたいのはこっちの方なのに、なんでフろうとしてるお前がキレてるのか意味わかんない。なんかムカついてきた!表出ろやテメェ!

「だ、だって、私のこと好きじゃないんでしょ!?」
「アァ!?バカかテメェ好きに決まってんだろォがクソ!」
「く、クソ、クソってなんだクソって!普通に好きって言え!」
「うるせェ、ちくしょォ、ああ、クソだせェじゃねえかぁ…!!」

 そう言うと途端に威勢を失って、言葉尻がどんどんと萎んでいくのと比例するように肩を掴む指先に力が入っていく。思わず、いたい、とちいさく声をあげてしまうと、はっとしたように顔を上げた不死川がまた舌打ちをして、それから性急に肩を引き寄せられる。あまりの勢いに私の体が不死川のとがぶつかったけど、そのまま離れることは許さないみたいにぴたりと隙間なくくっついた。

「…しなずがわ」
「……」

 黙りこんだ不死川が少しだけ腰を曲げて私の首元に顔を埋めてるそこが、すごく熱い。私よりうんと体の大きい男が縮こまって小さく体を震わせてることに堪らなくなって、ふうふうとすこし息を荒げている不死川の背中に腕を回してぎゅっと抱きしめると、無骨な手が掻き抱くみたいに後頭部と腰に回って、骨が軋む音が聞こえてきそうなほど強く抱き返される。
 傲りがあることを言うようだけど不死川は、多分、本当に私に幸せになってほしいのだと思う。この男は自分を犠牲にしてまで他人の幸せを願えるひとだ。だから、あの言葉は嘘ではないんだろう。でも私の幸せがなんなのかまではわかってないみたいだった。
 背中に回した手に力をこめた。相変わらず硬くて余計な脂肪のない体だったけど、心なしか前よりも痩せたように感じて、胸が苦しくなる。忙しいんだから、ちゃんと食べないとだめなのに。

「私は…ダサい不死川だってすきだよ」
「やめろォ…」
「顔こわいし、口悪いし、すぐ舌打ちするし凄むし、ごはん美味しいって私の前では言わないし、酷いこと言うし、根付だってさ、一言つけてるって教えてくれればいいのきしてくれないし、こんな寒いのにサンダルで来るばかだけど、私はそれでも不死川がすきだよ、ずっと、すき。あのとき、死にそうなくらい恥ずかしかったけど告白してよかったと思ってるし、散々バカだのイカれてるだの言われたけど、ちゃんと考えてくれて、こうして付き合ってくれて、本当にうれしかった」
「……もう黙れや」
「やだ黙んない。だいたいなんで不死川は自分がみんな幸せにしてやらなくちゃいけないって思うの?」
「あァ…?」
「不死川だって幸せになればいいじゃん、してもらえばいいじゃん!ていうか私がしてあげるっつの!はぁ!?なんなの!?なんでなんでもかんでも全部自分一人でやろうとするのまじでなんなのはあ!?」
「う、オイ、落ち着け、」
「落ち着いてられるかばか!不死川のば、んッ!」

 後頭部に添えられていた手が軽く私の髪を引っ張ったかと思うと、自然と上がった顔の目の前に不死川の顔があって、ぎゃんぎゃんと喧しく捲し立てる口を塞がれた。不死川のばんってなんだ!かまで言わせろ!ばかまで言わせろばーか!溢れてやまない言葉と涙は、キスをされようがお構いなしだった。不死川のわからずや、ばか、ちくしょう、私がどれだけお前を好きなのか知らないんだ。
 んー!んー!と言葉にならない声で喚きながら泣き続ける様は惨めで哀れなことだったろう。それなのに不死川は見たこともないような優しい顔をして、慈しむような目をして、私の頭を撫でながらゆっくりと宥めるように舌を絡ませた。酒くせェ、と小言を付けるのも忘れずに。

「…そんなんもう、とっくにしてもらってんだ。わかんねェのか」
「へ…?」
「俺ァもう十分だ。テメェがあの日、俺が好きだって、頭の可笑しいこと言いやがった日から俺は、」

 そこで言葉を切ると、何も言わずにただただ指の背で私のほっぺを撫でる。
 目は口程に物を言う、というけど。確かにこの男がいまなにを思ってるのか、言われずともわかってしまう気もするけど。言ってくれたって、いいのに。ききたいのに。

「しなずがわなんて、きらい」
「…そんなこと言うんじゃねェよ」
「なにも教えてくれない不死川なんてきらい」
「……」
「ちゃんと言葉にしてよ、どうおもってるのか、どうしたいのか、きかせて」

 会いたいけど、不死川がそれを負担に思うのなら、会えなくてもいい。どこかへ出かけたいなんてわがままも言わないし、毎日連絡を寄越せだなんてことももちろん言わない。ちゃんとごはんを食べて適度に眠って、健康に、兄弟みんなで仲良く過ごして、それで、ほんのたまにでいいから声をきかせて。不死川が何を思ってるのか、どう想ってるのか、教えてほしい。私にとってはそれだって幸せと呼べるんだから。

「……許されンなら、…テメェと共にありたい」

 だから、もう絶対、ほかの人に私の幸せを押し付けたりしようとなんかしないで。私は不死川がいい。不死川じゃなきゃ嫌だ。

「ゆるしてやる。私がもっとしあわせにしてやるから、一緒にいろ」
「あァ…仰せのままに」

 鼻水を垂らしながら笑う私の涙で濡れた目を、だらしねェ顔してやがんなと笑いながら自分のパーカーの袖で拭って、それから冷蔵庫にマグネットではりつけてあるキッチンペーパーを1枚切り取って私の鼻をかんでくれた。あれ、デジャブだな。不死川違いだけど…と思って、ハッと気付く。いま、なのでは。今がチャンスなのでは。濡れて束になっているであろうまつげをしぱしぱと動かしながら、ごくりと唾を飲んだ。

「さ……」
「あ?」
「さ…さね、み」
「なんだ、急に」
「さねみ、実弥」
「なんべんも呼ばなくたって聞こえてらァ」

 まるで呪いがかかっていて、今までその名前を口にできなかったような、その呪縛からようやく解放されて、好きな人の名前を呼べるようになったみたいな気分だった。…あいや、実際はそんな大それたものではなくてただ恥ずかしかっただけっつうしょうもない話なんだけど。それでもなんだか、妙に嬉しくて、だらしないと称された顔のまま確かめるようにもう一度、実弥、と呟くと返事の代わりにぎゅっと硬い胸に顔を押し付けられるように抱き締められた。

「わァったから、とっととケーキ食っちまおうぜェ…タルトはなまえにくれてやるからよォ」
「え?なんて?実弥は誰にタルトくれるって?!」
「クソ泣き虫女に、ってかァ?」
「ケチ!」

 絶対イチゴのタルトわけてあげない!一粒、一欠けらとてわけてやらん!そしてお前を実弥ポムと呼んでやるからな、ざまあみろ!
 実弥の誕生日ケーキだとしても、関係ないんだから。体を押し返すようにして実弥から離れて、ケーキをよそうお皿をとるために食器棚に手を伸ばそうとしたのに、体がぐんっと引き戻された。後ろから抱きすくめられるような体制になったかと思うと、耳元で「愛してるぜェ、なまえポムよォ」なんて囁かれて、わなわなと口を震わせる照れに襲われるのと同時に、そこでポムをつけるのはずるいでしょっていう、どうにもおかしい気持ちとが綯い交ぜになって、イチゴみたいに真っ赤な顔で腹の底から笑いあってしまった。


20191129 / きかせて
「キッチンで はにかんで 名前を呼ぶ」
仲良くしてもらってる管理人さんたちとCPシチュスロットで遊んだやつでした。長い。自分のための補足(読まなくて大丈夫)
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -