『あんたどこ』

 このひらがな5文字を見た途端、脳内であんたがたどこさの曲が流れ始めたのはおかしいことだろうか。
 大学の図書館の中の自習室で、勉強するでもなく、本を読むわけでもなく、うとうとと、わたしたちの学費で稼働する暖房のあたたかさに目蓋をおろしかけていたときのことである。ぶっぶっ、と震えた携帯の画面にその5文字が表示されていた。百瀬つむぎ、わたしの仲良しの友達のライブを見に行って知り合った、高校一年生。名前の割に、イチゴが好きな生意気ベーシストだ。わたしはそいつになんでだか割と好かれていて、ちょくちょく連絡が来ていた。会うのは、ライブハウスでだけだったけれど。…まあその方が助かる。ぶっちゃけ、わたしもつむぎを好きか嫌いかで言えば好きだし、連絡が来ると嬉しくなくもない。ただなんと言ったって、向こうは高校生だ。わたしへの好意に近いそれは、遊びたいお年頃の彼のきまぐれなものだろうから、あまり真剣に向き合ってはいない。一線を引いて、接している…つもりだ。こういうのは本気にしちゃうとまずいやつなのは恋愛経験が乏しいわたしでもわかるもの。だって、大学生が、ねえ。高校生好きになっちゃうなんて漫画の中だけの話じゃないの、わかんないけど。

 さて、この5文字に対してわたしは『大学』とつむぎのより更に短い2文字で返したわけだが、5秒と経たずに手の中の携帯が震えて、ふきだしがぽこんと表示される。『だからどこ』相変わらずのひらがな5文字、しかもそこから滲み出る少しの苛立ち。どこかと言われて大学にいると返しただけじゃん。なんでそんな、ちょっとイライラしてんの、もう。近頃の高校生はカルシウムが不足してるんじゃないのと心の中でぼやきながら、自習室にいるのだと伝えるとやはり速攻で返事がくる。『どこかわかんねーから校門きて』…なに、うちの大学にいんの?なんでだ。つむぎが会いにくるなんて初めてっていうか、ライブハウス以外で会うの、初めて。なんで来てるんだろう。

「……」

 ……い、いや理由は別になんでもいい。なんでもいいけど、寒いから外出るのやだ。ハルちゃんとパンケーキ食べに行くまで、ここであったまってハルちゃんが授業終わるの待ってるんだから。

『寒いからやだ』
『ふざけんな』
『ふざけてない』
『でんわする』

 えっ!ちょっと待ってよ行かないって言って、…。…着信・百瀬つむぎ、すぐにかかってきた。ここ自習室だよ、真面目な子は勉強して、わたしみたいな真面目じゃない子は静かに寝てる自習室だよ!シーンとしてるんだよ、この大学の中できっと、一番、静かなところなの!速攻で着信を切る。そして、速攻でまた電話がかかってくる。きる、かかってくる、きる、かかって…あーもう、わかった、わかったよ行くよちょっと待って!乱暴にリュックを掴んで自習室を出ようとしたら、開いていたチャックの隙間から飲みかけの紅茶のペットボトルが床にぼごん、と変な音を立てて着地した。数人がわたしの方を振り返る。…どうやら、ここに留まるという選択肢はなくなってしまったらしい。


 自習室を逃げるように後にして、一旦おとなしくなっていた携帯をいじくる。のろのろと歩きながら『さむい』『電話』『でろ』『おい』と連投されていたメッセージを流し読みして、渋々掛け直す。はあ、溜息も吐きたくなる。なんだってんだ。そして呼び出し音が鳴り始めてすぐに繋がった向こうから『なんででねーんだよ』と文面と同じように苛立ちを醸しだした声で、もしもしもなしに責められた。この生意気イチゴ野郎め。いきなり押しかけてきて人の睡眠を邪魔した挙句、なんだその態度は。自習室だから出られなかったんだってば、と対抗するようにやや刺々しく弁論すれば『さむい』と言われ、白目を剥きそうになった。会話が噛み合わなさすぎて。

「で、なに。用は?」
『寒い。早く来て』
「校門?」
『そ』
「なんで」
『いいから来いっつってんの』
「なんか奢ってくれるなら行ってあげる」
『大学生が高校生に言うセリフかよ』
「そっちこそ年上には敬語を使えって教わらなかったの」
『うるせー』

 絶対来いよ、いいな。と念を押したつむぎはわたしの返答を待たずに電話をきった。彼はもう一回、義務教育からやりなおしたほうがいいんじゃないかってちょっと思い始めてる。それから、仮にわたしに会いにきたのだとしたら、余計会いに行きたくないんだけど。勘違いしたくないので。

▽▽

 途中の自販機で温かいゆずれもんを買って、ポケットの中に突っ込んだ。右があったまったら左、左があったまったらまた右、とほっとゆずれもんに飲み物というよりカイロの役割を果たしてもらいながら歩みを進める。あのあと、あれやこれやと考えてやっぱり行くのやめようという結論に至ったわたしはその旨を伝えるべく、電話をかけたのだけどさっきの仕返しなんだろうか、ちっともでる気配はなかった。絶対、わざと無視してんだよ。タチ悪い。

 …いったい、なんの用だろうか。しょうもない用事で呼び出されるのも腹立つけど、しょうもなくない用事でもそれはそれで困る。まあいくら考えたところでわたしは校門に向かわなければならないわけだし、潔く諦めることも時には大事だろう。ちょこっとつむぎの相手をして、おとなしく学食でハルちゃんのことを待とう。おいしいパンケーキを食べて失われている女子力を補わなければいけないのだ、わたしは。…丁度、校門のところにいるピンク頭を遠巻きに眺めてはきゃっきゃと黄色い声をあげている、あの女の子たちみたいになるためにさ。

「…」

 注目の的となっているピンク頭のソイツといえば、そんな女の子たちの声をシャットダウンするかのように耳にヘッドホンをして、壁によりかかって携帯に目線を落としていた。あそこに行くの気まずいなあ。少し尻込みしたものの、ここまで来たらいくしかない。足早につむぎの元に行って、その腕を掴んで、彼女たちの視線から逃れるように場所を移動した。つむぎは急に誰かに腕を掴まれたことに驚いたようで、ちょっとだけ口をあけて目を丸くさせていた。マヌケ面だ。

「…おせーよ」
「急に呼び出しておいてそれはナイでしょーが」
「ま、ちゃんと来たから許してやる」

 『急な呼び出しにも関わらずわざわざ来てくださりありがとうございますなまえさん』くらい言ってみたらどうなんだ、と寒さで丸まった背中に投げかけてみるけれど、ガン無視された。クソガキめ。

 物珍しそうにきょろきょろ辺りを見回しながら歩くつむぎのうしろを、歩く。そんなに珍しいかなあとも思ったけど、考えたらまだ高校生1年生だもんね、受験近くにならないと大学なんか来ないか。…そうだよね、まだ、高校生1年生だもんね。
 暫く歩いたのちに、適当なベンチを見つけるとつむぎがそこに腰をおろして、隣に座れととんとんと木の板を爪先で叩いてわたしを呼ぶ。わたしもおとなしくそこに腰をおろしながらゆずれもんをポケットから取り出して、両の手のひらの間でころころと転がす。カイロ代わりにしていたそれは少しぬるくなっていたけど、暖をとるにはまだ十分にあったかい。

「大学ってデケーのな、初めて来たけど」
「つむぎもいつか通うんじゃないの」
「ムリだろ。俺バカだし」

 それに俺はバンドやってたいしー、と言いながらベースのはいったケースを撫でるように触れてみせる。バンドなんて、ハルちゃんたちみたいに大学通いながらやってる人の方が多いと思うんだけど。まあなんとなく大学行くより、はっきりと目的があるならそっちに集中する方がいいのかな。よくわからんけども。でも、自分のやりたいことがあるのはすごく羨ましい。

「それに、俺がもし大学はいれてもそのときにはあんたいねーんだろ」
「まあ、そりゃ、もう3年だからね」
「じゃあ、やっぱいい。あんたがいるなら考えてもよかったけど」

 ま、どうせ俺の頭じゃムリだけどな。そう言いながら少し不貞腐れたように頭をかくつむぎの横顔に声をかけようとして、慌てて口を噤む。 留年して、つむぎのこと待っててあげよっか、なんてバカなことさえ言いたくなってしまうほど一瞬浮き足立ってしまった心をなんとか抑えた結果、彼の横顔を眺めるに留まったのだ。

「…えっと、それで、なんでここにいるの?見学とか?」
「いや、れおん…じゃない、KINGが、朔良さんに会いに行くっつーからついてきただけ」
「KINGって、ボーカルの子だよね。朔良くんに会いに来たんだ。なんか相談事かな」
「いや、ポケモン」
「え」
「だからポケモン」
「あ、ポケモン」
「そ、ポケモン」

 そう言えば最近ハルちゃんがよく嘆いていたのを思い出す。朔良くんが寝るかタバコ吸うかポケモンするかしかしてないんじゃないかって、心配してた。んまあ、でも、なるほど、気持ちはわからんでもない。実はわたしもいま必死に色違いを探している途中だ。そのせいで夜更かしすることだって珍しくない。だから、朔良くんの生活サイクルには賛同してしまうし、ハルちゃんにはわたしのポケモンマスターを目指す旅のことは内緒にしておこうかな。『んもう!なまえまで夜更かししてっ!』って怒られるのが目に見えてるからね。

「なんか、この前撮影一緒になったときに近くのスタジオで練習あるって言ったらその前に一勝負しようってなったらしい」
「朔良くんのぱせり強いもんね」
「えっ…あんたも、やってんの」
「うん、ポケモン世代だし」
「まじか…」

 俺もやってる。ポツリと呟いてから、チラリとわたしを見る。なに?首を傾げれば、今度対戦か、交換しよって。こういうところは、ほんとただの可愛い高校生だ。わたしが頷くとちょっとだけ嬉しそうにしてみせるところだって、可愛い、ん、だけど。…なんでわたしも嬉しくなってんのかなあ。

「…それで、KINGくんのおともついでに、なんでわたしに会いに来たの?」
「え……朔良さんと同じとこ通ってたよなって思って」
「…思って」
「……顔、見たいなって」
「………そっか」

 相手は高校生1年生、15歳、落ち着け、21歳のわたし。ちょっぴり早く脈打つ心臓に気付きながらも、冷静に冷静に、考える。
 …つ、つむぎは、わたしのことが好きなんだろうか。ライクではなく、ラブ、で。なんか、女の子の影がたえないみたいな噂を聞いたこともあるし、ハルちゃんも『あの子すんごいモテモテなのよ〜わたしも大好きっ』と頬を染めていたし。…まあさっきの校門での感じからして、つむぎにその気がなくたって知らずのうちに女の子に囲まれてることが常なんだろうなあということは想像に難くない。実際、中身はまあ置いておくとして、あの容姿ならモテるだろう。かっこいいし、バンドマンだし、女の子が寄ってこないわけないよね。
 だから、わたしはつむぎと知り合ってよく連絡が来ることに、嬉しく思いながらもいつも構えてしまっていた。…からかわれてるんじゃないか、とか。好意でなく興味なんだろう、とか。気まぐれなものだろうと、思ってしまっていたのだ。…だけど、これまでの彼の言葉の端々からはそんな感じがしないっていうか、計算された言葉ではなく、純粋に自分が思ったことを口にしているようにわたしには思える。本当に顔を見たいって思って来てくれたんだなって、信じちゃう。わたしの恋愛経験値が低いゆえにそう思ってしまうのなもしれない。わたしの自惚れで、勘違いなのかもしれない。浅はかすぎるかなあ。

 …んまあ、あれこれ考えてもしょーがない。早くパンケーキ食べたいな。他のことを考えるようにしながら深く息を吸い込んだら、空気が思った以上に冷たくて鼻の奥が痛くなった。つむぎは、隣で鼻を啜っていた。

「…あの、さ」
「ん?」
「……来週、ひま?」
「来週?」
「ん……俺らライブやるから、来て」

 つむぎが靴の先で小突いた小石が、硬い音を立ててながら向こう側に転がって行った。ああ、なるほど、つむぎの目的はこれだったのだと、なんとなく直感した。…根拠はなにもないけれど。KINGくんのおともだとしても、ライブのお誘いのためにわざわざわたしのところに来てくれたのだ。そう思ってしまうわたしはやっぱり浅はかだろうか?でも、なんかもうつむぎの気まぐれだろうとなんだろうと、どうでもいい気がしてきた。指先が、ぴりぴりと電流が走ったかのようにむずがゆくなって、きゅっと手のひらの中に仕舞いこんだ。わたしはつむぎが好きだ、きっと。

 そのライブはもともと行くつもりだった。独り身のクリスマスなんて特に予定もないし、たまたまバイトもなかったし、ハルちゃんがチケットも用意してくれるって言ってくれていたし。それに、25日は、ね。姿見れればいいなって思っていたし。
ライブに行くつもりだったことを伝えると、ぱっと顔が上がって彼の視線とわたしのがぶつかる。また口あいてる、マヌケ面再び。

「Liar-SとKYOHSOもでるやつだよね?」
「え、あ、うん。それ」
「丁度あとでハルちゃんからチケットお安く売ってもらうつもりだったんだ」
「ああそっか、ハルか…」
「そ。このあとパンケーキ食べに行くんだ、2人で。いいでしょ」
「……仲よすぎだろ、くそ…」
「え?」
「っ、なんでもない」

 なにかに弾かれたように突然立ち上がったつむぎに驚いて、固まる。わたしの前に仁王立ちしている彼は、制服のポケットからなにかを取り出すとそれをわたしの手に握らせた。くしゃっとした感触がある。チケットだ、例のライブの。

「…これ、タダでやる。だから……ライブ終わったら、俺に付き合って」
「…つ、付き合うって、打ち上げ?」
「ちがう、個人的に」
「えっ…なんで」
「なんでって…なんでもいいから」

 そっぽを向いてそう言うつむぎの唇は少し尖っていた。25日、世間ではクリスマス。わたしにとっては大事な友達たちのライブの日。百瀬つむぎにとっては、この世に生を受けた日だ。そんな日に付き合えだなんてそれは、これは、勘違いじゃないよね、期待していいよね、たぶん。

「…誕生日だから、わたしにたかろうって?」
「バーカ、んなわけねえだろ……つーか、知ってたのかよ」

 知らないわけない。かわいい、年下すぎる、クソ生意気な、気になる男の誕生日を。知ってたよ。だから余計、行かなきゃって、行きたいって思ったんだもん。

「…でも、いいの?打ち上げでみんなに祝ってもらうんじゃないの」
「へーき。そこらへんは…久遠になんとかしてもらうし」
「…あ、あと、わたしなんかに時間割いていいの?」
「……あのさあ、」
「は、はい」
「全部言わねえとわかんねーの?」
「えっ」

 やや怒ったような、呆れたような声色でわたしを見下ろすつむぎに、学校の先生とか大人に怒られている子どものような気分になる。なんでよ!だって普通バンドの仲間とか先輩とか、もしくは大事な友達とかと一緒にいるほうが有意義だと思うじゃん!…う、うそ、ほんとはわかってる。全部言われなくても、わかってるよさすがに。ごめんね、つむぎ。わたしは多分その口から聞きたいんだ。言わせたいんだ。ずるくてごめん。

「…俺は、あんたといたいんだよ」

 どきん、と、体の奥で心臓が跳ねて、全身に鳥肌が広がる。つむぎはわたしの手を握ったまま黙っていて、わたしもチケットを握らされた手を握られたまま固まっていた。わたしは何歳も下の、マセガキに心臓を掴まれて動けなかったのだ。情けない話だ。

「んん、えっと…まあ、そういうことだから、よろしく」
「…あ、う、うん」

 ぱっと手を離してベースを背負ったつむぎに、わたしも慌てて立ち上がる。襟のところが曲がっていたので直してあげるとちょっと驚いた顔をしてから、『ども、』とお礼を言われて髪をぐしゃりと乱された。わたしは正してあげたのに、お礼に乱される。こんなのあんまりじゃないか。仕返し…というわけでもないけど、ポケットに仕舞っていたほっとではなくなってしまったゆずれもんをつむぎの顔に押し付けた。

「っな、なんだよやめろ!」
「うっせ、それあげるからとっとと帰れ」
「言われなくても帰るしいらねーし」
「まだあったかいのに…ちょっとだけ」
「ぬるいって言えよ」

 なんだかんだ文句を言いつつも、つむぎはぬるいそれをわたしの手から受け取ってポケットに仕舞った。貰ってくれるらしい。別に、押し付けたわけじゃないからね。ゆずれもんわたし好きだから、これほんとだよ。つむぎにも飲んでもらいたかっただけだからね。

「じゃーな」
「あー…、つむぎ」
「ん?」
「ライブ…楽しみにしてるね」
「ん、任せとけ」

 ぜってー惚れさせる。
 確かに彼はそう言った。いつもつん、と尖っている唇の端を、少しあげて。
 わたしは、ベースを背負い直す丸まった背中と、ピンク色が遠ざかっていくのを見つめながら、ほう、と息を吐いた。桃色吐息。恥ずかしながらまさにそんな感じの、恋する女の子がするような吐息だった。結局のところ、パンケーキより、よっぽど女子力をあげさせるのは恋なのだと実感して、再びベンチに腰を下ろして頭を抱えた。


141227 『タッチ・ザ・スター』
ゲーム発売前に書いたのでおかしいとこあるかもしれませんがお許しを〜
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