本当に久しぶりだ。どれくらい久しぶりかわかんないくらい久しぶりな気がする。自分が、…玲音の彼女だってことを忘れちゃいそうになるくらい、久しぶり。もちろんそんなことあるはずないんだけど…だけど、たまに女の子たちがレバフェの話をしてたり、ボーカルの子かっこいいよね!なんて話をしているのを聞いたりすると、まるで他人事のようにすごいなあと感心してしまう自分がいるのも確かだった。そいつ、わたしの彼氏なんだぞ!ふふん!なんて、一度も思えたことはない。こんなこと言ったら絶対に玲音に怒られるのはわかってるけど、玲音の彼女だっていう自覚があんまり…ないというか。会うことはおろか、連絡だってそんなにとってなかったし。部屋に貼ってあるレバフェのポスターの中で笑う彼を見るたびに、とてもわたしの隣にいる人とは思えないなと感じていた今日この頃だったんだけど。

「(まじで久しぶりだなー…)」

 『オムライス食いに行こーぜ!』
 わたしよりも巧みに絵文字を使って彩られたメッセージが届いたのは、本日最後の授業が終わる15分前のこと。今日はバイトもないし久しぶりに自炊でもするか〜と、クックパッドでレシピを検索していた時に、ぴょこんと画面の上にそのメッセージは現れた。表示された『れおん』という差出人の名前に、照り焼きチキンのレシピのページを開いたまま目をぱちくりとさせていると『今日はやく撮影終わったからさ』『時間あるなら会いたいんだけど』『オムライスは譲らないからな!』と追撃がやってきて、あれよあれよといううちに待ち合わせ場所が決まっていた。断る理由もないしそりゃわたしだって会いたいから別にいいんだけど…いいんだけどね。

「……」

 なんだか、妙に緊張する。いつもポスターで見てた人とこれから会うんだなあと思うと体がむずむずした。ていうか本当に来るのかなと疑ってしまうくらい現実味がないというか。
 そんなことを思っているうちに待ち合わせの場所に到着する。まだ玲音は来ていないみたいだ。まあ、待ち合わせのときにわたしより先に来てたことなんて殆どないし。そもそもわたしたちが待ち合わせの時間を守ったことなんてほぼないに等しかった。

 指定された場所から察するに、今日行くお店は恐らくあの地下にある洋食屋さんだろう。わたしも好きだったけど、特に玲音はあそこのオムライスとワッフルが好きだったから。玲音が芸能人になる前、デートの帰りはたいていあのお店に行ったものだったけど、デートなんてものを久しくしてなかったからお店に行くのも久しぶりで、思わず腹の虫も小さく鳴く。
 なに食べようかなあ、いつものお餅が入ってるのにしようかそれとも普段頼まないのにしてみようか。メニューを頭に浮かべながら、ショートブーツの爪先で足元に散らばる色褪せた落ち葉をつつき、少し前に自分で切って失敗した短い前髪を指先でつまんで軽く引っ張った。

「(絶対からかわれるだろうなあ、これ)」

 自分で前髪を切ってうまくいったことなんてないってのにわたしという人間は全く学ばないバカ者だ。でも美容院に前髪だけ切りに行くのなんて、普通に考えて面倒くさいじゃん…って、年頃の女の子はそんなこと思ってちゃいけないのかな。まあもう過ぎてしまったことはどうしようもない。切ってしまった前髪はもうくっつかないし、引っ張ったところで伸びもしない。だから。あとは時の流れに身を任せるしかない。
 そんな風に後悔していると、誰かが目の前に立つ気配。顔をあげれば、「よっ!」といつもの挨拶とともににんまりと笑顔を浮かべたわたしの待ち人。そしてまたこの人も、わたしと同じように失敗したような前髪をしていたのだった。この人の場合はそれが売りみたいなものだけど。

「わりー、待ったか?」
「わっ…!」
「ん?」
「あ、いや…ううん、さっき来たとこ」
「そうか?ならよかった」
「うん…」

 「久しぶりだなー元気にしてたか?」とわたしの頭をぐしゃぐしゃにしてくる玲音に、真っ先にわたしが思ったのは、『本物の香椎玲音だ…!』だった。いつも長方形に印刷された紙の中で自信ありげに笑っていた男が目の前に立っていて、わたしに触れている。今まではそれが当たり前のはずだったのに、今は半分夢みたいだなあなんて少しふわふわした気分になる。それに、元気そうみたいでよかった。そんな姿にわたしの顔には自然と笑みが浮かぶ。
 一方、目の前の前髪パッツン男・香椎玲音は見事に色の違う瞳をまんまるとさせて不思議そうにわたしを見おろしている。なんだ、と嫌な予感に顔が強張る。

「なまえ、お前…」
「な、なに…?」
「なんかお前…前髪短くねーか?」

 チッ!ばれた!

「…気のせいだと思うけど」
「いや、気のせいじゃないだろ。その手どけてちゃんと見せろ」
「や、やだ!」

 思わず前髪を手で押さえてしまったけど、あっという間に玲音に手首を掴まれてどかされてしまった。ていうか久しぶりに玲音に触られてる。掴まれたそこがじわじわと熱くなっている気がして、それが顔にまで伝染していく気がした。短い前髪を見られる恥ずかしさと、久々に感じる玲音の体温に顔の熱がどんどんと上がっていく。最悪だ。ちょう見られたくない。

「ほらやっぱ短い。オン眉じゃん」
「れ、玲音に言われたくないしギリオン眉じゃないし!」
「なんでそんなにムキになってんだよ。いーじゃん、可愛いと思うぜ」
「え」
「俺とお揃いみたいだし」

 ししっと笑いながら玲音がこつん、とわたしの額に自分のをあわせた。散々ポスターで眺めていた綺麗な顔が突然至近距離にやってくるもんだから、心臓がばくばくと五月蝿く高鳴る。
 ま、待て。や、ほら、ていうかまだ知名度がそんなにないからって一応芸能人なんだから外で軽率にこんなことしちゃだめ!スキャンダラス!
本当はもっとくっついていたいと思っているであろう自分の本心には気付かないようにして、彼の体を押し返しながら苦し紛れに「こんなお揃いやだ!」と呟いた。そう言い返すのがやっとだった。

「そかぁ?俺は可愛いと思うけどな」

 唇を尖らせながら、玲音の体が離れていく。冷たい風がわたしたちの間を通り抜けて、一層寂しさを感じた気がするけどそれも気付かないふりをした。

「てか…あれ、玲音背伸びた?」
「お、わかるか!?実は2センチも伸びたんだぜ」
「そっかあ…」

 隣を歩く玲音の肩が、わたしが知ってる位置よりも少し高い位置にある気がしてそう聞いてみれば、やっぱり。わたしの身長はもうずいぶん前にぴたりと止まってるのに、玲音はまだまだ伸び続けてる。これからもきっと、こんな風に玲音はわたしの知らないところでどんどん成長していくんだろうなあ。レバフェは今以上に人気になって、そのうち渋谷のスクランブル交差点のモニターとかにCMが流れるようになったり、サングラスかけたあの司会者の番組に出たりするんだろうな。それできっとわたしの手の届かない人になっちゃうんだ、きっと。

 なまえ、と名前を呼ばれるまで自分の歩く速度が落ちていることに気付かなかった。は、と顔をあげれば玲音が少し先で困ったように笑いながら振り返っている。ごめん、と謝って慌てて距離を詰めて隣に並ぶと顔を覗き込まれて、ほっぺをぶにゅと潰された。わたしは目を丸める。

「お前なあ、」
「ぶぇっ」
「久しぶりに会ったってのになんでそんな寂しそーな顔してんだよ」
「ふぇ、ふぇふに、」

 ぎくりとした。嫌な感じに心臓が跳ねた。…寂しい顔って、わたしそんな顔したつもりないし。
 別に、そんなことないもん。ほっぺを潰してる玲音の手を取りながらそう言うと、ふうん?と首を傾げて見透かすような視線でわたしをじっと見てくる。それから一瞬、なにか言いたげに口を開いたけど、結局そのままにっと歯を見せて笑って、早くオムライス食いにいこーぜ!とわたしの手を引いただけだった。
 本当のことを言えば、寂しくないわけない。寂しくないわけないけど、夢に向かってひた走る背中に寂しいなんて言えるわけないじゃない。足を止めさせるわけには、いかないじゃない。くう、と鳴ったお腹の音はわたしの情けない泣き声のようだった。

△▼△

「は〜食った…」
「も、もうむり、なんもたべれない…」

 はあ、と満足そうな溜息を吐いて玲音が摩っているお腹は、確かに少しだけポッコリしているように見えた。そりゃあ、オムライス2皿に2〜3人で分け合って食べる大きさのワッフルを食べればそうなるでしょうね。しかも一つはハンバーグが乗ってるやつだったし、もう一つはお餅入りのだからお腹にたまるに違いなかった。いくら食べ盛りだからって食べすぎなんじゃないのかと、今後の活動に支障はでないのかと、少し心配になったけど、久しぶりに見る玲音の満足そうな顔になにも言えなくなってしまった。
 しかしそうとはいえ…今思い出しただけでも胃もたれしそうな光景だった。うっぷ。漏れそうになるげっぷをなんとか我慢して、流れていく夜の景色を四角い窓越しに眺める。

 カーキ色のニットキャップを被り、黒い縁のメガネをかけた玲音はわたしの隣で吊革に体重を預けながら自分のバンドの曲を口ずさんでいた。変装の意味合いも恐らく込められているであろうその恰好は、悔しいかなすごく似合っている。かっこいい。心の中では、何度も褒めた。これが素直に口に出せたら…いいんだけど。思いながら、隣の男とお揃いみたいに短い自分の前髪を指で摘まんだ。ちょっとした癖みたいになっちゃったな、これ。

 車内は中途半端な時間なこともあってか乗客はあまりおらずしんと静まり返っていて、わたしたちの間にも会話はなかった。カタンカタンと電車が線路の上を滑る音と、アナウンスの音。誰かの咳払いの音、新聞を捲る音。イヤホンから音漏れしてるなにかの曲。玲音が小さく口ずさむ音と、それから電車の揺れでたまに触れ合う肩にどきどきと鳴る、わたしの心臓の音。
 玲音に会う前は彼女だっていう自覚がないな〜なんて言ってたけど、やっぱり玲音はわたしの彼氏なんだなっていうのを実感してしまった。自意識過剰と言われてしまえばそれまでなんだけど、わたしを見つめる目とか接し方が大事にされてるなあって感じずにはいられないものだったから。

 なんか、なんか。
 もっと玲音に話したいこととか、聞きたいこととか、色々あったはずなのになあ。オムライスを食べてるときにもお互いの大学の話とか玲音の仕事の話とかわたしのバイトの話とかしたけど、あんなものじゃ足りないはずなんだ。あといくつか駅を通り過ぎたら、わたしたちはさよならしなくちゃいけない。また彼をポスターや雑誌越しに見つめる日々が始まってしまうんだ。まだ帰りたくない、もっと一緒にいたい、話したい、さわりたい。そう思っても仕方のないことだけど、そう思わずにはいられない。
 せめて寂しい日々を乗り越えられるようにもう少し目に焼き付けておこうかと、ちらりと隣にいる彼を見上げる。

「…あ、」
「え」

 思わず声が漏れてしまうほどばっちりと、視線がかち合ってしまった。慌てて前を向くと、目の前に座っていたサラリーマンのおじさんが新聞に視線を落としつつも、時折興味ありげにチラチラとわたしたちのほうを見ていた。な、なんと気まずい。仕方なく顔をあげて面白くもないビールの広告や脱毛の広告を眺めていると、なんとなく、玲音が口を開く気配を感じた。

「あー…次で降りっか」
「え、でもまだ」
「いいから、ほれ」

 そう言ってわたしの手首を掴むと足早に電車を降りてしまった。そのまま階段を降り、改札を抜けて、東口から出る。途中、玲音に片手を掴まれていたから定期を出すのに手こずって、ピンポーンというブザーとともに改札に捕まってしまったのが恥ずかしくて一度その手を振り払ったけど、無事に改札を抜けるとまた有無を言わさず手首を掴まれ、そのまま歩き出された。
 歩く速度があわずに忙しなく動かさなければならない足が辛くて、何度も目の前の背中に向かって名前を呼びかけてみたけど返答はなく、そのかわり徐々に歩く速度は落としてくれた。こういうときの、なにか目的を見つけたときの玲音は、こっちが何を言おうと何をしようと止めることが出来ないのはわかっていた。だからわたしも無駄な抵抗はせず、黙ったまま手を引かれて歩き続ける。

 静かな夜の道をそうやって進んでいると、ふいになまえ、とすごく優しい声色で名前を呼ばれ、顔をあげる。小さな公園に着いたみたいだった。遊具も大してないような、ほんとに小さな公園。その真ん中に立ってわたしに向き合う玲音は酷く優しくて、だけど同じくらい切なそうな表情をして、わたしを見据えている。心臓がきゅう、と締め付けられるような、なんだかわたしが泣きたくなるような表情だった。普段子どもっぽい言動ばかりするくせに、アイスが好きなお子様のくせに、たまにこうやって思わず縋り付きたくなってしまうような男の面を見せるの、ずるいと思う。思わず眉間に皺が寄る。

「…なまえ、お前さ、俺になんか言いたいことねーか」
「言いたいこと?…別にないけど」
「そーか。でも俺にはある。お前に言いたいこと」
「え」

 一歩、玲音が距離を詰めてくる。今度は少しだけ怒ったような顔をしていて、わたしは思わず一歩後退った。
 言いたいことって、なんだろう。…一番に思いつくのは、別れ話だけど。これからのバンド活動に、恐らくわたしは邪魔になってくるだろうから。仕方ないことだと思う。いつかこうなるってのは、なんとなく覚悟していたから。うちの壁に貼ってるポスターを眺めながら、いつか本当の一ファンになるだろうなってのは、…思っていたことだから。
思い切り吸い込んだ空気が思ったより冷たくて、鼻の奥がツンと痛んだ。

「なまえ」
「は、い」

 ぐっと拳に力を入れた。少しだけ足にも力をこめて、玲音の言葉を受け止める準備をする。気分はまるでサッカーのゴールキーパーだ。どんとこい。どんな言葉だって、受け止めてやる。

「お前…俺に遠慮してないか」
「遠慮……」
「…ぶっちゃけ俺、今日お前に会えると思ってすげー浮かれてた。あんまり表にださないように我慢してたけど、待ち合わせ場所まで行くときずっと心臓バクバクいってて…なのに、なんだよお前の顔。ずっと寂しそうな顔してるくせに何も言わねーし。かと思えば電車ん中であんな…あんな、今にも泣きそうな顔してやがるし。なんなんだよ、お前」

 玲音の声色はもうほとんど怒ったようなものだったけど、その表情は悔しそうに歪められている。頭の片隅でわたしってそんなすぐ顔にでちゃうんだ、と的外れなことを思いながら大きく息を吸って、吐き出す。

「…遠慮するに決まってるでしょ」
「なんでだよ」
「なんでって、そんなの…」

 音楽でやっていくのが玲音の夢だったのに、そのチャンスを手に入れてるのに、しかもあんなに憧れていた人と同じ事務所に所属できてるのに、わたしみたいな女一人のせいでそれがチャラになったらどうするつもりなの。それにバンドは玲音だけのものじゃない。亜貴先輩も久遠先輩も、つむぎくんも巻き込んじゃうんだよ。彼女は、これからいくらだって作れる。玲音は…ムカつくしバカだけど、かっこいいから。

「だからもうこれからは音楽に集中して…」
「や、いやおいちょっと待て、なんか別れ話みたいになってねーか!?」
「は?別れ話しようとしてるんだよ」
「は!?なんでだよ!なんでそーなる!」

 わたしも別れ話するつもりじゃなかったけど、なんとなく流れ的に別れる方向になりかけていた。玲音に止められてなかったらあのまま『今までありがとう、ずっと応援してるね』って言って締めてたかもしれないななんて思っていると、ぐっと眉間に深く皺を寄せた玲音がまた距離を詰めてくる。わたしも同じく一歩下がろうとしたけれど、今度はがっちり肩を掴まれてしまった。少し痛いくらいの力で、玲音はわたしを捕まえている。

「なんで別れなきゃいけないんだよ。俺は...俺は、お前じゃなきゃヤダ、絶対に」
「…玲音」
「俺は...自分の夢も、お前も、手放せないんだ。手放したくない」
「...」
「もし、社長に別れろって言われたら…そのときは...一時的には別れることになるかもしれないけどでも、」
「……」
「でも、もしそうなったとしても俺はお前がずっと好きだし、お前のことずっと想ってるし、レバフェの実力を社長に認めてもらって、そんで絶対お前と付き合うことも認めてもらう」
「なにそれ」

 小さい子どものわけのわからない言い分みたいで、思わず笑ってしまった。自分の夢のために女ひとり切り捨てられないなんて、ちょっと甘すぎるんじゃないかと思ってしまうけど。そんなので本当にKYOHSOを抜くとか言えるのかなあなんて、思ってしまうけど。…でも、玲音なら出来ちゃいそうだな〜って思ってる自分もいる。その子どもみたいな彼の野望に付き合ってあげてもいいかな〜って思ってる自分も、いる。私たち、バカだな。

「...よし、わかった」
「なにが?」
「俺の夢、訂正版を今から発表する」
「て、訂正版」

 玲音はそう言うと近くにあったベンチの上に立ち、腰に手をあてて、人差し指を高く天に突き出す。大きく息を吸い込んで、そのまま「俺の!」と発した声がまあでかくてでかくて。普段からボイストレーニングしてるし、ボーカルだし、しかも今は夜で、ここは閑静な住宅街!迷惑以外のなにものでもない!
 慌てて目の前の脛に思い切りパンチを食らわせるとよく通る声は一瞬でうめき声に変わり、わたしはこの住宅街の平穏を守ることに成功した。ふう。

「ってえな殺す気かお前は!!」
「こんなもんじゃ死なないから大丈夫。それより訂正版発表するのはいいけど、近所迷惑にならないようにして」
「っだ、だからってよぉ、もう少しましな止め方があっただろーが!」

 玲音はちょっぴり目に涙を浮かべながら(そんなに痛かったのか)再び立ち上がってこほんと咳ばらいをした。もう流石にさっきみたいなバカでかい声は出さないだろう。わたしはベンチの上に再び仁王立ちする玲音をまっすぐに見上げた。

「んっん〜…俺の夢は!あいつらと、レバフェで上を目指す!」
「うん」
「んで、いつかお前と結婚することに決めた!」
「う、ん?え?ええ〜…」
「おいそこ!なんでそんな嫌そうな顔してんだ!」

 己の夢(訂正版)を小声で、しかし勢いよく言い終えた玲音は、ベンチから降りると不満げな声をあげたわたしのほっぺを摘まんでそのままぐっと引っ張ってきた。もう、こういうところほんとガキっぽい。いひゃいいひゃい、と彼の腕をタップするとざまあみろと言いたげに鼻を鳴らして解放された。地味に痛くて、思わずそこをおさえる。

「なあ、なまえ」
「うん?」
「普通のカップルみたいなことをするのは、今以上にもっと難しくなっていくかもしんねーけど」
「…うん」
「言いたいことがあるなら、はっきり言え。我慢するな溜め込むな遠慮するなバーカ!」
「いった!暴力反対!」
「うるせー!叩かれたそうにデコ出してるほうが悪いんだバーカ!」

 バカバカ言うなバーカ!てか叩かれたそうにデコ出してるわけじゃないし!前髪切るの失敗しただけだバーカ!!ムカッとして玲音にされたようにわたしも思いっきりデコピンしてやった。べちんっと痛そうな音がしたけど、玲音は笑ってた。(もしやMか?)
でも、うーん…そうだなあ。我慢しなくていいって言われたから、全部言ってしまおうか。ええい、言ってしまえ。

「あの、さ」
「ん?」
「わたし、玲音のこと好きだよ。ずっと好き」
「なっ、」
「ずっと会いたいなって思ったし、本当は自分から連絡だってしたかった。今日だって久しぶりに会えてすごく嬉しいのに、本当は手を繋ぎたいのに、…わたしのそんなわがままがね、玲音の未来が閉ざされちゃったらどうしようって、そうやって考えたらなにも言えなくなるし、できなくなるのね。…でも、やっぱりちょっとだけ、」

 ちょっとだけ、ごめん。
 そう言って少しだけ顔を赤くして固まってる玲音の胸元に顔を埋めて、硬い体に腕を廻した。時間にしていえば、ほんと数秒くらいだったと思う。だけど体の奥からぽかぽかあったかくなっていく気がして、わたしはもう満足だ。本当はもっとくっついていたいところだけど、一応ここ外だしね。そう思って体を離そうとしたら今まで硬直していた玲音の手が腰にまわされて、離れかけた体がぐっと引き寄せられる。驚いて顔をあげればそのまま、キスされた。すぐに離れたけれど。一瞬だけだっていうのに、唇にその感触がしっかり残ってる。久しぶりのキスは胸に来るものがあった。ちょっと、泣きそうなくらいに。

「お前、ずりーよ」
「…なんのことだか」
「あー……くそ」
「なに?」
「ん〜…んー……オモチカエリ、したい」
「えっ」
「でも生憎うちは"俺たち"の家だからな〜…」

 玲音は甘えるようにわたしの額にキスをしてうんうん唸ってる。俺たち、っていうのは久遠先輩のことだろう。さすがにシェアハウスにお持ち帰りされるのはわたしも嫌だ。しかも顔見知りだし。ていうかなんでわたしはお持ち帰りされることをすんなり受け入れちゃってんだ!って思ったけど、でも仕方ないよね。これでも一応カップルなんだもん、わたしたち。ソウイウコトだってしたくなる。

「あの〜…玲音さん、」
「んー?」
「明日は、大学?仕事?」
「んー…、明日は…午後からシゴト。なんで?」
「いや……」
「…なんだよ、気になる。言え」
「えっと、じゃ、じゃああの、」
「ん?」
「わたしが玲音のこと、オモチカエリしてもいい…?」
「は?」

 …いくら我慢しなくてもいいって言われたからって、ちょっとストレートすぎたかもしれない。やばい。
 やってしまった感に、焦りに、心臓が急速にバクバクと鳴りだす。背中を嫌な汗が流れていく感じがする。とちった。しまった。やっちまった。言わなきゃよかった。
慌てて玲音の胸を押し返して、背中を向けて帰路につこうとするわたしを引きとめるのは、もちろん、言うまでもなく。

「…なまえ」
「…ナンデスカ」
「俺のこと、お持ち帰りして?」

 結構余裕ありそうな感じでそう言ってきたくせに、ちらりと振り返って見た玲音の顔は緊張した面持ちだった。な、なんだその初心な反応は。こっちまで恥ずかしい。
取り敢えず、玲音のおねだりに対するわたしの返事は、彼の指先の冷えた手を握って歩き出すことだった。ここに来たときと逆だ。今度はわたしが玲音を連れていく番。貼ってあるレバフェのポスター剥がしてから家にあげたいなあと考えながら、いつここからの帰り道が分からないことを言おうか迷っていた。

20151123
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