大事な、話なのだろう。
 いつもならミルクとたっぷりの砂糖を入れるはずの紅茶は未だに琥珀色のまま、彼女の前で静かに揺れていた。「今日はなにもいれないんだね」と、そうしない理由を知っている上で声をかければ、なまえは少しだけ肩を揺らして曖昧に笑って見せた。無理やり取り繕ったような笑顔。最近の彼女はよくそれを貼り付けて本心を隠そうとしていたっけ。

 なまえは、とても強い女の子だった。誰にでも明るく優しい、お人よしで芯のある、おおよそ俺みたいな人間にはとても勿体ない女の子。特別な感情なんて持ち合わせていなかったはずなのに、無邪気に純粋な好意を向けてくるなまえに充てられてしまったんだろう俺は、気付けばなまえのことを目で追って、その一挙一動に心を疼かせて、あの子がほしいと、自分のものにしたいと、いつしかそう思うようになっていた。あまりなにかに執着することはないんだけれど、彼女に対しては認めてもいいかもしれない。
 人間の汚い部分なんて知らなさそうな真っ白いなまえを手招いたのは俺。疑うことなどせず、素直にその汚れた手をとったのは可哀想ななまえ。そのまま、俺から離れるなんてことがないように心も身体も、雁字搦めにしてあげた。彼女はいま、そこから必死に抜け出そうともがいているみたいだけどね。

 なまえが俺から逃げ出したくなるのも無理はない。だって、なまえを隣に置くようになってからも言い寄ってくる女を拒みもせずに部屋に招いて抱いたから。それも1度ではない、何度も。
 だって、一人は寂しいんだ。俺にベッドで一人眠ることの寂しさを教えたのはお前だよ、なまえ。それなのに隣にお前がいないんだったら、代わりに適当な女で誤魔化すしかないじゃない。こうみえて意外と俺は寂しがり屋なんだ。
 顔も名前も覚えていない女をなまえに見たてて抱いた。たったそれだけのことであいつらはまるで俺が自分のものになったのだと短絡的で愚かな思考が働くらしく、そのことを誇示するようにわざと自分のものを俺の家に残していった。目障りなのは確かだったけれど、俺もそれに対して隠すとか捨てるとか、そういうことはしなかったから、いくら鈍感ななまえでもそれらに気付くのは時間の問題だった。
 傷つけたいわけじゃない。誰よりも大事にしたい。本当だ。だけどそれ以上に、綺麗なお前に汚い俺を想って苦しんでほしかった。泣いてほしかった。縋ってほしかった。その心を、脳内を、俺で満たして、汚い感情に塗れてほしかっただけ。それが溢れそうになったときにお前は俺のところに来て、助けてほしいって乞うんだ。いまみたいに。
 平然を装っているつもりではいるけれど、内心笑みが止まらなかった。ちゃんと、うまく誤魔化せているかな。

「(ああ、可愛い)」

 いつも無邪気に光っていたあの綺麗な瞳は、今は俺を想って曇り、揺れている。膝の手に置かれている小さくて細い手だって小さく震えているの、わかっているよ。
なにも言わずにただじいっとお前を見つめる俺が笑みを堪えているだなんて、お前は想像もつかないだろうね。愚かで可愛い、俺のなまえ。
 腹を括ったようにす、となまえが息を吸いこんだ。さあ、早く俺のところへおいで。

「時明は、多分、もう、…わたしを、好きじゃないと思うの」

 彼女の震えた声は語尾にいくにつれて滲み、萎んで溶けて行く。悲痛な声、というのはきっと今彼女が発したようなもののことを言うのだろうと思った。
 俺がなまえを好きじゃないなんて、そんなことあるものか。俺は最初からお前だけしか見ていないっていうのにね。他の女を抱いているときだっていつもお前を重ねて、お前のことを想っていたし、それらの行為は全て俺とお前のためのものなんだよと言っても、…きっと、わかってもらえないよね。俺は多分、歪んでしまっているから。

「どうしてそう思うの?」
「どうしてって…、そんなの、」

 他の、女の人と、
 それ以上の言葉を、なまえは紡げなかった。ぐっと唇を噛み締めたあと、旋毛をこちらに向けて再び静寂に身を潜め、少し乱れた呼吸と、押し殺したか細い泣き声を響かせた。小さく震わせている肩からさらりと手触りのいい髪が流れ落ち、固く握りしめた拳を雨粒のようにまばらに降ってくる涙が濡らしていく。そんな風に強く握ったりしたら、掌が傷ついちゃうのに。その唇だって、そんな噛み締めて切れてしまったらどうするの。

「…まったく、しょうがない子だな」

 なまえの隣に腰かけてそう言えば、大袈裟なくらい肩が跳ねた。なんだか、拾ってきた子猫みたい。つい漏れそうになる笑みを抑えながら逆立った毛を梳かすようにその髪を撫でてやると、なまえの呼吸がますます乱れていく。硬く握られていた掌をほどいてやれば、そこには爪が食い込んだ痕が残っていた。可哀想に、俺みたいな悪い男に捕まっちゃって。そう思いながら、白い肌に赤くくっきりと残っている痕を指でなぞった。憐れみと、慈しみをもって。

「顔をあげて、なまえ」

 後頭部に置いた手にそっと力をいれてゆっくりと顔をあげさせれば悲しそうに顔を歪めたなまえの瞳が恐る恐る俺を見上げていた。ああ、こんなに、頬を濡らして。俺を想って、そんな風に泣けるんだね、お前は。合格だ。それでいい。
 胸が張り裂けそうな嫉妬心に焦がれた気分はどうだった?他の女を抱く俺をどれくらい憎んだ?それでも俺を忘れられない自分に、絶望した?全部全部、俺に教えて。
 愛しさでどうにかなってしまいそうになる自分を制御しながら新たに目尻に浮かんだ涙を拭うように口付けた。しゃくりあげながら、ん、なんて小さな声を出してしまうところも可愛らしい。

「なまえ」
「っふ、ん、」
「ねえ、なまえ」
「ゃ、やだぁ…っ」
「いや?」
「ゃぁっも、ときは、とは、いれな、」
「本当に?」

 自分でも驚くくらい、俺の声にはこれ以上ないってくらい優しい色が溶け込んでた。なんだか笑っちゃうな。
 涙に濡れた瞼を指先で撫でながら空いた手で腰を引き寄せようとすれば、なまえは両手でそれを拒否した。拒絶する気なんて、ないくせに。お前はもう俺から離れられないはずだよ。そうやって少しずつお前を作り変えてきたからね。真っ白なお前は、意図も簡単に俺に染められてしまったんだから。
 いやいやと首を横に振るなまえを抱き寄せて、その耳元で何度も何度も名前を呼んだ。はやく俺のところへおいで。そうしたら楽になれる。幸せすぎて死んじゃうってくらい、愛してあげるんだよ。

「なまえ、」
「っ、や」
「好きだよ、なまえ」
「っぅそ、き、」
「嘘じゃない、本当だよ」

 可愛くて愛しくて仕方のない女の顔に何度もキスを落とせば段々と強張っていたそれが蕩けていき、さっきまで俺に楯突いていた腕は力をすっかり力をなくして、たまらないと言ったように俺の首に廻される。俺がそうしていたように、消え入りそうな声で俺の名前を何度も呼びながら胸元にしがみついてくる姿についに口角が上がるのを抑えられなかった。そうだよ、そうやってずうっと俺に縋っていて。そうすれば俺はどこにも行かないで、お前だけを見つめてあげる。

「とき、は…と、きっる、」
「大丈夫、ここにいるよ」
「と、ると、いしょに、…一緒に、いた…いの、」
「うん」
「っん、ほかのこ、に、やさしくしな、で、」
「うん」
「ふれたらいや、なの、きすも…しちゃだめ、」
「うん」
「、ったしだけの、ものになってほし、っ」

 なまえがぽとりぽとりと涙と一緒に零していく言葉が、俺の心を満たしていく。俺のやり方は間違っていると、誰もが非難するだろう。でももう泣かせたりなんかしないんだから、いいじゃない。過程も大事だけど結果が一番なんだから。

「うん、いいよ。…お前がそう望むなら」

 我ながら白々しい台詞を吐いて、漏れだす嗚咽すら飲み込むような口付けをした。そういえばなまえとこうしてキスをするのは久しぶりかもしれない。ずうっと、このときのために彼女を突き放していたから。だから、余計にこのキスは格別だ。ただ口と口を合わせて、舌を絡めて、唾液に塗れるこの滑稽な行為に脳まで痺れさせることができるのはお前とだけなんだよ。
 細い指の間に自分のを這わせると、強い力で俺の手の甲に爪を立ててきた。どこかへ行ったら許さないと言われているような痛みに、唇を重ねたまま目を開ける。なまえはすっかり蕩けた表情で顔を上気させながらも、不安げに瞳を揺らして俺を見つめていた。

「…ああ、もう。いけない子だな、そんな顔しちゃって」

 安心してよ。お前にはもう俺だけしかいないように、俺にもお前だけなんだから。
 俺のと彼女の唾液で塗れてぬらぬらと妖しく光るなまえの唇に歯を立てて、滲んだ赤いそれを啜った。顔を顰めたなまえの手にグッと力が入る。痛い?そうだよね、痛いよね。でも大丈夫、もうこれからどんな痛みだって与えないよ。どろどろに甘やかして、たくさん愛を囁いて、俺なしじゃ立っていられなくしてあげるからね。
なまえにそうしたように自分のにも歯を立てて、舌にのせた赤色をなまえの舌に擦り付けた。これは誓いだよ。天国も地獄も一緒に歩こう。それがきっと、幸せだと思うんだ。

20150506 『お前の嗚咽を食べてあげよう』
mirror ball planet様に提出しました。素敵な企画に参加できて嬉しかったです!内容は、なにもいうまい。
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