「なまえ、起きろって、なーあ!起きて!」
「ん、ん…?なに…てかおもい…」

 寝起きの、ぼんやりとした薄暗い視界にひょこりと入り込んできたのは光太郎の大きな目だった。金色のそれを、なぜだかいつも以上にきらきらと輝かせながらわたしを見下ろしている。なんだろう、あの、お散歩に行こう!って飼い主を起こす大型犬みたい。犬飼ったことないけど。ふああ、と大きな欠伸をしながら体を伸ばす。一体今何時なんだろうと思いながら、おはよおはよと額を擦り付けてくる光太郎のセットされていない髪の毛をワシワシと掻いてやる。へへっと嬉しそうに笑う顔も、やっぱり犬っぽい。犬飼ったことないけど。

「海いくぞ、海!」
「は?」

 何言ってんだコイツ、と思う頃にはもう体に巻き付いていた布団は剥ぎ取られ、わたしという本体は光太郎の腕に持ち上げられ、あれよあれよという間に身形を雑に整えられていた。本当に、雑に。着せてくれたトレーナーはついこの前まで光太郎がパジャマとして着ていたものだし、履かされたスキニージーンズは社会の窓が全開だし、靴下は左右バラバラで爪先に引っかかったままだし。そんななにもかも中途半端状態のわたしを放置して、光太郎は自分のトレードマークであるミミズクヘッドをセットしにいってしまった。いやなんか、別に、これくらい自分でなおせるけどさあ。叩き起こして勝手に身ぐるみ剥がすくらいならもうちょっとちゃんとやってくれないかなあって、思わなくもないよねえ!文句を言おうと口を開こうとしたけれど、出てきたのはまたしても大きな欠伸だけ。はあ。もう、なんで突然海なんか。


 ぼろっちいバイクの、古いエンジンの振動をお尻で感じながら薄暗い道をひたすら進んだ。このバカ男はどうしてこのクソ寒い中海へ向かっているのか。わざわざ深夜4時半にわたしを叩き起こしてまで海へ行く理由はあるのか。ヘルメットをかぶったらさっきセットしたそのミミズクヘッドはどうなるのか、とか。聞きたいことはいろいろあったけれど、眠気すら吹き飛ばす寒さのせいで口を開くのも億劫だったし、夜も明けてない街は薄暗いし、人もいなくて、車もまばらで。目の前に光太郎がいるのはわかっているのに、なんとなく心細くなってその存在を確かめるように彼の腰に黙ってしがみついていた。さすがに車も人もいないから、と信号無視をしようとしたときは鳩尾をどついたけど。法は破るなってね。

.. .. ..

「か〜〜っ!さっみいなまじで!!」

 海に着いたのはあれから数時間後のことで、日の出にはまだ少し時間があった。防波堤に寄りかかって、少しだけ明るんできた地平線の向こうを眺めながら肉まんを齧る。さっき買ったばかりのホカホカチャーシュー入り肉まん(光太郎の奢り)はあっという間に潮風と寒さで冷まされてしまったけれど、まあ美味しい。もぐもぐと咀嚼するわたしの隣で、光太郎は2つ目のピザまんに齧りついていた。一口がデカいんだよこの男は。もっと大事に食べなさい大事に。

「あ〜寒い。もう最悪。まじさむいさいあく」
「ええ、そんな最悪かー?」
「寒すぎる。もっとあったかくなってからでもよかったじゃん」
「ん〜まあな」
「まあなじゃないよ、ほんと、ばかじゃないの」

 たらりと鼻の穴を鼻水が滑り落ちていく感覚がしてずびっと吸い込む。朝ってなんか知らないけどやたら水っぽい鼻水がでるんだよね、なんでだろ。ずびずび、もぐもぐ、を繰り返しながらぼうっと海を見ていると急に頭を鷲掴まれて光太郎の方を無理やり向かされる。眉間に皺を寄せて目線でなにすんだコノヤロウと訴えると、にっと笑いながらわたしの眉間の皺をぐりぐりと指で伸ばしてきた。

「でも、好きなんだろ?」
「は?」
「そういうバカな俺も、好きだろって言ってんの!」
「うん、わかった。別れよ」
「なんで!?」

 なんで、じゃないだろ。バカとは付き合ってらんないよ、と言えば光太郎は大きな体をわたしにぴたりとくっつけてやだやだ!と子供のように駄々をこねた。本当に、大きい子供だ。こんな子供いらんぞわたしは。別れたくなかったらバカな言動は慎んでください。それからそのピザまんを一口よこしなさい。呆れながらそう言うと、まるで聞こえてませんというようにわたしから視線を逸らして残りのピザまんを全部口の中に詰め込みやがった。コイツ、サイテーだ!

「ケチ!ガキ!やっぱり別れる!」
「えっ!ひょっほまっへ!ほめんへ!」
「きったな!唾飛んだ!最悪なんなのもう!」
「ひやはー!」
「飲み込んでから話して!お願いだから!」

 海岸沿いで朝っぱらからなんでこんなしょうもないやりとりをしなきゃいけないんだ!もごもごと口を動かしながら相変わらずわたしに引っ付いてくる光太郎を引き離そうと一生懸命に両手を突っ張って抵抗する。近くを通った柴犬を散歩させていたおじいちゃん(早起きだな)に『朝から元気じゃのう』と笑われても光太郎はわたしから離れようとしなかった。もういい。なんか抵抗すると余計疲れる。諦めたわたしがおとなしくなるころ、漸く口の中のものをすべて飲み込んだらしいこのバカ男は『ぜってー別れねーかんな!』と言って、口にぶちゅうと吸い付いてきた。おい、お前いまピザまん食ったばっかの口でそれはないだろ。やめろや、トマトの風味を感じたぞバカ。

. .. ... .. .

「おっきたきたー!」

 背中に光太郎の体温を感じながらちょっぴりウトウトしていると、それまでさざ波の音とたまに車のエンジン音しか聞こえなかった空間にバカ男のテンションの高い声が響いた。肩を揺すぶられて、こくりこくりと傾けていた顔をあげると、ほの青かった空をオレンジ色に染めながら太陽が地平線の向こうから顔を覗かせていた。

「見ろよなまえ、ほら!すげーだろ!」
「おお、きれー…」
「なー!綺麗だろ!」
「うん、思ったよりすごい」

 思えば日の出って実際に見たのって初めてかもしれないなあとぼんやりした頭で思いながらゆっくり瞬きをする。あー…と呻きながら少し背中を丸めた光太郎の顔がわたしの顔の横に降りてきて、頬と頬がぴったりくっついた。わたしのも彼のもすっかり冷たくなっている。内側は、ほんのり熱いんだけどね。

「俺はぁ、本当はこれをぉ、元旦の日にぃ、一緒に見たかったんだけどなァ」
「起きたら年明けてたんだもんね」
「そーそー…あーやっぱあんな飲み会ほっぽり出してなまえと一緒にいればよかった」
「できないくせに」
「ん〜!先輩たち怒るとこええしなあ!」

 ちょっと前まで一番先輩だったのに、大学に入ったら1年生、下っ端だ。特に体育会系は上下関係が厳しいし、飲み会も多い、飲み方もえぐい。光太郎は割とお酒に強いほうだけれど、それでも先輩たちとの飲み会はしんどいらしい。だけど先輩たちの命令で逃げるに逃げれない。特にバレーはチームプレイが大事な競技だから、人間関係を悪化させるのはまずい。というわけで、年が明ける瞬間はわたしとではなく、泣く泣く先輩たちと過ごさなければならくなったのである。光太郎はぶつぶつ文句を言っていたけど、わたし自身はそうでもない。だって会おうと思えば割といつでも会えるし。今日(昨日?)だって光太郎がうちに泊まりに来てたし。だから別に年が明けるその瞬間に一緒にいられなくても特に問題はないのだ、わたし的には。木兎さん的には一緒に初日の出を見て初詣をするってプランがなんとなくあったみたいだけど。

「まあだからさ、今日は初日の出リベンジなわけ」
「なるほどね」
「ごめんな?急に連れ出して」
「いいよ別に。慣れてるもん光太郎の突拍子もない行動には」
「ふふ〜可愛いこと言ってくれるなあもう〜!」
「いや言ってないよね」
「え?どんな光太郎でも着いていくわっ!ってことじゃねえの?」
「うん、違うよね」

 そうやってくだらないやりとりを交わしている間に、太陽はもう半分ほどその姿を現していた。眩しい。でも綺麗だ。これ、写真に綺麗に写るんだろうか。ポケットから携帯を取り出して、カメラを起動させて、構える。うーん…悪くないけど、実際目の前で見たほうが断然いいな。ま、記念に1枚だけ。カシャッという小気味のいい音を鳴らして日の出を携帯の中に収めれば、あとで俺にも送っといて〜と言う光太郎の声が少し眠たげにぼやけていた。

「…なあ、なまえ」
「ん?」
「俺さーお前とずっと一緒にいたいって思うんだわー」
「うん」
「だからさ、んー…あれだなー…すきってことだなぁ」
「そうだねー」
「うん……ん?」
「なに?」
「お前は?言ってくんねーの?」
「…わかってるくせに」
「だってさっき別れるって言われたもーん!」

 まだそんなこと言ってんのか!わたしの肩に乗っかっているミミズクヘッドの男の顔を覗き込むと、つんといじけたように唇が尖っている。やっぱり大きな子供だ。

「…しょうがないなあ」

 冷たい額に唇を寄せて、さざ波の音にすらかき消されてしまいそうな、光太郎にしか聞こえない小さな声で『だいすき』と囁けば、眠たげだった瞳をカッと見開いて『俺もだーッ!』と両手でガッツポーズを決めていた。元気だな、感心するわ。わたしの一声で元気を取り戻したらしい光太郎は背中からべりっと離れると、少し歩こうと言ってわたしの手を引いた。どうやら砂浜へ行くらしい。さっきまでぬくぬくしていた背中が急に寒くて、なぜかちょっぴり寂しさを感じて、きゅっと肩を竦めた。

「さみい〜」
「光太郎、今日大学あんの?」
「ん〜あるーいちおー。お前はー?」
「わたしはあるけど、…たったいまなくなった。臨時自主休講だって」
「マジ?えっあっじゃあ俺もなくなった!臨時自主休講のお知らせきた!たったいま!」
「ウェ〜イ奇遇〜!」
「ウェ〜イ!!!」

 2人で語尾に草を生やしながら大学生特有の鳴き声をあげた。そしてその時の気分で決まる休講。立派なダメ大学生じゃないかと少し反省しながらも、光太郎の気が済むまで海を堪能したら安全運転でおうちに帰って、あ、帰る途中でマック寄って新作バーガーも買って、おなかがいっぱいになったら仲良く一緒にお昼寝と洒落込もう、なんてだらだらと過ごすであろう今日のことをしっかりと考えているんだから反省の色はゼロだ。

 それから暫く大学の話やら、わたしのバイト先の話、光太郎の部活の話、黒尾くんが彼女にフラれたこと、後輩の赤葦くんが女の子と歩いていたという情報を木葉くんに聞いたこと(娘に彼氏ができたときのようなショックを受けたらしい。もはやツッコミどころがありすぎて何も言えない)、いろんなことを砂浜をのんびり歩きながら話した。これからのことも、少し。先のことなんてどうなるかわからないけど、やっぱり一緒にいたいなってわたしは思う。例えどうしようもないおバカさんで、頭の中がバレーのことでいっぱいでも、だ。
 光太郎もそう思ってくれてたらいいな、なんて思いながらふと顔をあげると、そこには朝日に照らされてオレンジ色に染まった顔でやたら嬉しそうに、愛おしそうに、目を細めて笑う光太郎がいて、心臓がぎゅうっと締め付けられて、ひゅっと息をのんだ。
 えっ、え?なんでそんな、顔してるの。いまわたし声にでてた?うそ、あの、ほんとやめて、ドキドキしちゃうから。…いやもう周りに聞こえちゃうんじゃないかってくらい、うるさく鳴ってるけど。
 心臓が大きく脈打ちながら、好きだ、好きだ〜って叫んでる。そしてどうやらその想いはわたしの中だけに留まることができなかったらしい。わたしの半開きになっていた唇の隙間から音を伴って、それは零れ落ちていった。すき、って。はっと我に返って、慌てて口を一文字に結んで素知らぬ顔をしてみたけれど、どうだろう。…彼の耳に届く前に潮風が攫ってくれていたらよかったんだけどなあ。風で前髪がめくれた、剥き出しのわたしのおでこにひんやりとして少しかさついた柔らかい感触があったから、たぶん、聞こえてしまったみたいだ。なんとまあ、お恥ずかしい。


20150411 黄丹に燃ゆ
知り合いの管理人さんたちとのお遊び企画で書いたものでした〜条件は『木兎、「でも、好きなんだろ」、恋人』でした。楽しかったです。でも木兎感が少ない。遅れてスイマセンでした。
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