『あの!なまえちゃん、明日おやすみって言ってたよね?』

 通話ボタンを押してすぐ、もしもしをいうより早く飛び込んできたアールくんの弾んだ声に驚いて、喉を通り過ぎようとしていた紅茶を危うく噴出すところだった。
 一体、どうしたというのか。勢いのあるアールくんにやや気圧されながらも『う、うん』と返事をするとやったぁ!とジャンプでもしてそうなくらい嬉しそうな声が返ってくる。あんまりにも嬉しそうだから、わたしにまでそれが伝染してしまった。でろでろに緩んだ顔のまま、なにかあったのと尋ねる。

『あのね、ぼくも明日おやすみになったんだ!だから、その、…よかったら一緒に遊びに行きませんか!』
「えっ!あ、え、えっと、」

 そりゃもちろん喜んで!と二つ返事で了承したいところだけれど、だけどどうしたって考えてしまう。彼の体のことを。いくら若さ溢れるフレッシュピチピチ17歳といえど、彼らは毎日かなりのハードスケジュールをこなしているはずだ、疲れていないはずがない。遊びに行くっていうのは、つまりはデートのことで。わたしの欲を素直に言っていいのであれば、したい。アールくんとデート、めちゃくちゃしたい。ただ休めるときに休んでほしいという気持ちもめちゃくちゃある。
 そんなことをぐるぐる考えながら返答を渋っていると、向こうから相変わらず明るい声で『あ、ぼくのことなら大丈夫!』とわたしの考えを見透かしたようなことを言ってくる。

『疲れてなんてないよ!それに…ぼく、なまえちゃんに会いたい』
「うぐぐ」

 声を潜めてそう言うアールくんに、思わず乙女らしからぬ呻くような声がでてしまった。アールくん、わたしだって会いたいよ。あまりの可愛さに熱くなる目頭をおさえながら明日の予約を取り付けた。9連勤頑張ったわたしへのご褒美かなにかだろうか。くう、神さまありがとう。


「えへへ、なまえちゃんの助手席っ」

 アールくんがエルくんにペアチケットをもらったというので、折角だからとその映画を見にうちの近くのショッピングモールに行くことになった。いま流行(らしい)のラブコメディを見るみたい。映画といえばもっぱらホラーかアクションしか見ないわたしにとって、こういうジャンルは未知の世界でしかなかったけれどアールくんが楽しみにしてるようなので、まあ、たまにはいいだろう。こうみえて私もデートが楽しみで前日に着ていく服を考えちゃったりする立派な乙女なわけだからそういうのも嗜むべきだし(考えてる途中で寝落ちたのはナイショ)、なにより彼氏と映画、それもラブコメを見るなんていかにもデートらしいデートだ。悪くない。悪くないぞ。

「ねえ、なまえちゃん」
「うん?」
「昨日は、休みが重なったのが嬉しくってつい自分のことしか考えてなかったんだけど、なまえちゃんこそ疲れてるよね?…ごめんね、ぼくに付き合わせちゃって」
「そんなことないよ!それにアールくんに会えるなら疲れなんて吹っ飛ぶよ、場外ホームランだよ!」
「…ほんとにホームラン?」
「ほんと!インディアンうそ吐かないから」
「インディアンじゃないじゃん〜!」

 さっきまでにこにこ白い歯をのぞかせていたくせに、わたしのくだらないジョークに途端に真顔になって正論を突きつけてきたりするところも好きだし、そのあとにちゃんと笑ってくれるやさしいアールくんも好きだ。
 疲れていないかと言われれば、疲れてないなんてことはない。9連勤だったし。アールくんの言うとおり私はインディアンじゃないから嘘も吐いてしまうけれど、アールくんとお出かけできる貴重な日をぐーすかパンイチで寝ていられるわけがないじゃない。こうして他愛のない話をしているだけでも楽しい。嬉しい。癒される。アールくんも、おんなじ風に思ってくれてればいいんだけどな。


 平日ということもあり、ショッピングモールも映画館も人はまばらだった。元々そんなに栄えているところじゃないっていうのもあるかもしれないけど。
 ポップコーンとチュロス、それからホットドッグまで買ったアールくんと早めに席についておく。後方部のわたしたちの席の周りには人もおらず、結局前のほうにチラホラと数人座っただけだった。ラッキーだね、と顔を見合わせて笑う。

「楽しみだなあ」
「うん、そうだね」

 本編が始まって暫くすると左側に座っているアールくんが少しだけもぞもぞと動き出した。どうしたんだろう、なにか落としたりしたんだろうか。それともトイレ?直前に行ってても急に行きたくなることもあるもんな、とスクリーンに視線を向けたまま気にしていると、そっと左手になにかが触れる。はっとしてそちらを向くと、妙に緊張した面持ちでスクリーンを見つめたまま唇をきゅっと結んだアールくんの右手がわたしのに触れていた。瞬きをしている間にその右手はわたしの手の甲を撫で、ぎこちないながらも指を絡め、仕舞いには手のひらと手のひらが重なり合った。
 こ、これは。なんてこった、少女マンガとかでしか見たことのない状況がいま、わたしの身に起きている。映画よりいまこの状況の方がドキドキするし(まさに事実は小説よりも奇なり…)、というか正直映画どころじゃなかったけれどアールくんはオレンジのやわらかな髪の間からのぞく耳を赤く染め上げながらも前を見つめて映画に集中しようと務めているようだったので、わたしもそれに従うことにした。手のひらが汗ばんでいやしないかと気になるけれど、それよりも映画、映画。いや、無理だろ。


「面白かったね!」
「ほんとにね〜!思ってたより面白かった」

 などと言いましたけど、ぶっちゃけあまり映画の内容入ってきてなかったなどとは言えまい。だってね、途中洋画お決まりの濃厚なラブシーンがあったんだけどね、アールくんの手がね、ちょっと震えてるんですもの。集中できるかっての。まあでも面白かった。たぶん、面白かった、たぶん。たまにはこういうのを見るのもいいかもしれないとは思えた。乙女として、たまには嗜んでいくことも大切だと気付けてよかったかもしれない。

 映画の感想や普段のこと、取り留めのない話をしながら昼食をとり、ふたりでぶらぶらとウィンドウショッピングを楽しむ。ばれたらまずいから手は繋げないけれど、たまに手と手が触れるたびに2人で顔を見合わせてはにかむことがしばしば。可愛いな、わたしたち。中学生かって。
 わたしはアールくんの隣を歩けるだけで満足していたけれど、アールくんはたまにもどかしそうな顔をさせて可愛い唇を尖らせては、だめだだめだ、と頭を振っていた。…いやそりゃ許されるのであればわたしもめちゃくちゃ手を繋ぎたいけど。でもさっき映画館で繋げたし、大丈夫。我慢できる。我慢できる大人だ。
 そんな風にお互い妙にもどかしい時間を過ごし、雑貨屋でアールくんがエルくんへのお土産を選んでる途中のこと。あれにしようかこれにしようかと迷うアールくんを眺めているときに、それは聞こえてきた。

「ね、見てあれ。アールくんじゃない…?」
「うっそ…隣に女の人いるけど」
「彼女かな…?」
「彼女だったらやばくない?…いやあれマネージャーだよ多分。服装的にもさ」

 そう、そのやばい方の彼女です実は。
 声のする方をさりげなあく確認するとわたしと同じ大学生らしき女の子が2人、こちらの方を見ながら囁きあっていた。幸い、今のところ彼女たちはわたしをマネージャーだと勘違いしてくれているようなので、ここは慌てずに対処することにしよう。わたしのせいでアールくんの未来を潰すわけにはいかない。

 本来であれば精一杯のオシャレをしてアールくんの隣に並びたいところだけど、それじゃあいかにもデートするカップルになっちゃうから、こうしてこっそりデートするときはわたしはなるべくオフィスカジュアルっぽい服装に、アールくんも仕事に行くときと同じようなラフな格好(と言っても十分オシャレでかっこいい)と変装をするようにしてる。今みたいにもし万が一見つかってしまったときの対策になるからだ。
 取り敢えずこの場からさりげなく且つなるべく早く抜け出さなくてはいけない。…しょうがない。わたしが一芝居打とう!と心に決め、時間を気にするフリをして腕時計を見るしぐさを少し大げさにしてみる。

「んんっ…アールくん、そろそろ次の現場行こうか」
「えっ?」

 わざとらしく咳払いをして、自分なりの”デキる女”っぽい声をつくり(見た目がデキそうに見えないという意見には耳を塞ぐことにする)、お土産選びに夢中になっているアールくんに声をかける。突然のことに驚いたように目を丸くするアールくんに、目線で女の子たちの方を示すとあっ、とわたしが言わんとしたことを察した顔をした。

「そ、そうだね、じゃあ急いでこれだけ買って来ます!」

 少しだけ大きめの声でそう言いながら、エルくんへのお土産であるゆるい表情をしたまりものキーホルダーを持って逃げるようにレジに向かう。ふと女の子たちの方を見ると携帯を構えて今にも写真を撮ってSNSにあげそうな雰囲気を醸し出していたので、そこもマネージャーらしく申し訳なさそうな顔をしながら手でバツマークをつくった。そうすればすいませんでした、と慌てて頭を下げて駆けていく。うむ、いい子たちで助かった。わたしの小芝居はうまくいったようだ。だましてごめんね。

 なんとか難を逃れたわたしたちはとぼとぼと地下駐車場に停めていた車まで戻ってきて一息吐いた。いくら変装しててもアールくんの可愛さとかっこよさを兼ね備えたオーラは駄々漏れだから、女の子が見つけちゃうのもしょうがないことだ。たぶんわたしもどんな人ごみでもアールくんを見つけられると思う。結構自信ある。
 そんなことを考えながら沈黙を破ろうと『危なかったね〜!』なんてなるべく明るい声で切り出しているけど、返答がない。あれ?と助手席に座っているアールくんの方を見れば、その頬が僅かに膨れていた。ど、どうして膨れているのか。恐る恐る、どうしたの?と尋ねても、なんでもないの一点張り。

「え、えっと、わたしなにかしちゃった…?」
「…してないよ」

 じゃあどうして、と言おうとしてはたとさっきのことを思い返す。
 わたしがマネージャーのふりなんてしたから、気分を悪くさせちゃったんだろうか。いやそれでどうしてアールくんのかわいいほっぺが膨れちゃうのかわたしにはわからないけど、きっと彼にとっては気に障ることだったに違いない。

「あの、…わたしがマネージャーのフリしたの、いやだった?」
「…」
「ご、ごめんね、でもああした方がいいかなって思って…」
「違う、なまえちゃんが謝ることじゃなくて…ごめんなさい、ぼく」
「うん」
「…ちょっと、拗ねてるだけなんだ。だって、本当はぼくはなまえちゃんの、」

 なまえちゃんの、彼氏、なのに。
 ぽつぽつと呟きながら膝の上にのせていた手を握りこぶしに変えて、アールくんは俯いてしまった。そんなこと、と言ったらアールくんが怒ってしまうかもしれないけれど、そんな、わたしのことで拗ねちゃうアールくんが可愛くて、愛しくて、だけどちょっぴり申し訳なくて、息がつまりそうになる。

「僕が、アイドルだから」
「うん」
「なまえちゃんとろくにデートもできないし、手も繋げないし、…なまえちゃんにマネージャーのふりまでさせないといけないし」
「うん」
「みんなになまえちゃんはぼくのだって、言いたいのに」
「うん」
「…ごめんね、なまえちゃん。きっとぼく以上になまえちゃんの方が我慢してるはずなのに、こんな、ぼくばっかりわがまま言ってたらだめだよね」
「ううん、だめじゃないよ。だめじゃないし、それにわたしは我慢してないし!」

 普通の恋人みたいに会いたいときに会えたり、さっきアールくんが言ったみたいに外で手を繋いだりはできないけど、他の人たちはテレビで自分の彼氏がかっこよく歌ったりしてるところ見れないはずだし。
 寂しくないわけじゃないけどアールくんがわたしのこといつも考えてくれてるのはすごくわかるから、それだけでわたしは大丈夫だよ。我慢もしてないし、寧ろもっとアールくんにわがまま言ってもらいたい。
 硬く握られたこぶしを解すように撫でながらそう言うと、アールくんはそっとわたしの顔を覗き込むように顔をあげた。少しだけ瞳を揺らしてわたしを見つめるアールくんにもう一度大丈夫だよ、と言うと小さく頷いてわたしの肩に顔を埋めてくる。耳元で『なまえちゃん、すきだよ』と消え入りそうな声が聞こえてきた。

「わたしも、アールくんのこと好きだよ。大好き」
「ほんとに?」
「うん、ほんと。インディアンは嘘つかないって」
「も!だからインディアンじゃないじゃん!」

ぼくの、彼女…でしょ?
 漸く笑ってくれたアールくんにほっとしながら、わたしは大きくうんと頷いた。。よかった。アールくんは笑顔が一番だ。思わずよしよし、と頭を撫でてあげるとすかさずその手をとられて真剣な顔をしたアールくんがわたしをじっと見つめてくる。や、やだ、どうしよう、男の顔、してる。かっこいいアールくんがこっちを見ている。わたしを射抜くようなその瞳に思わず目を逸らしたくなったけれど、そんなこと出来るはずもない。

「キス…したいな」
「えっ」
「だ、だめ…?」
「だめじゃないけど…誰かに見られたりしたら、」
「大丈夫、誰もいないよ」

 お願い、ちょっとだけ。
 首を傾げながらアールくんにそうおねだりされて拒否できる猛者がいるならばぜひとも名乗り出てほしい。わたしには無理だ。そんなことは出来っこない。
 観念して、一応きょろきょろと辺りを見回して人気がないことを確認してから、そっと目を閉じた。ふふっと嬉しそうに笑う声が聞こえたと思うと次には唇にしっとりしたものがくっついて、離れた。ちょっとだけ、ミントの香りがした。
 久しぶりの感触に胸をどきどきさせながらゆうっくり目を開けると、そこには満足そうに八重歯を見せて笑うアールくんのドアップ。ああやだ、なんて幸せなんだろう。テレビじゃ至近距離でこんな笑顔見ることはできないのだ!つられてわたしも笑えば今度はほっぺに、ちゅっと可愛らしい音をさせてキスされた。続きはおうちでね、と誘う声は随分色っぽい。くそう。この小悪魔め。制限速度ギリギリのスピードで帰ってやるから覚悟しておけ!…いや覚悟するのは私か。

10150309 むむちゃんへ
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -