「ざまあみろ、こんちくしょう」

 わたしといういい女を逃したこと、後悔するがいい。そんな気持ちで、自分を鼓舞するように強い言葉を発してみたけれど、実際のところ送信ボタンを押す指も、吐き出す息も震えていた。もちろん、涙がでないわけがなかった。ごくりと大きく鳴った喉と、水気を含んだ鼻をすする音。まごうことなき号泣だ、悔しい。
送信しました、と伝えてくる手の中の長方形の無機質な相棒に向かってもう一度ざまあみろと浴びせてみたけれど、画面は涙で滲んでいるし声は消え入りそうなほど小さいし、あまりの惨めさに自分でも笑ってしまいそうだった。

 城坂依都。KYOHSOのボーカル。28歳。どうして依都と付き合うことになったかは、正直覚えていない。ていうか付き合おうみたいなのはなかったと思う。昔からの知り合いだった時明と呑んでいたときにいきなりやってきたのが最初の出会いだったかなあ、確か。あまりテレビとか見ないもので芸能人に疎かったから、全然リアクションをしなかったわたしに『あのさあ、もっと「YORITOだ!キャ〜!」(裏声)みたいなのはないわけ?お前』と言われたのをよく覚えている。芸能人って図々しいななんて印象を持ちながら『あんまり興味ないんで、すいません』と素直に謝ったら『時明〜俺こいついやだ〜』とか失礼なことを言われたのも覚えてる。むかついた。わたしもお前なんか無理だ!なんてむかついていたけど時明に宥められて結局一緒に呑んで、最終的にわたしの中に残った城坂依都の印象といえば自由、適当、失礼、無神経。ろくな男じゃないなこいつ!って思ってたはずだった…のにね。

「……」

 いつの間にかびっくりするくらい好きになってて、依都のことを考え出したら夜も眠れなくなるんじゃないかってくらい。…あくまで例えなだけであって、実際のところ依都のことを考えて眠れなかったことはなかったけれど。依都もどうしてかわたしのことを気に入ってくれたらしく、時明を経由してわたしを食事に誘ったりしてくれるようになった。最初のほうは時明も入れて3人で、ってことが多かったけれど、次第に2人で会うようになっていて、気付いたら依都の顔が鼻の先にあったし、気付いたら同じベッドで寝ていた。びっくりした。それくらいから、いまの謎の関係は始まったんだった、はあ。しかも時明にはなにも言ってないのになぜだか依都とのアレコレがバレてて『2人は気が合うと思ってたんだよね。会わせて正解だったよ』なんて愉快そうに笑っていたっけなあ。


『もう依都とは会わない』
 わたしは確かにそう綴ったメールを依都に送信した。別れようという言葉を使わなかったのは、わたしたちの関係がどういうものかわからなかったからだ。お前と付き合ってるつもりないよとか言われたらそれこそ本当に立ち直れなくなりそうだったから、言葉を濁した。わたしは付き合っているつもりだったけれど、冷静に考えたらセフレとあまり変わらなかったかもしれないと、思い直したからだ。
 ふらっとうちにやってきてはわたしの夕飯をつまんだりして、腹が膨れたら押し倒してくる。そうして目が覚めると部屋にはひとりだけ。夢だったんじゃないかと思ったことは何回もあったけれど、彼は決まって自分の存在を誇示するようにテーブルの上になにかしら置いていった。それは飴だったりガムだったり変なキャラクターのキーホルダーだったり下手くそな落書きがあるレシートだったり、絶対いらないもの置いてってるだけだろと思わずにはいられない土産を、彼は置いていくのだった。そういえば1度だけ自分のブロマイドを置いていったことがあったなあ。なんだかイラッとして捨ててやろうかと思ったけど、そんなこと出来るはずもなく引き出しの中に大事に仕舞われている。…まあ今となっては持っててもしょうがないし、ビリビリに破いて捨ててやろう。あと鍵。どこの鍵だか知らない、もしかしたらただの忘れ物だったのかもしれない、鍵。依都の家のだとしても、わたしは依都の家の場所を知らないから使い用もない。喧嘩売られてたのかな。川に投げ捨ててやろう。忘れ物だったらその…ドンマイ。

 こうやって思い返してみると、やっぱりわたしはセフレ…というか依都にとって都合のいい(けどちょっと口うるさい)女だったんだろう。好きだとか愛してるなんてもちろん言われたことはない。連絡はないに等しいし、突然やってきたかと思えば、置き土産を置いていつの間にか帰る。それでもまあ、わたしはそれなりに幸せ…と言うのはなんだか悔しいけど、それでも依都がわたしに会いに来てくれるならどんな理由でもいいやと思えていた。
 …思えていたけれど、先週、依都が週刊誌にグラビアの子と路上でキスをしてる姿を撮られたらしいとワイドショーで取り上げられた1件で、このままじゃ多分だめなのだ、と漸く気付くことになる。
その報道を見て、ああ多分これマジなやつだろうなと思ったのは、相手の子が確か依都が以前好みだと言っていた子だったからだ。初めて週刊誌なんて買った。しかもこんな、バンドマンとグラドルが路上ちゅーしてる写真を見るがために。そこに写っていたのは確かに依都だったし、見出しのとおりキスをしているように見える。一方的に女の子の方がしているように見えなくもないけど、…まあ、そんなのはわたしの知るところではない。キスしているのは事実なわけだし。どっちからとかそんなのはどうでもいいことだ。

 前からちらほら女絡みの噂はあった。だけど実際にこうして、その現場を見るのは初めてだった。それを見た当時はこんな記事、信じたくないとか思っていたけど、そのことをわたしが依都に問い詰められる権利なんてなくて、依都が一切なんの連絡も寄越さなかったのはそのことをわたしに説明する必要がないと思っていたからだろう。だって別に、彼女でもない、セフレみたいなポジションの女に説明する義務なんてない。そういうことだ。
 彼女でもないくせに一丁前に悲しくなって苦しくってどうしようもなくて、いい歳した女が家で膝を抱えて泣いてることがどんなに惨めか。それで依都と会うのはもうやめようと思ったんだ。彼にとってもいいことだろう。こんな勘違い女とはとっとと縁を切っておくのが吉というものだ。
ああ、なんだかまた泣けてきた。お腹もすいた。くそう。ずびずびと鼻を鳴らしながら2合分の米を炊いて、一人で消費するのには1週間くらいかかりそうな量のカレーをつくった。辛いものが苦手だから、甘口だ。これを依都も何回か食べたことがあるけれど、ほぼ毎回『ガキかよ〜』と文句を言っていた。けど、それももう聞くことはない。ガキで結構。甘口が一番美味しいんだ。



 まさか依都のことを考えて眠れないなんて日が来るとは露ほども思わなかった。お腹が破裂しそうなくらいカレーを食べたから、てっきりすぐ眠れるもんだと思っていたんだけど。未練タラタラ女かよ、笑える。…いやちっとも笑えないけど本当は。普段布団にはいっても眠れないってことはなくはないけれど、そういうときは大抵携帯をいじってたりするときだ。でも今日はそうじゃない。だって、さっきメールをしたあと、すぐに携帯の電源を落としたから。
 …あ〜やだやだ、あんな男のことは忘れよう!忘れて、もっと誠実な、いい人を見つけるのよ。わたしならできる。きっと、どこかでイイ男がわたしのことを待ってるはずなんだから!…ああだめ、やっぱり惨めだ。

「(さいあくだ)」

 時計の針は3時を指していた。布団にはいってから3時間も経ってるのに眠れないなんて辛すぎる。トイレ行って水飲んで、もっかい寝る努力をしよう。そんな努力、小学校の修学旅行以来したことないっての。クソ。
 冷たい床に縮こまりながら、ぺたぺたと足音をさせてトイレに向かう。たいした尿意もないくせに便座に座って、流して。いま出した分を取り戻すために水を飲もうと、冷蔵庫の前に立ったときだった。しんと静かな部屋に来客を知らせるベルが響いたのは。ひっと声がでそうだった。怖すぎる。こんな時間に人が来るわけがなかっ…、……いや、一人だけ知ってる。こんな時間に人の家のチャイムを鳴らせる無礼なやつを、わたしは一人だけ、知っている。

 まさかね、と思いながらドアスコープから向こうの様子を伺えば、視界に赤色がちらついた。ああやっぱり。なんでいるの。…わたし知ってるんだから。今度のツアーで使う映像の撮影で地方に行ってるって、知ってるんだから。だからわざわざ今日メールしたのに。そう簡単に来れない距離のところにいるうちにメールすればこういうこともないだろうって。なのに、なんで来たの。
 開けたくない。施錠をはずしたくなかった。だけどこのバカ男はこんな寒いのにバカみたいに薄着で、寒そうにうちの前で肩を竦めて立っている。見てみぬふりなんてできるわけない。寝てるふりなんて出来るわけないでしょ、ばかじゃないの。一度深呼吸をして、そっと鍵をあけた。開けたドアの隙間から夜の冷たい空気が流れ込んで来てたかと思うと、『やっほ〜』なんて間抜けな声が聞こえる。ひらりと手を振ったのはわたしが忘れたいと強く願っていた人で、この呑気な大バカ男はサングラスをちょん、と指先で持ち上げて悪戯に下手くそなウィンクをしてみせた。ちっとも上達しない、下手くそなウィンクだ。

「ちょっと、いま何時だと思ってんの」
「ん〜?あ、寝てた?ゴメンゴメン」
「ごめんじゃないよ…で、なに、用は」
「え〜?用がなくちゃお前んちいれてくんないの?」

 …もしやこいつは、メールを見てないのか?いや見てたら会わないって言ってるやつのところにわざわざ来たりしないよね。もし来るんだとしたらこう、なんていうの、もっと慌てた風っていうかさ…いや、そんなありえないこと考えるのやめよう。多分いつもみたいにきまぐれできたんだ。きっと撮影がはやく終わって東京に帰ってきたとかさ、なんかわかんないけどタイミングの悪いことが起きてるに違いない。

「ちょっと〜中いれてくんない?依都さむくて凍えちゃ〜う!」
「…自分ち帰りなよ」
「え?なんで?」
「なんでって…」
「あ〜うん。まあいいじゃん、細かいことは。…ただお前に会いたくなっただけだよ」

 その場にしゃがみこんで、頭を抱えてしまいたかった。これは夢なんじゃないかと、わたしは眠れなかった夢を見てるだけで実際は布団に入ってすぐに眠りにつけたのではないのかと、そう思いたくなるくらいにはいまの現状を理解することはわたしには困難だった。なにが会いたくなっただけだ。騙されると思うなよ。…ま、まあでも風邪引かれても困るし、もう夢でも現実でもどっちでもいいや。諦めたように風邪引くよ、と小さい声で彼を招き入れたのはきっと間違いなんだろうけど。

「あ〜寒かった〜…ってこのにおいカレー?」
「うん、そう」
「いいねえカレー!腹減ってるし食わせてよ。久しぶりにお前の飯、食いたいし〜」
「…いいけど、甘口だよ」
「知ってるよ。お前の舌は特におこちゃまだからね〜」

 でも嫌いじゃないんだよね、お前の甘口おこちゃまカレー。そう付け足して、デニムジャケットを脱いだ依都はソファに腰掛けるとふんぞり返りながらはらへった〜と呻いていた。これが最後、これが最後。自分に言い聞かせるように心の中で呟く。しょうがないな、最後なら特別にスペシャル盛りにしてやる。炊飯器に残っていたご飯を全部盛って、ルーをたくさんかけて具もたくさんのせた。残したら殺す、そんな気持ちでそれを依都の元に持っていくと彼は少しだけ顔を引きつらせて、『随分サービスしてくれたな』と笑っていた。

「まあ余裕で食えるけどね〜いっただきま〜っす」

 食べる前にはきちんと手を合わせるところを見て、なんか意外とそういうところきちんとしてるよなあって思ったのは、多分初めてうちに来てごはんを食べていたときだったと思う。あの頃依都が住んでいた家は今の最上階の部屋ほどではないけどそこそこ広いほうだったらしく(もちろんどちらにも行ったことはない)、そんなもんだからうちを見た瞬間ちっせ〜だの狭いだのなんだの文句を言っていたのも思い出した。やっぱりこいつはろくでもない男だと、そしてそんな男を好きになるわたしも大概だとそんなことを思ったのも、もう随分昔のように思える。

 依都がうちに置いていったぶさいくな猫のマグカップにコーヒーをいれて(ミルクと砂糖をいれるのも忘れずに)、自分のにはココアをいれた。それを持ってテーブルを挟んだ反対側に腰を下ろすと、わたしのマグカップを覗き込んだ依都はからかうように『やっぱりお前の舌はおこちゃまだね〜』と目を細めていた。

「うるさいなあ」

 自分のコーヒーにも砂糖はいってるくせに。それにこちとら糖分でも摂取しないと、いまの状況をうまく理解できないんだよお前のせいでな!心の中で悪態をつきながら、熱いココアを少し啜った。連絡もろくによこさなかった男にもう会わないと別れを告げたはずなのに、突然深夜にやってきたかと思えば理由を突き詰めてきたりするわけでもなく、わたしの夕飯だった甘口のカレー特盛りを食べている。一体どういうことなのか。ていうかわたしあなたたちは大阪にいるって時明に聞いたんだけど。今頃打ち上げの最中だったんじゃないのとか、どうして来たのとか、あのメールは見たのとか。聞きたいことはたくさんあったけど、聞くのには多分に勇気がいる。でもまあほら、最後だし、いいや。失うものは何もないわけだし。意を決して聞いてみようとわたしが口を開こうとすると、それを制止するかのような依都の声が部屋に響いた。

「あ」

 間抜けな声がしたほうに顔を向けようとすると、食べようと口を開きかけている依都の手元のスプーンから逃げ出したらしいにんじんが、彼のシャツに茶色い跡を残して、ラグの上をころりと転がってわたしの足元にやってきた。…なにをやってるんだこの人は。そう思いながら呆れたような視線を彼に送ると、やっちゃったという顔をして肩を竦めていた。

「あはは…このにんじん活きがいいね」
「もう…ばかなこと言ってないで、それ脱いで。洗うから」
「え〜なんかお前に脱げって言われると興奮するかも」
「呆れた。自分で洗えば」
「ちょっ、ウ〜ソ〜で〜す〜!冗談だって。なあこれ気に入ってるからさあ、お願い。洗ってよ」

 お願いしま〜す、とシャツを脱いで上半身裸になった依都にばかみたいに心臓が跳ねた自分が嫌になった。あの刺青はきらいだ。わたしが不覚にも幸せだと感じてしまうときを思い出してしまうから。早く見えないようにしてほしいところだけど、前に彼が置いていった服をどこに仕舞ったか忘れたし、探すのも面倒くさい。かといってそのまま放っておくわけにもいかないので、取り敢えずベッドから毛布を引っ張ってきてそれを被せた。もうこぼさないでよ、依都の方を見ることなくそう忠告すればはいは〜いといつもの適当な返事が聞こえた。

 さて、いよいよなにがどうなってんだかわからなくなってきたな。洗面台にお湯を張りながら転々とカレーのシミがついたシャツを眺めて溜息を吐いた。これが最後。もはや都合のいい言い訳の言葉みたくなってきたその言葉を小さく呟いて、シャツをきゅっと抱き締めた。なにやってるんだろう、変態みたいだ。ああでも、依都のにおいがする。彼の香水とか、依都自身のにおいだとかが混ざり合ったそのにおいがわたしは好きだった。やっぱり変態なのかな。でも好きな人のにおいなんだもん、好きに決まってるよね。

「(しょうがないよね、…しょうがないよ)」

 いつの間にかぼろぼろ溢れていた涙は音もなく依都のシャツに吸い込まれていった。そうやってわたしのことも受け止めれくれたらいいのに。彼女でもないくせに一丁前に嫉妬して、わたしだけを見てほしいなんて考えちゃうバカ女を。そんなことを考えていたら『なまえ〜』とわたしを呼ぶ声が近づいてきてる気がして、慌ててシャツを洗面台の中に突っ込んでトイレに逃げ込んだ。泣いてるところなんて見られたくない。絶対、嫌だ。平気な顔してさよならしてやるんだから。

「ん?あれ?トイレ?」

 水だしっぱなしじゃん、どんだけ漏れそうだったんだよ。そんな小言が聞こえて、蛇口を捻る音がしたあとに足音が遠のいていった。あ、危なかった。危うく泣き顔を見られるところでした、ふう。
取り敢えずぼたぼた垂れている涙を拭かねばならない。タオルタオル…と顔をあげると、タオル掛けにはなにもかかっていない。あっしまった!タオル洗濯にだしたまんまだ!最悪だ…と思っている間にもさっきの余韻が続いてるせいで涙はぼろぼろとでてくるばかり。仕方がない…拭けるものといったらこれしかない。渋々トイレットペーパーを何巻きか引きちぎったけど、予想通りそれは涙で溶けて顔に張り付いた。…もういったいわたしはなにをしているんだろうか。ばかか。あまりの情けなさに、追加でちょっぴり涙がこぼれた。
 しかし幸いなことに、依都には気付かれてないみたいだった。部屋の奥からテレビの音声と、たまに笑い声。こんな時間にそんな笑うような番組やってるっけ。通販番組くらいな気がするんだけど…なんな他の人には見えてないものでも見えてるんじゃないだろうか。ちょっぴり心配になったが、いいや、そんなことはどうでもいい。そのまま、ばかみたいに泣いているわたしのことには気付かないでいて。もう少し、もう少ししたらシミ抜きするから、もうちょっとだけ泣かせてほしい。



「お前いつまでトイレはいってんの?うんこ?」

 …依都は思った以上に待てない男だった。わたしがトイレにはいってから多分、数分しか経ってないはずなのに依都はコンコンとトイレのドアをノックしてきた。まあうんこってことにしておいてくれても構わない。人間だもの。誰だってうんこするし、なにも恥ずかしいことじゃない。うんこしてるわけじゃないけど。
 取り敢えずなにか言っておかないと、と発した『もう少ししたらでるよ』という言葉は舗装されてない道路のようにがたがたと震えたもので、自分でもびっくりした。さすがに依都もそれに気付いたらしく、少し声色を低くして『ん?…どした、具合悪い?』なんて聞いてくる。普段そんな風に気遣ったことなんてないくせに。セックスのときだってそんな気遣いしないくせに、なんでこういうときにするんだろう。ああもうほんっとに最悪。また涙出てきた。バカかよ。

「だいじょうぶ、だから、うん、」
「でも声震えてんじゃん」
「気のせい、だよ…ちょっと…ふんばりすぎちゃっただけ」
「ふ〜ん……まあいいや。暇だし話相手になってよ。うんこしてていいからさ」

 なに言ってるんだこの男は。なにが楽しくてうんこしたままお前と話さなきゃならんのだ。いやうんこしてないけど。でもどうやら依都はまじめに言ってるらしい。よいしょ、という声とともにドアの前にずっと気配がある。どうやらそこに座り込んだようだった。ばかなの?わたしがトイレ出るまで待てないの?便座に座ったまま、今度こそ本当に頭を抱えた。依都の考えてることはよくわからない。

「んっと〜なにから話そっかな〜」
 話さなくていいから向こうに戻ってほしい。

「…篠がさ〜、今燻製作るのはまってんだって」
 まじか。

「今度お前も連れて食いに来いって言ってた。美味いワインも用意しておくって」
 篠宗さんの料理は何回かご馳走になったけどどれも本当に美味しかったしぜひ行きたかった。恐らくもう叶わないだろう。

「あとあれ、お前が好きそうな店見つけたって時明が教えてくれたから今度一緒に行こ」
 …だから、今度はないって。そのお店には時明と2人で行くから。

「優が〜……あ、いや優はなんも言ってなかったや」

 えええい言ってなかったんかい!その流れは優さんもなにかしら言ってた流れだったろ!と心の中で見事な突込みをしてしまった自分に、少しだけ笑いが零れてしまった。しょうもなさすぎて。だけどそれを耳聡く拾ったらしい依都は『あ。いま笑ったっしょ』となぜか少しだけ声を弾ませて、ドアをコンコンと再びノックしてわたしを呼ぶ。言葉がなくてもわかる。はやくでてこいって、言ってる。

「な〜なまえ〜はやくうんこ終わらせろよ」
「…そ、そんなこといわれても」
「俺お前と話したいことあるんだって」
「いま話せばいいじゃん」
「やだよ。お前うんこしてるもん」
「し、してないし!」
「あ?」
「あっ」

 つい勢いで本当のことを言ってしまった。嘘は吐けないタイプ、いい子だなわたし。そんなくだらないことを考えている場合ではなかったらしい。今度は強めにトイレのドアを叩かれて、思わずひいっ!と悲鳴をあげてしまいそうだった。あれだ、借金取りに怯えてる人の気持ちだ。怖い。ちょう怖いんだけど。なんなの。

「なんでうんこしてないのにトイレはいってんの?トイレの神様かなんかなの?お前」
「じ、実は」
「つまんないから却下〜いいから早く出てこいって」

 自分から言い出したくせにつまんないとはどういうことだ。早くしろよとわたしを急かすノックの音は止まらない。誰がでていくもんか、わたしは絶対にここをでないんだから!抵抗を続けるわたしに少しずつ依都が苛立っていってるのがわかる。なまえ、と呼んだ声はいつもよりうんと低くて思わず素直に従ってしまいそうになるような妙な迫力があった。そんな声を聞いたのは、初めてだ。

「あ〜…、じゃあいいよ。トイレ越しってすげーヤだけど今回だけ特別に許してやる。その代わり俺の質問にはちゃんと全部答えろ。いいな?」

 いつもと少し違う依都の雰囲気に怯みそうになる。なんでそんなわたしが責められるような言い方されなきゃいけないんだ、ばかやろう。だけどもうここまで追い詰められたらやるしかない。今度は震えないように気をつけながら、『な、なによ』と声を絞り出す。

「お前さ、なんなの?あのメール」
「…なにが」
「もう会えないってなんだよ。ちゃんと説明しろって」
「…説明するもなにも、そのままの意味ですけど。もう依都とは会わないってことです」
「会ってんじゃん」
「そ、そうだけど。…っこれが最後だから!もう金輪際ここには来ないでください!」
「なんで?俺のこと嫌いになった?」

 好きに決まってんでしょ、と反射的に叫んでしまいそうになった。嫌いだったら外で震えてようが知らないふりするし、カレーをわけてあげるなんてしないし、カレーのこぼれたシャツなんて洗おうとしない。あんたのためにばかみたいに泣いて、顔にトイレットペーパー貼り付けたりなんかしない。ふざけるな。

「おい、どうなんだよ。俺のこと好きか嫌いかって聞いてんの」
「…すきじゃない」
「ウソだね」
「嘘じゃない、きらい、」
「なまえ」
「ッ嫌いだってば!もう顔も見たくない!帰ってよ!」

 つい大きな声をだしてしまった、深夜だっていうのに。近所迷惑だ、すいません。この男が悪いんです。今更口を押さえたって仕方がないけど、戒めのために両手でうるさいそこを塞いだ。そのときに頬に触れた手のひらにじんわりと湿った感触がして、またわたしは泣いてるのだと気付く。こんなに水分出て行ったらカラカラになっちゃいそうだ。カラカラに乾いて、ミイラみたいになってトイレからでてきたらさすがの依都も驚いて帰るかもしれないのになあ。

「…帰ってやってもいいよ」
「ならはやく、」
「帰ってやる。お前がこっから出てきて、ちゃんと俺の目見て、今のと同じこと言えたらな」
「そっ、そんなの…」
「無理?じゃあ帰りませ〜ん」
「…帰って」
「やだ」
「帰ってよ」
「いやで〜す」

 トイレのドア越しに、そんなくだらない攻防戦を暫く続けた。もうそろそろ終わりにしてくれないだろうか。このままだと、勘違いしちゃうから。わたしが依都にとって特別な存在なんじゃないかって、勘違いクソ女の本性を発揮しちゃいそうになるでしょ。依都だってそんな女面倒だろうし、わたしだってなるべくならそんな風に思われたくない。(もう思われてるだろうけど)まあ、だから、お互いのためにもここで終わりにしようよ。そう思いながらつうと垂れてきた鼻水をじゅっと啜ると、向こう側から深いため息が聞こえた。やっと、諦めてくれたんだろうか。

「…あのさあ、そろそろ折れてくんないかな〜」
「…え?」
「わかんない?これでも結構焦ってんの、俺」
「わ、わかんないよ。…なんで焦るの」
「え〜それ言わせる〜?」

 まあいいけどさ。もう面倒くせーししょうがないから俺が折れてやるよ。
 溜息混じりにそう言った依都は、コンコン、とゆっくりノックの音を二つ、小さく響かせて、トイレに向かって、正しくはトイレの中でぼろ泣きしているわたしに向かって、話しかける。

「…俺はお前と別れるつもりないよ」
「…」
「もしかしたらお前は他の男といたほうが幸せになれるのかもしれないけど〜ムカつくことに俺はお前じゃなきゃヤなんだよね〜…あーウケる」
「…」
「でも、お前がもう俺に愛想尽かして、本当に嫌いになったって言うんなら、諦めて大人しくうちに帰るよ。もうここには来ない」

 あとはお前が決めていい、なんて、ずるい。いつもいつもわたしに選択肢なんて与えなかったくせに。そんなに、…そんなに、わたしとの…セックスが、いいんだろうか。いやわたしはその、もちろん、いつも気持ちよかったけれど。それとも、…いや、それくらいしか思いつかない。

「わ、わたしって、」
「ん〜?」
「わたしって、そんなに名器…なの?」
「…は?」
「えっ、だ、だってそういうことでしょ、手元においておきたいくらい、こう、なに、締りがいいとか、」
「いやいやいや、ちょっと待てよ。お前なに言ってんの?」
「へ…?いやだから、わたしの下半身の話を…」
「は?俺の話聞いてた?」

 ありえね〜だのうぜ〜だのイラついた様子で呻く依都の声を聞きながら、わたしの心臓がだんだんと早く脈打ちだしていた。…ごめんね依都。さすがにそこまで言われてわからないほど、バカじゃない。わたしは依都のセフレなんかじゃないんだ。きっと、彼女だったんだ。ぐっと拳を握った。どうか、情けないことを聞くわたしを許してほしい。

「…依都さん」
「なあに〜」
「わ、わたしって、依都の、なに?」
「なにって…あんまバカなこと聞くなよ。彼女でしょ〜…大事なさ」
「…」
「ちょっと、なんで黙ってんの」
「…わたし、ずっとセフレだと思ってた」
「はあ?お前どこまでバカなの?」
「っだ、だって大事にしてくれてないじゃん!」
「は?してただろ」
「付き合おうってのもなかったし、好きだって言ってくれたこともない」
「え〜?言ってたでしょ?……うん、お前が寝てるときに」
「知ってるわけないでしょバカ!」
「うっせ〜」
「それに、うちに来たら大抵ご飯食べてヤるだけヤってすぐ帰ってたじゃん!そんなんされたらセフレだと思うでしょ…」
「すぐ帰ったのは〜…あー、言いたくないんだけど。言わなきゃダメ?」
「ダメ」

 ここまできて言わないなんてナシだ。全部話してほしい。
 今度はこっちから急かすためのノックをコンコンと2回鳴らした。はいはいわかったよ〜。諦めたような、大袈裟な溜息が聞こえた。

「お前がさ〜なんつーの?可愛いっていうかさ〜…まあなんかそんなんだから、寝てるうちに帰ろうと思ってたんだよね。お前に帰らないで〜!とか言われたらまじで帰れなくなりそうだったし」
「…」
「あ〜なに言ってんだろ俺。まじダサすぎ」

 自嘲気味に笑ってそう眉間に皺が寄る。驚きのあまり、瞬きを何度も繰り返してしまった。
 …なんなの、依都めっちゃわたしのこと好きじゃん。なんでもっとその感じだしてくれないの。相変わらず目からは涙がぽろぽろ零れ落ちていたけれど、わたしの口元にはもはや笑みが浮かんでいた。トイレから飛び出して、依都に抱きついて大好きだって怒鳴ってしまいたかった。

「…まあ俺がお前のことどう思ってるかわかったでしょ」
「…うん…」
「なら早く出てこい。お前がずびずび泣いてるのになにもできねーとかまじ勘弁して」

 そんな風に言ってもらえると、わたしの意固地な気持ちも解しやすい。涙を拭ってそっとドアをあけると、上半身裸のままの依都が困ったように笑っていた。おまたせしました…と首を傾げておどけてみせるとなかなか強烈なでこピンが飛んできたけど、そんなのいまのわたしにはどうってことない。額を弾いたその手がむんずとわたしの両頬を掴んできて、唇が突き出たひょっとこみたいな顔になったって、へっちゃらだ。

「あ〜あ、ひどいかお」
「誰のせいだと思ってんの」
「俺のセフレだとかふざけた勘違いしてたお前が悪いんだろ」

 セフレだと思わせるような振る舞いさせる依都が悪いんだ、と頬を膨らませたら容赦なくそれを潰された。ぶっと不細工な音とともにわたしの口内から空気が抜けて、ちょっと恥ずかしさを感じた。依都はそんなわたしを笑って、『屁こくなよ〜』なんて揶揄しながらカサついた親指で、わたしの目尻を拭うようになぞってくる。何度も何度も。触れられたそこがじわじわと熱をもって思わず目を伏せた。

「ていうかさ〜お前ちょっと痩せたよね」
「…適当なこと言わないで」
「適当じゃねーよ。感触が違うもん、ぷにぷに感が足りませ〜ん」
「じゃあ、たぶん依都のせい」
「え〜俺の?ふうん、そっか。じゃあうまいもんいっぱい食わせて太らせてやんないとね〜」
「…太ってもいいの?」
「ん〜いいよ〜。いっぱい食べる君が好きってやつだよ、なんかそんなCM あったでしょ」

 今度は骨ばった指の背で頬を撫でながら、依都は目を細めてわたしを見下ろしていた。なんかさっきからずっと顔触られてるなあ、と思いながらふと伏せていた目線をあげると、いつも適当なことばかり言ってゆるんでいる口元がきゅっと一文字に結ばれていて、なんていうか、そのまじめな顔をした依都がそこにいた。ごくりと喉が鳴る。

「な、なに」
「いいや?…可愛くない女だなって思ってさ」
「…グラドルの子のほうがいい?」
「なにそれ。週刊誌の話〜?」
「うん…読んだよ、あの記事」
「あっそ。…怒んないの?」
「怒ったって、起きちゃったものはしょうがないしね。…もうしない?」
「キスのこと?」
「…うん」
「俺がしたワケじゃないけどね〜。…まあもうしないし、させないよ。お前以外には」

 近くで見たら案外ブスだったし。そんな風にふざけたことを言いながら頭を垂れてこつんとわたしの頭に自分のを寄せてきた依都は、185センチもあるはずなのになんだか少し小さく見えた。それがなんだか可愛くって、よしよしと精一杯背伸びをしてその頭を撫でてあげると、なにやってんの、と笑いながらわたしの体を随分と強い力で抱き締めてきた。その体は随分と冷えてしまっていて、申し訳なくなる。こんなことになるなら面倒くさがらずにちゃんと服探して着せてあげればよかった。ツアー前の大事な時期に風邪引いたら大変だってのに。自分のことしか考えてなかった。反省する。

「ごめんね、体、冷たくなっちゃったね」
「ん?あ〜まあもう1杯カレー食べればあったまるよ〜」
「もうごはんないよ」
「まじかよ」

 じゃあいいよ〜お前抱っこしてるから。依都はわたしを抱き締めながら、ペンギンのような不恰好な歩き方で少しずつリビングに向かう。調子に乗って依都の足の上に立つようにして乗っかると、重いと文句を言いながらわたしの鼻先を齧ってきた。ちょっと痛い。

「ね、もういっこ聞いてもいい?」
「ん。もうなんでも答えてやるよ〜」
「あのさ、わたしのこと面倒だって思う?」
「思うよ。可愛くなくて面倒くせー女だよお前は」
「…じゃあ、やっぱり別れる?」
「ちょっとさ〜…お前、あんまりふざけたこと言ってんなよ」

 別れるわけないだろ。鳥肌が立つほど低い声が聞こえたかと思うと、がっと両手で両頬を固定されて、額同士がぶつかる。鼻先が触れ合う。視線が絡み合う。依都がちょっと怒ってるってのはわかる。だけど、怖いとか申し訳ないっていう気持ちはなくて、寧ろ嬉しいと思ってしまうわたしはずるい女だろうか。だってこんな風に彼が感情を動かすのはわたしのことを想ってくれてるからだ。胸の辺りが、喜びのあまり痛む。

「面倒な女は嫌いだよ。勘違いするやつも、すぐ泣くやつも」
「…わたしじゃん」
「そうだよお前だよ。でも実際、俺はそんなクソ面倒くさい女代表のお前のために打ち上げすっぽかしてわざわざ高い金と時間かけてタクシー飛ばしてここまで来た…な〜んでだ?」
「…すき、だから?」
「はい正解よく出来ました」

 ご褒美な〜と、遂には口と口がくっついた。わたしの頭を掻き抱くようにして固定しながら何度も何度も唇がくっついて離れてを繰り返しながら、時折ちゅうと小さな音を立てて吸われたり、ぬるりとしたものが口の端をくすぐったり。ちょっぴり乱暴で雑なその行為からは相変わらず依都の怒りが感じられるけれど、やっぱりわたしは嬉しくってすん、と鼻を鳴らしてしまう。

「…なあに笑ってんの」
「んーん…」
「また泣くし。笑うか泣くかどっちかにしなよ〜」
「わらいます」
「ん。そうしてくれると依都さんも嬉しいで〜す」

 今度のキスは随分と丁寧で、優しかった。嬉しさと、自分の気持ちを、もう体内に留まらせておくことが出来ない。それを吐き出すように、長く続くキスの合間に小さくすきと呟いたら今度は依都の鼻が、さっきのわたしみたいにすんと鳴った。ああ、なんだろう。なんか死んじゃいそう。死んじゃいそうなわたしをベッドに押し倒した依都の目が鈍く光る。

「あ〜抱きてえ…」
「…シないんだ?」
「ん〜。セフレだと思われてたのムカつくし。今日は抱いてあげませ〜ん」
「別に抱いてほしくないもん」
「いっつも俺とちゅうしただけで濡らすくせに」

 今だって濡れてんじゃないの〜と言って太ももを撫でてきた依都の手を、慌てて掴んでとめた。わかんないけど、たぶん、依都の言うとおりな気がしたからだ。あの、官能小説の一文にありそうな感じ。上のお口は強がっていても、下のお口は素直うんたらってやつ。まさにいまのわたしはそんな状態な気がした。それがばれないか内心ひやひやしていたけれど、依都はそれ以上コトをすすめようとはせず、わたしの手に自分のを絡めて隣に寝転んだ。ふああとあくびが聞こえる。

「服着てから寝なよ、風邪ひいたら困るでしょ」
「ん〜こまる〜」
「ちょっと待ってて。いま探してく、……離してくれます?」
「いやで〜すはなしませ〜ん」

 服を探しにいこうと起こした体は、依都によって再びぼふんと布団に沈むことになる。そのままわたしを抱きしめて、床に落ちていた毛布を拾い上げそれに包まる。いやわたしはあったかいけどね、依都は寒いでしょ。せめてわたしたちの下に敷かれたままの羽毛布団も掛けましょうよと提案しても、ん〜と唸りながら首を横に振られるだけ。言葉がでなくなってきたってのは、依都がものすごい眠い証だ。まあ、本人が言うなら大丈夫なのかもしれないけど。ちょっとしんぱ、

「……」
「……」

 …心配だけれど、そんなわたしの心配などお構いなしに、依都は眠ってしまったみたいだ。すうすうと寝息が聞こえる。眠ってもなお繋がれたままの手は、どうやら離してもらえそうにない。いまのわたしがすべきことは、きっと彼の安眠を邪魔しないことと、なるべく自分の体でもって彼の体を冷やさないようにしてあげることなんだろう。規則正しく上下する、かつては嫌いだったあの刺青のはいった胸元にぴたりと体を寄せて目を瞑った。好きだなあ、この人のこと。

. .* ..

 目が覚めるとベッドにはいつも通り一人だった。だけど今までみたいに落ち込むことはない。だって、わたしは依都のセフレなんかじゃなくて、か、彼女、なんだから。テーブルの上には空になったカレー皿がぽつんとあった。かぺかぺになってるところを見ると、随分前に食べたらしい。朝早くから仕事なのにわざわざ会いに来てくれて、会いに来るようなことをさせてしまって、ごめんね。
 今日の置き土産である『ごちそうさま〜』という言葉と下手くそなハートが書かれたメモは、本来ならただの紙きれだっていうのにあの人がこうしてペンを走らせるだけでわたしの宝物になる。早く会いたいな。そう考えずにはいられなかった。思うのは勝手だけど、我が侭は言わないようにしないと。すぐに強欲になってしまう自分にイヤになりながら、眠ったままだった携帯の電源をいれた。そこには昨日、恐らくメールを見た直後にかけてきたのであろう依都からの着信がたくさんあって、言葉にならない想いでいっぱいだったけど、一番最新の時明からの『依都が見覚えのある可愛いシャツを着て、お腹をぱんぱんにさせて帰ってきたよ。それにさっきからずっとご機嫌なんだ。なにか知ってる?』というわたしをからかうようなメールに、ついにちょっぴり泣いてしまったことは誰にも言えない。
シャツといえば、すっかり忘れていた。まだシミ抜きしてなかったよなあと洗面所を覗いたらやっぱり冷たくなった水にシャツは浸っていて、はて、それなら彼は一体なにを着ていったのだろうかと首を傾げていたところにタイミングよく依都からメールがきた。新規メールではなく、わざわざわたしがもう依都には会えないと送ったメールに対する返信で、だ。

『すきだよ〜』

 メールにはたったそれだけの言葉と、わたしが気に入っている猫のプリントされたシャツを着て舌をだしている依都の自撮りが添付されていた。そういう大事なことはメールで言うな、ばか。そう思いながらなんて返してやろうと考えようとするけど、もう全然ダメ。今すぐ会いたい気持ちでなにも考えられないんだもん、ほんとムカつく。

20150305 / W.C.W
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