「あれ?結崎くん生徒証忘れてる」

 机の上に広げたものを鞄にしまいながらふと前に視線をやると、前の前の列の机の上にぽつんと生徒証が置かれていた。さっきそこに座っていたのは結崎くんだ、あらら。わたしの言葉を聞きつけた友達がえ〜っ?と興味津々に集まってきて、手元の生徒証を覗き込む。

「うわほんとだ」
「え〜生徒証でもイケメンとかどういうこと」
「ここでもドヤ顔なんだね」
「かわいい〜」

 きゃいきゃいとみんなが騒ぐのも無理はない。だって結崎くんは実際にもイケメンだけど、生徒証に使われてる証明写真でさえイケメンなのだ。わたしなんて高校のときの写真をそのまま使われてしまったもんだからもっさりしてて、画像の悪さも相まってまるで指名手配犯のようだというのに。こんな小さな四角の中でも彼はお得意のドヤ顔でわたしたちを見つめていた。

「つかこの時期に生徒証ないと結構まずくない?テストのときとか困るよね」
「うんだねー。渡してあげたほうがいいんじゃない」
「えーでもわたし連絡先知らない」
「あたしもー」
「ダメじゃん」

 どうしたものかと首を傾げる友人たちの中でひとり、わたしは思い出していた。…次の授業、結崎くんもいたような気がする。確か、いっつも前のほうの一番端っこで、女の子に囲まれていたような、いないような。違ったかな。

「…わたし次の授業一緒かも」
「え、まじ?」
「じゃあなまえ届けてあげなよ」
「うん、そうする」

 ほんとは次の授業さぼろうかなって思ってたんだけど、まあいっか。「いいな〜わたしも結崎くんと話したい!あわよくばお近づきになりたい!」と肩を竦める友達に、彼氏いるくせになに言ってんだバーカ!とつっこめば、他の2人もそうだそうだ!と加勢してくるけど、お前らも彼氏いるだろなめてんのか。わたしだけだぞ寂しい独り身は!
 拗ねたわたしをよちよ〜ちと赤子をあやすように頭を撫でてくるバカ友達と笑いながら、教室を出る。結崎くんの生徒証は暫くわたしのポケットの中でおとなしくしていてもらおう。
 これからバイトに向かう子、サークルに行く子、彼氏に会いに行く子、授業のある教室に向かうわたし、肩を並べて歩く。別れ際に「ちょっと、なまえ!結崎くんとなにかあったら教えてよねっ!」と肩を叩かれたけど、ただ生徒証を渡してあげるだけだ。なにもあるわけがない。


 教室に入ると、やっぱりいた。前から4列目の一番端に座って学食にあるハンバーガーをむしゃむしゃ食ってる結崎くんを、発見した。お昼休みももうすぐ終わると言うのにまだ食べてるのか、遅いな。音楽を聴いているのか小さく頭を揺らしながら左手にハンバーガー、右手に携帯。すごく若者って感じだ。いや、わたしも若者だけど。
 ちょっぴり緊張しながら結崎くんの元に近づく。だって、そういえば、わたし彼と二言三言しか話したことない、たぶん。しかも結構前のことだし、いきなり話しかけて変な顔されたらやだなあ。まあでも、生徒証渡すだけだしさっさと終わらせればいいや。

「ゆ、結崎くん」

 音楽聴いてるから聞こえないかなとも思ったけど、予想に反して彼は一声でぱっと顔を上げて、ハンバーガーを頬張ってる顔をこちらに向けた。そしてわたしの顔を認識すると目を丸くさせて驚いた顔をしてから、すぐにあっ!という顔をした。慌てて口の中のものを飲み込んでいるようだった。

「ん、んーっ!…みょうじさんだ!どしたの?珍しいね」
「あ、えっと、」

 …名前、覚えてくれてるんだ。そんな些細なことに、ちょっとどきっとしたなんてそんな、まさか。顔がいいから、ついね。仕方ない仕方ない。動揺を悟られないように慌ててポケットの中から生徒証を取り出してそれを差し出す。どうやら結崎くんは生徒証を忘れたことにまだ気付いてなかったらしく、わたしの手元を見ながら首を傾げていた。

「さっき教室に生徒証忘れてたから、届けにきたの」
「え、…うっわまじだ、ありがと!助かった〜」
「いいえ、どういたしまして」

 じゃあ、と席に着こうとあたりを見回すと小さい教室の座席はほとんど埋まっていた。そりゃそうだ、もう3分くらいで始業のチャイムが鳴る。この授業は、内容はまったくといっていいほど理解できないけどある程度出席しておけば楽単だと有名な授業なのだ。ゆえにいつも人が多くて、今年は抽選になったほどの人気なのである。つまりほとんどいつも席は埋まってしまうのだ。こんなギリギリに席に着いてないことってなかったから、うっかりしていた。どうしよう、ときょろきょろしているとくいっと裾を引っ張られる。

「な、なに?」
「よかったら、隣どうぞ?」
「え」

 …そう言えば、結崎くんの隣にはいつも誰かしら女の子が座っていた。それは結崎くんのお友達だったり、はたまた結崎くんにお近づきしたい子だったり、とにかく結崎くんに気がある子で、いまわたしはその席に誘われていた。今日はわたしが邪魔で座れなかったのかな…ちょっとだけ辺りを見回すと3人ほどわたしに敵意むき出しの視線を向ける女の子を確認した。ひいっ。…で、でも他に座る場所もないし…しょうがないから、今日は、いや今日だけ、おとなしくここに座ることにしよう。致し方ない。致し方ないのだ。
 「じゃあ、隣、いい?」と声をかけるともちろん!とにっこり笑って、置いていた荷物をどかして一つ横の席にずれてくれた。恐る恐る一番端の席に腰を下ろす。途端に結崎くんのつけてるであろう香水のにおいとポテトの油のにおいに包まれた。隣で結崎くんは残りのポテトを口の中に詰め込んでいた。

▽▽

「……」

 本ッ当に、なにを言ってるのかわからない。小さい体を大きく動かして、教授特有の解読不能な文字を黒板に書きながら、大宇宙とか小宇宙とか説明しているけれど、わたしからすればなにを言ってるのかさっぱりわからない。もう一度言う。さっぱり、わからん。一生懸命伝えようとしてくれてることだけは伝わる。しかしそれは学生の睡魔を追い払うのには効果がないようである。机に突っ伏していく人たちを眺めながら、わたしもふわあ、とあくびをひとつ。隣の結崎くんは寝るでもなく携帯をいじるでもなく、教授の話を聞いてる風だけど…たぶん聞いてないなこれ。その指は、まるでドラムを叩くみたいにリズムを刻んでいたからだ。わたしの視線を感じたのか前を見据えていた顔がこちらに向く。

「あ、ごめん。うるさかった?」
「ううん、大丈夫」

 そうだ。結崎くんって確かバンドでドラムやってるんだっけ。こう言ったらあれだけど、あんまりドラムやってそうに見えないっていうか、ギターとかベースとか、ボーカルとか…とにかくドラム以外をやってそうな見た目してるのに意外だなって思った覚えがある。

「ドラムやってるんだよね?」
「そそ、バンドでね」
「すごいなあ。わたし中学の頃ちょっとだけやったことあるけど、全然できなかったんだ。手と足がばらばらに動かせなくて」
「はは、俺も最初はそうだったかも」

 これらの会話は、あくまで小声で行われたものであるということを主張しておきたい。
 たかたか、と小さい音を出す指先をじっと見ながらドラムを叩いている結崎くんを想像した。こんなイケメンがドラム叩いてたらそりゃあ、さぞかしかっこいいことでしょうね。恨めしそうにわたしを見ていたさっきの女の子たちは、きっとそんな姿を知っているに違いない。そりゃ、お近づきに、あわよくばお付き合いしたいと思うのは、自然なことだろうなあ。
 結崎くんが机を叩く音を聞きながらわたしはそっと目を閉じた。このリズムは彼らの曲なんだろうか。人ごみも大きな音も苦手だからライブハウスに行ってライブを見るなんてことしたことないけれど、1回くらい結崎くんがドラム叩いてるところは見てみたいかも。指で机を叩くのではなくて、スティックでタムを、スネアを、シンバルを、足でバスドラムを、恐らく楽しそうに演奏する彼を見てみたいと、そう思いながらほう、と小さく息を吐き出した。

▽▽▽

 誰かに肩を揺らされながら名前を呼ばれている気がしてふと薄く目を開ければ、目の前にわたしと同じように腕を枕にしてにこにことこちらを見ている結崎くんの顔があった。驚きのあまり、勢いよく起き上がる。どうやら授業は終わっていたらしく、黒板には乱雑に字を消された痕と、席にはわたしと同じように眠ったまま授業が終わったことに気付かない人が数名いるだけだった。「よく寝てたな〜」と少しだけからうかうように言う結崎くんに少し顔が熱くなる。寝るにしたって、よりによって結崎くんのほう向くことないのに。絶対寝顔見られた。ただでさえぶっさいくな顔を、もっとぶっさいくにした寝顔を。

「え、えと、…起こしてくれてありがと」
「いいえ〜寧ろ俺のほうがお礼言いたいくらいだよ」
「……そ、それはどういう」
「可愛い寝顔をアリガト、ってところかな」

 最悪だ。やっぱり見られてたし可愛いってなんだよ可愛いわけないだろ。恥ずかしいやらなんやらで赤くなる顔をなるべく見られないように、俯きながら少しだけ板書してあるほぼ真っ白なノートを閉じてペンケースを鞄にしまって立ち上がる。
 じゃあ、またね。結崎くんの方を見ずにそう言って立ち去ろうとしたわたしの腕を、彼の手が捕らえていた。振り向きたくないから前を向いたまま、ナンデスカと片言な言葉を吐き出すと彼はくくっと愉快そうに喉を鳴らす。

「そんな逃げないでよ。俺、実はみょうじさんともっと話してみたいなって思ってたんだよね」
「そ、そうっすか」
「うん。だから連絡先、教えて。また俺の隣座ってよ」

 ね?と甘えたような声をだしてわたしを追い詰める結崎くんにあたふたしているうちに携帯を取られていて、気付けばメッセージアプリの友達欄に『せっちゃん』という文字が追加されていた。せ、せっちゃん。確認するように小さく呟くと、彼の耳にそれが届いたのか「みょうじさんもそう呼んでくれてもいいけど?」と笑いながら言われた。いや、わたし、せっちゃんなんて呼べませんあなたのこと。

「あーでもやっぱり芹くんのほうがいいかなあ」

 独り言のように呟かれたそれはわたしの耳にはいっていたけど、あえて聞こえないフリをした。だからせっちゃんも芹くんも呼べないから。マジで無理だから、勘弁して。
からかわれてるなって感じながら携帯をポケットに仕舞って、そろそろ行くね、と伝えると結崎くんは引き止めてごめんな〜と飴を一粒くれた。ハチミツ味の、いかにも喉に良さそうなやつ。お詫びのつもりなんだろうか。

「じゃあまた来週ね、なまえちゃん」

 さらりと呼ばれた名前に、飴玉を握るわたしの手の甲を軽く撫でられた感覚に、ぎゅうと心臓を鷲掴まれたような苦しさに襲われる。わたしはあいつらになんて報告すればいいのかな。彼の隣の席に座ったこと、もしかしたら来週もそうなるかもしれないこと、連絡先を交換して、下の名前で呼ばれたこと、触れられたこと。…生徒証を届けるだけだったはずなのに、誰がこうなることを予想できただろう。イケメンの、しかもバンドマンに恋するなんてまっぴらごめんだ、ばかやろう。

20150110
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