白く塗りつぶす


「よう」

「お、おはよう」



朝練を終えて教室に戻ってくるともう苗字が席にいたから座りながら挨拶をした。するとやつは少し視線をそらせながら小さく返した。「あ、そう言えばさー」そのまま教室の真ん中にいる友達のところへ走って行く。様子がおかしいことに気が付いて思わず首をひねった。



「苗字、どうしたのあれ」

「…知らね」

「純何かしたんじゃん」

「してねーよ!」

「ふーん?」



亮介がわざわざ俺のところまでやって来てそう言った。明らかに疑わしそうな顔をされて腹が立った。しかし、そう言われて自分がやったことを振り返っても何も思い当らなかった。昨日の朝は普通だったな、俺の姉ちゃんの話とかした。それで、昼はまあ、告白されて、いやでもそれは俺の事情だ。で、午後の授業はほとんど寝っぱなしで話さなかった。放課後もあいつはあっという間に部活に行ってしまって話す時間もなかった。昨日、それから一昨日のことなんかも二三回繰り返し思い出したけど全く何の心当たりもない。きっと、何かあったんだろう、本人にしかわからないんだろう。



「苗字、練習試合の話なんだけどよ」

「え、練習試合!?そうだ、えっと…な、なに?」

「…来週の日曜なんだ。来れるか」

「日曜?う、うん行けるよ大丈夫」



思わず俺かやつの顔を凝視してしまった。苗字はその視線から逃れるように足元を見つめた。練習試合の話だって今日初めて出した話題じゃない。前に来ないかと話したはずだ。なのに、何をこいつは挙動不審になっているんだろう。まさか、俺のことがまた怖くなったわけじゃあるまいな、前もこんな反応を俺にしたことはなかった。俺は不審に思いながらも、来週苗字が自分の試合を見に来てくれることが楽しみで仕方なかった。




***




移動教室に向かう途中に私は少し足を止めると伊佐敷くんが私の隣でふと一緒になって足を止めた。不思議に思って私が彼を見上げると、伊佐敷くんは「おい」と低い声で言った。少し胸がざわついた。私が彼を怖いと思っていた頃と似たようなこの感覚。何か怒られるのかと思って身構えると、彼は少し息を吐いてから言った。



「靴擦れ」

「え…」

「もしかして、靴擦れしてんじゃねえか」



私は思わず目を見開いた。どうしてわかったんだろう。今日から新しいローファーを履いていてちょうど踵のところに靴擦れができていた。それで痛くて足を止めた、それがわかったなんて。私が驚いていると、「右足庇って歩いてるじゃねえか。ちょっと靴下脱げ」と言ってポケットから絆創膏を出した。まさか彼のポケットからそんなものが出てくるとは思わない。驚きつつも言われるがままに靴下を脱ぐと少しだけ血が滲んでいた。伊佐敷くんが優しい手つきで絆創膏を貼ってくれる。「自分でできるよ」と言っても彼は無言だった。



「ありがとう…伊佐敷くんが絆創膏持ってるなんて意外だな」

「昔から姉貴がうるさくてよ…いつも怪我するから持っとけって、もう癖になってんだ」




そう言って伊佐敷くんが立ち上がった。私は靴下をはきながら笑っていた。そっか、たしか伊佐敷くんにはお姉さんがいるんだ。彼が弟なんて、なんだか変だな。私が笑っていると、「何がそんなに可笑しいんだよ」と伊佐敷くんに怒られたけど、最近の彼は言葉は怒っていても声が怒っていないから、少し優しくも感じる。やっぱり私は彼が好きだ、と認めた。心の中で何度か呟いた。私は伊佐敷くんが好き。



「なんかお前今日様子おかしくないか。何かあったか」

「…何も、ないよ?」

「そうかよ。まあそういうことにしとくか」



だから、前を向こう。伊佐敷くんは今野球にしか興味がなくたって、部活を引退したら、私にチャンスがないわけじゃない。だから諦めなくたっていいし、落ち込む必要はない。今は、ただ気持ちのままに彼を想っていよう。




***




授業が終わって教室に向かっていたら前の教室に筆箱を忘れたことに気が付いて俺は引き返した。亮介は「放っておいても苗字が持ってきてくれるんじゃない。まだ教室にいたでしょ」と言ったが、そんなことをさせるわけにもいかないから俺は自分で取りに戻った。確か机の上に置いたままだったよなとか考えながら部屋に入ろうとした瞬間何人かの女子生徒の声が中から聞こえて俺は入るに入れなくなった。「名前、さっき見たよーまた伊佐敷くんとイチャイチャしてたでしょ!」という声に俺の心臓がどくんと跳ねる。しかしすぐに「違うって!」という声が割って入った。



「まさか、伊佐敷くんはそんなんじゃないよ」



それは間違いなく苗字の声で、俺はなぜかその場から動けなくなった。女子生徒らの笑い声がはじける。少し目の前が暗くなるような感覚に苛まれて俺は気が付いたら教室に背を向けていた。筆箱も、なんだかどうでもよかった。背中で笑い声を聞きながら俺は自分の教室へと歩きだしていた。

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