「おい、大丈夫か」
声をかけられたけど、見ずともそれが誰だかすぐにわかった。私は振り返らずに「うん、大丈夫大丈夫」と言った。まあ本音はあまり大丈夫ではなかったのだけど。重ねられた段ボールを抱えていると重さはあまりないにしても前は見えないしで時々何かにぶつかるし、大変には大変だった。すると手からひょいと重さがなくなった。
「大丈夫じゃねーだろ」
「そこそこ大丈夫だったよ」
「んだそれ」
視界が開けて見えた顔は案の定伊佐敷くんで、彼はそんなに背が高くないけど、段ボールを二つ持っても視界はちゃんと開けているようだった。そんな彼がこちらを見下ろしてふっと笑った。最近、伊佐敷くんはこうやってよく笑う。
「山田も日直だろ?なんで一緒に来なかったんだよ」
「いや山田くんなんかミーティングがあって急いでたから悪いなって…」
「だったら俺にでも声かけりゃよかっただろ」
そう言ってから伊佐敷くんは「無茶すんな」と付け加えた。別に無茶などしているつもりはなく、本当に自分ひとりで大丈夫だと思ったからこそ同じ日直でラグビー部の山田くんに声をかけなかった。しかし伊佐敷くんに声をかけろと言われて嬉しくて、次は声をかけようと、笑顔になりながら思った。
「私がひとつ持つからいいよ」
「いや俺が両方持つ」
「伊佐敷くん日直じゃないのに悪いよ」
「いんだよ」
伊佐敷くんはたくましい。男らしいし、意外と紳士だし、こうやっていつも私を助けてくれている。またこれをクラスの友達に言うとからかわれてしまうんだろうなと思うというのを躊躇するけれど、私だけが知っている秘密にしておいてもいい気がした。まあ、別に伊佐敷くんが優しいのは私だけに対してじゃないのはわかっているのだけれど。
「ちわっす、純さん」
「ちっす」
教員室前の廊下で伊佐敷くんが二人組の男の子たちに挨拶されていた。きっと野球部の後輩に違いない。あれ、たしか眼鏡の方の男の子はけっこう校内で有名だった気がするな、もう一人の方はわからなかったけど。でも、その眼鏡をかけてない方の男の子にじろじろと見られて私は少し狼狽えてしまった。私の顔に、何かついていただろうか。
「気にすんな」
「え?」
「今なんか見られてた気がしたかもしんねえが…気にすんな」
なぜか伊佐敷くんがこちらに目を向けずにそう言った。不思議に思ったけどあまり追及しないことにした。伊佐敷くんが練習しているのを見た時はものすごく怖くて厳しい先輩なんだなとは思っていたけど、今の様子だとけっこう後輩にも慕われている様子だった。
「…なあ苗字」
「うん?」
「よかったら今度練習試合あるから見に来い」
また伊佐敷くんはこちらを見ていなかった。でも、ずっと彼の野球をしている姿を見てみたかったので、私は大きく頷いた。「うん!行きたい」と私が言うと、彼は嬉しそうに口角をあげて「決まりだな」と言った。
***
「今のが例の苗字さん、か」
「気にしすぎだろ倉持」
「だってあの純さんだぜ!好きな女子がいるとか気になるだろ!」
「あの人だってただ日直で一緒なだけかもしれないだろ」
「いや、俺は未だかつて純さんが女子と校内を歩いてるのを見たことねーよ」
「モテない男はそーゆーのしつこいねえ。もっと余裕持てよ」
「うるっせーな御幸!」
さっきから倉持がそわそわしていて気持ちが悪い。確かに俺もあの二人を見たときピンときた。きっとあの女の人が例の人だと。まあ亮介さんにおおまかな特徴とかは聞いていたんだけど。まずあんな柔らかい笑い方をしている純さんを初めて見たから、その時点でほぼそれは確信に変わっていた。
「けっこう可愛かったな…」
「はっはっは!なんだよ嫉妬か?」
「どっちにだよ!」
倉持が隣でぎゃあぎゃあ五月蠅いが、放っておく。まあこれから純さんの恋とやらがどう転ぶかは、正直楽しみでしょうがない。