そこで咲いていればいい


自販機で紅茶を買おうとしてたら同じタイミングで手が伸びてきて、はっとその方向を見ればそこには見覚えのある顔があった。名前は知らないけど確実に見たことがある顔だった。彼も同様に私の顔を見て「あっ」という顔をした。確か、彼は伊佐敷くんたちの後輩だ。とっさに私が手をひっこめると、彼は気まずそうに目をそらしながら「いや、先にどうぞ…」と言った。私は声が小さくなりながら「ありがとうございます…」と言いながらレモンティーのボタンを押す。ガタンをいう音がして紙パックが落ちてきて、私がそれを屈んで取ると今度は彼がお金を入れた。



「あの、野球部の人、ですよね」

「あ、はい…純さんたちの友達の」

「そうなんです…私たち、顔見知りですよね」



私がそう言って微笑みかかけると、彼は少し控えめに笑った。結構怖そうな顔つきではあるけど、悪い人ではなさそうだ。「試合にも出てましたよね。私この間見に行ってたんです」「知ってま…いや、なんでも」明らかに彼は知ってますと言いかけてやめていた。まあ伊佐敷くんとも話したしそれを見ていたのだろう。なんで途中で言うのをやめたのかは、わからないけれど。「あ、俺二年の倉持っす」「私は苗字名前。よろしくね」私が言いながらレモンティーを飲むと、彼も同じようにミルクティーを飲み始めた。



「ねえ…変なこと聞くけど、伊佐敷くんってどんな人?」

「え?」

「あ、ご、ごめんね。クラスでしか見たことないから、部活の後輩から見てどうなのかなって」



倉持くんはかなり驚いて様子ではあったが、すぐに何か言いかけて、でもすぐにやめた。凛々しい顔つきで少し黙ってしまった彼に「そんな難しく考えなくていいよ…」なんて声をかけようとしたら、彼は私が口を開くのを遮るようにして口を開いた。



「純さんのことはまじで尊敬してます。熱くて一見怖いけど、でも根は優しいっつーか…上手く言えねえけど」



そうやって伊佐敷くんのことを話す倉持くんを見て確信した。たしかに倉持くんは上手く言えそうにもないみたいだったけど、きっと彼は部活でも私の知ってる伊佐敷くんなんだと思う。そう、一見怖そうだけど本当は心が温かくて優しい。何も気にしていないようで気にしているし、思いやりもある。私は嬉しくなって自然と笑顔になっていた。そんな私を倉持くんが不思議そうに見る。私はその笑顔のままで彼に言った。



「そっか。ありがとう」

「なんで俺にお礼を言うんすか」

「えっ…言いたくなったから」

「ヒャハ!なんすか、それ」



倉持くんは私が聞いたことのないような特徴的な笑い方をした。でもそうだ。彼にお礼を言いたくなった、私の知っている伊佐敷くんは確かにいて、そんな彼を好きでいることがどうしても嬉しくなったから。そこから倉持くんとは「また試合見に行くね」「練習頑張って」なんて言葉をかけて彼からも「ありがとうございます」「また機会があったら話しましょー」などと言葉を交わして別れた。また試合を見に行くね、練習頑張って、その言葉を伊佐敷くんにもかけたいのに、どうしてか今は喉の奥でもぞもぞするだけで私の口からは出てきてくれない。




***




授業中に眠い眼をこすりながら必死に板書を写そうとしていると、苗字がこちらを見ているのに気付いて俺もそちらを見た。彼女が何か困ったような顔をしていたから、俺は胸がざわつくのを感じながら「なんだよ」とやつに言った。彼女はそのままの顔で首を左右に振って視線を自分の机の上に落としたが、またすぐに俺の方を見た。「…寝ないの?」と言う彼女に俺は咳き込んでしまった。何を言ってるんだという表情で見てやれば、彼女はまたその困った顔で「眠そうだから、前みたいに寝ればいいのにって思っただけ」と言った。前みたいに寝る、すると苗字が後から俺にノートを見せてくれるか、俺の代わりに板書を写してくれる、そういうことだろう。でも、正直今の俺には彼女の優しさは苦痛だった。どんなに俺に対して彼女が優しくたって、俺を好きと、そういう気持ちじゃないのはわかっているから。俺は小さく息をつきながら首を横に振った。「いや、起きてられっから」と言う俺に彼女は何か怪訝そうな顔をしていた。



「伊佐敷、最初の問題の答えは」

「あ!?」

「あ、じゃない。答えろ」



板書を写すのに必死になっていたら問題のことなんてすっかり忘れていて先生にあてられて思わず驚きの声が出てしまった。教室が笑いに包まれる。慌てて教科書の問題を探していると、隣で苗字が小さい声で「連用形」と囁くので、俺はつかえながら「れ、連用形、です」と言うと先生は「おお、よくわかったな。感心感心」などと言っていた。視界の端で亮介が笑っているのが見えたので俺は口パクで「何笑ってんだボケ!」と言ってやった。隣で苗字もくすくす笑っている。ふと、その笑顔を見て笑顔になりそうになる自分に気が付いた。このむず痒い気持ち。そう言えば、ここ最近は苗字の、俺に笑いかける顔を見ていなかった。いつも困ったような、心配したような、不安そうな…。思い返せばそんな表情ばかり見せていた。急に、抑えきれなくなって口から言葉が出る。



「わりぃ」

「いいよ。私もう解いてたし」

「違う、そうじゃなくて」

「え?」

「寝っから、俺」



そう言って俺は彼女に自分のノートを突き付けて机に突っ伏した。苗字は少し面食らった様子ではあったがしっかりノートを受け取っていた。そのあとの彼女の顔なんか見てなかったけど、またくすくす笑う声がして、俺は真っ暗な机を目の前にしながら「ああ、こいつが笑ってるのはいいもんだな」と考えていた。

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -