人間の知りうること


移動教室に伊佐敷くんの筆箱を見つけて私は迷わずそれを持って教室に帰った。彼に「忘れてたよ」と言って渡すと彼は「ああ」と返事しただけだった。いつもみたいに優しく笑わないし、なんだか変だ。授業中も真面目にノートを取っているし、まともに目も合わせようとしない。お前様子がおかしいけどどうしたなんて聞かれたけど、よっぽど様子がおかしいのは伊佐敷くんの方だ。授業中に彼のことを盗み見ようとしたらなぜか彼もちょうど私を見たようで目が合ってしまった。気まずい。



「純が真面目に授業受けてると苗字は楽でいいね」

「別にそんなことないけど…何かあったのかな」

「さあね」



小湊くんとそんなことを話していた。「純って意外と繊細なところがあったりするしねー」という彼の声は相変わらず飄々としている。せっかく伊佐敷くんが振り返ることはないという現実を受け入れようとして、彼が好きだという自覚も持てたのに、こんなのあんまりだ。ずしりと心が重くなる。どうしたらいいんだろうなんて考えるけど、どうしていいかなんてわかるわけがなかった。お昼を食べに屋上に行くとそこには貴子ちゃんがいた。たまに、こうして一緒にご飯を食べる。



「知ってる貴子?名前、伊佐敷くんといつもイチャイチャしてるんだよ」

「だから違うって今日言ったじゃん!」

「あ、それ、うちの部員からも聞いたことある」



貴子ちゃんの言葉に思わずせき込んでしまった。「何動揺してんのよあんた」なんて友達にからかわれたけど、動揺しないわけがない。だいたい部員から聞くって言っても私は野球部にそんなにたくさん友達がいるわけじゃないし、そんなこと言ったら噂しているひとなんて簡単に予想がつく。(たぶん小湊くんが面白おかしく言っているんだろうけど。)



「それ聞いて名前と伊佐敷くんが付き合ったらかわいいなーって思ってたのよね」

「な…なにそれ、違うよ?本当に…」



言いながら顔がどんどん熱くなった。どんなにみんながいいと思ってくれてたって、伊佐敷くんが振り向かないんじゃ意味がない。どんなにみんなが応援してくれたって、伊佐敷くんは絶対に振り向かないから。またいつものように学校のアイドル的存在のサッカー部のエースの子の話になったが、私はいまいちその話に参加する気にはなれなかった。その間ずっと貴子ちゃんが心配そうに私を見ていたなんて知らずに。




***




「なんか純さん変じゃないっすか」



さすが倉持、と俺は褒めたくなった。まあ純と仲が良くて観察力に優れた倉持が気づいたのは当然かもしれないけど、それだけ純の態度に出てしまっているというのも大きい。今日は盛大にフリーバッティングで空振りしていて後輩に気を遣わせていた。「何、ヒゲ先輩の何が変なんですか!」「うるせえお前にはわからねえよ!」と倉持と沢村がなにやらわいわい騒いでる間を縫って御幸がやって来た。



「例の?」

「うん、たぶんね。まあ今日はどっちも様子がおかしかったから、何かあったんだろうけど」



たぶん苗字の様子がおかしかったのは、純が告白されたことがどうやってか耳に入ったからじゃないかと思う。悪いけど、あの二人は互いに好きなのが傍から見てバレバレだ。何か言うたびにどちらも顔を赤らめたり嬉しそうに笑ったりなんかしてたら嫌でもわかる。自分の好きな人が告白されて心底嬉しい人なんてそういないと思うから、彼女の様子がおかしいのはまあわかる。問題は純だ。彼には何があったんだろうか。



「純、苗字がさ」



途端、ガタン!と大きな音がした。純がテーブルに足をぶつけた音らしく、テーブルの上にあった牛乳の入ったガラスのコップが倒れる。うわあ!と沢村が叫んで、春市が慌てて台拭きをとりに取りに行った。純は「チッ…わりい」と言いながら春市からもらった布巾でテーブルを拭いていた。しばらく何も言えなかった。なんか少し顔も赤いし、これじゃあ後輩たちにあの純さんがーなんて言われても仕方がない。



「純…もしかして苗字の名前聞いただけでそんな動揺したの?」

「ばっ…ちげーよ!足ぶつけただけだろーがよ!」



部屋に純の怒声が響いていたけど、全く説得力がなかった。御幸は何も言わずともとても楽しそうで、沢村と倉持は同じような顔をして純を見ていた。春市はなんだかハラハラした様子で俺の隣に立っていたけど、なんだか空気は異様だった。さて、彼は自分の気持ちに気づいているのかいないのか…。

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