瞳に閉じ込めて消えないように


本当に、朝からついていなかった。今日に限っていつもはあまり気にならない寝癖が物凄くて、俺は文句を言いながら鏡と睨めっこしていた。これから家を出るぞという時になって、玄関で左右の靴下の色が違うことに気づき、おまけに家を出て百メートルで財布を家に忘れたことに気づいた。ついていない。つくづくついていない。



「待ったっすか?本当に申し訳なさすぎてどれだけ謝ればいいか…」

「ううん、大丈夫ですよ」



息があがりながらも走って待ち合わせ場所に行けば、彼女の姿がそこにあった。遅刻だ。急いだけど十二分も遅刻。彼女は俺に気がついて、笑顔で本当に気にしていない様子でそう言った。待ちに待ったこの日がやってきたのだ。俺の背筋が伸びる。貴重なオフを手に入れた俺は、真っ先に彼女を遊びに誘った。まあこれはどう考えてもデートだ。彼女とほとんど話したことないとか、誘った時死ぬほどびっくりされて、戸惑う彼女を半ば強引に来るようにさせたとか、そういうのひっくるめて誰が何を言おうとこれはデートなのだ。男女二人で水族館だ、デートじゃないはずがない。



「うわあすげえ、この魚、色がきれいっすよ!」

「黄瀬くん、意外とお魚好きなんですね」



俺を見て優しく微笑む顔を見て、俺は嬉しさと恥ずかしさに苛まれた。だめだ、俺テンションが高すぎる。でもそれもそのはずだ。ずっと可愛いと思って気になってた彼女は控えめなタイプで、強豪校のバスケ部のレギュラーでモデルでかつ髪がこんな色じゃ接点があるわけがないし、まず彼女が俺に寄りつかなかった。なんで女の子はたくさん周りに集まるのによりによって彼女だけ!と何度嘆いたことやら。それが今じゃ二人で大安の日曜日に最近オープンした人気の水族館に遊びに来ているんだから進歩どころか飛び級の飛び級だ。テンションが上がらないわけがない。



「この先に大水槽あるみたいっすね」

「かなり大きいってニュースになってましたよ。楽しみですね」



どこか余所余所しい感じの彼女だけど、だんだん俺との会話にも慣れてきているようだった。(余所余所しいのも当たり前だ、ついこの間までほぼ他人だったのだし。)さすがに人気の水族館なだけあってかなり混んでいる。はぐれないように、彼女の手を握ろうか、いやそれはさすがに引かれるか。じゃあ何だろう、俺のシャツの袖とか掴ませればいいかな。考えているうちに大きな男性に押され少し俺から離れた彼女の腕をとっさに掴んでしまった。仕方ない、これは仕方ない、彼女が少し顔を赤くしているので謝ると、どうして謝るんですかと逆に感謝された。大水槽の前に行くと、様々な種類の魚が広い水槽の中を自由気ままに泳いでいた。



「黄瀬くん、見てください、上」



彼女が俺のことをつつきながら上を指さすので、言われるがままに上を見上げると、銀色の水面からひらひらと何かが落ちてきていた。背後からエサやりのショーが始まった、もう十一時だもんね、という声が聞こえる。これはエサか、それもショーが始まるぴったりの時間に大水槽の前に着くなんて、なんてラッキーなんだろう!と今日一日の全てのアンラッキーを忘れかけた時、右足で何か柔らかなものを踏んだ。何だこれ、サメのストラップ…?



「あっ、それ!」



急に大きな声が自分に向けられたので思わずビクッとして声がした方向を見ると、そこには俺の手の中にあるストラップを凝視している女の子がいた。あれ、これこの子のなのかな。笑顔を作ってその子に差し出すと、お礼を言って人混みへと消えていった。それにしてもあのキーホルダー、おっかないはずのサメだったけど、かわいかったな。隣にいる彼女を見ると、俺なんかそっちのけで、上の方で大きな魚が食べたエサのカスを食べている底の小さなエビを見つめていた。この大水槽でなぜそこに注目してるの?と突っ込みたくなるのと同時に、そのきらきらとした目に愛しささえ感じて俺は溜め息混じりに笑うしかなかった。しかしふと、あの柔らかいものが頭を過ぎった。彼女は、小さなエビに夢中だ。そっと後退りした。



「えっ…?」



そして、彼女の肩を叩いて振り向いた彼女の手にそれを握らせた。彼女は驚きつつも受け取って、不思議そうに覗き込んだ。さっき、人混みの向こうに売店が見えて、彼女がエビに夢中だったこともあって俺は引き寄せられるように売店に向かっていた。迷わず柔らかな可愛らしいサメのキーホルダーを手に取った。



「それ、人気らしいっすよ。まだ早いかもしんないすけど、今日は来てくれてありがとうってお礼っす。気に入ってくれるといいんすけど、ね」



なんだか柄にもなく恥ずかしくなっていると、彼女がストラップを少し見つめてから、今まで見たことのないような満面の笑みで笑った。黄瀬くん、ありがとうございます、と、そう言う彼女は心底嬉しそうで、俺まで自然と笑っていた。少し頬を赤くした彼女を見つめる。水槽の上から差し込む光とそれを反射する色とりどりのサカナ、その中に彼女がいて、この瞬間を留めておきたいと心の底から願っていた。






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星墜さまに提出です。とても素敵な企画で、他の参加者様のお話とリンクしています。詳しくは企画サイト様をご覧ください。ありがとうございました。


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