甘味材を混ぜた夏が来る


「あっつくて死んじゃうわ」



扇風機に向かって私はそう言った。私の声は、宇宙人の声明みたいになって返ってきて、面白いからもう一度同じセリフをくるくる回るファンの中に放り込む。しかし次第に風で口の中が乾いてきて私は口を噤んだ。風が前髪をものすごい勢いで跳ねのけて、私は目をつむった。暑い。この風が止まってしまえば急に暑さが私を襲うのだろうと考えたら急にむっと胸が苦しくなって、私は慌てて深呼吸した。まだ夏は始まったばかりなのに、暑さは私を置き去りにしてどんどん加速していく。一昨日より昨日、昨日より今日、今日より明日。どんどん、肌でわかるほどに気温は上がっていく。今はこの風だけに集中しよう。そとの暑さも蝉の鳴き声も全部全部忘れてしまえ。そう自分に言い聞かせる。



「なあにしてんの」



宇宙人の声明が、私が何も言っていないのに急に聞こえたので私は驚いてひっくり返りそうになりながら目を開いてみると、今にも頬と頬が触れそうな距離に二口がいてまた腰を抜かしそうになった。気配を消してこんなことするなんて、変なやつ、いつもこうやって私にちょっかいを出してくるから困る。一番最悪だったのは去年の文化祭の時。なぜか私たちのクラスは劇をすることになって、なぜかお姫様役に私が抜擢されて、そして王子様役はその時好きだったバスケ部の男の子だった。死ぬほど緊張していた私は舞台の袖で自分の出番を意識が遠のくのを必死に我慢しながら待っていたのだが、急に二口が「あ、ねずみ」と私の足元を指さして言うので私はびっくりして甲高い叫び声をあげながらドレスの裾を踏んですっ転んでしまった。舞台にはなぜか叫び声とどたんという大きな音が響いて観客席は混乱していたし、劇のすべてを取り仕切っていた演劇部の女の子は舞台の後から口をきいてくれなくなった。王子様役だった例の男の子は苦笑しながら「なんだったの、あれ」と聞いてきて、私はまさに消えたかった。しかも問題なのは、ねずみなんていなかったということだ。後から聞いた話だが、二口はねずみなんていやしないのに、私を驚かせるためにそんな嘘を言ったのだ。それを知って憤慨する私に「でもほら、それでリラックスできたでしょ?」と二口は笑顔を向けてきて、このいかにもボクは悪くありませーんという爽やかな笑顔は彼の得意とするところなのだ。それから絶対にこいつとは口をきかないと決めていた私も彼とはまた二年生になっても同じクラスだし、なんだかんだで腹が立つけど憎みきれないこの男と未だに友人なわけだ。



「別に、何もしてないよ」

「お前ってホントに小心者だな。何してもすぐに驚く」

「何でも驚くわけじゃないしそれを言うならあなたはホントに根性悪いのね」



私がそう言うと、彼はあのボクは悪くありませーんの笑顔をする。正直な話、二口は所謂イケメンだ。顔立ちはかなり整っている。でも、性格がこれなので、内面を合算すると私はどうしてもこいつをイケメン認定したくない。うちのバレー部は強いから試合にも多くの生徒が応援に駆けつけるのだが、けっこう上級生にも下級生にも、もちろん同級生にもだけど二口のファンはいるみたいで黄色い歓声が飛ぶこともあるのだとか。信じられない。バレー部らしい高い身長と爽やかなルックス(あくまで見た目だけの話だが)は認める。それがモテる要因になるのは認めようと思う。でも、こいつのせいで結局例のバスケ部の男の子とも気まずいまま、告白するどころか少しも距離を縮められずにクラス替えになってしまったし、演劇部の女の子に至っては本当にそれかた一言も言葉を交わさなかった。これは、悪いがかなり根に持っている。二口は気を悪くするようでも悪びれる様子もなく私の隣にイスを持ってきて座った。「おっ、ここだけ気温が四度くらい低いな」なんて呑気なことを言いながら。こいつは今隣で私が過去の苦い思い出を噛みしめながら彼を呪っているだなんて知りもしないのだろうけど。考えたらこいつにまつわる最悪な話なんて一つや二つじゃない。体育祭でも足を引っかけられそうになったり、授業中に消しゴムのカスを投げつけてきたり、お気に入りの香水をばあちゃんちの漬物の匂いとか言ってきたり…彼のせいで私が公衆の面前で恥をかいた回数など数えきれない。そう考えるとむかむかしてきて、気のせいか暑くなってきた。足で扇風機の向きをこちらに向けて二口の方にあまり風が行かないようにしてやったら、やつは「あッ」と声を漏らして何かしようとしたが、すぐに教室の外から彼を呼ぶ声がして彼は立ち上がって廊下へと消えて行った。本当に、彼から目を離すと何をされるかわからないから、私は気づいたら彼の存在を気にしている。今は遠くにいるから大丈夫そうだ、今は頑張れば手の届く距離にいるから警戒しよう、だとか。こんな阿呆なことに神経を使わなければいけないことは決していい気持ちなんてしないけれど、そうもしなければ穏やかな学校生活は送れない。(というか送れていない。)どうして私みたいなのにばかりちょっかいをかけるのかなあなんて考えながらまたくるくる回るファンの中に「変な二口」と言ってやった。「変な二口」と宇宙人が言う。そして「誰が変だって」という二口の声がしてからごつんと頭に衝撃があった。



「いったあ…なんで殴るの」

「変とか言ってんじゃねえ」

「何それ、アイス」

「後輩のマネージャーからの差し入れだと」



戻ってきた二口の手にはアイスバーが握られていた。毒々しいピンク色をしたそのアイスはスイカ味かイチゴ味だろうか、人工着色料がたくさん入ってそうだ。「そのマネージャー俺に気があるらしいんだよなあ」なんて言いながら二口はアイスをしゃくしゃくと音をたてながら食べる。そして今度はさっき私がしたように、足で扇風機の向きを変えて自分に風がくるようにした。首振り機能は最初から完全に無視だ。どちらも初めからこの風を独り占めする気でいる。私はアイスを食べてる上に風を独占だなんてずるい人、なんて思いながら廊下を見た。バスケ部の男の子たちが何人か楽しそうに談笑しながら通り過ぎていく。その中に去年劇で王子様役をやっていた彼もいて胸が少しきゅっとした。告白もできなかった、だからと言って失恋しなかったわけじゃない。彼には彼女ができていた。隣のクラスの可愛いチア部の女の子だ。まあそうだよね、あの子、かわいいもんね…。思いを打ち明けられずに不本意にも彼とは気まずいまま私の恋は幕を閉じたはずだったのだが、いまだに彼を見ると胸のどこかにしまっていたものが動く。ああ、考えたって仕方ない、もう終わってしまったものなんだから考えたって仕方ない。そう自分に言い聞かせていたら、急に宇宙人の声がした。



「苗字」



ぼうっとしてしまっていた私は宇宙人、二口に呼ばれて我に返ったわけだが、すぐに半開きだった私の口の中に何か強烈に冷たいものが突っ込まれた。あまりに突然で何が何だか理解できなかったが、理解するよりも先に頭にキインと痛みが走った。チカチカとする視界の中で目の前の鮮やかなピンクがやけに目にしみて、「ああ、口にアイスが突っ込まれている」と理解した。冷たさのあまり感覚を失いかけている口の中に鈍く甘みが広がっていく。ああ、これはスイカじゃない、イチゴだ、混乱する頭でも味が一瞬にしてわかった。しかし頭に走る痛みに耐えられずに口からアイスを引き抜くと、急に唇に暖かな空気が触れて口が麻痺したようになった。どろっと溶けかけたアイスは今度は二口の口の中に吸い込まれていった。少し咳き込みながら唖然と彼を見ている私に二口は、ボクは悪くありませーんの笑顔を向ける。



「そうやってさ、お前は俺ばっか見て、気にしてればいんだよ」



二口はそう言って、アイスを持っていない方の手で私の顎を持って、私にキスをした。キスをした、とわかるまでに数秒の時間は要したのだけれど。麻痺した唇に二口の唇が重なって、もう冷たいのか温かいのかもわからない。彼の顔が離れていって、甘いイチゴ味だけが私に残る。二口はアイスを食べながら「美味しかった?またしたい?」と聞くので、「もういらない」と爆発しそうな脳みそでやっとの思いで返事した。私は心臓のドキドキがおさまらなくて俯くしかなかった。二口は一瞬不愉快そうな顔になったが、「俺が、したい」と言って少し強引にまた唇が重ねられて、視界の端で毒々しい色のアイスは床に落ちて行った。


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