まあるくとんがって生きている


現代文の授業中に寝ていたら先生に見つかってこっぴどく怒られた。学校一怖いと有名な四十半ばの男の先生だ。しかも昨日までに提出するはずの課題を出していなかったこと、そして校則違反のカーデガンを着ていたもあって私は職員室に呼び出されていた。職員室中の先生の視線を感じながら私はこんこんと説教され、そして私は項垂れて職員室を後にした。スカートだけを体育着のズボンに履き替えてプールに向かう。私に課せられたペナルティはプール開き前のプールを掃除することだった。幸い一年生が大方やってくれていたようだったが、まだ底の掃除が終わっていないとかで、一人でもできるからやれと言われて私は何も言えずにはいと返事するしかなかった。靴下を脱ぎ捨てて裸足でプールの中に入った。水の張っていないプールの底はざらざらとしていて心地悪い。盛大にため息をつきながら蛇口をひねるとホースの先から水が噴き出す。しばらくそれを空中に放ってぼうっと見つめていた。初夏の太陽に照らされて水がきらきらと光ってきれいだ。しかしそんな光景も次第に目に馴染んできて今度は水を勢いよく下にかけた。水が跳ねて体育着に少しずつ染みていく。ゆっくりブラシで床を擦っていると汚れが思ったより簡単に取れて目を丸くした。意外と楽しいかも、そんなことを考えながら掃除を続けているけれど、単純作業のためにどんどんいろんなことを考えてしまう。あの授業で寝ていたのは、私だけじゃなかったなあ。課題を出していないのも、違反のカーデガンを着ていたのも。私はなんてアンラッキーなんだろう、そう考えていると少し腹が立ってきてブラシを持つ手に力が入ってしまう。瞬間、急に方にぽんと何かが乗って私は飛び上がってしまった。



「わっ!」

「ご、ごめん驚かせて。でも何回呼んでも反応しないから」



勢いよく振り返るとそこには困ったように笑うスガがいた。スガは同じクラスのバレーボール部の男の子だ。何処となくやわらかい雰囲気を醸し出す彼は女の子からの人気も高い。そんな彼が私しかいないと思っていたプールにいきなり現れるんだから私は目を白黒させるしかない。見ればスガまで体育着に着替えて裸足になっている。「その恰好、どうしたの」と言うと「苗字がプール掃除させられてるって聞いて、手伝おうと思って。一人じゃ大変だろ」と言って笑った。スガはこうやって優しいから女の子に人気があるんだと思う。私は彼が助けに来てくれたことに対して嬉しいとか助かるという気持ちもあるんだけど、それよりも先に女の子たちに妬まれたら嫌だなと思ってしまっていた。彼に好意を寄せている女の子は私が知っているだけでも一人や二人じゃないし、そういう子たちに妬まれるのは面倒くさいというのが率直な意見だった。でもスガのことは好きだし(友達として)助けに来てくれた気持ちは嬉しいから、私は笑顔を作って「なんかごめん…ありがとう」と言った。「いいからいいから」と言うスガはなんだか嬉しそうだった。



「それにしても先生は厳しいな…罰が一人でプール掃除なんて」

「まあ私が悪いんだし…しょうがないよね」

「苗字は大人だね」



スガはそう言ったけど私は首を捻っていた。私は大人なんかじゃない。居眠りも課題の未提出も校則違反も、大人だったらしないはずだ。不思議に思って彼を見るけれど、彼はなぜかご機嫌な様子で一生懸命にプールの底をブラシでごしごしと擦っている。水を出せば出すほどに気温は下がっていくようで涼しくなってきて私は気持ちよくて目を細めながら空を見上げた。プールの中で風が渦を巻くのがわかる。すっと深呼吸をして目を開くと、スガがこちらを見ていた。彼の優しい笑みに私はどぎまぎしてしまった。「どうした、苗字」と言われてすぐにブラシを握った。改めて人に見られていたと思うと恥ずかしい。「な、なんでもないよ」と言うと、スガはブラシを動かす手を止めて「気持ちよさそうだったね…俺もやろ」と言いながら先ほどの私の真似であろう、目を細めて空を見上げながらすっと深呼吸した。妙に画になった。スガは背もそこそこ高いし肌の色が白い、というか色素が全体的に薄くて、太陽の光に照らされてきれいだった。ふと、空中に放った水みたい、という考えが頭を過って私は首をぶんぶんと横に振った。何考えてるんだろう私、掃除に集中しないと。するとスガの笑う声が聞こえて、私は余計に恥ずかしくなる。どうしてもスガの前だとこういう恥ずかしいことが起きる。私の人生なんてアンラッキーだらけだ。ほとんどの要素がアンラッキーでできていると言っても過言ではない。



「どうしてため息ついてるの」

「え、ついてた…?無意識だったな」

「幸せ、逃げるよ」



そう言って笑う彼を直視できなかった。このむず痒い感情はなんだろう。スガはいつか優しくてどうしてか私は恥ずかしくて、心が温かくて、でもどうしても彼と自分と違うといった諦めのようなものがいつもあった。彼は特別な存在ではない、私も同様に特別な存在ではないのに、いつも二人の間には越えられない何かがあると私はどうしてか、でも直観的にすっとそう思っているのだ。「じゃあ、もうため息つかないね」と私は小さく言った。それが彼に届いていたかどうかはわからない。プールの底を擦る音や流れる水音、遠くに聞こえる生徒たちの笑い声にかき消されていなければ、彼に聞こえたと思う。ホースを持ってもっと奥の方を掃除しようと思ったら、一歩踏み出した瞬間に足が滑った。小さく叫び声が口の端から漏れて目をぎゅうと閉じるけど、腕をスガに掴まれてすぐに目を開けた。それで気が付いたら私とスガは二人して尻餅をついていた。しかも悪いことに、私は持っていたホースを振り回してしまったらしく、スガの体育着がぐっしょりと濡れていた。濡れて顔に張り付く前髪を払いながら彼に言う。「ご、ごめん!大丈夫?」と聞けばスガは笑いながら「ははは、大丈夫大丈夫。それより苗字に怪我はない?」と言った。急に泣きそうになる。



「ごめん、助けてくれてるのにこんな、迷惑かけて…」

「謝らないで、それにそんな顔しないで。俺がこんなことするのも、誰にだってするわけじゃないんだから」



スガは座ったまま体育着のシャツを絞った。そして私を見てそっと手を伸ばしてきた。気づかなかったけど私もずいぶん濡れているようだった。彼の指が私の頬についた水滴を拭う。二人の身体から滴る水がぴちょんぴちょんと音を立てて耳に心地よく響いた。呼吸するのも忘れて彼の瞳に見入っていると、スガは少し視線を下に向けて、すくっと立ち上がった。そして私に手を差し伸べてくる。自然と彼の手を取ると、その手は水に濡れていたけど、しっかりと私の手を握りしめていた。「涼しくなってちょうどよかった」そういうスガはやっぱりきれいで、私はさっきみたいにまた目を細めた。でも、それは目を細めたのではなくて笑ったのだった。自然と笑顔になっていた。「スガ、ありがとう」と言うと彼は照れたように笑いながら「いいえ、どういたしまして」と言った。彼の指のぬくもりをまた覚えていて、彼と、同じ世界で生きることができそうな気がしていた。





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星墜さまに提出。
ありがとうございました!


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